「共同構築」が生む恐怖。廣田龍平『ネット怪談の民俗学』より、第1章「ネット怪談と民俗学」を全文公開!【10月23日発売】
ネット怪談はどのように発生し、伝播するのか。きさらぎ駅、くねくね、リミナルスペース……ネット民たちを震え上がらせた怪異の数々を民俗学の視点で精緻に分析した『ネット怪談の民俗学』(廣田龍平、ハヤカワ新書、2024年10月23日発売)。刊行前から早くも大きな反響を呼んでいる本書より、第1章「ネット怪談と民俗学」を全文公開します。
第1章
ネット怪談と民俗学
共同構築としてのネット怪談──きさらぎ駅
「ネット怪談」という言葉には、まだ学問的な定義はない。ここではひとまず「インターネット上で構築された怪談」としておこう。「構築」といっても、ネット怪談が創作だとか捏造だとか、そういうことではない。広い意味で、さまざまな物事がつながり、関係を持ち、組み合わさった結果として、目に見えるかたちで(知覚できる状態で)何かが現れるということである。物事の種類によって構築のされ方は多種多様であるが、ネット怪談に関しては、名称のとおり「インターネット上で」という部分を厳密に受け取ってみたい。つまり、主要部分がオンラインで構築されている怪談が「ネット怪談」だということである。
「構築」の一例として、二〇二二年に映画化もされたネット怪談「きさらぎ駅」を見てみよう。一般的にきさらぎ駅として知られている話はというと──深夜、ある女性が通勤電車に乗っていたところ、いつの間にか知らない路線を走っており、「きさらぎ駅」という聞いたことのない駅に着いた。降りてみたが、時刻表も何もない。携帯電話は通じるものの、自分がどこにいるのかまったく分からない。周辺をさまよい、ようやく人を見つけ、さいわいにも車で近くの駅まで送ってもらえることになった。だが車は山のほうに向かい、運転手の男性も意味不明な言葉をつぶやきはじめる。その後の女性の行方を知る者はいない──。
この文章だけならば、本屋で売られている怪談本に載っていたり、怪談ライブで語られたり、映画で再現されたりすることもあるかもしれない(文字化も音声化も映像化も構築の一形式である)。だが、初出の匿名掲示板「2ちゃんねる」までさかのぼってみると、きさらぎ駅は、特定の作家や演者だけで構築できるものではなかったことが分かってくる。
始まりは二〇〇四年一月八日の午後一一時、2ちゃんねるのオカルト板にあるスレッドに投稿された「気のせいかも知れませんがよろしいですか?」という一文だ(この投稿者は、後に「はすみ」と名乗る)。このスレッドは「身のまわりで変なことが起こったら実況するスレ」といい、文字通り、超常現象や心霊に関係しそうなことが生じたらリアルタイムで報告することができる場だった。投稿者のはすみは、自分の「身のまわりで変なことが起こった」ような気がするので、他のスレッド参加者(「住人」という。大半は匿名)に伺いを立てたのである。すぐに「取りあえずどうぞ」という返信があった。
以降、はすみは「先程から某私鉄に乗車しているのですが、様子がおかしいのです」から始まる状況説明を十数分おきに書き込んでいく。それに対して、スレッドの住人が、疑問やアドバイスを投げかけていく。たとえば彼女は「きさらぎ駅」のほかに「伊佐貫」という地名も発見するが、これが不可解さを深めていくのは、ネットで検索してもそのような固有名詞が一つも出てこないという報告が、他の人々からなされるからである。おそらく書き手が最初から最後まで一人(はすみ)だけだったなら、きさらぎ駅や伊佐貫といった場所名が存在しないはずのものだという恐怖は、本人にとってさえ生じづらかっただろう。
スレッドには次々と、はすみの置かれている状況の異常さに気づき、警告したり、一一〇番を勧めたりする書き込みが投稿されていく。そうしたアドバイスが空振りに終わることもまた、彼女の身の安全についての不安感を高めることにつながる。そして何よりも、異世界に迷い込んだ女性とこの世界の人々とのやり取りは、電波が届くかぎり、どこであっても(なぜか異世界であっても)通信ができる携帯電話のインターネット機能抜きではありえないものだった。それがあったからこそ、はすみが緩やかに異世界の泥沼にはまっていく様子を、住人たちは歯がゆい思いをしてながめ、想像することができた(できてしまった)のである。
きさらぎ駅というネット怪談は、本の一つの章に収まるような、始まりと終わりのある物語としてインターネット上に現れ、話題になったのではない。むしろこの怪談は、何でもない投稿からいつの間にか始まっており(「気のせいかも知れませんがよろしいですか?」が始まりというのも後から判明したことでしかない)、はすみとオカルト板の住人たちとの思わぬ共同作業によって恐怖と不安と不思議──「釣り」、すなわち嘘をついて住人を騙しているのではないかという疑念やからかいも含めて──が構築されていくプロセスからなる、出来事の連鎖だったのである。
きさらぎ駅が共同的に構築されたものであるということは、それが未完成のまま開かれていることも意味する。誰でも新しく、自発的であれ強制的であれ、この怪談に参加することができるからだ。分かりやすいのは、二〇一一年前半にネット上でふたたびきさらぎ駅が話題になったときの、いくつかの出来事である。
二〇一一年六月三〇日、きさらぎ駅の投稿をまとめた怪談系ブログのコメント欄に、この世界に戻ってきたという、はすみの書き込みが投稿された。私たちには、この投稿が初出時の女性なのかどうかを厳密に判断するすべはない。いずれにしてもきさらぎ駅は七年の時を超え、ふたたび動き出した。
同年八月には、二〇〇四年にはなかったSNSのTwitterにおいて、きさらぎ駅に着いてしまったという報告が写真付きで投稿された。それまで文字だけだったこの怪談は、事実を客観的に写し取る(ものだと受け取られることが多い)画像により、さらに異なる実在感を生み出した。さすがに二〇二〇年代にもなると、この駅に関する新たな話題はほとんど報告されなくなったが、駅が取り壊されたという報告でもないかぎりは、いつまでも「きさらぎ駅に行ってしまった」という投稿は可能なままだろう。
