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【試し読み】「強制MMT」時代の必読書! ステファニー・ケルトン『財政赤字の神話』序章

2020年10月20日付の日本経済新聞朝刊に、〈「強制MMT」で黙るカナリア〉という見出しの付いた記事が掲載されました。

記事ではIMF(国際通貨基金)による「(コロナ対策のため)積極的に財政政策を活用すべき」「低金利の恩恵で高水準の債務残高は当面はリスクにならない」との言明を受けて、「「最強の番人」のお墨付きは、世界経済に事実上、MMT(現代貨幣理論)が適用されつつあるという見立てに説得力を与える」「今の苦境を乗り切るにはMMTに近い政策しか選択肢はない」と書いています。

記事の中で引用されているのが、ステファニー・ケルトン『財政赤字の神話: MMTと国民のための経済の誕生』(土方奈美訳)。MMTの旗手による全米ベストセラーで、今月6日に発売した邦訳版も即重版が決まりました。

本noteでは、本書の「序章」を全文公開します。経済に「コペルニクス的転回」をもたらす、MMTのエッセンスに触れてみてください。

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序章 バンパーステッカーの衝撃

2008年。カンザス州ローレンスの自宅から、当時経済学を教えていたミズーリ大学カンザスシティ校に向かう道すがら、目の前を走るメルセデスのSUVのバンパーに貼られたステッカーが目に入った。描かれていたのは少し猫背で立つ男の姿だ。ズボンのポケットはすべてベロンと裏返しになっている。表情は険しく深刻だ。赤と白のストライプのズボンに紺のジャケット、星柄のシルクハット。「アンクル・サム」(訳注:アメリカ政府を擬人化したキャラクター)だ。このバンパーステッカーを貼った運転手と同じように、アメリカではいまや多くの国民が、政府は完全に破綻しており、社会が直面する重大な課題に立ち向かう資金もない、と考えている。

医療、インフラ、教育、気候変動など議論のテーマが何であっても、常に同じ問いがつきまとう。「そうは言っても、どうやってその費用をまかなうんだ」と。あのバンパーステッカーは国家の財政問題、とりわけ財政赤字の大きさに対する強い不満と不安を象徴していた。あらゆる政党の政治家が財政赤字を厳しく批判してきたのだから、政府が無節操にお金を使うことに対して国民が憤るのも当然だ。実際、個人が政府のようなお金の使い方をすれば、たちまちステッカーに描かれたみじめなアンクル・サムのように無一文になってしまう。

だが国の財政が、家計のそれとは根本的に違っていたらどうか。本書を通じて、財政赤字という怪物が実在しないことを証明してみせたらどうだろう。国民と地球を最優先にする経済の実現は可能であり、資金を確保することが問題なのではないと、説得力を持って示せたらどうか。

コペルニクスとその後に続いた科学者たちは、地球が太陽の周囲をまわっているのであってその逆ではないと証明し、宇宙に対する人々の認識を変えた。財政赤字と経済との関係性についても、同じようなブレークスルーが必要だ。国民の幸福を増大させるための選択肢は、私たちが思っている以上に多い。だからそれを妨げてきた神話の正体を見きわめなければならない。

本書では私が先頭に立って提唱してきた現代貨幣理論(MMT)というレンズを用いて、このコペルニクス的転回を説明していく。ここで提示する主な主張は、アメリカ、イギリス、日本、オーストラリア、カナダなど、政府が不換通貨を独占的に発行するすべての通貨主権国に当てはまる。MMTは、財政赤字のほとんどが国民経済に有益なものであることを示し、政治と経済に対する従来の見方を一変させる。財政赤字は必要なものだ。財政赤字に対するこれまでの認識や対応は、不完全で不正確であることが多かった。私たちは均衡予算という見当違いな目標を追いかけるのではなく、主権通貨の可能性を追求しながら、豊かさがごく一部の人々に集中するのではなく幅広く共有されるような「経済の均衡」を目指すべきだ。

これまで財政という世界の中心は、納税者だと考えられてきた。それは政府には独自の資金がまったくないと考えられていたためだ。政府の活動をまかなう資金は、つまるところすべて私たち国民が拠出しなければならない、と。それに対してMMTは、あらゆる政府支出をまかなうのは納税者ではなく、通貨の発行体、すなわち政府自身であるという認識に立ち、これまでの理解を根本から覆す。本書で説明するとおり税金にはたしかに重要な目的があるが、税金が政府支出の財源であるという考えは幻想だ。

