ネット階級社会

インターネットはGAFAに支配されるままなのか?『ネット階級社会』(アンドリュー・キーン著、ハヤカワ文庫)所収の水野祐氏による解説

グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンなどにより、生活は便利で快適になった。
その一方で、既存産業の破壊、個人情報流出、格差拡大といった問題が多発している。
ユーザーはサービスの代価として問題を受け入れるしかないのか。一握りの企業が主導する流れは不可避なのか。
シリコンバレーの起業家であり、作家であるアンドリュー・キーンによる『ネット階級社会──GAFAが牛耳る新世界のルール』(ハヤカワ文庫)は、こうした現在のインターネットのあり方に警鐘を鳴らし、メディアおよびIT業界で議論を呼んでいる。
ここでは、ネット以後の法律と文化に詳しい弁護士の水野祐氏による解説を掲載する。
※本書は、2017年8月に刊行した単行本『インターネットは自由を奪う』を改題・文庫化したものです。

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解説
「ぼくたちのインターネット」を

取り戻すためにできること

水野 祐(弁護士)

〝ポスト・トゥルース〟が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。 ──tofubeats(「ele-king」インタヴューより)

本書のテーマはシンプルである。どうしたら「ぼくたちのインターネット」を取り戻せるか、ということである。

インターネットによって富や権力が再分配され、多くの社会問題が解決し、自律分散化された平等な社会が来ると思われた。だが、実際には逆であり、経済・文化格差はかつてないほど広がっており、(現在の)インターネットは問題を解決するどころか、助長している。世界を根本から改善してくれると信じたインターネットというテクノロジー革命が成功していないことに、みんなもう気づき始めているんじゃないか。そう、インターネットは解決策ではないし、現在のインターネットは真のインターネットではない(本書の原題はThe Internet is not the Answerであるが、「The Internet」とされていることに注意すべきである)。政府はインターネットやそれを牛耳る巨大IT企業たち(本書で主にやり玉に挙げられるのはグーグル、アマゾン、フェイスブック、インスタグラム、ウーバー、エアービーアンドビーなど)への規制を強めるべきだ。現在のインターネットは「大失敗」であり、オープンな体裁とは裏腹の「秘密主義」であるグーグルやアマゾンなどに対して欧州議会やアメリカ合衆国議会といった政府機関が積極的に介入せよと、著者はそう主張する。

著者のアンドリュー・キーンは、ウェブ2.0の提唱者であるティム・オライリーや『CODE』などの著作においてインターネットに対する過剰な規制を警告するローレンス・レッシグに代表されるリバタリアニズムに立脚した議論に対して批判的な態度を取ってきたことで知られる(それは、本書における情報監視社会への警鐘としてベンサムの「パノプティコン」やオーウェルの「ビッグブラザー」のような引用にも見て取れる)。

それにしても、この男、口がめっぽう悪い。本書では、様々なメディアで褒めそやされている巨大IT企業やその代表者たちが罵詈雑言の対象となっている。本書の「あとがき」に記されているとおり、本書の議論は、数年前であれば、著者の言葉を借りれば「みじめな悲観主義者」あるいはノスタルジーとして片付けられていた議論だったかもしれないが、現在ではそうではない。2016年にはイギリスのEU離脱やトランプ大統領の当選など、経済・文化格差への不満が許容できないほど鬱積し、かつてないほど注目されている現在、本書はまさに読まれるべき時期に読まれるべく登場したといえる。

たしかに、インターネットの技術は通信とビジネスの仕組みを根底から変えつつあるが、富と権力の役割を変えたわけではない。著者が警告するインターネットの影響による雇用喪失、格差拡大、監視経済は前述のような社会問題と相まって多くの懸念を呼んでいる。

このことは日本でも話題を呼んだトマ・ピケティ『21世紀の資本』において、20世紀後半から21世紀にかけてのイノベーションと経済成長について暗い見通しが描かれていたことにも通じる。デジタル革命がもたらしたものは、民主化でも多様化でもなく、雇用の喪失、価値が低いコンテンツの過剰、海賊行為の横行、独占的なIT企業とそれらの企業による大規模な租税回避、エリート層と貧困層の分断なのだというピケティの主張は本書と通底する。

ポール・バラン、ビント・サーフ、ティム・バーナーズ゠リーといった「インターネットの父」たちは、意図的にインターネットを分散的な、中心のない構造に設計したが、その分散型構造は残念ながら富と権力という極めて重要な領域には及んでいない。この点について、著者は、彼らのようなインターネットの伝道師たちが、インターネットのオープンな分散型構造がそのまま社会の階層構造や格差の解消につながると夢想した点に間違いがあったとまで主張する。