このように、きさらぎ駅は、中心となる人物(当事者のはすみ)による2ちゃんねるへの投稿だけでは、今も知られているような怪談として成立することはなかった。むしろ多くの人々が同時的に、あるいは何年も隔てて、さらに別のメディアも駆使しながら構築していったのがきさらぎ駅なのである。
本書がネット怪談を民俗学の対象 として取り上げる大きな理由がここにある。つまり、特定の作者に帰属する作品──特定の人物によって表現・提示され、書籍内やブログの記事内、上演時間内などでひとまず完結するもの──としての従来型の怪談とは違い、共同的に構築されつづけるという特徴がある、ということである。民俗学は、不特定少数(または多数)の人々が創り上げ、誰かの独占物になることなく、多くの人々が手を加えつつ伝えてきたものを研究する学問だからだ。
民俗学とはどのような学問か
ここで民俗学という学問について簡単に説明しておこう。最近は民俗学の入門書がいくつか出ているので、そこから定義を引用してみたい。
菊地暁は『民俗学入門』(二〇二二)のなかで、民俗学は「「普通の人々」の「日々の暮らし」が、なぜ現在の姿に至ったのか、その来歴の解明を目的とした学問である」とする。この目的のために使われるのは、日常生活の歴史を体現した私たち自身である。また、島村恭則は『みんなの民俗学』(二〇二〇)において、人々(「民」)を「対啓蒙主義的、対覇権主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的」な「ヴァナキュラー」(「俗」)の観点から研究する学問が民俗学であるとする。
両者に共通しているのは、ある社会の文化や歴史を知ろうとするとき真っ先に挙げられる有名人物や重大事件、芸術作品、政治制度といったものや、それらを調べるとき重要だと見なされる文献資料・公的記録だけを見ていくと掬い取ることのできない多くの人々の実践を、みずからの足元から見つめていこうとする態度である。たとえば地元の祭りや踊り、親戚の範囲、民家の構造、手作りの農具、季節ごとの行事、近所での貸し借り、葬式の出し方、明日の天気を知る方法、女性の仕事など……日本の民俗学者は、こうしたことを一世紀ほど前から地道に研究してきた。
民俗学の研究対象のなかには、もちろん妖怪や怪談も含まれる。なかなか文献には記録されず、ましてや公文書にも載らず、それでも人々がひそかに体験したり、語り継いだり、作り話をしたりして、現在まで残ったり残っていなかったりするからである。一般に言われるほど民俗学が妖怪ばかりやっているわけではないが、人々が日常生活のなかで伝えてきたものである以上は、真っ当な研究対象である。たとえば日本民俗学の創始者とされる柳田國男(一八七五~一九六二)は、この学問を確立する前の若いころから妖怪に深い関心を持っていたことが知られている。また、本章の後半で詳しく書くが、一九八〇年代末から一九九〇年代にかけての「都市伝説」や「学校の怪談」ブームは、そもそもアメリカや日本の民俗学者が火付け役だった。ネット怪談の研究もその延長線上にある。
本書に関わる範囲でもう一つ、民俗学の研究対象として適切なところがあるとすれば、それは、「公的・制度的・商業的な認可を受け、大量販売や大規模な収益を見込んでつくられることがほとんどない」点である。権利を主張できる特定の作者がいるのではなく、誰が作りだしたのか知られていなかったりコミュニティとして所有していたりするものを民俗学は研究しているのである(それ以外のものをまったく研究しないというわけではないが)。本書の、共同で構築されるものとしての怪談という捉え方はこの点に基づいている。
なお、作者が名乗り出るネット怪談もあるにはあるが、事例としてはかなり珍しい。いくつか挙げてみると、たとえばウニという作家による「師匠シリーズ」は、主人公と、彼が大学時代に出会った「師匠」が、さまざまな心霊現象に直面するシリーズで、Wikipedia 日本語版にもページができている。また、双眼鏡で見えた全裸の人物がものすごい勢いで自分のところに近づいてくる「双眼鏡」という話も作者が名乗り出ている。この作者はコピペされることをむしろ喜んでいたようだ。ほかには意図的に広められた「怪人アンサー」が知られている(携帯電話を複数使った儀式で呼び出せる妖怪で、質問に答えられないと体の一部を奪われてしまう)。「リゾートバイト」という長編怪談は、二〇二三年に映画化されるにあたり、作者が「日向麦」という名でコメントを出した。
ところで、先ほど紹介したきさらぎ駅は日本語で書かれている。それ以外にも、私たちがネット怪談と聞いて思い浮かべるものの多くは日本語で書かれている。本書ではこのように、主として日本語が使われる領域である「日本語圏」を「日本」と省略して呼ぶことにする。このように言うのは、ネット怪談のなかには英語などの他言語で書かれたものも多いからだ。主として英語が使われる領域は、おそらく大半がアメリカ合衆国なのだろうが、はっきりと特定することができないため、「英語圏」と呼ぶことにする。「日本」は日本国の領土や国民に限られたものではないし、また英語圏は日本国の内側にも広がっていることだろう。インターネットでは、怪談の伝えられた場所を地理的には特定できないので、以上のように定義しておく。また、筆者の語学能力上、それ以外の言語におけるネット怪談は不十分にしか取り上げられないことをあらかじめ断っておく。
ネット怪談と同じように、民俗学も日本限定の学問ではなく、イギリスやアメリカ合衆国をはじめとして欧米諸国や東アジアなど、世界各地で研究されている。次節ではアメリカの民俗学者界隈でも話題になった有名なネット怪談を画像の役割という観点から見てみよう。
画像から生まれる──スレンダーマン
共同構築というだけでは、商業的な怪談文化との距離をとることはできても、インターネット以前の民俗文化で語られてきた怪談との違いを見出すのはむずかしい。もう少し追加要素が必要である。
