
AIが誕生するずっと前、自動チェス指し人形が発明された⁉ トム・スタンデージ『謎のチェス指し人形「ターク」』まえがき
18世紀ウィーンに、チェスを指す自動人形「ターク」が現れた。中東風の衣装をまとったタークは、チェスの達人をことごとく打ち負かし、ナポレオンやベンジャミン・フランクリンと対局、エカテリーナ大帝をも驚嘆させた。混乱に陥った人々のため、記者エドガー・アラン・ポーがその秘密に挑む……。
謎の自動機械の世にも数奇な生涯をたどるとともに、後のコンピューターやAIの開発に及ぼした多大な影響を解き明かす『謎のチェス指し人形「ターク」』(トム・スタンデージ著、服部桂訳、2024年10月23日発売)。まさにノーベル賞でAIが注目されるいま、ハヤカワ・ノンフィクション文庫で復刊する本書より、「まえがき」を公開します。

トム・スタンデージ (著)・服部 桂 (翻訳)
(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
まえがき
オートマトン(ギリシア語で「自ら(αντοζ)」と「つかむ(μαω)」を合わせた言葉):自動機械もしくは動作の基本がその機構自体に組み込まれているもの。この定義によれば、柱時計や腕時計、これに類似した機械もオートマトンであるが、世の中では一般的には、動物の動くさまを模した装置を指す。
──1911年の『ブリタニカ百科事典』11版より
1769年の秋のある日、35歳のハンガリーの文官ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは、オーストリア゠ハンガリー帝国の女帝マリア・テレジアの宮廷に召し出され、そこに招待されていたフランス人奇術師の舞台を目撃することになる。ケンペレンは物理学や機械工学、水利工学にも通じたこの帝国の官吏だった。女帝は科学全般に通じた人間が奇術師のトリックを見破れないかと思いつき、彼を招いたのだ。ところがその演技はケンペレンの人生を狂わすものとなった。それからいろいろな出来事が起き、彼は奇想天外な機械を作ることになる。その機械は、木製のキャビネットの後ろに座って東洋風の衣装を着た人間の形をしており、チェスを指すことができたのだ。
当時のヨーロッパの宮廷では、凝った機械玩具を余興に使うことが流行っていたが、それらに使われていたテクノロジーはすぐに、もっと生真面目な目的に使われるようになった。そこでケンペレンは自分の作ったチェスを指す機械を、宮廷を喜ばすだけでなく女帝の関心を引くことに用い、自分のキャリアにも役立てようとした。しかし彼の自動人形(オートマトン)は予想に反してヨーロッパやアメリカで広く有名になり、ケンペレンに勝利と失望をもたらすことになる。このオートマトンは活躍した85年の間に、ベンジャミン・フランクリン、エカテリーナ大帝、ナポレオン・ボナパルト、チャールズ・バベッジ、エドガー・アラン・ポーといった歴史的人物と接点を持つことになる。それは数々の小説や逸話の主題となり、真偽のわからない伝説やまったくのホラ話のネタともなる。このチェスプレイヤーは、実は歴史上最も有名なオートマトンになる運命にあった。そしてケンペレンの仕事は知らず知らずのうちに、動力織機、電話、コンピュータ、そして探偵小説の発想を喚起することになった。
スーパーコンピュータがチェスの世界チャンピオンを打ち負かす現代の目からは、ケンペレンのチェスを指す機械などはいかさまに見えるだろう。それは本物のオートマトンではなく、人間のオペレーターがこそこそとコントロールして巧みに動く、糸で吊るされた操り人形みたいなものだったからだ。しかしそもそも、18世紀の時計や機械のテクノロジーを使って、本物のチェスを指す機械などできたのだろうか? 確かに18世紀には、非常に巧妙な仕掛けを使った、ジャック・ド・ヴォーカンソンの機械アヒルやアンリ゠ルイ・ジャケ゠ドローのハープシコード演奏者、ジョン・ジョゼフ・メルランの踊り子人形などのオートマトンが作られ、ヨーロッパ全土で展示されていた。そして機械装置はテクノロジーの無限の可能性を与えてくれるように見えた。そのためケンペレンの考えた機械が本当にチェスを指せるかどうかは、まったく論外の話でもなかったのだ。
