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銀河を股にかけた冒険譚、かつ壮大なる宇宙歌劇――『デシベル・ジョーンズの銀河オペラ』書評家・渡辺英樹氏解説特別公開

 キャサリン・M・ヴァレンテのゲキアツ宇宙SF、『デシベル・ジョーンズの銀河オペラ』が発売になりました!

 本欄では書評家、渡辺英樹氏の解説を特別公開いたします!

解説

書評家 渡辺英樹  

 本書は、アメリカの作家キャサリン・M・ヴァレンテが2018年に発表し、翌年のヒューゴー賞長篇部門候補作となったSpace Operaの翻訳である。スペース・オペラといえば、SFの歴史においては宇宙を舞台に繰り広げられる冒険活劇のことだが、本書では、文字通り宇宙を舞台にした「歌劇(オペラ)」の意味も合わせ持つ。
 作者のヴァレンテは優れたファンタジイの書き手として知られ、日本でも『孤児の物語』(原著刊行2006/東京創元社、2013)、『宝石の筏(いかだ)で妖精国を旅した少女』(2011/ハヤカワ文庫FT、2013)など、すでに何冊ものファンタジイが翻訳されている。近年、作者はSFに力を入れており、中でも、中篇「静かに、そして迅速に」(〈SFマガジン〉2012年12月号)はローカス賞ノヴェラ部門を受賞し、ヒューゴー賞候補に挙がるなど高い評価を得た。SFの単著が邦訳されるのは本書が初めてとなる。さて、現代のシェエラザードとも評される幻想小説家の手になるSFは、どんな物語なのかというと……
 本書の主人公ダネシュ・ジャロは、四十歳を過ぎたオムニセクシュアルの中年男性。かつてはデシベル・ジョーンズの名で一世を風靡したロックスターであったが、それも一時の栄光で、今はすっかり落ちぶれ、安アパートに住んで毎日を過ごしながら再起をはかっている。そんな彼に思いがけないチャンスが訪れた。突如、全人類の前に同時に出現した謎のエイリアン「エスカ」(青色で半分フラミンゴ、半分魚の生命体)が、人類に本物の知覚力があるかどうかをテストする、と告げる。テストの方法は、銀河系の知的種族が皆参加している音楽の祭典「メタ銀河系グランプリ」で種族の代表が一曲歌うこと。審査結果が最下位でなければ、人類の勝利で知覚力があると認められる。ところが、最下位になると、人類は知覚力なしと判断され存在が抹消されてしまう。一種族一団体がコンテストのルールであり、人類の代表としてエイリアンに選ばれたのが、他でもないダネシュとそのバック・バンド ”デシベル・ジョーンズ&絶対零度(アブソリュート・ゼロズ)" だったのだ。かつてのバンド仲間オールトとともにエスカの宇宙船に乗り込み、会場となる七千光年彼方の惑星へ向かうデシベル。果たしてコンテストの行方はどうなるのか。デシベルと人類の運命やいかに……
 奇抜な設定と破天荒な展開のSFコメディで、精緻な幻想小説の紡ぎ手という作者のイメージがすっかり崩れてしまったが、これはこれで面白い。いや、かなり面白い。全体の雰囲気としては、SFコメディの傑作、ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』(1979/河出文庫、2005)や洗練されたワイドスクリーン・バロックであるカート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』(1959/ハヤカワ文庫SF、2009)に似た味わいがある。つまり、本書は、壮大なスケールで展開されるホラ話であり、饒舌な文体でエネルギッシュに語られる敗者復活の物語であり、しかも、生命の本質について人類とは異なる視点から考察した見事なサイエンス・フィクションでもあるのだ。
 作者による巻末のライナーノーツを読むと、自身が大好きな「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(ESC)」を題材にして、思い切り楽しみながら本書を執筆した様子が伝わってくる。各章の頭に置かれているのがコンテスト参加曲のタイトルで、各セクションの冒頭には歌詞も引用されているから、その没頭ぶりがわかるだろう。ユーロビジョン・ソング・コンテストとは、1956年に欧州のTVで始まった音楽コンテストであり、七十年近い歴史を誇る長寿番組である。各国代表のアーティストが生演奏を行い、参加国の投票により優勝者が決まる。前年の優勝国がその年の開催国となり、準決勝を経て本選が毎年五月に行われる。2024年はスウェーデンのマルメで開催され、ガザ侵攻を続けるイスラエルの参加に対して抗議デモが行われたというニュースが日本でも報道された。それだけ規模が大きく、注目を集めるコンテストなのだ。