まず、インターネット文化の全般的な特徴として、地縁や血縁に縛られない、世界各地から参加できる──などを指摘することができる。それに加えてネット怪談に関しては、従来型の怪談の特徴である「言葉で表現されること」との対比も目立つ。具体例として、言葉ではなく画像が主体の「スレンダーマン」(Slender Man)を見てみよう。
スレンダーマンは英語で「ほっそりした男」という意味で、その名のとおり、人間とは思えないぐらい縦に伸びた感じの長身で、黒い男性用スーツを着用し、顔はのっぺらぼう、手や背中のほうから多くの触手が生えているという、シンプルながら不気味な姿をした妖怪である。
きさらぎ駅と同じように、スレンダーマンが最初に投稿されたところは分かっている。英語圏の大手画像掲示板「サムシング・オーフル」(SomethingAwful)のスレッド「フォトショップで超常画像をつくろう」である。二〇〇九年六月一〇日、このスレッドに、一九八〇年代に撮影されたものという設定で、二枚の白黒写真が投稿された(図1)。
一つは子どもの集団が不安げに歩いている(小走りしている?)もので、もう一つはすべり台の階段を登りながら笑顔でカメラのほうを向いている子どもの写真だった。そしてどちらの写真にも、遠くのほうに、細長いのっぺらぼうの男性のようなものが写り込んでいた。投稿者のヴィクター・サージ(ハンドルネーム)は、子どもたちが犠牲になったことを示唆するキャプションもつけていて、そのうちの一つは、奇妙な男性が「スレンダーマン」と呼ばれるということに触れている。
「超常画像をつくろう」というスレッド名に明らかなように、二枚の写真は合成画像であり、参加者もそのことは理解していた。だが、この二枚の「写真」は多くの参加者に響いたらしく、他の投稿画像を押しのけて、急速に英語圏のインターネットで広まっていき、さらに、さまざまな設定や物語が付け加えられていった。特に、最初の投稿から一〇日後という早い時期に始まったYouTube の動画シリーズ「マーブル・ホーネッツ」(Marble Hornets)は、スレンダーマン人気を決定づけたものとして知られている。マーブル・ホーネッツは、失踪した映画学校の友人が残した動画の断片を探っているうちに、不穏な出来事が起きるようになるが、そこには謎の存在(スレンダーマンを連想させる何か)が関わっていた……という設定の作品である。
スレンダーマンはきさらぎ駅とは違い、特定の作者に帰属できる創作物として──日本語で言うなら「ネタ」として──投稿されたものである。ただ、作者のサージは最初のころから構築の方向を制御しておらず、私たちが得ることのできる情報の大半は、むしろ彼以外によって共同構築されたものである。サージは、いわば0から1にした人物であるが、1から10にしたのはインターネット上の無数の人々だった。スレンダーマンは、文章、画像、動画、ゲーム、コスプレ、果ては実写映画まで拡張し、今では誰も全貌をつかみきれないほど無数のバリエーションが誕生している(まとめて「スレンダーバース」と呼ばれる)。共同構築のポテンシャルが最大限に発揮されたものとも言えるだろう。
英語圏では、この創作ホラージャンルをクリーピーパスタ(creepypasta)と言う。コピペ(copy&paste)をもじったコピーパスタ(copypasta)に、さらに「気味の悪い」を意味するクリーピー(creepy)を組み合わせた造語である。言葉自体は二〇〇〇年代半ばに生まれたらしいが初出は分かっていない。クリーピーパスタは、意図的に作者への帰属を曖昧にして、本当なのか虚構なのか分からないものとして楽しまれた。だが、専門家のヴィヴィアン・アシモスが言うように「その物語は虚構として合理的に理解されることもあるだろうが、作者と切り離されているので、現実世界の都市伝説として生を得ることもできる」。実話だと真に受ける人も出てくることがあるのだ。例外的にスレンダーマンは知名度があるので、現在ではWikipedia などから作者の情報を入手することができる。
有名なクリーピーパスタには、スレンダーマンのほかに、白面の殺人鬼「ジェフ・ザ・キラー」(Jeff the Killer)や、「不幸の手紙」のような犬の画像「スマイルドッグ」(smile dog)、不気味な子ども向け番組「キャンドル・コーヴ」(the Candle Cove)、出口のない無人の室内空間がどこまでも続く「バックルーム」(the Backrooms)などがある。その数は膨大で、きさらぎ駅さえも、英語に翻訳されたものがクリーピーパスタのまとめサイトに入っている。キャンドル・コーヴのように作者が知られているものもあれば、スマイルドッグなど初出の記録が知られていないものもあり、ジェフ・ザ・キラーのように、さまざまな場所で設定が付加されていったため特定の作者に帰属できないものもある。「コピペで広がる」という語源にも表れているように、作者が独占するのではなく、誰もが拡散できるというのもまた、多くのクリーピーパスタの特徴だった。「だった」というのは、このジャンルが有名になってきた二〇一〇年代からは、作者の権利が明言される創作が多くなってきているからである。
クリーピーパスタが創作であることが明示されなかった結果として、傷害事件が生じてしまったこともある。二〇一四年五月三一日、アメリカ合衆国ウィスコンシン州のウォーキショーという町で、二人の少女が、スレンダーマンに忠誠を誓うため、別の友人を刃物でめった刺しにする事件が発生した(被害者は幸いにも命を取り留めた)。あまりにも作り込まれた創作は、かえって現実性を強めてしまう。スレンダーマンを構築した人々は、ある意味で、うまくやりすぎてしまったのである。
アメリカ民俗学の「伝説」概念