それがトリックだと主張する懐疑派の中でも、そのオートマトンがどのように動いているかについては意見が一致せず、いろいろな主張の応酬があった。機械的なトリックを使っている、磁気作用を使っている、手を使ってごまかしている、小人か小さな子どもか足のない人がその中に隠れている、隣りの部屋か床下から遠隔で操っている、とさまざまな説明がなされたが、そのどれもが一向に進展せず、ケンペレンの秘密を完全に解き明かすこともなく互いに足を引っ張り合っていた。実際にはやっと最近になって、このオートマトンのレプリカを作ることで初めて、その動きの秘密が完全に明らかにされたのだ。
ケンペレンは自分の機械にチェスを指させるという、明らかに知的な仕掛けを選んだとき、「機械は人間の能力を模倣したりそのまま再現したりできるか」という活発な論争に火をつけたことになる。この機械がデビューした時期は偶然にも産業革命が起こった時点と重なり、機械が人間の労働者を置き換え、人間と機械の関係が再定義されている最中だった。チェスを指す機械は、機械は人間の身体的能力を上回ることはありうるが、精神的な能力を超えるのは無理だ、という考えに染まっている人には驚異だった。この機械が起こした人々の反応は、200年以上も経ってコンピュータが起こしたそれの先駆けだった。そしてこのオートマトンの奇妙な物語は、コンピュータ前史と並行しながらいくつかの主要な場所で結びつき、いまでは科学者や哲学者が続けている、機械知能の可能性についての論争に新たな意味を与えている。
ケンペレンは自分のオートマトンに一度も名前をつけなかったが、その東洋的な衣装のせいですぐについた通称が「ターク(Turk)」(トルコ人)で、現在でもその名で知られている。本書はこの人形の、波瀾に富んだ驚くべき物語である。
(服部桂訳)
目次
まえがき
第1章 クイーンズ・ギャンビット拝命
第2章 タークのオープニング
第3章 最も魅惑的な仕掛け
第4章 独創的な装置と見えない力
第5章 言葉と理性の夢
第6章 想像力の冒険
第7章 皇帝と王子
第8章 知能の領域
第9章 アメリカの木の戦士
第10章 終盤戦
第11章 タークの秘密
第12章 ターク対ディープ・ブルー
各氏絶賛!
「早すぎた人工知能の歴史としてフルコース料理級の満足感がある」(2012年1月29日付朝日新聞)
――荒俣宏(作家)
「“知能”とは何か? この謎に取り憑かれた者はみな、18世紀の機械仕掛けのトルコ人を夢見る。驚嘆するほどチェスは強く、腕を動かし駒を掴み、ときには会話さえしてみせた。ことば、身体、そしてゲーム。彼こそ人工知能・ロボット学のルーツであり、ミステリーとSFの源泉である。イリュージョンこそ真の知能なのか――きびきびとしてサスペンスフルな筆致が心地よい。本書の刺激は、必ずや未来に新たな魔人を産み出すだろう」
――瀬名秀明(作家)
「☆五つ! まるでノンフィクション・ミステリーだ」
――仲野徹(生命科学者)
著者紹介
トム・スタンデージ(Tom Standage)
ジャーナリスト・作家。1969年生まれ、オックスフォード大学卒。英『エコノミスト』誌副編集長。『ニューヨーク・タイムズ』『ガーディアン』『ワイアード』など多数の新聞・雑誌に寄稿。著書に『ヴィクトリア朝時代のインターネット』『歴史を変えた6つの飲物』『A Brief History of Motion』など。
訳者略歴
服部 桂(Katsura Hattori)
1951 年生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学理工学部で修士取得後、1978 年に朝日新聞社に入社。84 年にAT&T 通信ベンチャーに出向。87 年から89 年まで、MIT メディアラボ客員研究員。科学部記者や雑誌編集者を経て2016 年に定年退職。関西大学客員教授。早稲田大学、女子美術大学、大阪市立大学などで非常勤講師を務める。著書に『VR 原論』『マクルーハンはメッセージ』『人工生命の世界』など。訳書にトム・スタンデージ『ヴィクトリア朝時代のインターネット』、ケリー『テクニウム』『〈インターネット〉の次に来るもの』、マルコフ『ホールアースの革命家』など。監訳書にダイソン『アナロジア AI の次に来るもの』(早川書房刊)がある。
この記事で紹介した本の概要
『謎のチェス指し人形「ターク」』
著者:トム・スタンデージ
訳者:服部 桂
出版社:早川書房
発売日:2024年10月23日
定価:1,320円(税込)