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ポン・ジュノ監督×ロバート・パティンソン主演で映画化進行中! エドワード・アシュトン『ミッキー7』冒頭お試し読み

 ついに発売となりましたエドワード・アシュトン『ミッキー7』!

『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督×『THE BATMAN-ザ・バットマン-』ロバート・パティンソン主演による映画化決定の注目作です。『Mickey 17』のタイトルで、2024年3月29日に全米公開予定!

何度も死んでは生き返る、「使い捨て人間」となったミッキーの宇宙での奮闘を描く本作は、あのアンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』×ブレイク・クラウチ『ダーク・マター』と評されています。

本欄ではその第一章を抜粋掲載いたします!

ミッキー7
エドワード・アシュトン
大谷真弓訳

 
001

   こいつは、いままででいちばん間抜けな死になりそうだ。

 時刻は26時00分を過ぎたばかりで、俺はざらざらした石の地面に仰向けでのびている。闇がかなり濃いということは、視力も失っているのかもしれない。オキュラーがそのへんに可視スペクトル光子がないか五秒間も探してから、結局あきらめて赤外線センサーに切り替わる。それでもたいして見えやしないが、少なくとも、上のほうにこの空間の天井があるのはわかった。薄ぼんやりした灰色に輝く天井と、氷に覆われた黒い円形の穴が見える。あの穴から、ここに落っこちたに違いない。

 問:いったい、なにが起こったんだ?

 最後の数分間の記憶は断片的──ほとんどがばらばらの画像と音の断片だ。ベルトの飛行機から氷の割れ目(クレバス)の近くに下ろされたことは覚えている。積み重なった氷の塊を這うように下りていたことも覚えている。歩いていたことも。上を向いたら、南の壁の三十メートルほど上に岩が突き出しているのが見えたことも。ちょっとサルの頭に似ていた。つい笑って、そしたら……。

 ……そしたら左足が空を踏み、俺は落下していた。

 くそっ。ちゃんと行く手を見ていなかったせいだ。上を向いて、あのサルの頭に似たバカげた岩を見ながら、ドームに戻ったらナーシャになんて話そうかと考えていたら、穴に足を踏み入れてしまった。

 いままでで、いちばん、間抜けな、死。

 頭のてっぺんからつま先まで、震えが走る。上のほうで動いていたときも、寒さは最悪だった。だがこのクレバスの底の底で、岩盤に背中を押しつけていると、寒さが体を浸食してくる。体にぴったりした肌着と二枚の防寒着を通り抜け、体毛と皮膚と筋肉にも染みこんで、骨にまで達する。またぶるっと身震いしたら、いきなり左の手首から肩まで激痛が走った。下を見ると、あるはずのないところにふくらみがあり、布地を押し上げている。ちょうど、外側の防寒着の袖と手袋がぶつかるところだ。手袋をはずそう。寒さが腫れを引かせる助けになるだろうと思ったのだが、また激痛が走り、実験は開始早々中止した。ただ拳骨を握ろうとするだけでも、指を曲げはじめたとたん、痛みは激痛から目のくらむ痛みへと昇格する。

 落ちるときに、どこかにぶつけたに違いない。骨折? しているかもしれない。捻挫は? 確実だ。

 痛いってことは、まだ生きてるってことだろ?

 ゆっくり体を起こし、首をふって頭をすっきりさせると、まばたきして通信ウィンドウを開く。コロニーの中継器から電波を拾うには遠すぎるが、ベルトはまだ近くにいるはずだ。かすかな信号を感じる。音声や動画は無理でも、おそらくテキストメッセージならなんとか送れるだろう。さっとキーボード・アイコンを見て、視界の四分の一にチャット・ウィンドウを出す。

 

ミッキー7:ベルト。届いてるか?

レッドホーク:届いている。まだ生きてるんだな?