ところで、怪談に限らず、物語の表現方法と言えば、文章やマンガ、映像などで過去の出来事を叙述する、というのが一般的ではないだろうか。だが、ここまで見てきたきさらぎ駅もスレンダーマンも、いつ終わりを迎えるのか分からないまま、むしろ今なお新しい出来事が起きつづけ、新しい表象が現れつづけている。また、スレンダーマンの中心にあるのは、一連の出来事を表現する文章や映像ではなく、たった二枚の、状況の曖昧な白黒画像だった。ネット怪談について考えるには、その表現形態を広めにとって見ていく必要がある。
クリーピーパスタ研究ですでに多くの研究成果が出ているアメリカ民俗学では、スレンダーマンなどを「伝説」(legend)として扱うのが一般的である。日本では、伝説といえば歴史的過去や「いわれ」を語るものというイメージがあるが、アメリカ民俗学では時代の古さは問われない(この点については後述の「都市伝説」概念も参照)。むしろ特徴的なのは、伝説を、過去の出来事の表現だけではなく、語りの場や話し合いの場もひっくるめて定義しているところにある。
アメリカ民俗学における「伝説」とは、「異常だったり、奇妙だったり、説明がつかなかったり、予想できなかったものだったり、脅威を感じたりする出来事」を語ったものである。その出来事は、現実世界のどこかで、現実にいる人々が体験したものとされる──このぐらいの定義ならば日本の「怪談」にも応用できるだろう。しかしそれだけではない。伝説研究にとって重要なのは、終わりと始まりが決まっている昔話とは異なり、伝説は完結していないという点である。すでに見てきたネット怪談と同じように、従来の伝説もまた、一般的には未完成のうえ、断片的な話があちこちに散らばったままなので、それを聞いた人々は、伝説の内容が本当かどうか考察してみたり、不十分なところをつなぎ合わせてみたり、話し合ったりする。このようにして伝説は肉付けされていき、徐々に体系的な物語群としてまとめられたり、逆に地域や時代によって多くのバリエーションが生まれたりする。伝説は、単に語られる物語などではなく、それにかかわる人々の行動のなかで構築されつづけるものでもある。
以上のような伝説の捉え方は、実は一九七〇年代から言われていることである。そのため「伝説」と言っても主として口頭で伝わるものを想定しており、当時インターネットは視野に入っていなかった。だが、きさらぎ駅やスレンダーマンに見られるように、ネット怪談はアメリカ民俗学の提唱する射程の長い「伝説」概念によってこそ、うまく捉えることができる。整理整頓されて伝説集に載るような物語ではなく、粗っぽいがつねに生成し変化しつづけるものとして、ネット怪談を学問的に見ていくことができるのである。
ここで重要になるのが、伝説の範囲が、言葉を用いた表現に限られないということである。スレンダーマンの発端は二枚の画像だったし、Twitter 版のきさらぎ駅もまた、駅や周辺の写真とされるものが閲覧者の注目を集めることになった。動画や音声を媒体にしたネット怪談ならば、不気味な音響や奇妙なまでの静寂なども欠かせない。
アメリカ民俗学では、視聴覚メディアによる表象のほかにも伝説の表現方法があることが論じられている。それが「オステンション」(ostension)である。オステンションはもともと記号論の用語だが(「直示」と訳される)、伝説研究においては、すでにあるテキストで言われていることを試してみたり、再現してみたり、とにかく身をもって示してみる行為のことを指す。古いネットスラングで言うならば「〇〇してみた」「やってみた」というやつである。日本でよく知られたものとしては、女子トイレの三番目の扉を叩いて花子さんを呼び出してみるとか、五十音図に硬貨を置いてこっくりさん占いをしてみるなどの行為を挙げることができる。
もっともありふれたオステンション行為が「伝説旅行」(legend tripping)である。たとえば「どこそこの廃墟に幽霊が出た」といううわさがあったとしよう。それを聞いた人々が、実際にその廃墟に足を踏み入れて、幽霊が出るかどうか確かめてみるのが伝説旅行で、民俗学的にはオステンションの一種である(幽霊が出ても出なくてもかまわない)。日本語では「肝試し」が近いが、病気が治るという伝説がある聖地に行って癒されるのも伝説旅行になるので、概念としては肝試しより範囲が広い。従来の肝試しと同じようなことをするYouTube やSNSの心霊スポット実況配信(第5章参照)もこの概念の射程に入っている。
ネット怪談はネタなのか──「怪談」と「ホラー」
ネット怪談を民俗学的に(学問的に)論じるというと「ネタにマジレスwww」や「釣りだろ」、「所詮作り物なのでは?」といった反応が来るかもしれない。ここでは「ネタ」について少し考えてみよう。
二〇〇二年に刊行された2ちゃんねる用語辞典『2典』によると、「ネタ」とは「真実でない書き込みのこと。多くはウケ狙い。ネタレスとも言う」。対義語は「マジレス」である。「ネタ」は幅広い意味をもつ言葉だが、怪談や伝説に限定するならば、英語でいう hoax に近い。つまり、作り話なのに、現実だと信じ込ませようとして広められるもののことである。「デマ」とも訳される。
「ネタ」を hoax と対応させていいとすれば、クリーピーパスタ研究に面白い議論がある。それは「ある叙述を本当っぽいと認めさせることに力を注ぐほど、ネタっぽくもなってくる」というものだ。たとえば、いつも怖い話が投稿されているウェブサイトに「昨夜、トイレで人影を見た」だけの投稿があったとしても、誰もこれをネタだとあげつらわないだろう。かといって、真剣にその現実性を検討しようとも思わないだろう。あまりにも素っ気なく、そもそもどこを疑えばいいのか、どこを信じればいいのか分からないからだ。しかし、投稿者がさらに細かい情報を加えていき、これまでの心霊体験について語りだし、新居なのだがよく考えると間取りに不自然なところがある……などと報告をしていくならば、本当っぽくなっていく一方、ほかの参加者がさらなる証拠を要求したり、細かい矛盾を探したりして、ネタではないかと疑う余地も出てくるだろう。投稿者あるいは作者もまた、情報の出し方をコントロールすることによって、虚実の境目を曖昧にすることを楽しんでいるかもしれない。