私も初めてこうした考えに触れたときには懐疑的だった。受け入れまいと抵抗したほどだ。経済学者としての修業を始めたばかりの頃は、財政・金融政策を徹底的に研究し、MMTの主張を論破しようとしていた。だがそうした研究を初めての査読付き論文として出版する頃には、自分のかつての認識が誤っていたことに気づいていた。MMTの中核となる思想は当初、突飛なものに思われたが、結局は正しかった。MMTはある意味、財政システムが本当はどのように機能するかを説明する、党派とはかかわりのない「レンズ」と言える。特定のイデオロギーや政党に依拠してはいない。むしろ経済的に何が可能かを明確にすることによって、財政的可能性が問題となって膠着しがちな政策論争をとりまく状況を一変させる。特定の政策変更が財政に及ぼす影響だけに注目するのではなく、経済と社会に及ぼす影響を広範に見る。

こうした思想を初めて提唱したのはジョン・メイナード・ケインズと同時代に生きたアバ・P・ラーナーだ。ラーナーはそれを「機能的財政論」と名づけた。財政をその働きや機能によって評価するという発想だ。重要なのは、政策がインフレの制御と完全雇用の維持に寄与し、所得や富の公平な分配につながっているかであって、毎年予算がどれだけ枠を超過したかではない。

社会の抱えるあらゆる問題は単に財政支出を増やせば解決するなどと、もちろん私は考えてはいない。予算に「財政的」制約がないからといって、政府ができること(そしてすべきこと)に「実物的」制約がないわけではない。どの国の経済にも内なる制限速度がある。それを決めるのは「実物的な生産能力」、すなわち技術の水準、土地、労働者、工場、機械などの生産要素の量と質である。経済がすでにフルスピードで走っているところに政府がさらに支出を増やそうとすれば、インフレが加速する。制約はたしかにある。しかしそれは政府の支出能力や財政赤字ではない。インフレ圧力と実体経済の資源だ。MMTは真の制約と、私たちが自らに課した誤解に基づく不必要な制約とを区別する。

みなさんもおそらく、MMTの主張を裏づけるような事態を現実世界で目の当たりにしてきたのではないだろうか。私の場合、アメリカ連邦議会上院で働いていたときがそうだった。社会保障制度の話題が持ちあがるたびに、あるいは下院議員が教育や医療への支出を増やそうと提案するたびに、政府の赤字を増やさずにどうやってそれを「まかなう」のだという反論が山のように出てきた。だがみなさんはお気づきだろうか。防衛費の拡大、銀行の救済、あるいは富裕層への減税が議論されるときには、たとえそれが財政赤字を大幅に増やすものであっても問題になったことは一度もない。政治家の票につながるなら、政府は必ず自らの優先課題に必要な資金を手当てできる。そういう仕組みなのだ。財政赤字はフランクリン・D・ルーズベルト大統領が1930年代にニューディール政策を実行する妨げにはならなかった。ジョン・F・ケネディ大統領が人類を月に送る計画を諦める理由にもならなかった。そして財政赤字を理由に議会が戦争を承認しなかったことは一度もない。

それは議会に財政権力があるからだ。議会が何かを本当にやりたいと思えば、資金は必ず手当てできる。政治家にその気があれば、今日にでも国民の生活水準を引き上げ、アメリカの長期的繁栄に不可欠な教育、技術、堅牢なインフラへの公共投資を増やすための法律を成立させることができる。財政支出をするか、しないかは政治判断だ。もちろん、あらゆる法律が経済に及ぼす影響はしっかり吟味しなければならない。しかし恣意的な財政目標や、いわゆる「財政健全化」を信奉するあまり、財政支出を制約することがあってはならない。

2008年11月に私がアンクル・サムのバンパーステッカーを目にしたのは、偶然ではないだろう。政府の資金が底をつくという時代遅れの認識が、この年に発生した金融危機で強まっていたからだ。アメリカは大恐慌以来最悪の景気後退の最中にあった。まるで国そのものが、世界の大半の国もろとも破産しかけているような雰囲気だった。サブプライムローン市場の混乱に端を発した危機はグローバルな金融市場に波及し、本格的な経済の崩壊へとつながった。その結果、アメリカでは数百万人が仕事、自宅、経営していた会社を失った。11月だけで80万人が失業した。数百万人が失業保険、フードスタンプ(生活保護者に対する食料配給券)、メディケイド(低所得者向けの医療費補助制度)などの公的支援を申請した。景気が一気に冷え込むなか税収は急減、失業者を支援するための支出は急増、その結果財政赤字は過去最大の7790億ドルに膨れ上がった。国家は完全なパニック状態に陥った。

