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【試し読み】台湾からの留学生が綴る、京都の銭湯での出会いと別れ。宋欣穎『いつもひとりだった、京都での日々』

11月6日に早川書房より発売された『いつもひとりだった、京都での日々』(原題:京都寂寞)。著者は台湾の映画監督・宋欣穎(ソン・シンイン)さん。名だたる賞に輝いた半自伝的アニメーション映画『幸福路のチー』を監督し、映画は11月に日本公開されます。

本書は、そんな宋さんが、映画を学びにひとり京都大学にやってきた体験を綴ったエッセイです。それぞれに孤独を抱えて生きる京の人々との出会いと別れが描かれます。

今回は、本書から「銭湯の温かさ」というエッセイの試し読みを公開いたします!

いつもひとりだった〜大

書影はAmazonにリンクしています。
『いつもひとりだった、京都での日々』 宋欣穎/光吉さくら 訳

「銭湯の温かさ」

京都の銭湯が大好きだ。わたしにとって、銭湯はただの温かいお水ではない。人情味の温かさがあると思う。

銭湯は公共の浴場だ。いくらかお金を払うだけで、いろんな温度の湯船にずっとつかっていられる。家にバスルームがあっても、京都人はやはり銭湯が好きだ。大浴場の湯は、家のお風呂よりずっと温かいから。

盆地の古都は、冬になると部屋で布団を重ねてこたつをつけていても、まだ寒くてこごえてしまう。こんなとき、わたしは着替えとタオルを抱えて、静かで狭い路地をひとり通り抜け、銭湯へと向かうのだ。

京都で一番気に入っている銭湯は有名な「柳湯」や「船岡温泉」ではなく、東山二条近くにある無名の木造の銭湯だ。ここは古いけれどとても広い銭湯で、室内は湯気がこもっていて温かい。浴場も広くて気持ちがよい。ここのお風呂につかれば、恐ろしい京都の寒さを追い払うことができる。

銭湯の番台(ばんだい)には目の見えないおばあさんが座っていて、お金を扱っている。その左右がそれぞれ男湯と女湯の入口だ。やってくる客はみなおじさん、おばさんで、入浴料をおばあさんの前に置いて、それぞれの暖簾(のれん)をくぐって中へ進み、服を脱ぎ始める。

女湯に入っていると、おばさんたちが身体を洗いながら、他人のことをあれこれうわさしているのが聞こえてくる。町内じゅうのゴシップがここで話しつくされているのではないだろうか。来たばかりの頃は、京都弁はいっさい分からなかった。でも長いこと銭湯で観察したおかげなのか、わたしはだんだん京都弁で挨拶を交わせるようになった。ただし、それは銭湯を出たあとに限っての話だった。完全なよそ者がどうしたらおばさんたちの井戸端会議に加われるのか、まるで分からなかった。

冬に女友達が遊びに来たら、必ずこの銭湯に連れていくことにしていた。

初めてここに連れていったのは、わざわざ台湾からわたしに会いに来てくれた珍(ジェン)だった。

珍はパーフェクトな人生を送っているように見えたけれど、実際はまったく楽しそうではなかった。というのも、結婚生活にちょっと問題が起きていたのだ。大学時代から付き合っていた彼と結婚して数年になるが、安定していて、しかも高収入の仕事をしていた珍は、そのお金をすべて夫に預けていた。珍はお金の管理が苦手だった。そして夫は、ふたりのマイホーム購入資金を貯めておいて、老後は幸せに暮らそうとしていた。数年前、異国で生活をしてみたいという夢を抱いた珍は、自費で海外留学をしようと本気で考えて、夫が貯めておいたお金の一部を引き出そうと試みた。ところが思いがけず、それは無駄遣いだと夫からなじられた。今回の京都旅行も、わたしの家に泊まって節約すると説得して、やっと出てこられたのだった。そんなわけで、旅の途中も、毎日帰宅すると夫に帰りましたコールをして、一日のスケジュールやそこで見聞きしたことを興奮しながら報告していたが、電話の向こう側で夫の反応は薄く、いつもこう言われるだけだった。「それで、いつになったら帰ってくるの?」

「あたしはすごく愛されてるっていう実感が持てればいいだけなの」わたしの部屋の畳に寝ころがっていたが、わたしたちは一睡もしていなかった。珍はかなり長いことストレスを感じていたようで、納得いかない結婚生活の現状と悩みをあれこれずっと訴えていた。

当時のわたしは、珍をどう慰めたらいいのかまるで分かっていなかった。

それで、うかつにも「旦那さんは一緒に旅行に来られないの?」などと聞いてしまった。

珍はしばらく黙っていて、それから無気力に答えた。「彼は旅行が好きじゃないの。お金を使うのが好きじゃないのよ……。なんで趣味がまるっきり違う人なんかと結婚しちゃったんだろ?」