ネタと事実は対極にあるように見えて、どちらも多くの要素から構築されているという点では同じである。ネタかマジ(ガチ)か、作者がいる創作か現実に起きた事実かは、少なくとも一般に思われている以上に境界が曖昧なものだ。その境界を残念なかたちで超えてしまったのがスレンダーマンをめぐる刺傷事件だったと言える。
スレンダーマンのように、もととなる伝説がないのに写真などの「根拠」をつくりだし、どんどん「実体験」や「うわさ」などを投入していくことで、あたかも昔から伝説があったかのようにしていく一連の行為を「逆行的オステンション」(reverse ostension)と言う。日本のネット怪談やホラーコンテンツにも逆行的オステンションとしてまとめられるものは多い。
「でも、聞き手はネタと思って楽しんでいる」という反応が来るかもしれない。これについては、そうとも言えるし、そうとも言えないこともある、と答えるしかない。はっきりネタ扱いしていると言えるのは、一例を挙げると、英語圏の大型掲示板サイトReddit にあるホラー系の板(「サブレディット」と言う)nosleep である。ページの右側に「ユーザーは、nosleep ではすべてが事実であるかのように行動して[……]ください。ネタバレ、否定、批判はなし(たとえ建設的であっても)」と明記されているからだ。これは、創作のフィクションを楽しむときの基本的な態度「不信の念の停止」のことと見ていいだろう。一九世紀の作家サミュエル・コールリッジが提唱したもので、作中で描かれていることについて、いちいち「本当か?」と疑ったりしない態度のことを指す。「不信の念の停止」は、まさしく「ネタをネタとして楽しむ」ことであり、確かにネット怪談の参加者は多くがこの態度でいるのだろう。さらに、ネタであるとして楽しむ行為は、ある種の結束感──自分たちは、真に受ける人々と違って書かれていることの裏にある真意を分かっている──を生むことにもつながる。
ネタとして楽しむことを前提として、ここ数年、ネット怪談と並んで話題になることが増えてきたものに、「SCP財団」がある。SCP財団とは、日本語版のガイドによると「都市伝説及び現代ファンタジーをテーマとした共同創作サイトで、超常の物品・存在を収容し、人々の目から遠ざける秘密組織「SCP財団」を舞台としたフィクション」のことである。この秘密組織が、超常的なもの(「オブジェクト」と呼ばれる)などに対処しようとするさまを、一つのオブジェクトにつき一つのページを割り当て、報告書の形式で表現しているところがユニークであり、多くの人々が執筆に参加している。
SCP財団自体は以前からあり、オリジナルの英語版は二〇〇八年、日本語版は二〇一三年に始まっている。だが、筆者が大学の授業でネット怪談のことを話題に出すと「SCPも話してください」と言われるようになったのは二〇二〇年代に入ってからである。個々のページ(報告書)で特定の作者(作者ら)による創作であることが明言されているわけではないが、初心者向けページにはきちんと「特別記載がない限り、このWiki に掲載されているすべての作品は、フィクションです。ここはロールプレイをするサイトではありません。財団は実在しません」と書かれている。
他方で「不信の念の停止」をしない人も多い。たとえばきさらぎ駅やくねくねなど、有名なネット怪談が投稿されたときの反応を見ると、あからさまに茶化しているものが目立つ。また逆に、粗探しなどをして真剣にネタであることを確定しようとしたり、より詳しいことを聞いて細部を固め、事実であることを確信しようとしたりする参加者もいる。そういう人々は、ネタをネタとして楽しんでおらず、むしろ、信じたり疑ったりすることができるものとしてネット怪談に介入しているわけで、単に閲覧している人々よりも深く構築にはまり込んでいるとさえ言える。あるネット怪談が盛り上がれば盛り上がるほど、どちらの陣営の参加者も増えていくし、落ち着いていくにつれ、どちらの参加者も減っていく。それに連動して、ネタっぽさと本当っぽさは同時に増したり減ったりしていく。
要するに、ネット怪談の場合、フィクションとして楽しむことと、真面目に受け取ることの境界がはっきり区切られているわけではない。ある怖い話を本当のことだと信じるか、嘘をついていると疑うか、という両極を揺れ動く立場のほかに、「ネタとして楽しむ」という立場もある。どの立場で話を受け取るのかというところに、時には争いが見られ、それが怪談の行く末に大きく関与しうる点もまた、インターネットにおける叙述の特徴である。また、作者による「ネタばらし」がほとんど確認できないのもネット怪談の特徴である。
特定の作者による創作といえば、「ホラー」の概念にも触れておくべきだろう。ホラーとは、鑑賞する人々に恐怖の感情を生じさせることを目的とした創作ジャンルのことである(映画、ゲーム、小説、マンガ、画像など)。アメリカ民俗学では、クリーピーパスタをはじめとするネット怪談がホラー文化との関係で論じられることが多いのだが、対照的に日本民俗学がホラーという題目で何かを論じることはめったにない。Jホラーやフォークホラー(folk horror)さえもろくに取り上げてこなかった。これは、ホラーが創作のジャンルであるのに対して、日本民俗学における妖怪や怪談の研究は、たどっていくと民俗社会の信仰を探るために始まったものなので、現代における創作された恐怖の楽しみ方がほとんど眼中に入っていなかったからだろう。
ネット怪談は、従来の怪談と同じかそれ以上にホラーと深い関係にある。この点を明確にするために、本書ではインターネット上で流通するものを「ネット怪談」と「ネットホラー」に分けてみたい。分けてみると言っても、別々のものとして取り扱うのではなく、ある視点から見たときの違いを示す程度のものである。まず、「ネット怪談」は、特定の作者への帰属が意識されず、事実かもしれないと見なされるもので、「伝説」の一種である。投稿者は報告者として認識される。それに対して「ネットホラー」は、作者の存在が意識され、フィクションとして恐怖が楽しまれるもので、「創作」の一種である。投稿者は作者として認識される。
