ベストセラーミステリ『木曜殺人クラブ』若林踏氏による解説全文公開! 「まさしく英国の謎解き小説の伝統を感じさせる作品だ」
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ベストセラーミステリ『木曜殺人クラブ』若林踏氏による解説全文公開! 「まさしく英国の謎解き小説の伝統を感じさせる作品だ」

読み終えた方から絶賛の声を多数いただいております今年最注目の英国ミステリ、『木曜殺人クラブ』。今回はミステリ書評家・若林踏氏による巻末解説を全文公開いたします!

解説

ミステリ書評家 若林踏

 ──太陽が昇り、空は青く、空気には殺人が漂っている。

 本書七十三頁に出てくる右の一文を読んで、『木曜殺人クラブ』という作品にこの上なく好感を持った。いいなあ、これ。明るい日常のすぐ傍に、不穏な出来事が存在していることをさらりと示す文章である。かつて翻訳家の宮脇孝雄は『書斎の旅人 イギリス・ミステリ歴史散歩』(早川書房)で「優れたイギリスのミステリは、おおむね喜劇的なものである」と書いたけれど、『木曜殺人クラブ』は殺人という悲劇的なものを喜劇的に語るという意味で、まさしく英国の謎解き小説の伝統を感じさせる作品だ。

 本書の舞台は、〝イギリス初の高級リタイアメント・ビレッジ〟を謳い文句にする、クーパーズ・チェイスという高齢者施設だ。〈永遠の眠りの庭園〉と名付けられた美しい庭を持つこの施設には、毎週木曜に会合が開かれるクラブがあった。それが〈木曜殺人クラブ〉である。

〈木曜殺人クラブ〉を立ち上げたのはペニーとエリザベスという二人の女性だ。ケント警察に長年勤めていたペニー元警部は引退間際に未解決事件の捜査ファイルを持ち出していた。エリザベスとペニーはそれらのファイルに目を通し、見落とされているものがないか、探し出すことを楽しんでいた。つまりは探偵の真似事をして、未解決事件の推理に興じる会が〈木曜殺人クラブ〉なのだ。途中でペニーは病に倒れて施設内の末期療養棟に入ってしまうのだが、クラブはエリザベスに加え、精神科医のイブラヒム、有名な労働組合のリーダーだったロン・リッチー、元看護師のジョイスがメンバーとなって活動を続けていた。

『木曜殺人クラブ』と聞いてミステリ読者が想起するのは、アガサ・クリスティーが生んだ名探偵ミス・マープルが登場する『火曜クラブ』(クリスティー文庫)だろう。この連作短篇では作家や元警視総監といった面々が集い、自分だけが真相を知っている話を披露して推理を競う〈火曜クラブ〉なる会合が開かれていた。『火曜クラブ』の短篇が発表された同時期にはアントニイ・バークリーが『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)において、素人探偵のロジャー・シェリンガムが会長を務めるアマチュアの犯罪研究会を登場させて、毒死事件を巡る推理合戦を描いている。作中における実在の事件を、趣味的なサークル活動を楽しむ感覚で捜査する、という展開は英国黄金期の作品で数多書かれているが、『木曜殺人クラブ』もその例に漏れない。暇を持て余した英国人が謎解きと冒険を嗜むのは、いつの時代も変わらず、ということなのだろう。

 ファイル内の未解決事件ばかりに取り組んでいた〈木曜殺人クラブ〉だが、やがて本物の殺人捜査を行うチャンスがやってくる。クーパーズ・チェイスを建設した業者であり、施設の経営にも携わるトニー・カランが自宅で何者かに撲殺されたのだ。事件が起きる少し前、〈木曜殺人クラブ〉のメンバーであるロンとジョイスは、トニーが施設の共同経営者であるイアン・ヴェンサムと口論をしている場面を目撃している。トニーを殺害した犯人は、イアンなのだろうか。

 エリザベスは「わたしたちほど、うってつけの人間はいないんじゃない?」とジョイスに言いながら、自分たちで殺人事件の犯人を見つけ出そうと提案する。しかし、現在進行形で起こっている事件だ。事件のファイルも、目撃者の証言も、鑑識の情報も素人の彼らは当然、手に入れることが出来ない。そこでエリザベスが目を付けたのは、かつて施設に防犯の講習会のためにやってきて知己を得たドナ・デ・フレイタス巡査だ。彼女を上手く説得し、〈木曜殺人クラブ〉のメンバーに引き込んで捜査情報を引き出そうと考えたのだ。

 いやはや、何とも賑やかな老人探偵団である。リアルタイムの殺人事件に関わることで活き活きとし始める〈木曜殺人クラブ〉の面々だが、その意気込みが時おりずれた感じで表現されるのが楽しい。例えばドナ巡査と上司のクリス主任警部が事件の聴取を〈木曜殺人クラブ〉のメンバーに行う場面だ。警察側は真面目に仕事を行いたいのに、クラブのメンバーはお茶会の気分で《CSI:科学捜査班》やら《オックスフォードミステリー ルイス警部》やら、テレビの推理ドラマの話を持ち出して脱線してしまうのである。

