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ヒロインたちの逃走とサバイバル──マーガレット・アトウッド『誓願』解説(英文学者・小川公代)

数々の名作を世に放つカナダの作家、マーガレット・アトウッド
1985年の刊行以来読み継がれる名作『侍女の物語』の続篇で、2019年ブッカー賞受賞作でもある『誓願』が、ついに10月1日刊行です! 
英文学者の小川公代さんによる解説で、『一九八四年』から『侍女の物語』そして『誓願』へと連なるディストピア文学の系譜をたどります。
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マーガレット・アトウッド『誓願』──ヒロインたちの逃走とサバイバル
          小川公代(英文学者)  

 昨今のディストピア小説の世界的な潮流の高まりは目を見張るものがある。それはドナルド・トランプ政権が誕生するに至った米国大統領選挙以降に突如として顕著になったといえるが、その渦の目にいる作家の一人は、まちがいなくマーガレット・アトウッドであろう。ここ数年、全体主義や恐怖政治への危惧を描いた彼女の代表作『侍女の物語』(1985)が、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』と共にリバイバル・ブームを巻き起こしている。この小説には、環境汚染などで女性の出産率が激減した未来社会で新たな監視国家ギレアデ共和国が誕生し、子供が産める女性は権力者の所有
物として「侍女」の役割を負わされるというディストピア世界が描かれている。

 2019年のブッカー賞を受賞している本書『誓願』(The Testaments)は『侍女の物語』の待望の続篇で、一五年後が舞台となっている。30年以上も待ちわびた続篇の刊行とあって、昨年9月10日にロンドンで行われたその出版記念イベントは、世界中の1000以上もの劇場でライブ配信され、その反響は他に類を見ないほどであった。アトウッド自身がコンサルティング・プロデューサーとして参加しているテレビドラマシリーズの『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』も、2017年4月のHulu配信開始と共に社会現象となっている。ドラマの内容が続篇のインスピレーションになったことも想像に難くない。

アトウッドは、カナダ国内のみならず、世界的に高い評価を得ているカナダを代表する作家で、1969年の長篇デビュー作『食べられる女以来、『浮かびあがる』(1972)、『青ひげの卵』(1983)、『キャッツ・アイ』(1988)、『昏き目の暗殺者』(2000、ブッカー賞)などにおいて、つねに「パワー・ポリティックス(力関係)」や男女差の意味を問うてきた。また、『侍女の物語』のディストピア世界に連なる作品として知られる『オリクスとクレイク』(2003)では、人間の命を弄び、生殖やセクシュアリティに介入する資本家や権力者たちの愚行がいかに現実世界にも連続性を持ちうるかという恐怖を表現した。

1.『侍女の物語』──魔女狩りの歴史は円環する
侍女の物語』では、アメリカがキリスト教原理主義のクーデターにより独裁政権になり、ギレアデ共和国として徹底した男尊女卑を人々に強制する異常な社会が描かれる。アトウッドはなぜその舞台をカナダではなく、アメリカにしたのだろうか。(*1)2006年のインタビューでアトウッドは、全体主義がアメリカで実現するとしたら「神政国家(theocracy)」になると考えたからだと答えている(*2)。科学者であった父に倣い、最初から価値判断を下さず、どんどん仮説を立てながら思考実験を進めていった結果がこの小説であるという。

 アトウッドにとって、女性の生殖に関する選択権が奪われるというフィクションの世界は現実世界と地続きである。史実でも、1973年のアメリカ連邦最高裁の「ロー判決(ロー対ウエイド事件)」で、中絶禁止を違憲として人工妊娠中絶を認めるようになっていたし、アトウッド自身、創作メモに、ルーマニアでの中絶や避妊の非合法化について書き留め(*3)、『侍女の物語』でも、国家権力の介入の一例として言及している(*4)。ギレアデ以前の旧社会にも存在したが認められていなかった「代理母」がこの小説でなぜ合法化されるのかというと、それもやはり宗教に関係している。「人工授精」と「妊娠促進クリニック」が反宗教的であるとして禁止される一方で(549頁)、「聖書」に前例があると見なされた代理母制は、神政国家のイデオロギーとして機能するからである。