こうした著者の主張が単なる悲観主義やありがちなポジショントークに陥っていないのは、彼自身がシリコンバレーの起業家だったという出自と、インターネットのビジネス、カルチャーに関する造詣の深さ、そして、文中や巻末でも出てくるシリコンバレーやインターネットの著名人たちとの交流のうえで、それでもなされているものだからであろう。著者はより良いインターネットにしていくためにあえて悪者(ヒール)を演じて「プロレス」をしかけていると見るのが本書の正しい読み方ではないかと筆者は考える。

著者の主張の多くはマニフェストまたは扇動的で、議論は精緻な裏付けを伴わない部分も多い。著者の主張に対する反論は容易だ。現在のインターネットには素晴らしい点がたくさんある。2010年に中東世界で起きた前例のない反政府デモを含む「アラブの春」と呼ばれる民主化の動きはインターネットのソーシャル化がなければ成し遂げられなかったのではないか。瞬時に大量のデータを世界中の人々とやり取りでき、以前に比べて海外との距離は飛躍的に縮まっているではないか。YouTubeやTwitterなど無名であっても才能さえあれば世界中に向けて情報発信できるではないか。ウィキペディアやLinuxといったオープンソースの経済的・文化的な貢献には価値がないというのか。等など。

しかし、これらの反論とは裏腹に、経済・文化格差や分断といったインターネットの暗部は厳然として存在する。もちろん、現在のインターネットの問題点がそのままインターネットの可能性を否定することにはならない。インターネットは日進月歩で未だ発展途上であり、問題点を改善したり、軌道修正したりできるはずだ。いや、本当にそうだろうか。現在のままで進む先に、理想的なインターネットが訪れる日はあるだろうか。抜本的に作り変える必要があるのではないか。本書は現在がこのターニングポイントにあると主張する。

私たちは、インターネットという、すでにここにある技術をどのように取り扱うべきなのだろうか。インターネットをめぐるルールはどうあるべきなのか。これは「インターネット・ガバナンス」と呼ばれ、近年盛んに議論がなされているテーマである。

「インターネット・ガバナンス」とは、「インターネットの展開と利用を形成する原則、規範、規則、意思決定手続き、ならびにプログラムを政府、民間セクター、および市民社会がそれぞれの役割において開発し適用すること」と定義されている(国連総会第二委員会、世界情報社会サミットの2005年チュニス会合におけるアジェンダ〔いわゆる「チュニス・アジェンダ」〕参照)。

著者は、解決策として、「デジタルデトックス」(ネットワークから一時的に離れること)や「スローウェブ」(テクノロジーの安息日を設置すること)、また、反グーグル的な、反フェイスブック的な製品(広告にひもづかない検索エンジンなど)を開発すること等の試みを紹介するものの、そのいずれも抜本的な解決策にならないと主張する。

では、どうするか。著者は、現在のインターネットが抱える問題の解決策は「法律と規制とを用い、インターネットの長すぎる思春期を無理やりにでも終わらせることだ」と述べる。ただし、規制は政府によるものとは限らない。オンライン海賊行為については、サービスプロバイダーやIPS、プラットフォーマーなどインターネット経済を構成する民間企業による規制が不可欠であり、ここでは政府による規制は補完的に機能する。つまり、政府、民間、ユーザーなどによる自主的な規制を織り交ぜるべきであると主張する。これはEUなどが採用している共同規制(マルチステークホルダリズム)というアプローチであり、インターネット・ガバナンスの議論において注目されている。

加えて、著者は、広告収入でサポートされる無料コンテンツへの依存、というインターネットの「原罪」が蔓延っていることや、巨大IT企業による大規模な租税回避策、ケンブリッジアナリティカ社をめぐるフェイスブックによる不正情報収集疑惑などに見られる史上稀にみる大規模なプライバシー侵害も問題視する。

さらに、ネットリンチやフィルターバブルの問題に対して、匿名での投稿を禁止することを解決策であるとする主張もある。いわゆる「忘れられる権利」の制定をはじめ、インターネット上の誤った情報の規制が解決策だとする。

これらに対しては、まず本人の同意を得るように義務付けたり、罰金を課す等、政府はもっと積極的にグーグルやアマゾン、フェイスブックといった巨大インターネット企業に介入していくべきである、と主張する。そして、そのように巨大IT企業に積極的に介入する矜持を持った政治家の存在が必要だという。