 もっとも微笑ましいのは、中盤にあるイブラヒムとロンが容疑者リストを作成して、犯人である可能性を十点満点方式で検討していく場面である。「ロンは全員を十点満点で採点しようと主張し、ウィスキーを飲めば飲むほど点数が高くなっていく」と描かれるように、クラブでは酒のつまみ感覚で犯人当ての推理を行うのである。やはり英国人にとって探偵小説は喜劇なのかもしれない。

 作者のリチャード・オスマンはこれが小説家デビュー作である。オスマンの本業はテレビ司会者・プロデューサーであり、英国ではすでに知名度の高い人物だ。《ガーディアン》紙に掲載されたインタビュー(https://www.theguardian.com/books/2020/aug/28/richard-osman-i-want-to-be-writing-novels-for-the-rest-of-my-life-now)で、彼は敬愛する作家や作品の名前を挙げている。記事によれば、オスマンはイアン・ランキンやヴァル・マクダーミド、ルース・レンデル、レジナルド・ヒルといった英国の犯罪小説家にふれつつ、「英国の偉大なユーモア作家」として、ミュリエル・スパーク、P・G・ウッドハウス、アラン・ベネットなどから影響を受けていると述べている。自身もコメディアンとして顔を持つオスマンにとって、小説の中にユーモアを取り入れるのは自然なことだったのだろう(インタビュー内には、先に記したような作家とともに、イギリスの著名なコメディアンであるヴィクトリア・ウッドの名前も挙がっていた)。

 このように書くと、本書の謎解き小説としての出来は「著名人が筆のすさびにフィクションを」というような余技のレベルではないのか、と疑ってしまう方もいるだろうか。しかし、それは断じて違う。謎解き小説の観点では特に優れた点が二つ、この作品には存在する。

 一つは視点である。本作は〈木曜殺人クラブ〉のメンバーであるジョイスが綴る日記形式の一人称視点と、様々な登場人物による三人称多視点によって構成されている。ジョイスはクラブのリーダー格であるエリザベスと行動をともにすることが多く、必然的に事件の記録者といった立場で物語内に存在する。いっぽうで、登場する数多の人物に視点を置いた記述がなされ、読者はジョイスの主観と複数の第三者の視点をまたぎながら、事件の謎を解くための手がかりを収集しなくてはならない。語りの視点という意味では、単純なようでいて複雑なことをやっているのだ。この重層化した視点は、推理が目まぐるしく展開する物語の後半において最大の効果を発揮することになる。三人称多視点を巧みに取り入れた作家といえば、シェトランド諸島を舞台にした〈ジミー・ペレス警部〉シリーズのアン・クリーヴスが当代随一の使い手であるが、リチャード・オスマンもまた本作で謎解きの要素として上手く使いこなしているのだ。

 もう一つの優れた点は、物語途中で謎解きの幅がぐっと広がることである。本作は二部構成となっており、「新しい人々と出会い、新しいことに挑戦する」と題された第一部では、比較的オーソドックスな構造の犯人当てが展開していく。これが第二部「ここの誰もに語るべき物語がある」に入ると、謎解き小説としてのベクトルが第一部とは徐々に異なる方向にむかうことになるのだ。〈木曜殺人クラブ〉が挑まなければならない謎の範囲が広がりを見せ、物語がより奥行きの広いものになる。

 謎解きの質感が変わるとともに第二部では、物語全体のトーンにも微かな変化が見られるようになる。それは登場人物たちが感じる「老い」である。殺人事件の捜査に興じる〈木曜殺人クラブ〉の面々は、老いてなお盛ん、というべき溌溂した人々に見える。しかし彼らとて、決して老いることと無縁なわけではない。人生の黄昏時を迎えた者たちが抱える苦悩や過去への悔恨が、ユーモラスな語り口の合間を縫って顔を出すようになるのだ。謝辞によれば、著者は引退者用施設を訪れ、そこで「特別なストーリーを持った特別な人たち」と出会ったことによって、この小説の執筆を思い立ったのだという。死と老いは人間誰もが避け得ぬものであり、悲しむべきものでもある。しかし、その悲劇的なものを敢えて喜劇的なものを混ぜながら描いてみせようとしたのが、『木曜殺人クラブ』なのではないか。その意味で第二部のタイトル「ここの誰もに語るべき物語がある」は、非常に示唆的である。

 本書で著者は全英図書賞の年間最優秀著者賞を受賞したほか、エドガー賞最優秀長篇賞、国際スリラー作家協会賞最優秀長篇賞、バリー賞最優秀新人賞、アンソニー賞最優秀新人賞などのミステリ文学賞にノミネートされるなど高い評価を受けている。著者は既に二作目を用意しているとのことで、〈木曜殺人クラブ〉が登場する続篇になるらしい。果たしてクラブの面々は変わらず和気あいあいと殺人捜査に取り組むのか。それとも深まる老いが、彼らの生活に何らかの変化をもたらすのか。老いらくの恋ならぬ、老いらくの探偵業に勤しむ人々の行く末を見届けたい。

 二〇二一年八月

○書誌情報


■タイトル:『木曜殺人クラブ』
■著訳者:リチャード・オスマン/羽田詩津子訳 
■本体定価:2310円(税込)
■発売日:2021年9月2日 
■レーベル:ハヤカワ・ポケット・ミステリ

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