この区分を適用すると、先述のSCP財団や、ネット怪談の古典のうちいくつか──八尺様、リアル、リゾートバイトなど──は、少なくとも初出の時点では「ネット怪談」ではなく「ネットホラー」であった。八尺様は、田舎の実家に戻った少年が異様に背の高い女性である八尺様に取り憑かれてしまいそうになるところを、夜通しの儀式によって辛くも抜け出すという話である。今では現代妖怪の代表的存在とされることもあるが、物語の形式(完結している)、投稿者の挙動(投稿するだけで読者とやりとりしない)、投稿時の反応(事実であるかネタであるかを疑うような投稿がほとんどなかった)などからネットホラーであると判断することができる。また、リアルは、「ホラーテラー」という投稿サイトが初出で、友人から教えられた儀式を実行してしまった主人公が、顔にお札ふだがたくさん貼られ全体が隠れている長髪の霊(?)につきまとわれる話である。これも当時のコメントを見ると「続きを楽しみにしています」など創作を前提とした評価が多い。リゾートバイトも「ホラーテラー」が初出で、海辺の民宿でリゾートバイトを始めた若者たちが、民宿の二階に封印された謎の禍々しい存在に接触してしまう話である。これもまた、コメントなどから、事実の報告というよりはうまく作られたホラーであると受け取られていたことが推測できる。
とはいえ先ほど「初出の時点」と留保したように、創作作品であっても、拡散や改変の過程(まとめブログや切り取り動画など)で、作者への帰属情報が失われていき、ネット怪談になっていくこともあるし(スレンダーマンや八尺様のように)、逆にネット怪談として共同構築されているものが、「誰か知らないが作者がいるらしい創作物」と認識されネットホラーとして広まっていくこともある。たとえば先述のnosleep に投稿された作品は、「本拠地を越えて共有され、このサブレディットの決まりを知らない読み手が遭遇したとき、もっとも効き目があるものとなる」という。この場合は、本気にしてしまうということである。本書はネットホラーを網羅的に取り上げることはしないが、重要なものについては折に触れて紹介していくことにする。
民俗学者のクリスティアーナ・ウィルジーがTwitter 怪談「ディア・デイヴィッド」(Dear David, 二〇一七年八月~二〇一八年七月ごろ)について論じたことも参考になる。この怪談は、ある漫画家が自宅に出没する子どもの幽霊「ディア・デイヴィッド」について長期にわたってTwitter で報告しつづけたものだ。なかには幽霊自身が投稿したようなツイートもあった。ウィルジーによると、視聴者のなかには実話だと信じる人も疑う人もいたが、それを超えた共通点があるという。それは恐怖という感情が共有されているということだ。彼女は、「恐怖は信念を必要としない」という。実話だと信じていればもちろん怖いが、信じていなくても怖いものは怖い。これはネット怪談とネットホラーをひとまとめにすることのできる大きな特徴である。
いずれにしても、ネタであろうが釣りであろうが、不特定の人々がこぞって構築したものならば真面目に研究するのが民俗学である。そこに貴賤はないし、むしろ「くだらない」文化こそ、民俗学がやらねば誰も記録すらしないまま忘れ去られていき、その価値も失われていくことだろう。
平成令和怪談略史
このあたりで、日本のネット怪談がどのような怪談文化から生まれてきたのか、どのように他の怪談ジャンルと並存しているのかを捉えるために、おおまかに、ネット怪談が生まれる少し前の一九八〇年代後半までさかのぼって、ジャンルの栄枯盛衰を眺めてみたい。なお、ここでいう「怪談」は、民俗学的な視点をあまり広げすぎないように、先述のとおり「伝説」のサブジャンルとして狭く定義する。だが、それだけでも十分であろう。今から見ていくように、この時期の代表的な怪談ジャンルである「都市伝説」と「学校の怪談」は、どちらも民俗学者がきっかけとなって一大ブームになったのだから。
まず見通しをよくするため、ネット怪談以外の怪談ジャンルを、体験者をたどることのできる「体験談」と、たどることのできない「うわさ」に分ける。どちらも前近代から絶えることなく語られつづけているが、ここで
は記録に残っているもの──書籍・雑誌記事を中心として、テレビ・ラジオ番組も含める──からうかがえる動態に絞ることにする。
体験談──恐怖体験、再現漫画、そして実話怪談
一九八〇年代から世紀末にかけては、一九六〇~七〇年代の怪奇ブーム・オカルトブームのころから活動していた中岡俊哉や佐藤有文などが引き続き恐怖体験や心霊写真の本を世に送り出していたほか、素性の知れない団体(「怪奇研究会」や「ミステリー探検隊」などを自称するものが多い)などの書き手によるソフトカバーの怪談本も多数出版されていた。子ども向けとしては、「ケイブンシャの大百科」シリーズや、占い雑誌『マイバースデイ』から派生した「MBブックス」シリーズ(図2)などで、心霊・怪奇系の本が多く刊行された。大衆雑誌に芸能人の恐怖体験記事が掲載されるのもよくあることだった。
これらの恐怖体験本の多くは、一般人が体験した怖い話や不思議な話をまとめたもので、挿絵が多かったり、文体が扇情的だったり、心霊的な原因の特定(誰それの祟りである、地縛霊である、など)があったりした。また、読者投稿という体裁で、体験者自身が語る一人称の話も多かった。
一九八〇年代後半から一九九〇年代半ばにかけて、ホラー漫画雑誌(『ハロウィン』や『サスペリア』など)でも、毎号、読者投稿の恐怖体験を漫画化したコーナーが設けられた。
一九八七年には『ハロウィン』から派生した恐怖体験専門の雑誌『ほんとにあった怖い話』(図3)が登場し、似たような漫画雑誌が次々と創刊された。再現漫画もまた、ホラー雑誌に載っているからというのもあるが、おどろおどろしい描写が決めどころで使われることが多かった。