残念ながら欧州以外での知名度は低く、日本はもちろん、アメリカでも知っている人は少ないようだが、ヴァレンテのように、いったんはまると抜け出せない魅力があるようだ。ここでの優勝が世界的な成功をもたらしたアーティストとしては、1974年優勝のアバ(スウェーデン代表)、1988年優勝のセリーヌ・ディオン(スイス代表)、2021年優勝のマネスキン(イタリア代表)などが挙げられる。
 ESCについては、音楽性よりも視覚に訴える派手なパフォーマンスが重視されているとの批判もある。しかし、まさにこのポップでキッチュなところが、本書の主人公デシベル・ジョーンズが演奏する音楽の元となった「グラムロック」と通じ合う点でもある。グラムロックとは魅惑的な(グラマラス)ロックの略。七〇年代イギリスで生まれたロックのサブジャンルであり「音楽的特徴ではなく外見やスタイルを、さらにはそのアーティストのあり方をさすことば」(長澤唯史『70年代ロックとアメリカの風景』小鳥遊書房、2021/第六章より)である。政治の季節であった六〇年代が終わり、社会への反抗スタイルとしてのロックが多様性を持ち始めた時期に、T・レックスやデヴィッド・ボウイなど、華やかな外見と派手なパフォーマンスで人気を集めたアーティスト達につけられた呼称であった。ステージではメイクを施し、中性的なイメージを強調した点も大きな特色である(これも性的マイノリティに寛容なイベントであるESCとの共通点だ)。
 グラムロックを代表するアーティスト、デヴィッド・ボウイ(1947年‐2016年)の本名はデヴィッド・ジョーンズと言い、本書の主人公デシベル・ジョーンズの名はここからとられていると思われる。ボウイが1972年に発表した歴史的名盤『ジギー・スターダスト』は、架空のバイセクシャルなロック・スター「ジギー」とバック・バンド "ザ・スパイダーズ・フロム・マーズ" の成功と没落を描くコンセプト・アルバムであり、デシベルがバック・バンド「絶対零度」を従えるのは、古くからのロックの伝統を踏まえたものであると同時に、これを模しているのだろう。