「どうして?」わたしはいまにも目が閉じそうになっていたけれど、頑張って珍と話していた。

「だって、彼は初めての人だから。あの頃のあたしにとって、一番いい人だったの」

徹夜で一睡もできなかったせいで、全身が痛くなった。翌日の夜になるまで二人とも話す気力すらなかったのだが、長い夜をだらだらと無為に過ごすのもどうかと思い、珍を銭湯に連れていくことにした。

すべて木造の銭湯を見て、珍は興奮しきりだった。白い息を吐きながら、珍が叫んだ。「カッコいい! 『千と千尋の神隠し』の風景みたい。観光名所なんかよりずっといいわ」二人で列をつくって、目の見えないおばあさんの番台に入浴料を置いてから、脱衣所へ入ろうとした。すると、おばあさんの年老いたゆっくりとした声が聞こえてきた。「二番目の子、十円足りひん」わたしはせわしなく十円玉を出しておばあさんの前に置いた。おばあさんはぴくりとも動かない。濁った目は見えているはずがないのだが、銅製の十円玉の音の響きを聞いて、すぐに「おおきに」と言った。珍は楽しくなって、少女のように驚いた。「音で金額が分かるなんて、すごすぎ!」

服を脱ぐ段階になって、もうそんなに若くない珍はだいぶためらっていた。「母親が亡くなってから、人前で裸のままシャワーなんてしたことないんだけど……」

「じゃあここにいっぱいいるのはお母さんだと思えばいいじゃん」見渡せば、確かにみんな年配の、皮膚もしわしわ、胸も垂れていて、お腹もぽっこりと突き出たおばさんたちばかり。珍は笑いをこらえきれなくなって、すぐに素っ裸になった。

このとき初めて聞いたのだが、珍は子どもの頃に母親を亡くしていたのだった。しかも大学生の頃に父親も亡くして、誰かを頼っていたかった珍は、卒業後すぐに彼と結婚した。自分の家庭を持ちたいという意志からではなかった。

中国語での会話が注目を浴びたのだろうか、イスに座って身体を洗おうとしたら、足の爪を念入りに磨いていたおばさんがさっと振り向いて言った。「あんた外国人やったん! どうりでいっつも来たはると思たわ。若い女の子はここの銭湯にほとんど来いひんさかい」浴槽へ行くと、裸のおばさまたちに囲まれて、質問ぜめにあった。生活のちょっとしたことだったり、身の上話まで様々だった。「あんた京大に行ったはんの?頭ええんやねえ」「お友達は結婚したはるん? 旦那さん置いてひとりで京都に遊びに来はったん? すごいやん!」「お友達連れてどこ遊びに行くん?」それからどこのお店が美味しい、あそこで遊ぶのがよいなどおすすめの紹介で盛り上がった。こうやって裸の付き合いをしたからなのか、お風呂に入ってみんなの心が温まったからなのか、わたしたちは二人とも顔が真っ赤になっていた。服を着て、古めかしいドライヤーで髪を乾かしていると、また別のおばさんが冷蔵庫から冷えた牛乳を二本取り出して、にこにこしながらこっちにやってくる。そしてわたしたちにプレゼントしてくれた。「お風呂あがりに冷たい牛乳を飲むのんが人生最高のことやね。これぞジャパニーズ・スタイルや」

銭湯から出ると、わたしたちと一緒にいたまた別のおばさんが、自分の家の前まで連れて行ってくれた。「おばちゃんここに住んでんねん。暇なとき遊びにきいや。あと、何か困ったことあったらおいでな。あとな、日本には悪い人もおんねんから、もし悪い人におうたらおばちゃんとこ来なさい。なんとかするし」よく高飛車(たかびしゃ)で冷たいといわれる京都のおばさんだが、銭湯に入った後はみんな親切で、これまで悶々としていた珍も、このときばかりは楽しくなって笑っていた。 

その晩、珍はすぐに布団をかぶって寝てしまった。眠りにつく前、寝言ともうわ言ともつかず、こんなことを言った。「あたし、本当にあんたのことがうらやましい。自由に生活できて、あったかい人たちに囲まれて、気にかけてもらいながら過ごしてる」わたしは思わず笑ってしまった。実際はこのときまで、銭湯の人たちと会話なんてしたことがなかったのだ。いつも黙って入って、髪を洗って、乾かして、水を飲んで、それからまた服とタオルを抱えて黙って出ていき、ひとり暮らしの家に帰って、ひとりで熱いお茶を飲んで、テレビを見ていたのだから。