ところで、本書では冒頭から繰り返し登場する言葉がある。ウィンストン・チャーチルによる「われわれが建物の形を決める。しかるのちに建物がわれわれを形づくる」という言葉と、マーシャル・マクルーハンによる「われわれがツールの形を決め、しかるのちにツールがわれわれを形づくる」という言葉である。これらの言葉は、今で言うとインターネット・ガバナンスにおけるアーキテクチャ論に集約される。インターネット・ガバナンスに関するアーキテクチャ論のすべてをここで紹介することはできないが、本書でも触れられている米国の法哲学者キャス・サンスティーンらによるリバタリアン・パターナリズムもその一つであり、デフォルトの選択肢(選択アーキテクチャ)を上手に制度設計することでユーザーや消費者をうまく誘導する「ナッジ理論」などが唱えられている。著者に言わせれば、リバタリアン・パターナリズムあるいはナッジ〔よい選択をしてもらうために「軽く背中を押す」意〕の議論は、19世紀にベンサム派とミル派との間で行われた政府による操作と個人の権利をめぐる議論の再来であり、目新しいものではないという。

また、EUが主導する競争法的なアプローチも注目を集めている。これまでは、オンライン市場では、伝統的な意味での参入障壁は低く、政府や競争当局の介入の必要性が低いと考えられてきた。多くの時間やコストをかけなくても参入が可能であること、IT分野は成長速度が早く、市場シェアの中長期的な維持が難しいこと、オープンソースや公開されている情報も多く、技術的な参入障壁が低いこと、等がその根拠になっている。リバタリアンの主張もこのようなものであろう。

しかし、一方で、無料でサービスが展開されていると、新規事業者が価格戦略を用いることができず、参入障壁が低くならないという新しい問題が指摘されている(庄司克宏編『インターネットの自由と不自由──ルールの視点から読み解く』)。これはまだあまり認識されていないが、グーグルが様々なサービスを無料で提供することでその市場を「破壊」していく一方で、破壊後の市場には単純な価格競争の手法では新規参入が難しいことは理解しやすいだろう。もちろん、この場合、グーグルが無料提供しているサービスを前提とした新しいサービスにより参入することは可能であるが、これはあくまでグーグルが用意したプラットフォームに乗ったビジネスである点で脆弱性がある。伝統的な参入障壁ではなく、このような新しい形の参入障壁にも目を配らなければならない。

このように、現在のインターネット・ガバナンスにおいては、比較的エンフォースメント手段が充実した競争法や、個人情報保護法が積極的に利用されることが増えている。しかし、これは裏を返せば、インターネットを規制する制度や規律が未整備または不十分で、適切な手段がないことから代替的に活用されているに過ぎないという評価もなされるところである。

先述のとおり、著者も政府や企業による規制に全てを委ねることはできないと言う。あるべきインターネットを取り戻すためにティム・バーナーズ゠リー卿は、ウェブの中立性と開放性を政府やインターネット企業から保護するデジタル時代の権利章典あるいは大憲章(マグナ・カルタ)の策定が解決策だとするが、著者はこれを理想主義であると切って捨てる。その一方で、もっとも大事なことはインターネット企業のエリートたちがその社会的地位に見合ったノブレス・オブリージュや説明責任をしっかり負うことだと主張する。

著者は、「われわれが本当に必要としているのはインターネット権利章典ではなく、ネットワーク社会のありとあらゆる構成員のために新しい社会契約を成立させる非公式の義務章典なのだ」と主張する。つまり、われわれ全員がネット上で自分の行動にしっかり責任を負うことが必要なのではないかということを暗示する。

この権利章典や義務章典の内容については紙幅を多くは割かれておらず、詳細はわからない。だが、アフターインターネット時代における新しい社会契約の必要性と在り方については、2017年2月に出版された拙著『法のデザイン──創造性とイノベーションは法によって加速する』で論じている。私は創造性やイノベーションを推進するインターネットを擁護する立場(著者に言わせれば「インターネットの素晴らしさを吹聴する立場」)から、著者と異なり、政府による規制ではなく、私人ひとりひとりから始めるボトムアップ型の新しい社会契約論を提案しているが、著者が主張する社会契約との異同について考察してみるのも有意義かもしれない。

著者も本書のハードカバー版から1年後に書き記された「あとがき」において、急速に舌鋒を弱め、いまや「無規制のインターネットを改めて形づくる必要性を、多くの著名人が認識しはじめている。もはや、ネットワークそのものに市場に対する敵意が内在していた初期のころに戻ることは望めないし、望むべきではない。だが、つい最近幕を開けたインターネットの政治時代にイノベーションと規制とがうまくかみあったとき、インターネットは間違いなく21世紀のコネクテッドライフを支える素晴らしいオペレーティング・システムになれるのである」と結ぶ(本書での悪舌からするとやや拍子抜けするような末尾ではあるが、このあたりからも筆者はあえてプロレスをしかけていると見るべきであろう)。

