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抑圧と分断の中で、誓い、願うこと──マーガレット・アトウッド『誓願』訳者あとがき(翻訳家・鴻巣友季子)

数々の名作を世に放つカナダの作家、マーガレット・アトウッド
1985年の刊行以来読み継がれる名作『侍女の物語』の続篇で、2019年ブッカー賞受賞作でもある『誓願』が、ついに10月1日刊行です! 
訳者の鴻巣友季子さんによるあとがきで、本書の魅力に迫ります。
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訳者あとがき
        鴻巣友季子


20世紀前葉、マーガレットの名をもつアメリカ作家が南北戦争と奴隷制を背景とした大長篇を書き、空前のベストセラーとなった。しかしその結末が「オープン・エンディング」であったため、別れたあの夫婦はその後どうなったんだという問い合わせと、続篇を熱望する声が、作者のもとに殺到した。作者は「物語は書かれたところまでで終わりであり、その先はわたしにもわからない」と言い通して亡くなった。

21世紀前葉の2018年、北アメリカの文学界を代表するもうひとりのマーガレットは、33年前に発表した『侍女の物語』(1985)に読者から無数に寄せられた問いへのある種、「アンサー」として、その続篇執筆にとりかかった。それが、この『誓願』(The Testaments, 2019)である。

アトウッドとミッチェル、ふたりのマーガレットによる一見正反対の作風に見えるこの2作品(『風と共に去りぬ』と『誓願』)は、後者が前者を暗示的に批評するものであると同時に、共通するものも意外と多い。ひとつに、どちらも公的制度としての人種隔離政策とその社会を描いていること。
誓願』(と『侍女の物語』)はゆがんだ管理監視社会を描くディストピア文学だが、『風と共に去りぬ』もディストピア小説としての側面をもつとわたしは考えている。戦後の再建時代には、軍政下の上層部に汚職が横行し、不当逮捕、リンチ、支配者による言説の抑圧などが横行し、一方、忠誠を宣誓すれば、安泰と特権が約束されるという、ギレアデさながらの側面が描かれた。なお、ディストピア文学の興隆については、小川公代さんの解説を読まれたい。

二つめの共通点は、どちらも〝シスターフッド〞が物語の中心にあることだ。血のつながった姉妹に限らない、女性同士の絆、友情、愛情、苦境を戦う同志の親愛。『誓願』では、片親をたがえる姉妹、小母社会での見習いたち、ときに殺るか殺られるかの緊張感をはらんだ小母たち、ゴシップで連帯した〈妻〉たち、司令官の家に仕える女中の〈マーサ〉らが、カルト国家ギレアデで生き抜くために、密かに手をとりあい、静かに、毅然と進んでいく。

そして三つめに、二作の符合はアトウッド自身によって、『誓願』のテクスト内部に刻まれている。作中にずばりタイトルもさりげなく埋めこまれているが、第52章にはリディア小母がつぶやく〝Tomorrow is another day.〞というフレーズがある。新約聖書マタイ伝第6章にある「明日のことは明日自らが思い悩む」が下敷きと言われるこの諺は、『風と共に去りぬ』のラストシーンの科白として、あまりにも名高い。同作は米国南部を痛烈に批評する諷刺作品だが、その底流には南部への愛情がある。こうした心理的な両義性は、『誓願』でアグネス・ジェマイマが供述のいちばん初めに、「わたしたちはみんな、なんであれ子どものころにふれた優しさにちょっとしたノスタルジアを抱いています。そうした子どものころの境遇が、他の人たちにはどんなに奇異に感じられたとしても。ギレアデは消滅すべきだという意見には、賛成です──あそこには悪い面が多々あるし、間違いが多々あるし、神さまのご意思に間違いなく逆らうことが多々あるから──けれど、この先喪われていく善き人たちをいくらか悼むことはご容赦いただきたいのです」と告白するあたりにも、そこはかとなく投影されているのではないか。とはいえ、アトウッドはこれまでの歴史に鑑み、ギレアデ的な人種隔離政策や、家父長制度、全体主義にはっきり「ノー」を突きつけている。