 また、アトウッドは「歴史は円環する」とも考えており、未来の仮想社会だけでなく、過去にも同様の例証を見出していた。イギリスからアメリカに入植した清教徒(ピューリタン)たちは宗教的に厳格で、いわばキリスト教原理主義である。アトウッドの両親も実は17世紀にアメリカに移住してきたイギリス人の子孫なのだが(*5)、当時は規範から外れる行動をすると、集団から疎外されたり、「魔女」として処刑されたりする女性もいた。『侍女の物語』の舞台をアメリカにしたのは、その過度にピューリタン的な伝統を批判する意味も込められていたという。

 アトウッドによれば、諸説あるが、彼女の先祖にも「魔女」として迫害された「メアリー・ウェブスター」という女性がいる。彼女は1684年にフィリップ・スミス裁判官に首吊りの刑に処せられたにもかかわらず、奇跡的に生き残った(*6)。『侍女の物語』も、「オブフレッド」(フレッドという司令官のものという意味)という名前を付けられた侍女の声を通して語られるサバイバルの物語であるが、アトウッドはこの小説をメアリー・ウェブスターに捧げている。それは、「魔女」として虐げられた彼女と小説世界で犠牲(スケープゴート)になる侍女のイメージとを重ね合わせているからだろう。アトウッドは、『侍女の物語』は「自分の先祖についての本である」とも述べている(*7)。この首吊りのモチーフがちりばめられているせいか、読了後、血の粛清という強烈なイメージが残る。反逆行為を行った侍女たちが首吊りの刑に処せられたりもするし(『侍女の物語』504頁)、侍女の待遇のあまりの過酷さに自ら首を吊る女性もいる。「白い天井には花輪模様の浮き彫りがほどこされている。(中略)かつてはあそこからシャンデリアがぶら下がっていたにちがいない。彼ら(司令官たち)はロープを結べるものはすべて取り外してしまったのだ」(同、19頁)。侍女たちは、夫や子供からも引き離され、生殖能力を失った特権階級の女性の代わりに出産する代理母として司令官たちに差し出されるのである。自然分娩という選択肢しか与えられない彼女たちは生命を落とすこともある。『誓願』には、出産中に血塗れで息たえる侍女も描かれている。  

 前近代的な魔女狩りは21世紀にも起こったとアトウッドは言う。トランプが選出された大統領選挙以降にヒラリー・クリントンに対する悪口が集中した現象のことだ。「ヒラリーが悪魔の力を持った悪魔崇拝者だというウェブサイトもある(中略)これがあまりに17世紀的なので信じられないけれど(*8)」。 また、トランプ大統領は就任後すぐに海外で人工妊娠中絶を支援する非政府組織(NGO)に対する連邦政府の資金援助を禁止する大統領令に署名し、2018年には、性的暴行疑惑があるブレット・カバノーを最高裁の判事に任命した。生殖に関して女性が選択する権利が脅かされる現在のアメリカでは、『侍女の物語』はもはや「ありえない架空のディストピア」ではなくなっている(*9)。

誓願』の語り手たちがジャド司令官やグローヴ歯科医ら男性権力者による虐待や性暴力について幾度となく告発するのだが、そのことは本作が書かれるべくして書かれた小説であることを裏付けている。伊藤詩織さんの性被害事件に権力者らが介入したことも含め、世界各国で女性が直面する現実が#MeToo 運動によってようやく可視化されるようになった。それでも、昨年5月に米国で中絶規制の動きが強まったときには、女性たちが赤い服に白い帽子の「侍女」の装いで抗議デモに参加した。これは、反逆の象徴としての「侍女」がいかに人口に膾炙しているか、そして女性の連帯(シスターフッド)がいかに重要かをメディアの報道を通じて印象づけたケースである(*10)。

2.『誓願』──アルドゥア・ホールと小母たち
 ギレアデ社会で白眼視される侍女の視点から語られる『侍女の物語』では、教育係の「小母」や家政婦の「マーサ」といった役職についている登場人物は多かれ少なかれ類型化されていた。侍女以外の人間が語り手となる本作では、小母やマーサでさえ、等身大の人間として生き生きと描かれており、読者はギレアデの人々との精神的距離がぐっと縮められるのを感じる。

