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【本日8/5発売】『キングの身代金〔新訳版〕』刊行記念 翻訳者・堂場瞬一インタヴュー(聞き手・文/若林踏)

警察小説の第一人者・堂場瞬一氏による新訳と再映画化で話題の警察小説の金字塔『キングの身代金〔新訳版〕』が、2024年8月5日、ハヤカワ・ミステリ文庫より刊行される。発売を記念して、翻訳を終えた堂場氏に、その心境を語ってもらった。(編集部)

※本稿は、『キングの身代金〔新訳版〕』巻末及びミステリマガジン2024年9月号に収録した原稿の再録です。

『キングの身代金〔新訳版〕』表紙

〈新訳を行った経緯〉


――エド・マクベインの『キングの身代金』を堂場さんが新訳するというニュースを最初に聞いた時、実はかなり驚きました。今回の新訳刊行はどのような経緯で決まったのでしょうか?

堂場:海外作品の翻訳については、もともと「いつかはチャレンジしてみたい」という気持ちがありました。早川書房をはじめ翻訳小説を刊行している出版社では現在、古典名作の新訳に力を入れている会社が多いです。そういう出版社でお付き合いのあるところには「いずれ翻訳に挑戦してみたいと思っていて」と何となく伝えていたところ、早川書房の編集部が「ぜひ、弊社でやりましょう!」とお声がけいただきました。流石というか、早川書房はいつも反応が素早いです(笑)。
 それはともかく、提案いただいたタイミングがちょうど六十歳を迎えた時でもありましたので「ここはひとつ何か新しいことに挑んでみよう」と、人生で初めて海外作品の翻訳に取り組むことを決めました。もちろん、そこには自分なりの翻訳ミステリ出版に対する恩返しのような思いも込めています。翻訳ミステリを読んで育ってきたという気持ちが強いので。

――新訳を行う作品は予め『キングの身代金』に決まっていたのでしょうか?

堂場:いえ、最初は編集部側から幾つか候補を出していただき、その中から最終的に私が『キングの身代金』を選びました。

編集部:弊社としては「せっかく堂場さんに翻訳してもらうのであれば、やはり造詣が深い警察小説もしくはハードボイルドをお願いしたい」という思いが強くありまして、警察小説やハードボイルドの中から選びました。

堂場:そうですね。その中にエド・マクベインが入っていたんです。自分自身が警察小説の書き手になった立場から振り返ると、やはり〈87分署〉シリーズはすべての警察小説の元祖になるわけです。ならば、ここはやはりマクベインの翻訳に挑戦してみようかと思いました。〈87分署〉シリーズからは第一作の『警官嫌い』も候補に挙がっていたのですが、最終的に『キングの身代金』を選びました。黒澤明の映画「天国と地獄」の原案になるなど日本でもメジャーな作品ですし、本作で描かれている格差の問題は現代日本にも通ずるものがあり、いまの日本の読者にも馴染みやすいだろうというのが理由です。ちなみにスパイク・リー監督による映像化(註:「High and Low」の題名で公開予定。主演はデンゼル・ワシントン)が発表されていますが、今回の新訳は映像化が発表される前に決まったものです。偶然ではありますが、その意味でもタイミングが良かったと思っています。


〈『キングの身代金』という作品の魅力〉


――堂場さんが初めて『キングの身代金』を翻訳で読んだのはいつ頃のことでしょうか?

堂場:大学生の時ですね。〈87分署〉シリーズの代表作を幾つか読んでみようと思って手に取った中に、『キングの身代金』がありました。

――今回、ご自身で翻訳されるに当たって原書で再読された時の印象はいかがでしたか?