私を含めてMMTの支持者はこれを、新たに発足するオバマ政権に大胆な政策を提案する好機ととらえた。そして議会には給与税減税、州および自治体への追加支援、政府による就業保証など、確固たる刺激策の法制化を促した。

2009年1月16日までに、アメリカの四大金融機関(訳注:JPモルガン・チェース、バンクオブアメリカ、シティグループ、ウェルズ・ファーゴ)の時価総額は半減し、雇用市場は毎月数十万人の失業者を生み出していた。1月20日、オバマ大統領はフランクリン・ルーズベルト大統領と同じように、歴史的な非常事態の下で就任式を迎えた。それから30日も経たないうちに7870億ドル規模の財政刺激策が成立した。オバマ大統領の側近のあいだでは、景気後退を長引かせないためには最低1.3兆ドルは必要であるとして、はるかに大規模な財政出動を求める声もあった。その一方、「兆」単位の支出には断固反対する者もいた。結局、大統領は腰が引けてしまった。

なぜか。こと財政政策にかけては、オバマ大統領は基本的に保守的だったからだ。周囲はさまざまな数字を提案したが、最終的には慎重であるに越したことはないと、そのなかで最も少ない数字を選んだ。経済諮問委員会の委員長を務めていたクリスティーナ・ローマーは、これほどの危機に対処するには7870億ドルという控えめな介入では力不足だと理解していた。そこで一兆ドルを超える大胆な刺激策を主張し、こう言った。「大統領、今こそ腹をくくるべきときです。状況は私たちが考えていたより厳しいのですから」。ローマーは試算に基づき、厳しさを増す不況に立ち向かうためには、1兆8000億ドル規模の対策が必要だと結論づけた。しかしハーバード大学の経済学者で、財務長官を務めたのちオバマ政権の首席経済顧問となったローレンス・サマーズはこの選択肢に反対した。サマーズも本心ではもっと大規模な刺激策の必要性を認めつつ、議会に1兆ドル近い対策を求めればバカにされると心配していた。「国民は支持しないだろうし、議会を通過することはないだろう」。のちに大統領の上級顧問となったデビッド・アクセルロッドもそれに同意した。1兆ドルを超えるような対策を打ち出したら、議会やアメリカ国民も「目をむく」と懸念したのだ。

最終的に議会が承認した7870億ドルの刺激策には、州政府や自治体の不況対策への支援、インフラや環境対策への投資、民間部門の消費や投資を促すための大幅な減税などが含まれていた。もちろん効果はあったが、まるで足りなかった。経済は縮小し、財政赤字は1兆4000億ドルを超え、オバマ大統領は赤字幅の拡大について追及を受けるようになった。2009年5月23日に《C‐SPAN》のインタビューを受けた際には、番組ホストのスティーブ・スキャリーにこう聞かれた。「わが国の資金はいつ、尽きるのですか」。大統領は答えた。「もう尽きていますよ」。こうしてバンパーにアンクル・サムのステッカーを貼ったドライバーが薄々感じていたことが、明確に肯定されたわけだ。アメリカは破産している、と。

2007年12月から2009年6月にかけての「グレート・リセッション(大不況)」は、世界中のコミュニティや家族に消えない傷を残した。アメリカの労働市場が2007年12月から2010年初頭までに失った870万人の雇用を取り戻すまでには六年以上かかった。数百万人が仕事を見つけるまでに1年以上を要した。結局、再就職できなかった人も多い。幸い仕事は見つかったものの、パートタイム、あるいは失業前より大幅に収入の低い仕事で手を打たなければならなかった人もいた。同じ時期、住宅の差し押さえ危機によって住宅資産が八兆ドル失われ、2007年から2009年にかけて630万人(子供210万人を含む)が貧困層に転落した。

議会にはもっと打つ手があったはずで、実際手を打つべきだったが、財政赤字の神話に阻まれた。失業率が9.8%という驚くべき高水準にあった2010年1月には、オバマ大統領はすでに方向転換を始めた。この月の一般教書演説では、財政刺激策からの転換を宣言した。「国中の家族が支出を抑え、困難な決断をしている。政府もそうしなければならない」と。こうしてアメリカは自ら苦境を長引かせることになった。

