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ハーバードと京大の学生が熱狂する、孔子や荘子の新しい読み方とは!? マイケル・ピュエット著『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』(6/19発売)中島隆博教授の解説を一挙公開

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ハーバード大学で人気のある講座を上位3つ、挙げてください。
マイケル・サンデル教授の政治哲学? 違います。
人気第1位は経済学入門。第2位はコンピュータサイエンス、そして第3位がピュエット教授による中国哲学です。

将来のエリートを約束されたハーバード大学の学生は、人生の一体何に悩み、何を求めて老子・孟子などの東洋の知恵に熱狂しているのでしょう?
そしてこの本は日本でも、京都大学生協で大変に売れています。2016年は総合で1位でした。2017年も、5・6月[一般書・文芸書]ランキング1位となっています。
本書は、秀才たちの常識を覆(くつがえ)した、中国の思想家の教えを明快に教授する名講義のエッセンス。ピュエット教授とも親交の深い、東京大学東洋文化研究所の中島隆博教授による解説を公開します。

解説 かのように──マイケル・ピュエットが問いかけるもの
   東京大学東洋文化研究所教授  中島隆博

1 マイケル・ピュエットの実践
「素晴らしい!」、「見事だ!」、「信じられない!」 マイケル・ピュエットのゼミにオーディット(聴講生)として参加したときに、ピュエットが発した言葉はたったこれだけであった。大学院のゼミであったので、三時間ほどの長さだっただろうか。準備されたテキストを大学院生たちが事前に精読し、いくつかの論点を取り上げ、それらについて白熱する議論を展開していた。ところが、教授としてゼミを主宰しているはずのピュエット自身はけっして語ろうとしないのである。時折、院生たちがしびれを切らしたように、ピュエットに質問をするのだが、満面の笑みをたたえながら、上述の言葉を繰り返すばかりである。しかも、ピュエットは、あたかも本当に素晴らしいと思っているかのように(「かのように」傍点)、院生の問いに向かい合っていた。
 最初のうちは、わたしも面食らって、ずいぶん風変わりな御仁であるなと思っていた。しかし、しばらくすると、院生たちの議論の面白さに引き込まれてゆき、時にはピュエットの存在自体を忘れるほどになった。そして、ついには、これもまた大変うまい授業のやり方ではないかと悟るようになったのである。
 よし、自分のゼミでもやってみよう。単純にもそう考えたわたしは、日本に帰国後、早速ピュエット式の授業をやってみた。ところが、沈黙が少し長く続くと、わたしが我慢できなかったのである。授業で教師がしゃべらないというのは、実は思った以上に難しいことであったのだ。後日、東京大学名誉教授の仏教学者である末木文美士先生とピュエットの授業のやり方にたまたま話しが及んだときに、末木先生から、昔、東京大学の倫理学教授であった相良亨先生は、「はじめます」と「おわります」しかおっしゃらなかったと伺った。重要なことは、議論の場所を作ることであって、議論をするのは学生であるべきだ、というお考えから来たとのことだ。なるほど、良い教師というのは場を作り、それを維持するということなのだと、あらためて教わった次第である。
 本書は、ピュエットの学部での講義をもとにしたものだ。大学院のゼミでは言葉をほとんど発しないピュエットであるが、学部生を相手にすると、かくも情熱的な講義をするのである。ハーバードではずいぶんと人気のある講義のようで、もう一人のマイケルであるマイケル・サンデルと並び称されるとも聞いている。しかし、そうした情熱的な講義の背後には、ゼミで見せたあの沈黙が深く横たわっているのだ。そして、それはこの本の内容それ自体とも深く関わっている。すなわち、中国哲学を通じて練り直す、かのように(「かのように」傍点)という礼の問題である。

2 ピュエットの議論の哲学的文脈
 マイケル・ピュエット(一九六四年生)は現在、ハーバード大学東アジア言語文明学部の教授(中国史担当のウォルター・コンラッド・クライン講座)である。シカゴ大学の人類学部で学び、一九九四年に博士号を取得している。指導教員はマーシャル・サーリンズであった。博士論文のリサーチのために、一九九三年から一九九四年にかけて北京大学に留学した。一九九四年からハーバード大学で教鞭を執っている。主要著作には、『創造の両義性──古代中国におけるイノベーションと作為』(スタンフォード大学出版会、二〇〇一年)、『神となる──古代中国における宇宙論、犠牲、自己神化』(ハーバード大学アジアセンター、二〇〇二年)、アダム・B・セリグマン、ロバート・P・ウェラー、マイケル・J・ピュエット、ベネット・サイモン『礼とその帰結──真摯さ[誠]の限界について』(オックスフォード大学出版局、二〇〇八年)がある。
 本書の原題は、THE PATH What Chinese Philosophers Can Teach Us About the Good Lifeであり、直訳すると『道──中国の哲学者はよき生について何を教えてくれるのか』である。道にしても、よき生あるいはよき人生にしても、いまの日本語の語感からすると、古くさくてカビの生えたものに聞こえるかもしれない。まして中国の哲学者などの議論は最初から耳に入ってこない可能性すらある。それを『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』としたのは、実に慧眼である。重要なメッセージは、まさに「人生が変わる」ことにあるからだ。
 英語では人間のことをhuman being という。この人間観が、being すなわち存在という鍵概念に拘束されていることは明らかだ。存在者としての人間、もしくは存在を問うことのできる人間等々、マルティン・ハイデガーを想起させるようなパラフレーズが、ここからは容易に展開してくる。ところが、二十世紀後半以降に問われたのは、そのような存在概念から人間を理解することが適切であったのかということであった。
 たとえば、エマニュエル・レヴィナスが挑んだのは、「存在とは他なる仕方で」人間を考え直すべきではないかという問いであった。他者という鍵概念は、同一性と結託する存在概念をどう突破するかにかかっていたのだ。あるいは、ジル・ドゥルーズのdevenir すなわち生成変化もまた、存在への対抗概念であった。人間が他なるものに変わること。これが戦後の哲学にとって、重要な問いの一つであったのだ。
 この文脈で、中国哲学もまた読み直されていった。その中でも重要なのはロジャー・エイムズの議論で、human being というよりはむしろhuman becoming として、中国の人間観を理解するというものだ。「人間は人間的になってゆく」。たとえば、その例として、孔子が発明した仁という概念を考えてみればよい。これは古代中国において革新的な考えであったが、まさに「人間は人間的になってゆく」というメッセージを体現したものであった。現代哲学の課題と古代中国哲学はこうして出会ったのである。
 ピュエットの議論も、こうした大きな文脈において理解すると、よりわかりやすいだろう。この本の鍵概念は礼であるが、その礼を実践すると「人生が変わる」。それは、自分自身が変わることで「新しい現実を作り出す」ということであり、結局は「人間は人間的になってゆく」ということにつきる。米国の学生とりわけハーバードのような大学で学ぶ若者がピュエットの議論に関心を寄せるのは、このような哲学的議論の背景からであり、存在ではなく人間的になるということに目を向けさせられるからである。