翌日の晩ご飯の時間、わたしは大学から家に戻って珍と合流し、銭湯のおばさま方ご推薦のレストランに行く準備をしていた。ところが、さあ出かけようというときになって、こたつに入っていた珍が、先にとある高級日本旅館に、一緒に見学に行ってくれないかと言ってきた。

「見学?」高級旅館って勝手に見学できるの? 実は珍が昼間、ひとりで嵐山に遊びに行っていたとき、偶然アメリカから来た青年二人と出会ったのだそうだ。英語ができるので、おしゃべりして仲良くなった。しかも三人で人力車に乗って、午後はまるまる遊んでいたという。彼らは高級旅館に宿泊していた。ハリウッドスターも宿泊したことがあるそうで、旅館を見学してから、夕飯を一緒にどうかと珍を誘ってくれたのだった。

わたしは迷った。「まさか、アジア人女性を誘う手口じゃないの?」でも珍はそんな人たちではないと固く信じて疑わなかった。わたしは旅館の住所を調べてみた。「柊(ひいらぎ)や──確かに京都の高級旅館の一つだ。「こんなに高級なところに行くの、おそらく生きてる間に二度とないチャンスだから行ってみようか?」好奇心に駆られた。心の中では気が気でなかったものの、珍に付き合って行ってみることにした。

二人は確かにとても紳士的だった。わたしたちが靴を脱いで畳にあがるときも、手を貸してくれた。

一泊十六万円もする部屋。浴室は竹の装飾が施されていた。彼らは確かに、ただ部屋の素晴らしさをわたしたちに見せたかっただけで、それから京都に住むわたしに、どこで遊ぶのがよいか聞いておきたかったのだった。「地元の京都人がしていることを体験したいんだ」「わたしなら銭湯をおすすめするけど……ここにはこんなに立派な浴室があるから、そういう場所には行きたいと思わない?」だが、続けて珍が銭湯で出会ったおばさまたちとの話をすると、アメリカ人はそれを聞いて、がぜん行ってみたくなったようだった。

その後の数日間、青年たちはよく珍を誘って一緒に遊びに出かけていた。わたしは授業があったので、彼らがどこに行っているのかはさっぱり分からなかったが。ただ聞くところによれば、アメリカ人の青年たちは祇園の銭湯を体験したらしかった。でも入浴の礼儀を知らなかったので、刺青のお兄さんに叱られたのだとか。命からがら逃げるというほどのことではなかったけれど、二人にはとても刺激的な経験だったようだ。

台湾へ帰る前日、珍は夫に帰ると電話をした。空港まで迎えに来てほしいと言ったが、返事ははっきりしなかったらしい。

蒸気が立ちのぼる浴場には、わたしと珍しかいなかった。遅い時間帯の銭湯はとても静かだ。二人ほど、おばさんが水を浴びて身体を冷ましている。家に帰る準備をしているのだろう。「明日、珍が帰ったら、またひとりの京都暮らしが始まるのかあ」なんだか感傷的になってきた。ときには予定がころころ変わってちょっと疲れたこともあった。けれど徹夜で長話をしたり、すぐに帰宅して晩ごはんに付き合ったりと、単調な毎日が過ぎていった。この半月近くわたしと一緒にいたことが珍にとってよかったのかどうか、確信は持てない。でも、誰かがわたしの帰りを待っているのが習慣になっていた。「終わらない宴はない、だね」珍が寂しそうに言った。

銭湯を出るとき、前方に着替えやお風呂セットを抱えたおばさんがいた。男湯の暖簾の前に立っていたおじさんが、おばさんを待っていた。

「母さん遅いわ。こごえ死にそうやわ」

「おとうさん、なんで中で待ってへんかったん?」

「約束した時間になったからやないか。母さん先に出てたらあかん思うて。さぶいさぶい」
 
二人並んで話しながら、老夫婦は帰っていった。
 
二人の影を眺めていた珍は、彼らは何を話していたのかと聞いてきた。説明を聞いて、珍は長いため息をついた。「うちの旦那だったら、そもそもあたしのことなんて待っててくれないな」珍が吐き出した白い息は、長いこと消えなかった。
 
珍が台湾に帰った後、わたしはひとりでご飯を食べ、テレビを見て、たまに銭湯に行くという日々に戻った。ぼんやりしているうちに、冬も過ぎていった。暖かくなってくると、銭湯に行くことも少なくなった。
 