絶対零度のメンバーは、楽器なら何でもこなすオールト・セント・ウルトラバイオレットと、ドラマー兼ヴォーカルの女性、ミラ・ワンダフル・スターの二人。作中では「エレクトロ・ファンク・グラムグラインド」なる新ジャンルを生みだしたことになっており、グラムロックのみならず、ハードロック、ファンク、パンクなど様々なジャンルを混交したバンドであるようだ。デシベルは父方がパキスタンとナイジェリア、母方がウェールズとスウェーデンの血をひいており、オールトは難民のトルコ人、ミラは日本人とフランス系ユダヤ人のミックス、という具合に出自も多様であり、こうしたハイブリッドな存在が地球代表として選出されるところにも本書のユニークな点がある。
 ジェイソン・ヘラーが七〇年代ロックとSFの関係を詳細に辿ったクロニクル『ストレンジ・スターズ』(2018/駒草出版、2022)によれば、七〇年代のロック・ミュージシャンに、ハインラインやクラークのSF小説、映画『二〇〇一年宇宙の旅』(1968)、TVドラマ『宇宙大作戦』(1966‐1969)などのSF作品が与えた影響は決して小さくないと言う。とりわけ幼少時にハインライン『スターマン・ジョーンズ』(1953/ハヤカワ文庫SF、1979)やTVのSFドラマに影響を受け、映画『2001年宇宙の旅』に触発されて宇宙飛行士の悲劇を描いた「スペイス・オディティ」(1969)という曲を作り、『ジギー・スターダスト』の中で自らを「スターマン」と呼んだデヴィッド・ボウイにとって、SFは特別なジャンルであり続けた。そして、今度はボウイから影響を受けたSF作品が続々と生み出されていく。アレステア・レナルズ「ダイヤモンドの犬」(2001/ハヤカワ文庫SF『火星の長城』収録、2007)然り、ニール・ゲイマン「やせっぽちの真白き公爵(シン・ホワイト・デューク)の帰還」(2004/〈SFマガジン〉2016年四月号)然り。SFがグラムロックに影響を与え、グラムロックがSFに影響を与える。この過程は、現実世界を離れた架空の世界を構築することによって、異なる視点から現実を揺さぶろうとする両者の本質が部分的に重なっていることから生じている。本書もこの流れの一つとして捉えられるだろう。
 ESCやグラムロックとの関わりが深い本書ではあるが、実は本書にはグラム以外のロックへの言及も多数ある。たとえば、48ページで異星種族エスカがファースト・コンタクトの際に唄う歌の中には、モット・ザ・フープルやボウイらグラム勢に加え、ザ・クラッシュ、プリンス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドといった様々なアーティストの曲名や歌詞が巧みに詠み込まれている。また、エスカが持参した地球代表アーティストの候補リストを眺めると、ブライアン・イーノ、坂本龍一、タンジェリン・ドリームらの大御所に加え、ハスカー・ドゥ、コートニー・ラブなどのパンク、オルタナ系、ドラァグクィーンのル・ポール、エレクトロニカのスクリレックスなど、多種多様なアーティストの名が挙がっている。同じロックと言っても、オノ・ヨーコとドナ・サマーでは天と地ほどの開きがあり、「審美的統一感というものがまったくない」と作中で批判されるのも当然だ。リストによって、エイリアンたちの異質さが際立つ仕組みになっているが、ここにはヴァレンテ自身(パートナーのヒースも含む)のロックに対する造詣の深さや独自の音楽観が示されているとも言えよう。
 さて、肝心のSFとしての本書の出来映えはどうなのか。これは素晴らしいものだ。熱気にあふれ修飾過多な文章には癖があり、取っつきにくい印象を受けるかもしれないが、いったんこのリズムに慣れてしまえば、ヴァレンテの発想の豊かさと描写力に舌を巻かざるを得ない。多彩な異星種族の描写にそれは遺憾なく発揮されている。たとえば、グレート・オクターブと呼ばれる銀河の主要種族八つの特色を挙げてみよう。身長五フィートの黄金色のグミ/ホヤで、口で歌うことを嫌悪するアルニザール、イースター島の像のような固い身体と四つの目を持つユートラック、レッサーパンダのような外見でタイムトラベル能力を持つケシェット、象牙と水晶でつくった甲冑のような身体で異常なまでに自己を卑下するスマラグディ、珪酸塩の微粒子からなる集合体ユーズ、ピンク色の藻類でフェロモンで歌うシブ、出血性ウイルスで死体を操るヴーアプレット、人工知能でコードとして存在する321。いずれもよくぞここまで多彩で独特な異星の知的生命体を作り出したものだと感嘆させられるし、笑いに包まれてはいるが、彼らの言動が実は鋭く人類社会を逆照射している場面がいくつもある。不毛な争いを続ける現実の地球ではあるが、多様な異星種族が対立や争いを繰り返しながらも音楽という共通言語によって結びついているように、希望はあるのだ。本書に何度も「生命は美しい、そして生命は愚かだ」と書かれている通り、その愚かさも含めて、ヴァレンテは生命を力強く肯定しているのではないだろうか。何はともあれ、原題通り、銀河を股にかけた冒険譚であり、かつ壮大なる宇宙歌劇でもある本書を存分にお楽しみいただきたい。

 キャサリン・M・ヴァレンテは1979年、アメリカのワシントン州シアトル生まれ。大学では古典文学を専攻。アメリカ、オーストラリア、日本に住んだことがあり、占い師、司書、女優、ウェイトレスなど様々な職を経験した。2004年に長篇 The Labyrinth でデビューして以来、精力的に作品を発表。『孤児の物語』二部作が2006年のティプトリー賞(現・アザーワイズ賞)と2008年のミソピーイク賞を受賞したのを皮切りに多数の受賞歴がある。現在はメイン州沿岸の小島にパートナー、息子、ペットとともに暮らす。2024年9月には、本書の続篇 Spece Oddity が刊行予定。予告には「地球の運命が再び脅かされ、メタ銀河系グランプリが帰ってきた!」とある。果たしてデシベルたちに再会できるのか。楽しみに待ちたい。

 2024年6月

『デシベル・ジョーンズの銀河(スペース)オペラ』
キャサリン・M・ヴァレンテ=著/小野田和子=訳
カバーイラスト:jyari
カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)

地球に突然あらわれた、半分チョウチンアンコウ、半分青いフラミンゴの謎のエイリアン、エスカ。銀河系を代表する知的種族たちによって選ばれた使節である彼女は、いきなり「人類に本物の知覚力があるかどうか」をテストすると告げる。テストの内容は、毎回さまざまな惑星で行われる音楽の祭典で、その種族の代表が一曲歌うこと。最下位になればその種族は存在を抹消されてしまう! 人類代表として選ばれたのはなんと、元はスーパー・ロックスター、今は冴えない中年男のデシベル・ジョーンズだった……!! はたしてデシベルは人類を救うことができるのか!? 超弩級破天荒SFエンタメ!