サンフランシスコ連邦準備銀行は金融危機とその後の弱々しい回復によって、アメリカ経済の潜在生産量は2008年から2018年にかけて最大七%減少したと評価している。この10年でアメリカが本来生産できたはずの財やサービス(そして所得)の規模と言い換えてもいい。そうなったのは雇用を守り、人々が家を失わなくても済むようにすることで、経済を支える努力が不十分だったからだ。政策対応を誤ったために、景気回復が弱く時間のかかるものとなり、それがコミュニティを蝕み、結果として国民経済は何兆ドルもの富を失うことになったのだ。サンフランシスコ連銀によると、経済成長が低迷した10年間のコストは子供も含めた国民1人あたり7万ドルに達するという。

なぜもっと優れた政策を実施しなかったのか。二大政党が対立するあまり、国家的危機によって国民と大企業の安全が脅かされていたにもかかわらず、議会が正しい選択をできなかったためだろうか。たしかに、それも一理ある。2010年には上院院内総務であったミッチ・マコーネル議員が「われわれの最大の望みは、オバマ政権が一期で終わることだ」と堂々と語っていたほどだ。しかし障害は党派政治だけではなかった。二大政党がともに数十年抱き続けてきた「財政赤字ヒステリー」のほうが、もっと重大な障害だった。

財政赤字を増やしていれば、景気回復はもっと速く力強いものとなり、数百万世帯が救われ、数兆ドルの経済損失も防げたはずだ。しかし国を動かす力を持った人々のなかで、誰ひとりとして財政赤字を増やすために戦った者はいなかった。オバマ大統領もその上級顧問たちも、さらには下院と上院のプログレッシブ(進歩派)の議員ですらそうしなかった。なぜか。みんな本当に政府の資金は尽きたと思っていたのだろうか。それともメルセデスSUVにアンクル・サムのバンパーステッカーを貼るような、良識ある有権者を怒らせるのが怖かったのだろうか。

財政赤字自体が問題だと考えているかぎり、財政赤字を使って問題を解決することはできない。現時点でアメリカ国民のほぼ半分(48%)が、財政赤字の削減が大統領と議会の最優先課題だと考えている。本書の目的は、財政赤字が問題だと考える人の数をゼロに近づけることだ。容易な試みではない。実現するには、公共政策にかかわる議論を形づくってきた神話や誤解を慎重に解きほぐしていく必要がある。

本書の最初の6章では、国家を束縛してきた財政赤字の神話を打ち砕いていく。まずは政府の収支は家計と同じように考えるべきだ、という考えから始めよう。これほど有害な神話もないからだ。実際には政府は一般家庭や民間企業とはまったく違う。それはアメリカという国家には他の経済主体にはないものがあるからだ。アメリカドルを発行する能力だ。私たち個人や企業と違い、政府は使う前にドルを確保する必要はない。払えないほどの請求書の山に埋もれることもない。破産することは絶対にない。政府が家計のように収支を管理しようとすれば、主権通貨の持てる力を活かして国民の生活を大幅に改善する機会を逸することになる。本書ではMMTを通して、政府の支出は税収や借り入れで決まるものではなく、その最大の制約はインフレであることを説明していく。

打破すべき二つめの神話は、財政赤字は支出過剰の表れだという考えだ。財政赤字は政府が「身の丈以上の支出をしている」証拠だと政治家が嘆くのをずっと聞かされてきたのだから、多くの人がそう思うのも無理はない。だがそれは誤りだ。たしかに財政赤字が政府の帳簿に記録されるのは、支出が税収を上回ったときだ。しかしそれは一面的な見方だ。MMTは単純な会計原則を使って、別の見方があることを示す。政府が国内で100ドルを使ったが、税金として回収したのは90ドルだったとしよう。差分は「政府赤字」と呼ばれる。しかし、この差分は別の見方もできる。政府赤字は誰かの「黒字」になるのだ。政府の10ドルのマイナスは、常に経済の他の部門の10ドルのプラスになる。問題は政治家が片目で世界を見ていることだ。財政赤字は見えているのに、反対側にある同額の黒字は見えていない。さらに多くの国民にも後者は見えていないため、損をするのは自分たちなのに財政均衡への努力を支持する。政府がお金を使いすぎることも、財政赤字が大きくなりすぎることもありうる。しかし支出過剰の証拠となるのはインフレであり、財政赤字は大きすぎるより小さすぎるケースがほとんどだ。

