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【特別公開第三弾!】『機龍警察 火宅』円城塔氏文庫解説

8月18日の『機龍警察 白骨街道』の発売を記念して、今回は『機龍警察 火宅』の円城塔氏の文庫解説を特別公開します。現実社会を映し出す鏡としての〈機龍警察〉シリーズのすごさがよくわかる非常に素晴らしい解説です。『白骨街道』を読まれる前に、ぜひこちらの解説をご一読ください!

機龍警察火宅

機龍警察 火宅』解説

円城塔氏(作家)

 ここには時間と空間の広がりがある。
 一般にはあまり知られていないが、きちんとした時間と空間の広がりを備えた小説というものは稀である。小説は事実そのものとは異なるもので、いくらでも歪みが入りこむ。それは書き手の主観であったり、時間の流れの不均一であったり、舞台の限定であったりする。より具体的にいうならば、特定の登場人物を活かすために別の登場人物たちが使い捨てられたり、話のつじつまがあわなくなってきたところで便利なアイテムが登場したり、小学生の行動範囲くらいのところで世界的な大事件が発生し、解決されたりする。
 夏休みのある日におけるご近所SFもの、一人称視点の独白型とでもいったところか。そうした設定の利点は非常に感情を喚起しやすく、手軽に着手しやすいところにあるのだが、時間と空間の方はどうしても歪みがちとなり、世界に対する個人の重みが増大する。というか、登場人物にあわせて世界の方が立ち現れる。そのため、世界の方が登場人物たちよりも先に存在する状況は描きにくくなる。
 さてここで、世界情勢や現実社会をフィクションを通じて描こうとした場合に何が必要か。整然とした、誰にも等しく与えられる、時間と空間の広がりである。失われたものは決して返らず、誰かが死んでも世界は終わらず、めでたしめでたしのあとにも現実世界は続いていく。

 本書『火宅』は〈機龍警察〉シリーズ初の短篇集である。シリーズとして何作目ということになるのかは、数え方にもよるのでややこしい。
 二〇一八年現在、長篇は発表順に『機龍警察』『自爆条項』『暗黒市場』『未亡旅団』『狼眼殺手』の五作。物語中の時間もこの順に進む。『火宅』が刊行されたのは、『未亡旅団』と『狼眼殺手』の間である。おおよそ『機龍警察』の以前から『狼眼殺手』手前までを舞台とした短篇を収め、それまでの流れを振り返りつつ、『狼眼殺手』以降の流れへ接続するという位置に置かれた。
 というだけならそれほどややこしくもないのだが、〈機龍警察〉シリーズには『機龍警察〔完全版〕』と、『自爆条項〔完全版〕』が存在する。「完全版」については、この二作だけに限定され、『暗黒市場』以降には「完全版」が書かれる予定はないらしい。
 というだけならばそれほどややこしくもないのだが、『機龍警察〔完全版〕』には、『機龍警察』から『未亡旅団』までの長篇に対する著者自身による「自作解題」が、『自爆条項〔完全版〕』には、この『火宅』収録各短篇の「自作解題」がつけられている。
 というだけならそれほどややこしくもないのだが、この「自作解題」(及び著者インタビュー等)は現在のところ、ハヤカワ・ミステリワールド版のみにつけられており、ハヤカワ文庫JA版にはない。
 というだけならそれほどややこしくもないのだが、『機龍警察〔完全版〕』と『自爆条項〔完全版〕』には、ハヤカワ・ミステリワールド版と、ハヤカワ文庫JA版それぞれに電子版が存在しており、「自作解題」がついているのは、ハヤカワ・ミステリワールド版の方だけである。
 どこから読めばよいかわからない、と困惑する人があるのもわかる。現実はかくも入り組んでおり解きほぐしがたい。

 ごく平凡に考えるなら、刊行年順に、『機龍警察』『自爆条項』『暗黒市場』『未亡旅団』『火宅』『狼眼殺手』と読み進め、「解題」が気になる人は、『機龍警察〔完全版〕』(ミステリワールド)と『自爆条項〔完全版〕』(ミステリワールド)の巻末にある「自作解題」を読む、というのがおすすめなのだが、そこまで肩肘張らなくとも、気になったところから読むということでよいのではないか。どの順で読むかを決めるのも、読書の楽しみの一つであるに違いない。