堂場:改めて思ったのは「コンパクトな物語だな」ということです。現在、刊行される翻訳ミステリの中には重厚長大なものも多いですが、〈87分署〉シリーズの初期作品は特に引き締まっていてスマートだな、と感じました。しかも『キングの身代金』については、実は刑事たちが活発に動き回る場面はそれほど多くはない。これは刑事たちの活躍よりも、他人の子を救うために身代金を支払うべきか否かという選択を突きつけられた人間の葛藤を描きたいという意図なのでしょうけれど、それ故に警察捜査小説という観点から見ると異例な構成をしていますね。

――代表作と謳われながらも、実はシリーズ中の異色作でもあると。

堂場:はい。あとは場面転換も少ないですよね。これは〈87分署〉シリーズの研究で知られている直井明さんに以前聞いた話では、『キングの身代金』は舞台劇を前提にして書かれた作品らしいと。そういう影響もあって、ダイナミックに場面が動く捜査小説とは違った味わいになっているのかなと思いました。

――先ほど、『キングの身代金』を選んだ理由の一つに「格差の問題が描かれている」ことを堂場さんは挙げていらっしゃいました。確かに再読すると、そうしたテーマ性が色濃く書かれていたことに気付きます。

堂場:そうですね。自分としてはそこまで格差の話を前面に出して『キングの身代金』という作品をプッシュするつもりは無かったのですが、改めて読み返すとテーマとして結構みっちり書かれていたという印象を受けました。ただマクベインが素晴らしいのは、そうした重苦しい問題でも装飾せずシンプルに書いている点です。物語の核としては身代金を払うのか、払わないのかという、到って単純な問いが設けられているだけなんです。だけれども、物語の背景には社会が抱える格差の問題が明快に浮かび上がっている。そこがエド・マクベインという作家の美点だな、と感じました。

〈初めての小説翻訳〉


――今回、初めて小説の翻訳を手掛けたということですが、ふだんは原書で海外のミステリを読まれる機会はあるのでしょうか?

堂場:海外に出かけた際「これは面白そうだ!」と思って原書を買うことはあるのですが、多くの冊数を読みこなすのはなかなか難しいですね。自分の作品を書いたり日本語で書かれた小説を読むことだけで手一杯な状態ですので。
――そのような状況ですと、今回の翻訳がかなり苦労されたのではないでしょうか?

堂場:『キングの身代金』については一日四~六頁ほど訳し続けて、二ヶ月間くらいで仕上げました。夕方五時まで自分の小説を書いて、それから、翻訳に取り掛かるという生活サイクルでした。ただ、翻訳じたいは当初思っていたよりもスムーズにいったのかな、という気はしています。マクベインの文章は癖がないんですよね。先ほども言った通り、必要以上に飾りをしない人なんです。私も小説を書く上であまり装飾が過多な文章は書かないようにしているので、その意味でマクベインの文章とは非常に波長が合ったのではないかと思います。

――翻訳を進めていく上で特に気を使った点はありますでしょうか?

堂場:会話の部分で、なるべく古臭さを感じさせないような配慮はしました。『キングの身代金』に限らない話ですが、あるていど年数の経った翻訳文ですと女性が「ですわ」という語尾で話していたり、男性への呼びかけで「だんな」という言葉を使っていたりすることが多いですよね。でも、現在の日本ではそのような言い回しをする人はほとんどいない。ですから、そういう会話の中で使われる言葉については古さを感じないように、かつスマートな響きになるよう心がけました。

――「ここは難しいな」と感じた部分はありますか?

堂場:俗語が古いことです。これについては俗語辞典を調べても分からないものが出てきたので、非常に苦労しました。〈87分署〉シリーズのようなエンターテイメント作品の翻訳ですと、どうしても出てくる問題だとは思いますが。だからこそ名作と呼ばれるものは何十年に一度というタイミングでも構わないので、翻訳は都度アップデートされるべきだと思いますし、そうした機会に自分が関わることが出来たのは本当に幸運なことだと感じています。

〈87分署シリーズの魅力〉


――堂場さんご自身も数多の警察小説シリーズを書き続けていらっしゃいますが、警察小説の書き手としてエド・マクベインを評価した時、「ここが素晴らしい」と思う部分はどこでしょうか?

