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SFマガジン12月号「カート・ヴォネガット生誕100周年記念特集」特集解説:大森望

『猫のゆりかご』『タイタンの妖女』『スローターハウス5』など、数々の傑作を残したSF作家、カート・ヴォネガット。その生誕100周年を記念し、SFマガジン12月号では「カート・ヴォネガット生誕100周年記念特集」をお届けします。本欄では、同号掲載の大森望さんによる特集解説を再録いたします。

特集解説 大森望


 カート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)は、一九二二年十一月十一日、インディアナ州インディアナポリスのドイツ系アメリカ人家庭に生まれた。この日は第一次世界大戦休戦記念日(Armistice Day)。後年、ヴォネガットは、平和を記念するこの日に生まれたことを誇りに思うようになったという(第二次世界大戦後、アメリカでは「復員軍人の日」と呼び名が改まり、連邦政府の定める祝日となっている)。
 父親のファーストネームもカートだったので、ヴォネガットの本名はカート・ヴォネガット・ジュニア。ご承知のとおり、作家としても長くこの名前を使っていたが、一九七六年の『スラップスティック』以降、ジュニアのない”カート・ヴォネガット”を筆名とすることになる(チャールズ・J・シールズ『人生なんて、そんなものさ カート・ヴォネガットの生涯』によれば、『スラップスティック』のカバーの著者名から”Jr.”が落ちたのは、版元のありえないミスが原因だったとか)。
 簡単に経歴を紹介すると、ヴォネガットは一九四〇年、コーネル大学に入学し、生化学を専攻する。一九四三年一月に大学を中退し、徴兵される前にみずから陸軍に入隊。一九四四年十二月、「バルジの戦い」でドイツ軍の捕虜となる。翌四五年一月、スローターハウス(食肉処理場)を改装したドレスデンの収容所に連行されたヴォネガットは、翌月、連合軍による無差別攻撃を捕虜として経験することになる。
 帰国後はシカゴ大学人類学部で文化人類学を専攻するが、修士論文が通らず、一九四七年、大学院を中退してゼネラル・エレクトリック社に入社。ニューヨーク州スケネクタディの本社で広報担当として働くかたわら、小説を書きつづける。
 一九五〇年、SF短篇「バーンハウス効果に関する報告書」が〈コリアーズ〉誌に採用され、晴れて作家デビュー。ほどなく会社を辞めて専業作家となり、一九五二年に刊行したディストピアSF『プレイヤー・ピアノ』を皮切りに、生涯で十四冊の長篇小説と五十篇足らずの短篇小説を発表したのち、二〇〇七年四月十一日、八十四歳で世を去った。
 ──というわけで、本誌今月号の発売から二週間ちょっと経つと、カート・ヴォネガット誕生からちょうど百年が経過することとなる。それを記念して企画されたのが今回の特集。SFマガジンにとっては、二〇〇七年九月号の追悼特集以来のヴォネガット特集になる。
 ついでに言うと、本誌で作家の生誕百年を記念した特集が組まれるのは、二〇一四年十二月号のR・A・ラファティ特集、二〇二一年十二月号のスタニスワフ・レム特集に続いて、たぶんこれが三度目。レム(一九二一年九月十二日生まれ)とヴォネガットが一歳違いというのもちょっと面白いが、ヴォネガットと同じ一九二二年生まれのSF作家には、ハル・クレメントやデーモン・ナイトアがいる(日本の作家では、山田風太郎や中井英夫が一九二二年生まれで、どちらも今年、生誕百年の記念展やイベントが行われている)。
 ヴォネガットに関しては、今年六月、「生誕100年!」と帯に謳う、『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』がフィルムアート社から刊行されている。ヴォネガットが著者に名を連ねているが、これは、ヴォネガットの創作講座の受講生だったスザンヌ・マッコーネルがヴォネガットの小説やエッセイや発言の引用を軸に、師の人生をたどりつつ、ヴォネガット流の創作指南や文章術や人生論をまとめた一冊。
 ヴォネガット自身の著作に関しては、本特集のブックガイドを見ればわかるとおり、小説はもちろん、戯曲やエッセイや絵本や講演録まで、没後に刊行された本も含め、ほぼすべてが邦訳されている。ヴォネガットがいかに日本の読者に愛されているかの証拠だろう。