 シリーズのどこから読んでも面白いというのは、解説として無責任なようではあるが、これは歴史をどこから学ぼうかという話に近く、その場合、どこから手をつけるのが正解か。人類の発祥から順に、というのは極端で、なにとなく興味を覚えたあたりから前後に繋がりを求めて調べていくという場合が多いのではないか。これが独白する箱庭型主人公の成長物語であれば話はまた異なるのだが、歴史には、気になるポイントからアクセスしても壊れないという強靭さがある。〈機龍警察〉シリーズはそうした時間と空間の広がりを備えており、登場人物たちは、小説のために物語を背負わされた人々ではなくて、人生のどの部分を切りだしても、固有の物語を持つ人々であり、シリーズは、その物語を整理して、一つの小説であるかのように見せている。
 日常親しくしている相手であっても、その生まれ育ちを順序だてて知っているわけではないはずである。出会いがあって、その過去や未来についての話に触れて、たまには意外な秘密が現れることもある、というのが現実世界における人間の知り合い方で、〈機龍警察〉シリーズの登場人物たちともそういうつきあいかたが可能である。

 小説は現実そのものではないように、歴史そのものということもありえないから、〈機龍警察〉のシリーズもまた、歴史というよりは歴史書に近い。そこには書き手の視点が入り、構成が入る。読み手が意識する必要は全くないことながら、〈機龍警察〉シリーズにおける語りの幅はかなり広い。冒険小説風であったり、サスペンス風であったり、アクション風であったり、SF風であったりする。これはそれぞれのジャンル内部の視点から見ると不思議なほどの多様さなのだが、歴史を眺める目からしてみると、出来事を〇〇風に語るということは当たり前に行われる。そこにあらゆる登場人物に平等な時間と空間があるかぎり、同じ現実に対して語りの技法は様々に切り替えうるのであって、本書の収録作にしても、「雪娘」と「輪廻」はSFマガジンとミステリマガジンの同年同月号への掲載だし、「沙弥」は、読楽の警察小説特集号への掲載で、のちに日本文藝家協会編纂のアンソロジー『短篇ベストコレクション:現代の小説2014』に収録された。二〇一二年には『自爆条項』が日本SF大賞、二〇一三年には『暗黒市場』が吉川英治文学新人賞を受賞していることとも重ねて、おそるべき幅の広さなのだが、現実世界を描くにも、ホラーやミステリ、サスペンス、時代小説と、様々な視点をとりうることを考えるなら、〇〇仕立ての機龍警察ものというのは無数に成立しえて、たとえば警察白書のような形式だって想像できる。

 すなわちここでは非常に素直に、素直すぎて読者にそれと悟られぬほどに、フィクションを通じて現実世界を描写するということが行われている。現実世界に起こる出来事それ自体には本筋も脇道もない。お話として語りはじめると、横道に思えるような些細な部分がのちの大きな展開の種となることは珍しくなく、本筋と見えたものが急速に萎えしぼんでいくことだって起こる。小説では登場人物がいきなり死んだりするとかなりトリッキーな事態となるが、現実世界における突然の死はむしろ多数を占めている。
 長篇シリーズと同じ舞台設定を用いた短篇は、外伝だとか、補足であるとか、スピンオフといったものになりがちである。その方が書くのが楽でもあるし、読者の側も息抜きとなり、仲間意識というか一種の連帯感を醸成しやすい。これはフィクションの効用のひとつであるが、副作用も持っていて、それまで小説が現実に対してとってきた姿勢を崩し、時間や空間を濁らせてしまうことが起こったりする。
 本書収録の八篇、「火宅」「焼相」「輪廻」「済度」「雪娘」「沙弥」「勤行」「化生」はそれと異なり、どれも、険しくそっけないタイトルを持ち、それぞれが独立した短篇としての矜持を揺るがせにしない。それぞれに多様な語りが試みられるが、登場人物たちは歴史を持って現実の世界に暮らす一人一人の人間であるから、突然学園物になったりはしない。と書いていて思い至ったが、機龍警察に見当たらないのは、物語の中で物語の前提について語ってしまうメタフィクションのみだらさと言い訳がましさである。その種の濁りの少なさが、この時間と空間の広がりをひどく澄んだものにしており、ときに未来視とも思えるような視界の広さ、フィクションによる現実の先取りを可能としているのではないかと思う。

 と、各篇についての解説を行う紙幅は尽きたが、本書収録短篇については前述のとおり、『自爆条項〔完全版〕』(ハヤカワ・ミステリワールド)所収の「自作解題」を参照されたい。


※本文は2018年8月に書かれたものです。


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