三つめは、財政赤字は将来世代への負担である、という神話だ。政治家はこの話が大好きだ。赤字を垂れ流すのは子や孫にツケをまわすことであり、彼らに悲惨な暮らしを強いることになる、と。これを最も声高に唱えた一人がロナルド・レーガン大統領だった。しかしバーニー・サンダース上院議員さえも「財政赤字については懸念している。われわれの子供たち、孫たちに残すべきものではない」と、レーガンと同じような主張をしている。

レトリックとしてはインパクト大だが、経済学的には筋が通らない。それは歴史が証明している。政府債務の対国内総生産(GDP)比率が最も高かった(120%)のは、第二次世界大戦直後だ。しかし、これはまさに中産階級が生まれ、世帯の実質平均所得が急増した時期でもあり、次の世代は高い税率に悩まされることもなく、生活水準は高まった。財政赤字が未来の世代に財政的重荷を押しつけることはない。赤字を増やすことで未来世代が貧しくなるわけではなく、逆に赤字を減らせば彼らが豊かになるわけでもない。

本書で取り上げる四つめの神話は、財政赤字は民間投資のクラウディングアウト(押し出し)につながり、長期的成長を損なうという考えだ。この説を主に流しているのは、もう少し分別のありそうな主流派経済学者や政策の専門家だ。これは政府が赤字を出すと、預金という限られた原資を民間の借り手と奪い合うことになるという誤った想定に基づいている。本来であれば民間部門の投資にまわされ、長期的成長を促すはずだった資金の一部が、国の借り入れに取られてしまうという主張だ。本書では現実はまさにその逆で、財政赤字はむしろ民間部門の貯蓄を増やし、民間投資を呼び込む(クラウドイン)効果もあることを見ていく。

五つめの神話は、財政赤字によってアメリカの諸外国への依存度が高まる、という主張だ。中国や日本が大量の米国債を保有すると、アメリカに対して途方もない影響力を持つようになる──本当だろうか? これは政治家が切実に資金を必要としている公的事業を無視する方便として、意識的あるいは無意識的に広めている作り話だ。他国のクレジットカードを無責任に使うようなものだ、という比喩で語られることもある。この主張はドルを発行するのは中国ではない、という事実を見過ごしている。ドルの発行体はアメリカだ。アメリカは中国から借金をしているというより、中国にドルを供給し、それを米国財務省証券という金利収入も得られる安全な資産と交換する選択肢を与えていると見るべきだ。そこにはリスクもなければ害もない。アメリカにその意思があれば、キーボードを叩くだけで即座に債務を返済できる。財政赤字によってアメリカの未来を抵当に入れることになるという見方も、主権通貨の仕組みに対する無理解、あるいは政治目的に基づく意識的歪曲の表れだ。

本書で検討する六つめの神話は、政府の給付金制度が長期的に財政危機を招くという説だ。社会保障制度、メディケア(高齢者と障害者向けの公的医療制度)やメディケイドなどが諸悪の根源とされる。このような考え方のどこが誤っているのか、説明していく。社会保障給付などを削減すべき正当な理由はひとつもない。アメリカ政府は今後もずっと将来の債務を履行できるだろう。なぜなら資金が尽きることなどあり得ないからだ。政治家はこうした制度の財政負担を議論するより、幅広い国民のニーズを効果的に満たせる政策を競い合うべきだ。必要な資金はいつだって確保できる。重要なのは、資金を何に使うべきか、だ。人口動態の変化と気候変動の影響こそ、利用可能な資源を圧迫するおそれがある真の脅威だ。実物資源を管理し、ベビーブーム世代が退職年齢を迎えるなかで持続可能な生産方法を確立するために、できることはすべてしなければならない。しかしこと給付金制度については、現在の退職者や今後退職する世代への約束を果たすための財源は常に確保できる。

この六つの神話の背後にある誤った考え方を精査し、確固たる証拠に基づいて反論したら、続いて本当に目を向けるべき危機について考えていく。その原因は財政赤字や給付金制度ではない。

アメリカの子供の21%が貧困状態にある。これはまさしく危機だ。インフラが「D+」と評価されていることも。社会の格差が南北戦争直後の「金ぴか時代」以来の深刻さにあることも。平均的労働者の実質所得が1970年代からほとんど上昇していないことも。4400万人の国民が総額1兆7000億ドルの学生ローンを抱えていることも。そして何より重大な危機は、このまま気候変動が悪化し、地球上の生命が滅びてしまうことで、「支出」する対象すらなくなってしまうことだろう。