ミッキー7:いまのところは。だが、動けない。

レッドホーク:なにやってんだ。見てたぞ。おまえはまっすぐ穴へ歩いていて、立ち止まりもせず落っこちた。

ミッキー7:ああ、それはわかってる。

レッドホーク:小さい穴じゃないぞ、ミッキー。でかい穴だ。いったいどうした、相棒。

ミッキー7:岩を見ていたんだ。

レッドホーク:……。

ミッキー7:サルの頭みたいな形をしていたもんだから。

レッドホーク:いちばん間抜けな死に方だな。

ミッキー7:ああ、ていうか、それは死んだ場合だろ? それはそうと、ひょっとして助けに来られたりする?

レッドホーク:ううん……。

レッドホーク:無理だ。

ミッキー7:マジかよ?

レッドホーク:マジで。

ミッキー7:……。

ミッキー7:なんで、来られないんだ?

レッドホーク:まあ、大きな理由は、いまおまえが下りていった場所の二百メートル上空をホバリング中だから。そっちの信号はまだかろうじて受信できるが、おまえは地下深くにいるうえに、ここはムカデどものテリトリーだ。おまえを助けだすには、かなりの労力と相当の危険がともなう──つまり、そんな危険を冒してまで使い捨て人間(エクスペンダブル)を助けだす正当性は見いだせない。わかるだろ?

ミッキー7:ああ。確かに。

ミッキー7:友人を助けるためでも、同じだよな?

レッドホーク:おいおい、ミッキー。そういう言い方すんなよ。べつに、おまえは本当に死ぬわけじゃないだろ。俺はドームに戻ったら、おまえの損害報告を提出する。それが職務だ。マーシャルがおまえの再生を承認しないわけがない。明日になれば、おまえは培養槽から出て、自分の寝台に戻っているさ。

ミッキー7:おお、そいつはいい。ていうか、そっちにとって都合がいいのは確かだ。だが、そのあいだ、俺は穴んなかで死ななきゃならない。

レッドホーク:ああ、残念だ。

ミッキー7:残念だ? マジかよ? たったそれだけ?

レッドホーク:悪いな、ミッキー、けどなんて言ってほしいんだ? おまえがそんなところで死んでいくと思うと、つらいよ。けど真面目な話、それがおまえの仕事だろ?

ミッキー7:しかも、俺のバックアップ・データは最新じゃない。一カ月以上、アップロードしてないんだ。

レッドホーク:それは……俺の責任じゃない。まあ、心配するな。おまえがなにをしようとしていたかは、俺が新しいおまえに教えてやる。最後のアップロード以後にあった個人的なことで、新しいおまえが知っておくべきことはあるか?

ミッキー7:うーん……。

ミッキー7:いや、ないと思う。

レッドホーク:よし。じゃあ、準備はできたな。

ミッキー7:……。

レッドホーク:問題ないだろ、ミッキー?

ミッキー7:ああ。問題ない。いろいろありがとよ、ベルト。

 

 俺はまばたきしてウィンドウを閉じ、岩壁にもたれて目をつぶる。あの臆病者のくそったれが、助けに来ないなんて信じられない。

 いやいや、なに言ってんだ、俺は? 信じられないわけないだろ。

 で、どうする? ここにすわって、死ぬのを待つか? この掘削孔というか、立坑というか、なんだか知らないところをどれくらい落下して、この……底に到達したのかはわからない。二十メートルくらいだろうか。ベルトの口ぶりからすると、百メートルくらいありそうだ。俺が落ちてきた穴はあそこに見える。上方三メートルもない。あそこに手が届いたとしても、手首がこんな状態じゃよじのぼるのは無理だ。

 エクスペンダブルをやっていると、よくいろんな死に方を考える──実際に死にかかっていなければ、だが。これまで凍死したことはないが、凍死について考えたことは、もちろんある。この荒涼とした氷の星に着陸した以上、考えないでいることのほうが難しい。どちらかと言えば、かなり楽な死に方のはずだ。体が冷えきって、眠りこみ、二度と目を覚ますことはないんだろ? だんだん、うとうとしてきたぞ。少なくとも、この死に方は悪くなさそうだ。そんなことを考えていたら、オキュラーに通信が入った。俺はまばたきして返信する。

 

ブラック・ホーネット:ハイ、ベイビー。

ミッキー7:やあ、ナーシャ。どうした?

