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中国ベストセラー作家の意外なデビューのきっかけとは?――『死亡通知書 暗黒者』訳者あとがき公開

 刊行以来大反響をいただいております華文ミステリの最高峰、周浩暉『死亡通知書 暗黒者』。今回、翻訳者の稲村文吾氏による訳者あとがきを掲載いたします。(稲村氏による本書の詳細な書誌情報はこちら

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訳者あとがき


 本書は中国の作家、周浩暉(しゅう・こうき/ジョウ・ハオフイ)が二〇〇八年に発表した長篇『死亡通知单』の全訳です。
 舞台となるのは中国大陸のある省の省都、A市。事件は、公安局(警察署)内でも人望を集めるベテラン刑事、鄭郝明(ジョン・ハオミン)が突然殺されたことから始まります。刑事隊を率いる韓灝(ハン・ハオ)がじきじきに参加しての捜査の結果、生前の鄭郝明はあるネットの書きこみを追っており、その結果として殺害されたという結論にたどりつきます。ギリシャ神話の復讐の女神、〈エウメニデス〉を名乗る犯人は、法では裁かれない悪人をネット上で募り、みずから制裁を下していくと宣言していました。
 対〈エウメニデス〉作戦のため設置された専従班には個性的な面々が集い、そのなかには羅飛(ルオ・フェイ)という別の市からやってきた刑事の姿もあります。〈エウメニデス〉の名前は十八年前に起きた事件にも存在を見せており、羅飛の人生は、警察学校時代に起きたその事件によって大きく変えられていたのでした。十八年前と現在、どちらの事件でも謎が山積するなか、〈エウメニデス〉は〝処刑対象〟の名前と実行の日付を指定し、護衛に総力を懸ける警察に真っ向から勝負を挑んできます。
 
 作者の周浩暉は一九七七年に江蘇省揚州市で生まれ、北京の清華大学で環境工学の修士号を取得しています。小説を書きはじめたのは二〇〇三年はじめのことで、SARSの流行の影響で外出を控えざるを得なくなったこの時期、サスペンスもののドラマに夢中になっているルームメイトをからかったところ、自分でも書いてみろと挑発されたのがきっかけと彼は話しています。そして書かれた、大学を舞台にした短篇ミステリ「套子里的人」は、清華大学のBBSに投稿された結果好評を得て、彼は創作を続けることになります。その後は会社員や大学教員として働きながらインターネットや雑誌上で小説を発表し、二〇〇五年に発表された羅飛ものの第一長篇『凶画』以降は単行本の出版も続いていきます。
 彼の創作歴の画期となったのが、中国大陸では二〇〇九年に刊行された本作でした。刑事の羅飛と殺人鬼〈エウメニデス〉との死闘を描く物語は、二〇一〇年発表の『宿命』、二〇一一年発表の『離別曲』とともに三部作をなし、累計で百二十万部以上を売りあげたうえ、『暗黑者』のタイトルで二〇一四年に始まり、計三シーズン放映されたネットドラマ版は累計閲覧数が二十四億回に達しました。台湾や香港でも出版されたほか、二〇一八年には英訳版が、二〇一九年にはフランス語訳版が出版されてさらに読者を増やしています。
〈死亡通知单〉連作が完結した二〇一一年には、羅飛が登場する「生死翡翠湖」が、北京偵探推理文芸協会が主催する第五回全国偵探小説大賽で最優秀中篇賞を得ています。その後も周浩暉は、〈死亡通知書〉の外伝(二〇一五)や、羅飛が活躍する新たな三部作である〈邪悪催眠師〉連作(二〇一三
‐二〇一六)など旺盛に創作活動を続け、近年では自ら会社を立ちあげて映像制作にも関わっています。
 なお、作品はほとんどが謎解きを軸にしたミステリに分類されるものですが、それとは別の傾向として「食」をテーマとして扱った作品をしばしば書いており、こちらの作品群には謎解きの要素が強くないものも散見されます。
 
 羅飛が登場する最初の三長篇、『凶画』、『鬼望坡』(二〇〇七)、『恐怖谷』(二〇〇八、のちに『攝魂谷』と改題)は、どれも雪に閉ざされた山中や孤島など人里離れた舞台を選んだ、怪奇・伝奇色の強いミステリでした。対して本作に始まる〈死亡通知書〉三部作は対照的に都会を舞台にし、強い存在感を持つ殺人犯との頭脳や肉体を駆使した対決に重点を置いています。同様の傾向の作品としてはほかにも雷米(レイ・ミー)の〈心理罪〉、秦明(チン・ミン)の〈法医秦明〉、蜘蛛(ジー・ジュー)の〈十宗罪〉、日本でも翻訳が進められている紫金陳(ズー・ジン・チェン)の〈官僚謀殺〉などの人気シリーズがあり、欧米の警察スリラーとの親和性を感じさせるこれらの作品は、中国ミステリにおける一つの大きな柱を形成しています。
 登場人物たちも予想だにしなかったような二転三転の展開を経て、本作のラストでは一連の謎が解かれ、〈エウメニデス〉との対決にはひと区切りが付けられます。しかし羅飛たちの戦いはここでは終わりません。本作の展開も、〈エウメニデス〉対、その犯行を食いとめる羅飛というシンプルな構図には必ずしも収まらない面がありましたが、同じ人物たちが登場する続篇では本作に輪をかけて多層的に物語が展開することになります。
 
 中国大陸で本書は、二〇〇九年に国際文化出版公司から出版されたあと、二〇一四年のネットドラマ化に合わせ『死亡通知单:暗黑者』というタイトルに変更して独客文化の制作、北京時代華文書局の出版で再刊されました。また二〇一八年にも独客文化の制作、海南出版社の発行で、今度は『暗黑
者』をタイトルにして刊行されています。このときにはドラマと同じく『暗黑者』が三部作すべての通しタイトルになりました。
 今回の翻訳にあたっては海南出版社版と、英訳版を参照しています。英訳版では全体に文章がスリムになるよう手が加えられており、そのほかに、舞台となる〝A市〟が外国の読者にもイメージしやすいという理由で四川省成都市に変更され、また主人公である羅飛の名前が〝Pei Tao〟(裴涛)に変更されていますが、これらの相違点に関しては中国語版に倣いました。
 最後に、本書の刊行にあたって多大な労力を費やしていただいた校閲の方々と早川書房の根本佳祐氏に感謝を申しあげます。
 
 二〇二〇年六月


◎あらすじ
劇場型シリアルキラーVS中国警察の精鋭たち――死闘の行方は?
2002年、省都A市でひとりのベテラン刑事が命を落とし、復讐の女神の名を冠す謎の人物〈エウメニデス〉による処刑の序曲は奏でられた。インターネットで死すべき人物の名を募り、遊戯のごとく予告殺人を繰り返す〈エウメニデス〉から挑戦を受けた刑事の羅飛は、省都警察に結成された専従班とともに、さらなる犯行を食い止めるべく奔走する。それは羅飛自身の過去――18年前の警察学校生爆殺事件の底知れぬ暗黒と相対することでもあった……。中国で圧倒的な人気を誇り、英米で激賞された華文ミステリ最高峰のシリーズ第一弾。


【書誌情報】
タイトル:『死亡通知書 暗黒者』
著者:周 浩暉(しゅう こうき)  訳者:稲村文吾
価格 :1,800円+税  ISBN:9784150019587
刊行レーベル:ハヤカワ・ミステリ(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
※書影等はAmazonにリンクしています。

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