 この小説には3人の語り手がいる。司令官の家庭に育ったアグネス・ジェマイマは将来良き妻になることを期待されている。アグネスが意地悪な義母ポーラや彼女に仕えるマーサたちに向ける不信感は、『侍女の物語』のオブフレッドの敵意の感情とも重なるが、母タビサは娘アグネスを慈しんで育て、彼女らに仕えるマーサたちもどこか憎めず、快活で人間味溢れる女性たちとして描かれている。カナダの古着屋の娘として育ったデイジーは両親の不可解な死をきっかけに、危険に満ちた冒険に乗り出す。そして、3人のなかでひときわ存在感を放つのがリディア小母である。ギレアデの女性幹部の聖域であるアルドゥア・ホールの最高権力者で、小母や侍女を「教育」し、処罰を与える女性統制機関で指導者的役割を担ってきた。

誓願』は、ある意味でギレアデ国の解説書にもなっている。リディア小母を主たる語り手に据えたことによって、家父長的な全体主義体制をより強固なものにした裏舞台の秘密が明かされる。つまり、女性を〝レイプ〞することを合法化するような国家支配を下支えする集団が、同じ女性によって統制されていたというカラクリである。リディア小母たちが立ち上げた〈ラケルとレアのセンター〉というのは、小母たちが「侍女たちのことを祈り、まずは説諭して、改心の余地があるか探る」場所であるが(130頁)、その「ラケル」の由来は、聖書の創世記に登場するヤコブとその妻ラケルの名前である。ヤコブとの間に子供ができなかったラケルは自分の女奴隷にヤコブの子供を産ませ、自分の子供としたという逸話を、ギレアデ国が利用しているのだ。

 このような宗教の教えを積極的に取り入れるリディア小母だが、彼女は信仰の厚い人間ではない。むしろ彼女の手記からは、生き残るためには利用できるものは何でも利用する「現実主義者」という人物像が浮かび上がる(165頁)。たしかに宗教が果たす偽善的な役割は暴露されているが、宗教に対してシニカルな視点しか描かれないというわけでもない(*11)。タビサやアグネスの真正な信仰も人間の尊い性質として描かれている。善か悪かという道徳倫理では割り切れないさまざまな感情や駆け引きが錯綜するリディア小母の手記は、他でもない我々「読者」に向けて綴られており、キリスト教原理主義的な考え方はかえって根幹から揺らいでいる。「この手記を読む人よ、あなたにどんなふうに思われるかはよくわかっている。そう、わたしの 〝名声〞が先々まで残っていて、わたしが何者か、何者であったかをあなたがすでに読み解いているならば」(46-47頁)という語り口からは、人を従わせようとする権威者の声というより、その時々で人生の選択をしてきた一人の女性が自分と同じように不安や迷いを抱えながら生きているだろう読者に向けて発する声──アトウッドの声──が聞こえてくる。

3.オーウェルへのオマージュ──むすびにかえて
 七九歳を迎えていたアトウッドが──比較的若い侍女ではなく──リディア小母の俯瞰する視点から全体主義社会の全貌を明らかにしようとする物語を歓待する読者は多いだろう。アトウッド自身は、もちろん前作のオープンエンディングを悲観していない。「侍女のオブフレッドが、(ギレアデを)脱出した」ことを度々強調しているのだから(*12)。それでも、『誓願』が詳(つまび)らかにするギレアデについての新たな真相は、15年前にオブフレッドに何が起きたのか知りたいと思っていた読者には祝福である。勿論「女の脳みそは男性より小さくて、大きな問題を考える能力はない」(23頁)という教えを説き、家庭における妻の役割、生殖機能を担う侍女の役割を全うするよう〝布教〞活動に専念する小母たちの言葉を真に受けるべきでない。しかし、本作を読み進めていくと、アルドゥア・ホール内の図書館に所蔵された禁書にアクセスできる権限を持ち、女性統制機関の城壁を守り続けた小母たちこそ、女性の無知、無教養というプロパガンダを打ち砕くために存在してきたのかもしれないと気づくのだ。

