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ピーター・トライアス『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』の大森望氏による解説 「SFとしても文学としても太い芯を通した堂々たる傑作」

新☆ハヤカワ・SF・シリーズとハヤカワ文庫SFから同時発売!

書籍の冒頭部分を無料公開中! (1)「われわれは勝ちました」(2)「きみにはなにもできん、石村」

解説

SF翻訳家・書評家    大森 望 

 第2次世界大戦に枢軸側が勝利し、アメリカ大陸に日本合衆国(ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン)が誕生したもうひとつの1988年で、巨大ロボットが大暴れ!

 ……みたいな紹介はまったく間違ってないし、『高い城の男』と『パシフィック・リム』の融合! というのも確かにそのとおりなんだけど、そういうキャッチーで派手な要素は、この傑作長篇のほんの一面でしかない。

 本書『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』は、改変歴史SFとしても、巨大ロボットアクションとしても、スリリングな謀略サスペンスとしても、ジャパネスク風味のポストサイバーパンクSFとしても、『一九八四年』的な監視社会を描くディストピア小説としても、極限状況を浮き彫りにする戦争文学としても、胸を打つ人間ドラマとしてもすばらしい。年間ベスト級どころか、このさき長く読み継がれる小説になるだろう。

 あらためて紹介すると、本書は、2016年3月に Angry Robot から刊行された長篇小説、United States of Japan の全訳。アジア系アメリカ人作家ピーター・トライアスの第2長篇であり、著者にとって初の邦訳書にあたる。出版前から各所で評判を呼んでいたおかげか、原書刊行からわずか8カ月で、こうして邦訳が(それも、《新☆ハヤカワ・SF・シリーズ》版とハヤカワ文庫SFの2種類同時に)お目見えすることとなった。

 ネットの情報で、わたしも題名だけは知ってたんですが、もっとキワモノっぽいものを想像していたので、いざ中身を読んでみて驚いた──というかみずからの不明を恥じた。キワモノどころか、オタク的要素を大胆に(キワモノと見られるのを恐れずに)とりこみながら、SFとしても文学としても太い芯を通した堂々たる傑作だったのである。

 小説の冒頭は、1948年7月1日。その前日、大日本帝国がサンノゼに原爆を投下したことにより、アメリカは日本に降伏し、第2次大戦が終結した。日系人強制収容所にいた身重のルース・イシムラ(日系二世)と、その婚約者エゼキエル・ソン(日本人と中国人のハーフ)は日本軍によって解放され、エゼキエルの叔父を頼って、爆撃により見る影もなく荒廃したロサンジェルスに赴く。

 ……と、ここまでの2、30ページが小説全体のプロローグにあたる。本篇の始まりはそれから40年後の1988年。ルースとエゼキエルの間に生まれたベンこと石村紅功が本書の主人公となる(ルースは女の子が生まれると信じて紅子という名前しか考えていなかったので、男の子が生まれてもそのままBenikoと名づけたらしい)。この世界では、アメリカ合衆国は第2次大戦終結とともに消滅し、西側は大日本帝国に、東側はナチス・ドイツに支配されている。

 ベンは、大日本帝国陸軍のエリートを養成するバークレー陸軍士官学校演習研究科を卒業し、39歳の現在、検閲局に勤務している。卒業時の成績は、同期生684人のうち682番。同期生のほとんどが大佐に昇進したのに、彼の階級はいまだに大日本帝国陸軍大尉。周囲からは、女にだらしなくて食べものに目がないダメ男と見なされている。そのベンのもとに、かつての上官、六浦賀計衛将軍から、娘のことで謎めいた電話がかかってくるのが話の発端。その翌日、出勤したベンは、槻野昭子と名乗る特高課員の訪問を受ける(ちなみに原書では、特別高等警察はTokubetsu Koto Keisatsu、特高はTokkoとローマ字表記される)。冷酷非情にしてきわめて優秀なこの女性エージェントが、本書のもうひとりの主人公。彼女の任務は、消息を絶った六浦賀将軍の捜索。じつは最近、日本合衆国では、『アメリカ合衆国』というタイトルのシミュレーションゲームが流行している。アメリカが第2次大戦に勝った架空の世界が舞台となり、プログラム内のシミュレータで、ゲリラ戦に勝利する方法が示される。このゲームの開発に六浦賀将軍が関わっている疑いが持たれているらしい……。

 かつて六浦賀のもとでゲームデザイナーをしていた経験のあるベンは、昭子に強要され、心ならずも彼女とタッグを組んで、将軍の足跡を追うことになる。

 と、ここまでで全体の6分の1くらい。この要約を読めば言わずもがなの話ですが、著者みずから本書を〝『高い城の男』の精神的な続篇〟と呼ぶとおり、両者の背景はたいへんよく似ている。枢軸側が第2次世界大戦に勝利し、アメリカが日本とドイツに分割統治されているという改変歴史設定がまずひとつ。さらに『高い城の男』では、「もし連合国側が第2次世界大戦に勝利していたら」という設定の改変歴史小説『イナゴ身重く横たわる』が出版され(その作者が〝高い城の男〟ことホーソーン・アベンゼン)、発禁処分を受けながらも、ひそかに人気を博している。本書では、それがゲームに置き換えられ、消えた将軍がアベンゼンの役どころをつとめているわけだ。