最後に、本書ではほとんど言及はないが、いかにインターネットの自律分散性を取り戻すかについては、本書の登場後に注目されたビットコインやブロックチェーン技術(正確には分散台帳システム〔Distributed Ledger Technology〕)などにも触れておくべきであろう。これらの技術が注目を集めているのは、技術的な便益というよりも、むしろ思想的にこのインターネットの分散型構造を補完する役割に期待されているからに他ならないからである。

本書の内容には、国際的な覇権争いの面もある。EUは著者の見解と同様に、巨大IT企業を擁する米国に対する対抗の手段として、競争法や個人情報保護・プライバシーの観点から介入を強めている。特に、2016年4月に制定され、2018年6月から施行されたEUの一般データ保護規則(General Data Protection Regulation、略して「GDPR」)は、本書に出てくるような米国IT企業等による大規模な個人情報・プライバシー情報の収集に対して、EU域内の個人データを保護するためにこれらの個人データを同意なしに域外に持ち出すことを原則として禁ずる、法的規制を構築し、世界中のインターネット・ビジネスに大きな実務的なインパクトを与えている。このような法制度の整備と同時に、欧州議会は「DECODE」という、個人データを保有したり、公共のためにシェアしたりするコントロールを米国IT企業から個人の手に取り戻すツールやプラットフォームを提供するプロジェクトも開始し、すでにバルセロナやアムステルダムなどにおいて実証実験を開始している。これは、EUが描く、米国企業が主導する現在のインターネットに代わる次世代のインターネットを具体的に模索するプロジェクト、その名も「NEXT GENERATION INTERNET(NGI)」(https://www.ngi.eu/)の一環でもある。NGIは「HUMAN INTERNET(人間のためのインターネット)」を標榜し、プロジェクトメンバーには本書でも登場する現在のインターネットと認識されている「WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)」の発明者ティム・バーナーズ゠リー卿も参加している。

翻って、日本はどうか。米国や巨大IT企業、そしてEUの施策の、良い意味で「いいとこ取り」、悪い意味で付和雷同したり、思考停止のまま真ん中くらいの施策を採用する、ということが行われがちであるが、この期に及んでもそれでよいのだろうか。米国やEU、そして中国の存在感も大きくなっているなかで、これらとは異なるビジョンを描き、発想をする先に、日本が取るべき未来が見えてくるのではないか。米国や巨大IT企業に対する批判的な言説がちりばめられた本書には、その発想の種となりうるものが眠っているかもしれない。

2019年1月

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◆解説者紹介
水野祐(みずの・たすく/Tasuku Mizuno)
弁護士(東京弁護士会)。Creative Commons Japan理事。Arts and Law理事。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(リーガルデザイン・ラボ)。グッドデザイン賞審査員。IT、クリエイティブ、まちづくり分野のスタートアップや大企業の新規事業、経営企画等に対するハンズオンのリーガルサービスや先端・戦略法務に従事。行政や自治体の委員、アドバイザー等も務めている。著作に『法のデザイン −創造性とイノベーションは法によって加速する』、共著に『0→1(ゼロトゥワン)を生み出す発想の極意』、『オープンデザイン参加と共創から生まれる「つくりかたの未来」』など。Twitter : @TasukuMizuno

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◆著者紹介
アンドリュー・キーン Andrew Keen
起業家・作家。17言語で出版された代表作『グーグルとウィキペディアとYouTubeに未来はあるのか?』をはじめ、デジタル革命に関して鋭く説得力ある論説を発表する論客として国際的に知られる。90年代にシリコンヴァレーでAudiocafeを起業し、音楽とウェブをつなぐ最初期の企業のひとつに成長させた。現在、輸送・人工知能・VRなどのテクノロジーの未来をめぐり、起業家や官僚、投資家らが議論を行なうサロン「FutureCast」執行役員を務める。

◆訳者略歴
中島由華(なかじま・ゆか)
翻訳家。訳書に、フリーランド『グローバル・スーパーリッチ』、シェンク『天才を考察する』、ハウ『クラウドソーシング』(以上早川書房刊)、P・D・スミス『都市の誕生』ほか多数。

【全国書店にて好評発売中】
ネット階級社会――GAFAが牛耳る新世界のルール
アンドリュー・キーン/中島由華訳
ISBN:9784150505363
価格:1,060円(税込)

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