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火星と地球の相克を描く、永遠の青春小説。郝景芳『流浪蒼穹』(書評・仲俣暁生)

短篇「折りたたみ北京」でSF界最大の賞ヒューゴー賞を受賞した郝景芳のSF長篇『流浪蒼穹』。本欄では、仲俣暁生氏によるSFマガジン2022年6月号掲載の本作の書評を再録します。

火星と地球の相克を描く永遠の青春小説

仲俣暁生 

 青春小説としてのSFの黄金時代は遠く去ったと思い込んでいた。テクノロジーの発展が可能とする未来社会への肯定的な見通しが、それなりの困難を伴いつつも、最終的には少年少女の成長へと接続される物語──そんな物語をどうしたらいま書けるだろうか。この問いに真正面から応えてくれたのが、中国現代SFの最も期待される作家の一人、郝景芳による長篇『流浪蒼穹』である。

 地球からの独立戦争に打ち勝った後の二十二世紀の火星を舞台とする本作の主人公は、十八歳の少女ロレインだ。相互理解のために思春期に地球に送られ、五年の歳月をそこで過ごした「水星団(マーキュリー)」の若者が、火星に帰郷したところからこの物語は始まる。ロレインも地球に送られた一人だが、他のメンバーが優秀な者たちばかりであるのに対し、自分は凡庸な成績しか収めておらず、「水星団」への参加に火星総督である祖父ハンスの作為が働いていたのではないかと疑いを抱く。

 限られた資源のもとで社会を建設せざるを得ない火星では、ガラスによる都市建築から〈スタジオ〉による職業管理に至るまで、すべてがAIの統御のもと合理的に設計されている。人々は平等かつ平穏に生きることができるが、社会に流動性はない。社会変革を求めて処罰された両親の死の真相を探るため、ロレインは過去のすべての火星住民の記憶を保存した公文書館のアーカイブにアクセスする。さらに仲間とともに古い採掘船を動かし、ハンスの出生をめぐる悲劇的な事故が起きた採掘場の空を飛ぶことにも成功する。

 自由で放埒な地球文明を体験した「水星団」の若者は帰郷後の火星社会の現実に戸惑い、改革──それは「革命」とさえ呼ばれる──を求めはじめるが、年長世代は堕落した地球文明が火星社会に浸透することを恐れる。さらに急進派のなかには再び地球との戦争も辞さないとする勢力もおり、火星社会の自由化を求める運動の行方はクライマックスに達する。

 火星と地球の両文明の特徴を、著者自身はプロローグで「静粛で壮大な未来予想図」と「享楽的で野放図なカーニバル」という言葉で言い表している。だが、これを単純に二つの政治体制やイデオロギーの対立として読んでしまっては、この小説は青春小説たり得ない。そうではなく、前者は知性と創造性を、後者は心を突き動かす情熱や欲望を象徴するもの、つまり一人の人間のなかにともに存在する要素として捉えるべきだろう。

 その相克のなかで苦悩する時期こそ(いまでは死語かもしれない)「青春」という時期であり、だからこそ両者を調停する宇宙船〈マアース〉の存在が本作では大きな意味をもつ。地球からの独立が〈乳離れ=幼年期の終り〉だとすれば、本作に描かれる複雑な過程こそ、成熟に向けた火星社会の〈青春期の終り〉なのかもしれない。

〈創作〉という行為をどう捉えるかということも、本作の重要な主題の一つだ。ロレインをはじめ、火星社会の住人たちは、地球文明の文学作品をしばしば引用する。なかでもサン=テグジュペリとカミュへの言及が再三なされ、この物語の主題をいっそう浮き彫りにする。文学作品として書き残された言葉は、大いなる分断への架け橋になりうる。そのことへの著者自身の決意が感じられるからこそ、この小説は「永遠の青春小説」としての瑞々しさを湛えているのだ。

郝景芳『流浪蒼穹』
及川茜・大久保洋子=訳
解説/立原透耶 装幀/川名潤
定価3,190円(税込)

本書評はSFマガジン2022年6月号に掲載しています!


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