 フィリップ・K・ディックの名作『高い城の男』は1963年のヒューゴー賞長篇部門受賞作。初刊から半世紀余を経てリドリー・スコット製作総指揮でドラマ化された(全10話が2016年にネット配信)ことからもわかるように、いまなお根強い人気を誇る。

 しかし、ピーター・トライアスは、その直接の続篇を書こうとしたわけではなく、『高い城の男』では触れられていないテーマを掘り下げたかったのだとか。アジア系アメリカ人向けのウェブマガジン HYPHEN に掲載されたジミン・ハンの著者インタビューによれば、そのテーマのひとつは、「アジア人の支配するアメリカで、アジア人であるということはどんな意味を持つのか?」

 本書の冒頭、〝日本が戦争に勝った以上、生まれてくるわたしたちの赤ん坊は、東洋人の子供だからという引けめを感じて育たなくていいはず〟という意味のことをルース・イシムラが語る場面を書いたときから、このテーマが浮上したらしい。また、サンノゼに原爆が投下された設定にすることで、同じ西海岸でも、『高い城の男』の舞台であるサンフランシスコ(サンノゼ近郊)にはきっぱり別れを告げて、ロサンジェルス(日本合衆国の首都)を舞台に選んだという。

 パーソナル・コンピュータやスマートフォンのかわりに、電卓(原文は、portable calculator を縮めたportical という造語)と呼ばれる携帯端末が高度に発達したジャパネスクなハイテク世界を背景に、ポストサイバーパンク的なノワールを展開する点も、『高い城の男』との大きな相違点(酸性雨が降りしきる猥雑なロサンジェルスを舞台にした映画『ブレードランナー』を介して、同じディックの原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』へと結果的に接近したとも言える)。

 そして、『高い城の男』が易経をメインモチーフに選んだのに対し、本書後半では、メカ(mecha)と呼ばれる巨大な(タイプによっては高さ50メートルにも及ぶ)人型ロボット兵器が活躍する。与謝蕪村と千載集の侘・寂ニッポンから、巨大ロボと電子ゲームのオタク帝国ニッポンへ──オタク文化がグローバル化した時代の小説らしく(というか、〝ウィリアム・ギブスン以後〟のジャパネスクSFらしく)、オタク的なモチーフはおそろしく自然に小説にとりこまれている。

 それもそのはず、〈ギズモード・ジャパン〉の求めに応じて書いた日本人読者向けのメッセージでみずから語るとおり、著者は子供の頃から日本のポップカルチャーに大きな影響を受けてきた。その例として真っ先に言及するタイトルが、1988年に出たNES(ファミコン)版のアクションゲーム『ヒットラーの復活 トップシークレット』(カプコン)だったりするから業が深い(さらにそれを〝改変歴史ゲームの最初期の1本〟とさりげなく形容するところが心憎い)。それにつづいて、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』や《ファイナルファンタジー》シリーズを挙げ、「わたしのゲーム愛は、任天堂やセガの作品をプレイしつづけた膨大な時間によって育まれ、やがてそれが小説を書くこと、ゲーム業界で働くこと(のちにはソニー・ピクチャーズで映画の仕事をすること)につながりました」と語っている。

 以下、著者が愛する日本発の映画・小説・漫画・ゲーム・音楽を言及順に列挙すると、黒澤明『野良犬』『天国と地獄』、深作欣二『仁義なき戦い』、押井守『機動警察パトレイバー2 the Movie』『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、桐野夏生『OUT』、宮崎駿監督の映画すべて、北野武『ソナチネ』『BROTHER』、大江健三郎『個人的な体験』、三島由紀夫『豊饒の海』、木城ゆきと『銃夢』、小玉理恵子『ファンタシースター 千年紀の終りに』、ファミコン時代の 8bit 音源、久石譲の映画音楽、折々のJ-POP……という具合。「それら日本文化の影響は、『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』のカバーを飾る巨大メカを筆頭に、本書のあちこちに見てとれるでしょう」

ということなので、ぜひさがしてみてください(ここには出てこないけど、グルメ関係もいろいろネタが入ってます)。

 さて、このあたりで、あらためて著者の経歴を紹介しておこう。

 ピーター・トライアス(Peter Tieryas)は、1979年、韓国ソウル生まれ。幼少期はアメリカで育つが、8歳からの2年間をふたたび韓国で過ごし、そのときの体験が本書の出発点になったという。前出のインタビューで、著者はその頃のことをこう語っている。

