悲劇喜劇1月号

悲劇喜劇2017年1月号収録『未来のための落語論、演劇論』その1 サンキュータツオ(「渋谷らくご」プロデューサー)×  九龍ジョー (ライター、編集者)

大人が楽しむエンターテインメントとして、人気を二分する落語と演劇。そこで、ポップカルチャーから伝統芸能まで詳しい九龍ジョー氏と、初心者向けの落語スポット「渋谷らくご」キュレーターのサンキュータツオ氏によるスペシャル対談を敢行。落語の真の魅力とは? 演劇の行く末は? 時代の空気といまを知るおふたりに語っていただいた。

■語り芸としての落語の今

サンキュータツオ(以下、タツオ) 今回は、演劇と落語というテーマなんですが……そもそも演劇と落語は、作業として真逆なことをしていますよね。落語は、女を女らしく、子供を子供らしくリアルにやることがよしとされない芸種で、むしろ芝居がかった語りは「くさい」と嫌われてきた歴史がある。だから伝えるのは「女」「子供」と分かる程度の情報のみ。お客さんにどんな子供や女性なのかを想像してもらう余地を残すためにあえて演じ分けず、情報を削っていくことが美徳なんです。つまり演じるのではなく、語ってるんだと、これまで言われてきました。

九龍ジョー(以下、九龍) 語り芸たるゆえんですよね。

タツオ ただ、それだと時代遅れなんじゃないかってことで、現代では「くさい」とされてきた芸風が面白いと評価されるようになって、それがいまの落語人気につながってきたという側面もありますよね。

九龍 つまり、現代的なドラマとして心理描写を補ったり、「キャラクター」を立てたりっていう、いわゆる演劇的な演出を施す、というか。

タツオ そうですね。いまは伝統的な語りと「くさい」演技が併存している時代で、どちらも面白いからいい時代なんだと思うんです。だけど昔の音源なんかを聞くとくさい芸風の方って本当にいなくて、むしろ小さん師匠や八代目の文楽師匠の演じない芸が際立っていて、やっぱり落語って、語り口の気持ちよさを追求してきた芸能なんだなぁと思うんです。エクリチュールの追求、というか。

九龍 文体であり、リズムとメロディであるという。一方で、演劇的というか、さらに重要な演出として志らくあたりが持ち込んだ映画のカット割り的な上下(かみ しも)の振り方だったりもあるわけですが、基本的にストーリーをどう味わってもらうかという方向性があると。ただ、その両者とも関わりつつも別の方向性で、話し言葉にリアルタイムで註釈を加えたり、別の位相にすっと移動するような重層性が、落語と演劇の接点においてけっこう重要なのではないかと思っているんです。

 例えば落語だと、立川談志の晩年の高座がすごく特徴的で。最初から観客に向かって「これから『芝浜』をやるけど、どうやるのがいいかね」みたいなことを言うわけですよ。もう、チェルフィッチュかと思いました。「これから『三月の五日間』という芝居をやりまーす」って宣言するのとまったく同じなんですよ。かと思えば、いきなり噺を途中で止めて、「文楽師匠だったらこう、志ん生だったらこうなんだけどな」とかレファレンスを加えたりする。そういうのをもって、談志は落語をちゃんとやらなくなったって言う人もいたけど、むしろブレヒト的な異化効果を現代口語演劇に持ち込んだ岡田利規と同じ地平に談志がいることに興奮しました。落語なんて、ただのじいさんがざぶとんに座ってしゃべっているだけだってことを暴露してしまっている。でもそこから一瞬で落語世界の中に移動もできる。つまり複数のレイヤーが同時に走っているんですね。

 

■暴走するエクリチュールの行方

九龍 もっといえば、2008年に第二回大江健三郎賞を岡田利規が受賞するんですけれど、その贈呈式の講演で、大江健三郎がこんなことを言っていて。大江さん自身が身振り手振りが多いことをチェルフィッチュ的だと述べたあとに、でもそういえばいつ頃から日本人はこんなに身振り手振りが多くなったんだろうと。昔はそんなことはなかったはずだって言うんですよ。でも、よくよく考えたら、自分より歳が一つ下のある落語家がテレビ番組でしゃべっているのを観たら、むちゃくちゃ身振り手振りを交えていたと。その落語家って間違いなく談志なんですよ。しかも、その番組はおそらく『談志・陳平の言いたい放だい』で、それを大江健三郎が見ているのもすごい(笑)。でも、落語では昔から身振り手振りが多いんだって話しているのを観て腑に落ちました。あぁ、話し言葉が暴走して身振り手振りがでてくるんだ、と。チェルフィッチュの面白さや新しさって、日本語がどんどん暴走してダンスにまで接近してしまうところなんですが、それは結局、日本語の面白さを味わうことでもある。落語も、言葉がドライブしていく面白さがありますよね。

タツオ そうなんですよね。

九龍 リズムがあり、メロディがあり、その一つ一つに様々な型がある。意味もあり、物語も、キャラクターもある。そういう複数のレイヤーがリニアな時間軸の中で同時に流れていくので、とてつもなく情報量も多い。でも、けっしてハイブロウにならないところが落語のすごさで。