    ◆

誓願』は『侍女の物語』の続篇として書かれたが、ナラティヴのスタイルや語り口、物語のトーンや方向性はがらりと変わったと言っていい。違いについては後述するとして、ひとつの独立した物語としても読めるという点は明確にしておきたい。アトウッドは『侍女の物語』に新たな光をあて、そこから新たな物語を彫りだした。このような変化が起きた背景には、混迷を深める世界の情勢があるだろう。作者はこれ以上、出口も希望もない続篇は書きたくない、書けなかったのだと思う。

正篇から15年を経た『誓願』において、ギレアデ共和国はアメリカ合衆国を母体とする「ランプ・ステート」(残存国家)として登場する。西海岸の州は反乱を起こし、テキサス州はギレアデと戦争の末に共和国として独立し、メイン州、ヴァーモント州、ノースダコタ州などもカナダへの逃走ルートを提供しているのが現状であり、神政国家としての基盤は揺らいでいる。

ギレアデ国の説明を少ししておくと、ギレアデ誕生以前のアメリカは、長くつづく「負のスパイラル」に陥っていた。本文中によれば、「洪水、森林火災、トルネード、ハリケーン、旱魃、水不足、地震……。これが多すぎ、あれが少なすぎる。インフラの老朽化──どうして手遅れになる前に、ああいう原子炉をだれか廃炉にしておかなかったんだ? 悪化する一方の経済、失業問題、下がりつづける出生率」という状況だった。「人々は不安になっていた。そのうち怒りだした。希望のある救済策は出てこない。責める相手を探せ」と言いだし、思い切った策に出るカリスマ指導者を求めた。独裁国家を生む土壌がそろっていたと言えるだろう。

ここで、キリスト教原理主義の超保守勢力のクーデターによって政権が転覆する。ギレアデ共和国が誕生し、家父長制全体主義のもと、女性の人権をことごとく剝奪し、利用したい能力だけを搾取する社会が形成された。〈ヤコブの息子〉という宗派および政党が独裁する政教不分離のこの神権国家では、カトリックが異端とされ、独自の新興キリスト教の教義が「法」でもある。こうした政教不分離のディストピアを、じつはアトウッドは先行作「マッドアダム三部作」の二作目にあたる『洪水の年』(2009)でも描いている。政府は力を失って、カルト教団〈神の庭師〉が支配力を拡大し、巨大な製薬会社と、秘密警察という名の軍隊が社会を牛耳っているのだ。一教団または宗派が事実上国家レベルの軍事力を有するのは、『侍女の物語』と『誓願』も同じである。〈神の庭師〉は〈ヤコブの息子〉の子孫といえるだろう。

ギレアデでは、すべての女性はたった四つの階級に分類される。一つは、女性隔離社会の指導・教育者であり幹部階級である〈小母〉。この国で読み書きを許される女性は〈小母〉のみである。二番目は、支配層〈司令官〉または〈平民男性〉の〈妻〉(および〈妻〉候補)。つぎに、子どもを産む見込みがなく手仕事に秀でていれば、女中役の〈マーサ〉になる(Martha は聖書由来の名前かと思うが、Mother やMammy からの連想もあるだろう。彼女たちは母親的な役割もはたす)。最後に、「ふしだら」と目され且つ出産の見込みがある女性は〈侍女〉の烙印を押される。かつて「女性は産
む機械」と失言した日本の政治家がいたが、〈侍女〉はまさに妊娠、出産のための機械と化すのである。宗教の教えに反するため人工・体外授精ではなく、代理母と子の父親が〈儀式〉という名の性交をおこなう。本作と代理母問題との関連についても、小川公代さんの解説をお読みいただきたい。

ギレアデ建立創成期のこの「振り分け」場面で、専門職についていた学識ある女性たちが暴力的な手段によって、ギレアデの家臣として「転向」させられていく描写は、正視に耐えなくなる読者もいるのではないかと訳者が危惧するほど凄絶であり陰湿だ。