ブラック・ホーネット:いいから、じっとしてなさい。いま、飛行中。二分後に到着予定よ。

ミッキー7:ベルトがきみに連絡したのか?

ブラック・ホーネット:ええ。彼はあなたを回収できないと思ってる。

ミッキー7:じゃあ、なんで?

ブラック・ホーネット:彼はやる気がないだけよ。

 

 希望ってのは、おかしなもんだよな。三十秒前まで、俺は百パーセント死ぬと確信していたし、べつに怖くもなかった。ところがいまは、耳のなかで心臓の鼓動がうるさく響き、頭は起こりうるあらゆる失敗を次々と挙げていく。ナーシャが貨物機をなんとか着陸させ、救出作業をする際、どんな失敗が発生するか。クレバスの底には、そもそもナーシャが下りられるだけの広さがあるだろうか? もしなかったら、彼女は俺の居場所を突き止められるか? もし突き止められたとして、俺のところまで届く長さのケーブルを持っているだろうか?

 持っていたとして、その動きに気づいたムカデどもに彼女が襲われる可能性は?

 くそっ。

 くそっ、くそっ、くそっ。

 ナーシャにそんなことさせられるか。

 

ミッキー7:ナーシャ?

ブラック・ホーネット:なに?

ミッキー7:ベルトの言うとおりだ。俺は回収不能だ。

ブラック・ホーネット:……。

ミッキー7:ナーシャ?

ブラック・ホーネット:それは確かなの、ベイビー?

 

 また目を閉じ、息を吸って、吐く。ちょっくら培養槽に戻るだけのことだろ?

 

ミッキー7:確かだ。俺は地下の深いところにいるし、重傷だ。正直、きみがどうにか回収してくれたとしても、俺はどっちみち廃棄されるだろう。

ブラック・ホーネット:……。

ブラック・ホーネット:わかった、ミッキー。あなたが決めることだから。

ブラック・ホーネット:わたしが助けるつもりで来たってことは、わかってるわよね?

ミッキー7:ああ、ナーシャ。わかってる。

 

 ナーシャが静かになると、俺はその場にすわって、彼女の信号強度が上がったり下がったりするのを見つめた。彼女は落下場所の上空を旋回している。俺の信号の発信地点を三角法で測ろうとしている。俺のいる場所を突き止めようとしている。

 こんなことは、終わらせなきゃならない。

 

ミッキー7:帰れ、ナーシャ。俺はもう、くたばる。

ブラック・ホーネット:えっ。

ブラック・ホーネット:そう。

ブラック・ホーネット:で、どうするの?

ミッキー7:なにを?

ブラック・ホーネット:シャットダウンよ、ミッキー。ファイヴのときみたいな死に方はやめてほしい。武器は持ってる?

ミッキー7:いいや。バーナーは落ちるときになくしちまった。どっちにしろ、正直、ああいう道具を自分に使う気にはなれない。そっちのほうが早くすむだろうが……。

ブラック・ホーネット:ええ、それはたぶんいい判断だと思う。ナイフはどう? 砕氷斧(ピツケル)は?

ミッキー7:いいや、どっちもない。てか、ピッケルでどうしろってんだ?

ブラック・ホーネット:わからない。でも、先が鋭いでしょ? 頭を割ったりできるんじゃないかしら。

ミッキー7:ナーシャ、力になってくれようとしているのはわかるんだが──

ブラック・ホーネット:循環式呼吸装置(リブリーザー)の密閉を解除しちゃえば? 低酸素濃度と高二酸化炭素濃度のどっちが早く死なせてくれるかはわからないけれど、どちらにしても数分で終わるわ。

ミッキー7:そうだな。試したことはないが、ゆっくり窒息して死ぬのは、あんまり好みじゃない気がする。

ブラック・ホーネット:じゃあ、どうするの?

ミッキー7:凍死かな。

ブラック・ホーネット:ああ、それはいいわね。穏やかに逝けるんでしょ?