千年の古都という名に惑わされているからだろうか。数百年の歴史ある廟宇(びょうう)や古刹(こさつ)がいつでも不動のまましっかりと立っているからだろうか。この街のすべては、ひとりの静かな生活と同じように、永遠に変わらないと思っていた。ところが新しい一年を迎えたところで、周囲の風景に少しずつ変化が現れた。それはまるで、いま塗ったばかりの風景を、誰かが消しゴムで消しているかのようだった。三条の小さな書店もいつの間にかなくなってしまったし、河原町の書店「丸善」もチェーンのカラオケボックスになってしまった。繁華街にあった、七十年もの歴史ある映画館の「京都宝塚劇場」も営業終了を発表し、解体を待つ運命にあった。映画館が閉館する日、わたしは劇場まで足を運んだ。
 
何もかも、消えるときは一瞬で消えてしまうものなのかもしれない。春が来てもしばらく銭湯に行っていなかったわたしは、急に胸騒ぎがして、あの古い銭湯に行ってみようと思った。入口までたどり着くと、驚いたことに「近日営業終了」の貼り紙が目に飛びこんできた。

「ここは前に修理してから四十五年も経ってるさかい。だいぶ老朽化してて、もう使われへんねんよ」いつも厚化粧のおかみさんが、無表情に言った。「おばあちゃんも亡くなったし、あたしも踏ん張れんわ。ここ解体したら新しい家に住むわ。銭湯はもうからん」実は前回銭湯に行ったとき、あのおばあさんが番台におらず、そのかわりにおかみさんが座っていた。そのとき「おばあちゃんはもう歳やさかい、休みが必要なんよ」と言っていたのは覚えていた。まさか、おばあさんが亡くなっていて、銭湯も取り壊されるとは思いもよらなかった。

前回行ったそのとき二十円足りなかったのだが、おかみさんは大丈夫だと言ってくれて、石鹸まで貸してくれた。そこでようやく、二十円を返していないことに思い至った。

銭湯の最終営業日、わたしは二十円をおかみさんに返しに行って、一緒に記念写真を撮ってほしいとお願いした。「あんた観光客やろ、それか記者やない? そうやなかったら写真撮りたいなんて思わへんやろ」ずっとここで働いているから、当然ながらこんな古い銭湯になんの面白みがあるのかと思うのだろう。やってくるいろんなお客さんの中で、わたしのことなどおかみさんは覚えていなかった。やはり、なじみのお客さんと比べたら、「一見(いちげん)さん」にすぎないのだ。

この日、わたしは初めて昼間にこの銭湯に来た。この銭湯の最後の一日を写真に残しておきたかったからだ。なじみ客のおばさんたちが木の扉を開け、小銭を番台に置いた後、畳にあがる。わたしの前で服を脱ぎ始めるが、カメラに嫌な顔ひとつしない。「あんた記者さん?」

「いえ」このおばさま方はいつも昼間にきているのだろう。今まで会ったことのない面々だった。

「イントネーションがちょっとちゃうね。関東から来はってんやろ、関東には銭湯ないん?」

どう答えていいのか分からなかった。関東にも銭湯はある。京都にもたくさん銭湯はある。でもこんなに古い銭湯はほかにない。この銭湯だけが、わたしが厳寒(げんかん)の京都を過ごした場所であり、京都弁を学び、人情の温かさを学んだ場所だということが重要なのだ。

おかみさんが入口に営業中の暖簾をかけた。これも最後になるだろう。

「この銭湯、大好きでした」おかみさんに何か言いたかった。

「おおきに」おかみさんは笑いながら答えた。

「急な閉店で、すごく悲しいです」

「しゃあないわ。何ごとにも賞味期限いうもんがあるしなぁ」おかみさんは最後に、「頑張りや」と言ってくれた。そして戸を開けて中へ入り、暖簾の奥に消えた。

後日、珍からメールが届いた。台北に戻って半年後、急に悟(さと)ったのだそうだ。そして、離婚を決意したという。夫は何とか踏みとどまるよう求めたけれど、やはり意志は固く、きっぱりと離婚を要求した。離婚してから、珍は休みを利用してあちこち旅に出かけていた。「あんたの京都での自由で楽しい生活を思い出して、あたしもそういう生活がしたくなったの」珍はアメリカに発つところだった。京都で知り合った二人のアメリカ人の青年のうちのひとりに会うのだそうだ。

「すべてのことには終わりがある。二人がどんなに愛し合っていても、最後にはいろんな形でお互い離れていくもの。どんなに目の前にある美しいものに執着したところで、それもいつかは朽ち果ててしまうのよ」メールにはそんな風に書かれていた。

メールを読みながら、目の前にあの古い銭湯のなかなか消えない湯気が浮かんできた。それから、珍が銭湯で言っていたことを思い出した。「終わらない宴はない」

そう。物事にはすべて終わりがある。それから、感傷も。

* * *

いつもひとりだった〜大

『いつもひとりだった、京都での日々』 宋欣穎/光吉さくら 訳

ありがとうございます!今日のおすすめは『ザリガニの鳴くところ』です。
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