また、ギレアデの女性の結婚年齢は低く、13歳、14歳になれば、「傷もの」にならないうちにと縁談が持ちこまれる。性教育は正しい知識を伝えるより、少女たちの恐怖心を煽る面があり、縁組みの決まった幼い女性たちが性生活への嫌悪と怯えから、みずから命を絶つケースも少なからずある。

    ◆

誓願』には3人の語り手がいる。ギレアデの女性社会の最高指導者である「リディア小母」(正篇では侍女を痛めつける恐ろしい教育係として異彩を放っていた)、地位の高い司令官の娘「アグネス・ジェマイマ」、カナダのトロントで古着屋の夫婦のもとに育った「デイジー」。文体・語り口と視点にもそれぞれの個性が際立ち、リディア小母の手記はブラックジョークを忍ばせたおごそかな文体、アグネスの供述は喪失の哀しみと時にリリシズムを湛えた語り、デイジーは今どきの高校生らしい潑剌としながら強靭な精神を感じさせる語りである。これら三つのパートが時間を行き来しながら、ギレアデの闇を立体的に浮かびあがらせていく。

侍女「オブフレッド」の単独視点で展開していく『侍女の物語』には、俯瞰的視点はもちろん、他者の視点がないため、暗く狭い地下道を手探りで進んでいくような閉塞的な不安感と、視野狭窄感を読み手にあたえる効果があった。『侍女の物語』がclosure 「とじる」物語であるとすれば、本作『誓願』はrevealing「ひらく」物語だといえるだろう。『誓願』に登場する女性たちは、目を開き、蒙を啓かれ、思考や意識を拓いていく。また、内実が固く秘されていたギレアデ国の暗部が、外部の目に開示されていく。それは、民主国家の未来を再びひらくことにも繫がっていく。

アトウッドは長年「声を奪う・奪われる」という主題を書いてきたが、読み書きの禁止もその一部である。女性の就学を13、4歳で止める──愚民政策はディストピアの基本だが──抑圧社会で、アグネスやベッカたちが「ひらかれていく」のは、文字を読み、思考し、それを言語化するという行為によってである。アトウッドは『侍女の物語』だけでなく、『またの名をグレイス』(1996)では声を封じられた女性の冤罪を、『昏き目の暗殺者』(2000)で実際に舌を抜かれる生贄を描いたが、こうした作品群は後世の作家たちにも直接的・間接的に多大な影響をあたえただろう。近年邦訳されたものを見ても、現実を逆転させた女性支配社会を描いたナオミ・オルダーマンの『パワー』、女性に所定の数の単語しか発語させない管理社会を描いたクリスティーナ・ダルチャーの『声の物語』、またヴァージニア・ウルフの講演「自分ひとりの部屋」の現代版ともいえるメアリー・ビアードの『舌を抜かれる女たち』(女性が公の発言を禁じられてきた口封じの歴史と真相を告発する)などが目を引く。

西洋において雄弁術をもたぬ者が政(まつりごと)に与ることはまずない。言葉を的確に操れることは知性と理性の証左であり、これを奪うのは社会的存在として否定し抹殺することなのだ。

そしてまた、アトウッド作品において復讐をはたすのは言葉である。奴隷、女性、幼年者ら弱者への虐待と搾取を浮彫りにした『昏き目の暗殺者』にしろ、〝水のない洪水〞である疫病のパンデミックを描いた『洪水の年』にしろ、学内でのいじめとそのトラウマを語る『キャッツ・アイ』(1988)にしろ、本作『誓願』にしろ、それは言えることだ。

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ギレアデにおける、不従順な女性の〈侍女〉としての酷使や公開処刑、女性の幼年婚、学業の抑制、識字の禁止……。おぞましいことを羅列したが、これらはアトウッドの完全な創造の産物ではない。
頭部を覆う布を被った〈侍女〉たちの姿からもイメージされるように、いまもって中東、アフリカ、アジアなどの地域にも見られる掟や慣わしが想起される。アトウッドはつねづね、「自分はこれまでの歴史上や現実社会に存在しなかったものは一つも書いたことがない」と言っている。ディストピア文学とは、過去の歴史劇や未来のSF小説に姿を変え、あるいは仮想の場所に舞台を移すことで、いま現在、世界の抱えている問題を顕現させ、可視化するものなのだ。