ここに挙げたものこそが本当の危機だ。国家の赤字は危機ではない。

トランプ大統領が2017年に署名した税制法案の問題は、政府の赤字を増やしたことではない。最も支援を必要としていない層に恩恵をもたらしたことだ。それによって格差は拡大し、少数の人々がより大きな政治力、経済力を手にすることになった。MMTは、国民のニーズをまかなうのに十分な歳入を確保することが、より良い経済を実現する条件ではないと考える。富裕層への課税強化は可能だし、必要なことだ。しかしそれは富裕層の力を借りなければ必要な支出をまかなえないためではない。富裕層に課税すべき理由は、資産と所得の配分のバランスを正すため、そして民主主義の健全性を守るためだ。貧困問題を解消し、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の妻であったコレッタ・スコット・キングが求めた「政府による就業機会と生活賃金の保証」を実現するために、富裕層の貯金箱をカチ割る必要はない。必要な資源はすでに私たちの手中にある。国家が莫大な資産を持つ人々に依存しているかのような誤った印象を広めると、国家の目的を実現するうえで彼らが実際よりも重要な役割を果たすように思えてしまう。財政赤字はたいした問題ではない、慎重さなどかなぐり捨てて、ただただお金を使えばよいなどと主張するつもりはない。私が提唱している経済的枠組みは、政府にこれまで以上の「財政責任」を求めるものであって、その逆ではない。必要なのは、責任ある経済資源の配分とは何を意味するかを問い直すことだ。赤字に対する誤解によって、私たちは経済の潜在力を引き出せず、ひどく無駄にしている。

MMTは私たちに、新たな政治と経済を構想する力を与えてくれる。健全な経済学に基づき、政治的立場を超えて現状を問い直せ、と訴える。MMTが世界中の政策立案者、学者、中央銀行関係者、財務大臣、社会活動家、そして一般の人々の関心をこれほどかき立てているのはこのためだ。MMTというレンズは今とは違う社会、すなわち医療や教育、インフラへの投資をまかなうことのできる社会を思い描く力を与えてくれる。欠乏を受け入れるのではなく、機会に目を向けさせてくれる。私たちが自らを縛っている神話を克服し、財政赤字は本当は経済にとって好ましいものであることを受け入れれば、国民のニーズと公共の利益を優先する財政政策を追求することができる。自らに課した制約以外に、私たちが失うものは何もない。

アメリカは人類史上最も豊かな社会だ。しかし歴史を振り返れば、アメリカが社会保障制度や最低賃金を確立し、農村地域を電化し、政府による住宅融資機関を創設し、大規模な雇用創出プログラムに支出したのは、大恐慌が吹き荒れ国家が最も困窮していた時期だった。『オズの魔法使い』のドロシーと仲間たちのように、私たちもまやかしを見抜き、必要な力はすでに自らのうちに備わっていることを思い出す必要がある。

ちょうど本書の印刷が始まろうとしていたとき、新型コロナウイルスが猛威をふるい始めた。これはMMTの現実世界における有効性を明確に示すケースといえる。いくつもの産業が機能を停止し、雇用が失われ、景気の急激な悪化によって失業率が大恐慌以来の水準に上昇する可能性が出てきた。議会は感染症のパンデミックと経済危機に対応するため、すでに1兆ドル以上の支出を決めた。しかし、それをはるかに上回る対策が必要だ。

ウイルスの脅威が浮上する以前から1兆ドルを超える見込みだった財政赤字は、これからの数カ月で一気に3兆ドルを超える可能性が高い。歴史が参考になるとすれば、赤字拡大への不安から、財政支出を抑えて赤字を減らそうとする圧力が高まっていくだろう。それは恐ろしく悲惨な結果につながる。今、そしてこれからの数カ月にわたり、危機を抑え込むための責任ある財政政策とは、赤字支出を増やすことにほかならない。

来年はあらゆる人にとって非常に厳しい時期になる。ウイルスの封じ込めに成功し、ワクチンが容易に入手できるようになるまで、誰もが不安な状態で過ごすことになる。社会的、経済的困難を経験する人も多いだろう。国の財政についてわざわざ思い悩まなくても、心配すべきことは山ほどある。国の資金はどこから生まれるのか、なぜ通貨主権国の政府は(通貨主権を持たない国や自治体などと違って)支出を増やし、経済を救うことができるのか。今ほどこうした問題について、深い理解が求められる時期もない。

(「序章 バンパーステッカーの衝撃」了)


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