一九九〇年代初頭には、新たな怪談ジャンルの草分けが登場した。『新・耳・袋』(シリーズ化してからは『新耳袋』に改題)、『「超」怖い話』、『あやかし通信』(図4)などである。これらの怪談本は、作家が取材した体験談を叙述する形式を取ったこと、心霊的因果に深入りするのを避けたこと、比較的淡々とした文体になっていることなどが特徴として挙げられる。このような様式は「実話怪談」と呼ばれ、一九九〇年代末に『新耳袋』が復刊・シリーズ化してからは、大きな流れを形成するようになった。二〇〇〇年代前半には、素性の知れない団体による恐怖体験系の怪談本が激減し、個人の作家名が前面に出てくる実話怪談本が多数を占めるようになる。実話怪談の歴史や様式は吉田悠軌『一生忘れない怖い話の語り方』に詳しい。
実話怪談では、書き手は報告者として現れるが、そこで報告されるのは別の人物(主として体験者)からの報告であり、書き手はそれを独自の言語的表現で提示している。その意味で報告者と作者の双方の役割を担っている。こうしたことから、実話怪談は本書でいう「伝説」と「ホラー」の中間にある。
一人称的で扇情的な様式が完全に消え失せたわけではない。たとえばホラー漫画雑誌は大半が一九九〇年代末までには休刊したが、恐怖体験専門の雑誌だけは生き延びている。しかし、二〇二〇年代の出版情勢を見ると、実話怪談の一人勝ちのようである。
ここまでは活字媒体を取り上げてきたが、二〇一〇年前後から怪談師──音声や身振り、表情で怪談を表現する演者──が台頭してきたことは見逃せない。稲川淳二や桜金造など、二〇世紀末から活躍してきた人々はいたし、さかのぼれば落語家も講談師も古くから怪談を演題にしてきたのだが、近年の怪談師は実話怪談本と密接な関係があるところに特徴がある。実話怪談本の作家と同じように、自分で体験者に取材して、自分なりにアレンジして表現しているのだ。ライブ会場やYouTube チャンネル、テレビ番組などで話を披露しつつ、他方で実話怪談の文庫本を出版する怪談師は多い。吉田悠軌によると、とりわけコロナ禍のはじまった二〇二〇年ごろから一気に「実話怪談プレイヤー」(作家と演者を含む)が増えてきており、二〇二〇年代前半は、それまでとは一線を画した「怪談ブーム」のさなかにあるのだという。
うわさ──都市伝説、学校の怪談
怪談については、民俗学者は体験談をあまり取り上げない。どちらかといえば「うわさ」のほうを論じたがる。というのも、民俗学が研究するのは、人々のあいだで共有され、伝えられていくもの(=共同構築されるもの、伝承されるもの)であることが多いからだ。たとえば「都市伝説」や「学校の怪談」などである。
ここまで何回か「都市伝説」という言葉を使ってきたが、実は定義するのがかなり難しい。もとはアメリカ民俗学の概念であり、大まかにいうと、近代化された社会(あるいは調査者と同時代の社会)において、「知り合いの知り合い」に本当に起きた出来事として出回っている話のことである。その意味では、怪談に限らず笑い話や美談、犯罪行為などでも都市伝説になりうる。それに対して「学校の怪談」は日本民俗学の用語であり、主に小中学校の児童・生徒のあいだに伝わっている怖い話のことを指す。都市伝説も学校の怪談も、誰かの体験談として語られることもあるが、多くは「〇〇すると△△が出る」のように、一般化された知識のかたちで伝えられる(これを「俗信」という)。
まず都市伝説のほうを見てみよう。一九八八年、アメリカの民俗学者ヤン・ハロルド・ブルンヴァンの著書『消えるヒッチハイカー』の日本語訳が出版された(原書は一九八一年)。アメリカの都市伝説を題材にした民俗学書である。タイトルの「消えるヒッチハイカー」は、自動車を運転していた人がヒッチハイクをしている若者を乗せたところ、一度も停車していないのにいつの間にかその若者が消えていた──というもので、同じパターンの話が無数に記録されている。ブルンヴァンのこの本が日本語に訳されたことで、「都市伝説」という言葉が日本でも広く知られるようになった。
都市伝説に相当するものは古くから日本でも知られており、たとえば先ほどの消えるヒッチハイカーに類するものとして、登場人物がタクシーとその乗客に入れ替わった「タクシー幽霊」の怪談は大正時代から現代まで語りつがれている。こうした話は、従来の日本民俗学では「世間話」に分類されていたのだが、それらを新しいジャンルにひとまとめにしたのが、八〇年代終わりの「都市伝説」概念の大きな意義であろう。
ブルンヴァンの「都市伝説」概念は、日本民俗学よりも大衆メディアのほうに大きな影響を与えることになった。当時の雑誌やテレビ、ラジオなどでは、マスコミの目をかいくぐって人々のあいだで流通する「口コミ」や「ウワサ」が頻繁に取り上げられており、「都市伝説」は、そうした通俗的な概念に学問的な装いを与えるものとして注目を集め、八〇年代末から九〇年代前半にかけてブームを迎えることになったのである。
このようにしてマスコミ的な色のついてしまった「都市伝説」という言葉は、早々に研究者たちから見放されてしまう。そのかわりに使われたのは、ほぼ同一の概念である「現代伝説」(contemporary legend)だったが、こちらは現在に至るまで一般化していない。
「学校の怪談」もまた、民俗学者によって一九九〇年代に大きな注目を集めたジャンルである。そもそも学校にまつわる怪談は二〇世紀初頭から記録されており、「学校の七不思議」などと呼ばれていた。たとえば、トイレに入った人に呼びかけて紙の色を選ばせる「赤い紙青い紙」やおなじみの「トイレの花子さん」は、遅くとも一九四〇年代から知られていた。また、話を聞いた人のところにやってくる霊の「カシマさん」は一九七〇年代から記録があるし、下半身がなく腕で移動する「テケテケ」や、やはり話を聞いた人のところにやってくる妖怪「ババサレ」は一九八〇年代前半から伝わっていた。ただ、いずれも初期の詳しい記録はほとんど残っていない。