ミッキー7:そうであってほしいね。

 

 ナーシャの信号が小さくなり、ほとんど消えたかと思うと、ゼロよりほんの少し上で安定した。彼女は信号発信範囲ぎりぎりのところにとどまっているに違いない。

 

ブラック・ホーネット:ねえ。アップロードはしてあるんでしょ?

ミッキー7:この六週間はしていない。

ブラック・ホーネット:どうして、しなかったのよ?

 

 その件には、いまはどうしても触れたくない。

 

ミッキー7:怠けていただけさ。

ブラック・ホーネット:……。

ブラック・ホーネット:今回のことは残念だわ、ベイビー。本当に残念。

ブラック・ホーネット:このまま、通信していてほしい?

ミッキー7:いいや。しばらくかかりそうだし、もし墜落でもしたら、きみは帰れなくなるんだぞ? きみはドームへ戻るべきだ。

ブラック・ホーネット:本気で言ってるの?

ミッキー7:ああ、本気だ。

ブラック・ホーネット:愛してるわ、ベイビー。明日あなたに会ったら、・昨夜のあなたは、立派な最期を遂げた・って伝えてあげる。

ミッキー7:ありがとう、ナーシャ。俺も愛している。

ブラック・ホーネット:さよなら、ミッキー。

 

 まばたきしてウィンドウを閉じ、ナーシャの通信信号が小さくなってゼロになるのを眺める。ベルトの信号はとっくに発信範囲を出ていた。上を向くと、ぽっかりあいた穴が悪魔のケツの穴みたいにこっちをにらんでいる。アップロードしていようがいまいが、急に納得いかない気分になってきた。このまま死ぬのは気に入らない。俺は頭をふると、なんとか立ち上がった。

 

 ここで思考実験をしてみよう。想像してみてくれ。夜寝るとき、ただ眠りにつくわけじゃないことを発見したとしよう。眠るんじゃなく、死ぬんだ。死んで、翌朝はほかの誰かが自分になりかわって目を覚ます。その人物には、きみのすべての記憶がある。きみの希望、夢、恐れ、願いを全部、持っている。その人物は、自分のことをきみだと思っている。きみの友だちや愛する人たちも、その人物がきみだと思っている。けど、そいつはきみじゃないし、きみは一昨日の夜に眠りについた人物じゃない。きみが存在するのは今日の朝からで、今夜目を閉じれば存在しなくなる。そこで、自分に訊いてみてくれ──自分の人生に実質的な違いはあるだろうか? 違いを見分ける方法はあるだろうか?

"眠りにつく" を "押しつぶされた/蒸発した/火がついた" に置きかえれば、ほぼ俺の人生だ。反応炉でトラブル発生? 俺の出番だ。不完全な新しいワクチンの実験? 俺に任せろ。きみの自家製アブサンが、飲んでも安全かどうか知りたい? しょうがないな、俺が一杯飲んでやろう。もし死んでも、いつだって新しい俺をつくれる。

 そうやって死ぬことのいい面は、事実上、いやなタイプの不死身の存在であることだ。俺はミッキー1(ワン)のしたことは覚えちゃいない。自分がミッキー1だったことは覚えている。ていうか、とにかく、彼だった頃の最後の数分間以外は。彼は──俺は──宇宙船で航行中、船体の亀裂修復作業で死んだ。その二、三時間後、ミッキー2(ツー)が目を覚まし、自分は三十一歳で、ミズガルズの生まれだとはっきりわかった。あとは知るか。ミッキー2だって、たぶん彼だろう。たぶん、最初のミッキー・バーンズがミッキー2の目を通して見ていたんだろう。どうしたらわかる? それにたぶん、俺がこの洞窟の地面に横たわって目を閉じ、リブリーザーの密閉を解除すれば、明日の朝にはミッキー8(エイト)として目覚めるだろう。

 だが、どういうわけか、そう思えないんだ。

 ナーシャとベルトには違いはわからないかもしれないが、俺は理性よりずっと深い心の奥底で確信している。俺は絶対、自分が死んだとわかるはずだ。

(つづきはぜひ本篇で!)


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