 しかしそうなると、生誕百周年記念特集に翻訳すべき未訳作品が見つからない。とくに短篇に関しては、『カート・ヴォネガット全短篇』全四巻に、生前未発表だった五十一篇(!)を含めて、九十八篇すべてが網羅されているではないか。とはいえ、同書に収められているのは、著者がヴォネガット名義での発表を意図して最後まで書き上げた短篇小説(だと編者のジェローム・クリンコウィッツとダン・ウェイクフィールドが判断した作品)だけ。そのため、生前未発表の作品を集めた二〇一三年のヴォネガット作品集 Suckerユs Portfolio に収録されているにもかかわらず、『全短篇』には入っていない原稿がある。それが ”Robotville and Mr. Caslow” (ロボットヴィルとキャスロウ先生)。 Sucker’s Portfolio の巻末に付録として収められている未完のSF作品で、ごらんのとおり、行の途中で唐突に断ち切られる。この続きにあたる原稿は(もし書かれていたとしても)見つかっていない。執筆時期も不明だが、おそらく一九五〇年代はじめごろだろう。
 小説の軸になるのは、第三次世界大戦中に敵軍の捕虜となり、ロボットのように無線でリモートコントロールされていた元兵士たち。作中では、彼ら元捕虜に過剰なまでのシンパシーを寄せる〝友の会〟の人々が登場し、キャスロウ先生からは ”the bleeding hearts society”(字義通りには「血を流す心臓の会」だが、ここでは、社会的弱者におおげさな同情を示す人々の会を意味する)と痛烈に皮肉られる。
 ロシアがウクライナに侵攻し、宗教団体によるマインドコントロールの問題が世間を騒がせ、マイノリティの権利をめぐる議論が大きくクローズアップされている現在、なんともタイムリーな作品にも見える。いよいよこれからというところで終わっているのが残念だが、最後に残ったヴォネガットの未訳短篇(の一部)ということで、なにとぞご容赦を。このあとキャスロウ先生が市長や”友の会”にいったいどう対処したのか、あれこれ想像して楽しんでいただきたい。
 もう一篇、この特集に掲載した本邦初訳の「最後のタスマニア人」 ”The Last Tasmanian” は、やはり未発表のまま埋もれていたエッセイ。一九九二年に、サガポナックの夏別荘で執筆された。サガポナックは、ニューヨーク州ロングアイランドの東端にある海辺の村。文中にもあるとおり、その一帯はハンプトンズと呼ばれる避暑地で、トルーマン・カポーティやジェイムズ・ジョーンズなど多くの文士が移り住んだ。執筆当時、ヴォネガットは泥沼の離婚調停にいやけがさし、この家に移ってのんびりひとり暮らしを楽しんでいたらしい。エッセイのタイトルは、タスマニア・アボリジニの最後のひとりと言われた女性トルガナンナ(一八七六年に死去)のこと。ヴォネガットはコロンブスのアメリカ大陸”発見”から語り起こし、ステロタイプなネイティヴ・アメリカン像にツッコミを入れまくる。十八番のぼやき芸を含め、著者ならではの名調子が楽しい。このエッセイを序文として、未発表の長篇小説が書かれていたかもしれないと想像することさえできそうだ。このエッセイの四十年前(推定)に書かれた「ロボットヴィル…」と共通する視点が見つかるのも面白い。ただし、強烈すぎる皮肉は、いまならたちまち炎上しそうだ。
 この「最後のタスマニア人」も、「ロボットヴィル…」と同じく、 Sucker’s Portfolio に収録されて日の目を見た(その後、ヴォネガットの全長篇を網羅するシドニー・オフィット編の四巻本の四冊目、 Vonnegut: Novels 1987-1997 に「付録」として採録されている)。今回、この二篇が本誌に掲載されたことで、同書収録作はすべて邦訳されたことになる。
 その他の特集原稿についても簡単に。「カート・ヴォネガットは語る」は、一九八四年にヴォネガットが第47回国際ペン東京大会の特別ゲストのひとりとして来日した折に京王プラザで行われた森下一仁氏による貴重なインタビューの再録。SFマガジンらしい質問と、絶妙にはぐらかしたヴォネガットの返答が可笑しい。期せずして、一九五〇年代、八〇年代、九〇年代と、さまざまな時期のヴォネガットの声をこの特集に収めることができた。
 さらに、戦争文学としてのヴォネガット作品に焦点をあてた水上文氏による論考、香山リカ、柴田元幸、邵丹、新城カズマ、ぬまがさワタリ、山崎まどか、YOUCHANの七氏によるヴォネガット愛に満ちたショート・エッセイ、ヴォネガットをめぐる鼎談(円城塔、小川哲、大森望)、全邦訳書のブックガイドを加え、多角的にヴォネガットに迫る。
 名前は知っているけれどあまりなじみがないという人や、しばらくヴォネガットから遠ざかっていた読者にとって、この特集がヴォネガットの魅力を発見/再発見するきっかけになればさいわいです。ピース。

SFマガジン2022年12月号「カート・ヴォネガット生誕100周年記念特集」

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