邦題についても説明しておきたい。『誓願』では『侍女の物語』で窺い知れなかった〈小母〉や司令官の〈妻〉〈娘〉の生活も、読者は詳(つまび)らかに知ることにもなるが、〈小母〉の幼年部ともいえそうな〈誓願者〉(小母見習い)の内実について書かれていることも興味深い。小母たちの暮らす「アルドゥア・ホール」は、そのトップに君臨するリディア小母の密かな思惑により、若い女性の駆け込みシェルターおよび養育機関としての機能を裏ではたしているのだ。誓願者の原語はsupplicant であり、動詞のsupplicate には「神に誓って願いをかける」という意味をもつ。本書邦題には、小さくゆらめく光を頼りに、抑圧下で生きた誓願者=女性たちへの思いもこめられている。

また、原題The Testaments のTestaments とは、旧約聖書(The Old Testament)、新約聖書(TheNew Testament)にも、神と人との「誓約」にも、裁きの場での「誓言」、また「遺言」にも掛けた言葉である。透徹した目で人間の行動を見つめてきた作者アトウッドの「証言」という意味も感じられる。邦訳を考える際には、前述のとおり、「誓う」ことにくわえて、「願うこと」「希望をもつこと」を意味にこめた。

思えば、1985年に刊行されたThe Handmaid’s Tale(『侍女の物語』原著)を、世界の読者はどのように読んだろう。まだ「ディストピア」という語が人口に膾炙する以前であり、どこか架空世界のファンタジー寓話のように読まれていた記憶がある。その後、『侍女の物語』が描きだした世界は、アメリカで保守勢力が巻き返し、共和党政権のもとで人種と階層間の分断が露わになるにつれ、ますます現実味を増し、人々は迫りくるなにかをそくそくと感じながら、リアルな物語として読むようになったのではないか。

アトウッド自身も作品に対する自分の解釈が変わってきたと言っている。インターネットテレビHuluで『侍女の物語』がドラマ化され、2017年にテレビ界最高峰の「エミー賞」の「ドラマ・シリーズ部門」で、作品賞、監督賞、主演女優賞を含む主要5部門を総なめにし、原作小説の読者が爆発的に広がったことも、作者の続篇執筆の意思に強く働きかけたようだ。ちなみに、ドラマは『侍女の物語』の内容の先を描いており、アトウッドはドラマの製作総指揮のブルース・ミラーと連携をとりながら続篇の創作にあたったという。そのため、ドラマと『誓願』との齟齬はほんのわずかに留められている。

最後に『侍女の物語』とは訳し方が変わった語がいくつかあることをお伝えしておきたい。多くはドラマなどによって意味が拡張・変化したためである。たとえば、〈女中〉は〈マーサ〉、〈便利妻〉は〈平民妻〉とした。

本書の翻訳は急遽お引き受けすることになったため、さまざまな方々からご協力をいただいた。とくに、文芸翻訳家の竹内要江さん、担当編集者の永野渓子さん、堀川夢さんほか、一丸となって走ってくださった早川書房の『誓願』チームの皆さまに、篤くお礼を申し上げたい。本作は聖書の壮大なパロディでもあり、作中に出てくる讃美歌や祈りの言葉にはほぼすべて〝本歌〞がある。こうした膨大な調べものにも、多くの時間と労力を費やしていただいた。本当にありがとうございました。
 2020年9月

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誓願
マーガレット・アトウッド/鴻巣友季子訳
(『侍女の物語』続篇、2019年ブッカー賞受賞作)
四六判上製 本体価格2900円+税
解説:小川公代
2020年10月1日 早川書房より発売


ありがとうございます!今日のおすすめは『わたしを離さないで』です。
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