タツオ 下半身の動きを制限して、上半身と言葉の情報量だけで勝負するシンプルな芸能であることも理由かもしれませんね。なので、「演じ分け」ではなくて、声色の使い分け、くらいなものです。作業としては専門的にいうと、落語家さんたちがしているのは、話体=話すスタイルの追求ですよね。僕の感覚では、それを最も研ぎ澄まして表現した落語家さんは、先々代の春風亭柳好という師匠じゃないかと。話体って、突き詰めるとどんどん歌になっていくんですよ。

九龍 落語のオリジンの一つである「説教」みたいなもので。

タツオ 本当に。〝唄い調子〟っていう褒め言葉が存在したぐらい、歌的になっていきます。最近だと志ん朝師匠あたりが唄い調子だと言われてましたけど、あれ、リズムとメロディの追求ですよね。すごく心地よいリズムの。

九龍 本当、落語は突き詰めると、物語の快楽はどんどん減じて、音楽に近づいていきますからね。

タツオ ただ、時代的にいまはまだ、話体を追求してもなかなか支持を得られにくい部分があるので、ドラマ性やキャラクターのほうを立たせたり、解釈を深めたりしていて、物語としての完成度そのものは上がっていますよね。人間に対する掘り込み方が深まっている。

九龍 だから語り芸から離陸して現代と向き合うとき、やっぱり談志師匠のスタイルになるのかな。ロジックを組み立てるだけでなく、人間のよくわからない余白や不条理も含めたその人の内面みたいなものをキャラクターに埋め込もう、と。そこまでくると、いわゆる昔の落語とはちょっと違う感覚のものになりますよね。

タツオ 結局、僕らがすべきは、今の時代に即して古典などを「解凍する」作業なんだろうな、と思うんです。当時の状況だったり、どういう感情で何を言ったか、その物語の背景や社会的状況も含めて、作品を読み解く作業が必要なんです。それこそ九龍さんがよく言っていることですけど、伝統芸能の一つ一つの作品に対して圧縮されている情報を解凍するエンコードみたいなものがありますよね。

 たとえば、談志師匠はよく、「寒さ」「餓え」「貧乏」っていうキーワードを挙げてましたけど、仮に侍が出てくる噺でいえば、なぜか侍がひどい目に遭ったり、怪談噺に巻き込まれたりすることが多いわけです。これを解凍すると……昔の人々って、士農工商という身分制度の中で生きていて、そのせいで不条理な目に遭い、殺されたりする。侍に対してストレスを抱えているわけですね。だから化けて出て、侍を懲らしめる、というのが、当時の人たちのカタルシスだった。だから怖いというより、気持ちのいい噺だったわけです。でもその情報って、それを知らない現代人には解凍できない情報だったりします。実は、話の中にはそういう当時の社会状況まで圧縮されている、っていうのが九龍さんの話で。

九龍 そうなんです。その圧縮する際のコーデック(形式)が「型」だと。それが究極までいくと和歌とかになっちゃうんですけど。

タツオ やっぱり九龍さんのお話で確信したけど、古典っていうのはZIP(ジ ッ プ)ファイルですよね。和歌なんてその当時の人たちの生活とかも凝縮している、ZIPファイルそのものです。

九龍 だから落語を含めて古典芸能自体が記録メディア的な性質を持っているんだと思います。その圧縮されたデータをを現代にどうデコード(解凍)するかが演者の見せどころで。

(対談は三回に分けて公開します。次回は12/12(月)を予定しています。)

サンキュータツオ(さんきゅう・たつお)「渋谷らくご」プロデューサー。漫才師(米粒写経)、日本語学者、一橋大学非常勤講師。1976年、東京生まれ。卒業論文では、落語家・立川志の輔に2年間密着取材。アニメオタクとしても知られる。著書、共著に『東京ポッド許可局』(SHINSHOKAN)、『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』『ヘンな論文』(共に、角川学芸出版)、『俺たちのBL論』(河出書房新社)など。

九龍ジョー(くーろん・じょー)ライター、編集者。1976年、東京生まれ。ポップカルチャーから伝統芸能まで幅広く執筆。『文學界』で「若き藝能者たち」、『カルチャーブロス』で「これから生まれる古典のはなし」連載中。著書に『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』など。編集を手掛けた書籍も多く、演劇・落語では、岡田利規『遡行 変形していくための演劇論』、立川志の輔『志の輔の背丈』、立川志らく『雨ン中の、らくだ』、立川吉笑『現在落語論』などがある。

渋谷らくご

ユーロスペース内/渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F

〈問い合わせ先〉03-3461-0211

聞き手:田中あか音

【発売中】『悲劇喜劇2017年1月号』特集=落語と演劇

『悲劇喜劇』2017年1月号では、今の落語ブームを演劇にからめて特集。

"落語と演劇の深い関係"について、落語家、演劇人、評論家が自身のエピソードとともに、考察します。

http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013418/

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!