一九八〇年代前半に入ると、民俗学者や民話研究者らが、同時代の人々の心性を理解するために、児童や生徒が語る怪談を積極的に収集しはじめた。また、一九八〇年代後半には、ホラー漫画雑誌や学年誌などの読者投稿を通じて、各地に同じような話が広がっていることが知られるようになってきた。さらに、一九八九年から一九九〇年初めにかけて、ウワサブームに乗ったティーン雑誌が、おじさんの顔をして人語を話すイヌの「人面犬」やトイレの花子さんなどを特集し、これが大衆雑誌に取り上げられたことで、学校の怪談は一気にメディアの注目を集めるようになった。
この波に乗って登場した児童書が、民俗学者の常光徹による『学校の怪談』(一九九〇年一一月)と、日本民話の会学校の怪談編集委員会による『学校の怪談 第一巻』(一九九一年八月)である(図5)。
どちらも研究者が直接収集した話を子ども向けに再構成したものであったが、ベストセラーになり、続編が次々と刊行されるなどして、学校の怪談は押しも押されもせぬ大ブームとなった。ブームのピークはおそらく一九九五年ごろで、映画『学校の怪談』や『トイレの花子さん』の公開、さらには民放ドラマ『木曜の怪談』のゴールデンタイム放送など、その人気は顕著だった。
都市伝説のほうは、二〇〇〇年代に入ると、お笑い芸人の関暁夫によって大きく範囲を広げるようになる。公式には認められていない隠された真実──陰謀論や超古代文明、予知予言など、「オカルト」に含められるものも「都市伝説」と呼ばれるようになったのである。またこの時期には、単に「広まっているが本当は間違っている」とされる情報や俗説なども「都市伝説」と呼ばれるようになった。このようにして「都市伝説」はブルンヴァンの当初の定義からはかけ離れたものになり、ますます民俗学者が使いづらい概念になってしまった。
学校の怪談のほうは、二〇〇〇年代に入るとブームが去ったと言われ、学校で語られる怪談それ自体が衰退していったとされることもある。だが実際のところは、単にマスコミのあいだでブームが去ったというだけのことである。『学校の怪談』シリーズは現在も版を重ねているし、一九九六年から二〇〇七年にかけては『怪談レストラン』シリーズ全五〇巻が出版され、日本で育ったZ世代の幼少期に影響を与えている。また、現場に目を向けても、児童・生徒のあいだで学校の怪談は現役である。むしろ概念が一般に定着したがゆえに、あえて話題にのぼることもなくなったのだろう。
ネット怪談の特徴
以上のような平成令和怪談文化との関係において、日本のネット怪談はどのように位置づけられるだろうか。まずネット怪談は、時期的には都市伝説や学校の怪談ブームが終わり、怪談本が恐怖体験系から実話怪談系へと移行してきたころ──二〇〇〇年代半ばに最盛期を迎えている。それではネット怪談は実話怪談のような形式が多いかというとそんなことはなく、むしろ二〇世紀後半の恐怖体験系の系譜を二一世紀に入っても受け継いでいるものが大半である(一人称、やや扇情的であるなど。挿絵はない)。ただ、恐怖体験系であっても雑誌の編集者や書籍の編者が介在することなく、当事者が投稿してコピペされていくという点は、商業媒体とは大きく異なる。当事者が投稿できるのだから、作家が取材して自分の言葉で書きなおす過程がある実話怪談の形式がネット怪談にとってはかなりの少数派であるのも納得できるだろう(知り合いの実体験を投稿するという形式が見られる程度)。
霊的な原因の特定については、ネット怪談は恐怖体験に近いところも実話怪談に近いところもある。ネットに投稿される怪談は、総体としては実話怪談のように、起きた出来事が述べられるだけのことが多いが(きさらぎ駅など)、一部には、事情に詳しい高齢者や宗教関係者が現れて、怪奇現象の正体が語られるものもある(コトリバコなど)。また、ある怪談がネット上で話題になるなかで、「地域の伝承に詳しい」と称する参加者が、本当かどうか分からない「民俗学的」な知識を提供していくこともある(くねくねなど)。知名度が高くなればなるほど共同構築的な考察も増えていくので、少数であっても、ネット怪談には因果が語られたものが多いという印象が生じるだろう 。こうした考察における地元在住の解説役の登場は、実話怪談とも恐怖体験とも異なる、二〇〇〇年代のネット怪談の特徴の一つと言える。
他方で都市伝説や学校の怪談とネット怪談との関係はといえば、都市伝説や学校の怪談として伝えられていたものを実際に確かめに行ってみる──こっくりさんや犬鳴村、杉沢村など──オステンション行為が体験談として語られるものが見られる。うわさが怪奇的な出来事のきっかけになるのである。ひとりかくれんぼのように、実際にはネットが初出であるが、都市伝説や学校の怪談などとして伝わっていると偽装することで、話に現実感を持たせようとするものもある(逆行的オステンションの一種)。
また、コトリバコやくねくねなどの有名なネット怪談は、ネット発であるということが忘れ去られ、書籍や口頭でも伝えられるなかで、新たに都市伝説の仲間に迎え入れられることがある。コピペが繰り返され、「初出は2ちゃんねるで、誰々がいつ投稿した……」などの情報が脱落してしまうのである。場合によってはスレンダーマンのように、「特定の作者による創作物が起源」というメタ情報さえ失われてしまい、重大な事件にいたることもある。
このように、ネット怪談は、昭和以来の体験談としての感覚を保ちつつも、うわさから発展したり、うわさへと変化していったりする。民俗学的な観点からは、体験談それ自体というよりも、画像も含め、さまざまな形式にまたがって広がっていくところに面白さがある。体験談自体が共同構築されていくところ、またその様子を詳細に追っていけるところもまた、興味深いものとなるだろう。
以上の民俗学的な前提を踏まえたうえで、次章からは具体的に、ネット怪談について見ていくことにしよう。
(廣田龍平『ネット怪談の民俗学』第1章 了)
※製品版では巻末注と側注を付していますが、本記事では割愛しています。
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