堂場:登場人物たちをさらっと書ける能力だと思います。私自身もやりがちなのですが、刑事を主人公にした警察小説に取り組むと、どうしても主人公たちのドラマを濃いものにしようとしてしまうんです。でもマクベインの場合は違う。小説の主眼はあくまでも事件の捜査を行い解決していく過程を描くことにある。特に『キングの身代金』の場合はその傾向が色濃く出ていますよね。キャラクターを重視する現代の警察小説を慣れ親しんだ読者からすると〈87分署〉シリーズの登場人物はやや類型的に見えるかもしれませんが、そのぶん物語のスピード感やスリルは現代でも魅力的に思えるはずです。

――数ある〈87分署〉シリーズの中から、『キングの身代金』以外でお薦めの作品を3つ挙げるとしたら?

堂場:まず捜査小説の基礎を築いた作品として第一作の『警官嫌い』は外せませんね。それから『クレアが死んでいる』。ハードな事件の捜査も魅力的ですが、これは刑事たちの情念が爆発するような、非常にウェットな空気感が魅力です。あともう一冊選ぶとしたら、だいぶ後期の作品ですが『でぶのオリーの原稿』でしょうか。

――おお、『でぶのオリーの原稿』は87分署の刑事ではなく88分署の変わり者刑事オリー・ウィークスが主役を務める異色作ですよね。

堂場:そうそう。これ、非常に変な作品なんですよ。その意味では警察小説の王道から少し外れたような作品も印象に残っています。

――もし今後も〈87分署〉シリーズの新訳を手掛けるとしたら、次はどの作品が良いでしょうか?

堂場:先ほど挙げた『警官嫌い』です。現実に即した捜査方法や警察組織の在り方をしっかり描いた捜査小説の祖型として、やはり『警官嫌い』は外せない作品だからです。

――マクベイン以外で翻訳に挑戦してみたい作品はありますでしょうか?

堂場:ロス・マクドナルドなど私立探偵小説の名作にはチャレンジしてみたいですね。あとはハワイを舞台にしたサーファー探偵のシリーズで個人的に気に入っている作品があるのですが、これはどこかの版元で出してくれないかなあ。もう少し時間に余裕が出来れば、もっと原書を読んで翻訳に挑む機会を増やしたいと思っています。
 
(2024年6月25日、於・堂場氏仕事場)



書誌情報
キングの身代金〔新訳版〕
エド・マクベイン(著)
堂場瞬一(訳)
ハヤカワ・ミステリ文庫

【内容紹介】
アメリカの大都市アイソラで、大会社重役ダグラス・キングの運転手の息子が誘拐された。犯人はキングの子と間違えたのだ。身代金を払えばキングは破産。しかし人道的には……一方、アイソラ市警87分署のキャレラ刑事らは犯人との交渉のためキング邸に赴くが、主人が非協力的で捜査は難航。まもなく身代金の受け渡し時刻が迫る――。警察小説の金字塔にして映画「天国と地獄」の原作が堂場瞬一の新訳で蘇る。解説/直井明

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【著者略歴】
エド・マクベイン
1926年ニューヨーク生まれ。エヴァン・ハンターなど別ペンネームを多数もつ。代表作に〈87分署〉シリーズ、〈ホープ弁護士〉シリーズがある。 1986年にアメリカ探偵作家クラブ賞巨匠賞、1998年に英国推理作家協会賞ダイヤモンド・ダガー賞を受賞している。2005年没。

【訳者略歴】
堂場瞬一

堂場瞬一氏近影

1963年生まれ。茨城県出身。青山学院大学国際政治経済学部卒業。新聞社勤務のかたわら小説を執筆し、2000年秋『8年』にて第13回小説すばる新人賞を受賞し、2001年に同作でデビュー。2013年より専業作家に。〈警視庁失踪課〉シリーズなど映像化作品多数。著書に『over the edge(オーバー・ジ・エッジ)』『under the bridge(アンダー・ザ・ブリッジ)』(以上ハヤカワ文庫)『小さき王たち』三部作『ロング・ロード 探偵・須賀大河』(早川書房)など。また熱心な海外ミステリのファンとしても知られる。


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