 アトウッドが『侍女の物語』を書き始めたのが、ジョージ・オーウェルのディストピア小説が舞台となる1984年だった。『誓願』に描かれる〈ザ・クローズ・ハウンド〉はデイジーの両親が営む店だが、「昔のお気に入り」と呼ばれていることを見ても、これはオーウェルが描いたチャリントン古道具店へのオマージュであることは明らかだ。オーウェルの描く未来社会は絶望的だと考えられがちだが、アトウッドはそのことに異を唱えている。彼が巻末に注釈を附したのは、「物語の完結性(closure)」を回避し、「微かな光(glimmer)」を残すためであると述べた(*13)。その注釈の意味するところは、旧社会の言葉(オールドスピーク)で綴られた手記の発見だからだ。小説にそういう「逃げ道」を作っておく──それがオーウェルの、そしてアトウッドの希望の表し方であるという。『侍女の物語』の巻末に附されたシンポジウムの記録によると、その登壇者はオブフレッドの声をたしかに聞き届けている。複数の女性の語りが基調をなす『誓願』もまた、未来の「読者」である我々に同じ役割を委ねている。

 ヒロインたちがいかに逃走し、生き延びるかというテーマが鮮やかに描かれた本作はアトウッドの著書『サバイバル──現代カナダ文学入門』(1972)の主題とも共鳴し合う。歴史を振り返ると、カナダは宗教や言語などをめぐって対立や葛藤を繰り返してきた。最初はフランスの植民地として、続いてイギリスの政治的支配下に置かれ、さらにはアメリカからの軍事的、あるいは文化的な脅威にもさらされてきた。カナダが近代化の一つの大きな転機を迎え、フェミニズム運動が広がりを見せ始めた1960年代にちょうどアトウッドが多感な20代を迎えていたことを考えると、彼女の作品には必ずといっていいほど、闘争心に溢れ、政治的嗅覚の鋭い語り手たちが登場することにも合点がいく。アトウッドにとってカナダ人の自己意識を形容するのにふさわしい「サバイバル」という言葉は『侍女の物語』や『誓願』では、逆説的ではあるが、地域性を越境し、弱者が逆境のなかを「生き延びる」という、より普遍的なテーマに迫っているといえるだろう。


  注
 *1.
Mervyn Rothstein, “No Balm in Gilead for Margaret Atwood,” The New York Times, February 17, 1986.
https://www.nytimes.com/1986/02/17/books/no-balm-in-gilead-for-margaret-atwood.html
 *2.
“Bill Moyers: On Faith & Reason̶Margaret Atwood” (PBS) https://www.youtube.com/watch?v=ZizSbDupwis
 *3.
Rebecca Mead, “Margaret Atwood, the Prophet of Dystopia,” New Yorker, April 10, 2017. https://www.newyorker.com/magazine/2017/04/17/margaret-atwood-the-prophet-of-dystopia
 *4.
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』斎藤英治訳、早川書房、二〇〇一年、五四九頁。
 *5.
伊藤節編著『マーガレット・アトウッド』、彩流社、二〇〇八年、七六頁。
 *6.
Thomas Hutchinson, The History of the Province of Massachusets-Bay: From the Charter of King William and Queen Mary, in 1691, Until the Year 1750, Vol.2 (Boston; New England, Thomas & John Fleet,1828), p.18.
 *7.
Rothstein, “No Balm in Gilead for Atwood.”
 *8.
Mead, “Margaret Atwood, the Prophet of Dystopia.”
 *9.
渡辺由佳里「30年以上の時を経ていま明かされる、ディストピアSF『侍女の物語』の謎」https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2019/10/30sf.php
*10.
https://www.afpbb.com/articles/-/3226417
 *11.
Ken Derry, “Blood on the Wall: Christianity, Colonialism, and Mimetic Conflict in Margret Atwood’s Cat’s Eye,” Religion & Literature, vol.48, No.3 (Autumn 2016), p.92
 *12.
Rothstein, “No Balm in Gilead for Margaret Atwood.”
 *13.
Jesse Kinos-Goodwin, “We’re all reading 1984 wrong, according to Margaret Atwood,” CBC, May 9, 2017.
https://www.cbc.ca/radio/q/blog/we-re-all-reading-1984-wrong-according-to-margaret-atwood-1.4105314

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誓願
マーガレット・アトウッド/鴻巣友季子訳
(『侍女の物語』続篇、2019年ブッカー賞受賞作)
四六判上製 本体価格2900円+税
解説:小川公代
2020年10月1日 早川書房より発売


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