「激動の時代だった。テレビをつけると、抗議する学生たちや逮捕される人々の姿が画面に映っていた。僕は8歳か9歳だったけど、アメリカから持っていったニンテンドー(NES)で遊んでいたせいで、うちに来た韓国人の大人に怒られたことが何度かある。日本製だというのが主な理由。年配の韓国人は日本語が流暢にしゃべれるし、日本統治時代につけられた日本風の名前を持っている人もいると聞かされたけど、理由はさっぱりわからなかった。もっと大きくなって、第2次大戦中になにがあったのか詳しく知るまで、そのことは謎のままずっと頭にこびりついていた。『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』のルーツをたどっていくと、その体験にまで遡るかもしれない」

 アメリカに戻ってからはカリフォルニアで育ち、ハイスクール卒業後は、カリフォルニア大学バークレー校に通う。その後、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークスでキャラクター・テクニカル・ディレクターをつとめ、『アイ・アム・レジェンド』『くもりときどきミートボール』『アリス・イン・ワンダーランド』『メン・イン・ブラック3』『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『フューリー』などを担当。また、ルーカスアーツではテクニカル・アーティスト兼テクニカル・ライターとして働き、『Star Wars: Bounty Hunter』『Star Wars: Jedi Knight II』『Escape from Monkey Island』『Gladius』『メダル・オブ・オナー パシフィックアサルト』などのゲーム作品に参加している。

 そして2012年10月、初の短篇小説集 Watering Heaven を香港の出版社 Signal 8 Press から刊行して作家デビューを飾る(Peter Tieryas Liu 名義)。巻頭の “Chronology of an Egg” はセックスするたびに卵を産む女性の話。北京やロサンジェルスを舞台に、シュールでファンタスティックな物語を綴るストレンジ・フィクションが多く集められた同書は、高い評価を得て、「ボルヘスや村上春樹のような、非現実的な話をいかにもありそうに、リアルに語る小説が好きな読者は必読」(A Bookish Affair)などと評された。

 2014年5月に Perfect Edge から出た第1長篇 Bald New World (こちらもPeter Tieryas Liu 名義)は、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』(Brave New World)をもじった身も蓋もないタイトルが示すとおり、全人類が毛髪を失った未来が背景。映画監督とカメラマンのコンビがこの禿げ世界の中国とアメリカを旅するロードノベル仕立てで、こちらは、「村上春樹がニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』的な未来を背景に長篇を書いたらこうなるみたいな感じ」(Electric Literature)などと評されている。

 とんでもない設定を使ってリアルな物語を語るのがピーター・トライアスの特徴というわけだが、第2長篇となる本書では、『高い城の男』の設定を借りつつ、アジア系アメリカ人というみずからの出自と、日本のオタク文化に対する愛情、ゲーム業界でのキャリアを存分に生かし、独創的な小説世界を構築している。

 英語圏のアジア系作家による現代SFという意味では、テッド・チャンやケン・リュウの諸作と比較することもできるだろうし、押井守『イノセンス』など日本製アニメの影響を受けて書かれたマデリン・アシュビー『vN』と読み比べてみるのも面白い。しかし、最後まで読むと、それ以上に、ドミニカ出身のアメリカ人作家ジュノ・ディアスや台湾出身の東山彰良と相通じる、21世紀型越境文学のポップな軽やかさと骨太さを感じる。

 とりわけ、壮絶なアクションシーンのあとに来るエピローグ部分は、それまでのハイスピードな語りとは一転した静かなトーンで読者の胸を揺さぶる。本書をなおさら忘れがたい小説にしているこのエピローグ部分こそ、じつは本書の出発点だったのだとか。著者いわく、「結末部分をいちばん最初に書いた。ベンがその人生の最初期に下したひとつの決断が、この小説全体を貫く軸になっている。そののち、ベンと昭子が物語の焦点になり(僕にとっては、どちらかというと昭子のほうがメインキャラクターだ)、それぞれの人生に秘められた真実が少しずつ明かされてゆく。この構造を理解したとき、小説の残りの部分も自然にできあがってきた」

 もうひとつ、この小説がのっけから読者をつかんで離さないのは、圧倒的なリーダビリティを誇るリズミカルでテンポのいい訳文の力も大きい。登場人物名のユニークな漢字表記(日本占領以降、USJ国民は漢字表記の日本名を持つことになったらしい)や造語の翻訳、昭子の軍人口調や久地樂(くじら)の関西弁など登場人物の台詞回しの演出に至るまで、隅々まで配慮が行き届き、日本合衆国という舞台を生々しくリアルに浮かび上がらせる。同業者としては嫉妬と羨望を禁じ得ないが、この日本語によって本書を読めることは、日本の読者にとっても著者にとっても幸運だと思う。本書が広く末永く読まれることを祈りたい。



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