3 かのようにの礼
 ピュエットは孔子について語るときに、仁と礼とを重ねあわせて論じている。仁であることはすなわち礼を実践することなのだ。そのことが典型的に現れているのが、『論語』顔淵(がんえん)篇にある言葉だ。

 顔淵が仁について尋ねた。
 子が言う。「自己に打ち克って礼に復帰することが仁である。一日でも自己に打ち克って礼に復帰すれば、天下の人々はその仁に帰服する。仁であることは自己によるもので、他人によることではない」。

『論語』の中で、孔子は仁について様々に異なる定義をしている。そのなかでも、最も信頼していた高弟の顔淵に答えたこの定義は重要なものだ。わたしたちは通常、礼という儀礼は形式的で退屈なものだと考えている。それよりも重要なことがきっとあるはずだ、と。ところが、孔子は、つまり仁という新しい概念を発明した哲学者は、そう考えなかった。「自己に打ち克って礼に復帰すること(克己復礼)」、すなわち形式的で退屈な礼に深く立つためには、「自己に打ち克つ」努力を重ねることが大切だと考えたのである。
 ピュエットに感心させられるのは、仁と礼の具体例の挙げ方だ。

 わたしたちは真実というものを重んじるが、実際は、親しい者同士は、しょっちゅう罪のないウソをついて新しい現実を築いている。「あなたって最高」、「心配しなくていいんだよ」、「こんなにおいしい料理、生まれてはじめてだ」などがそうだ。なかでもよく使われるのは、「愛してる」だ。口癖のようにこの台詞を交わしているカップルも、おそらく年がら年じゅう心からの愛を感じているわけではない。まずまちがいなく、時には相手に対していろいろ複雑な感情もいだくはずだ。しかし、「愛してる」と口にする礼によって、現実から離脱してどの瞬間も互いに心から愛し合っているかのようにいられる空間へ行き、二人の関係をはぐくむことには大義名分がある。カップルが〈かのように〉の愛を口にする瞬間、二人は本当に相手を愛しているのだ。(本書、六一頁)

「愛してる」。孔子もまた「仁は人を愛することだ」と述べている(『論語』顔淵篇)ので、当然と言えば当然の具体例ではあるが、それが現代の文脈に置かれると実に親近感がわいてくる。カップルが「愛してる」と言うのは、本当に愛しているかどうかを確かめ合っているのではない。それは野暮なことだ。重要なことは、本当に愛しているかのように(「かのように」傍点)「愛してる」と語ることなのだ。これが現代の礼である。その礼を実践することこそが、本当に愛していることにほかならない。
 もう一つ重要なのは、祖先祭祀である。

 孔子にとって、祖先祭祀はそれをとりおこなう人におよぼす効果という点で、おろそかにできないものだった。儀礼行為が本当に死者に影響を与えたかどうかを問うことは、まったくの的はずれだ。家族が供物を捧げる必要があったのは、祖先がそこにいるかのように(「かのように」傍点)ふるまうことで家族たちの内面に変化がもたらされるからだ。(同、五三頁)

 ここでも同様に、死んだ祖先が本当に存在しているかどうかが重要ではない。「祭ること在(いま)すがごとくし、神を祭ること神在すがごとくす」(『論語』八佾篇)というように、祖先がまるでいるかのように(「かのように」傍点)考えて、祭祀を行うことが重要なのだ。それによって、家族のあり方がよい方向に変容してゆくのである。
 それ以外にも、子どもとのごっこ遊びが具体例として引かれている。子どもたちはそれが現実ではないことをよく理解している。しかし、真剣にごっこ遊びをすることで、自らを磨き、変容させてゆくのだ。
 こうした具体例を通じて、ピュエットが強調しているのは、人間が自己を変化させ、よりよく人間的になるためには、かのように振る舞う礼の実践が不可欠だということだ。それは現実をはみ出す次元でありながらも、現実を変えていく力をもつ。礼は、決して強力な規範ではなく、日常にとどまるささやかな規範だ。しかし、それは、今日考えられうるよりましな規範なのである。
 わたしたちはここに、ハンス・ハイフィンガー『かのようにの哲学』(一九一一年)や、それに影響を受けた森鴎外『かのように』(一九一二年)のエコーを聞き取ることもできるだろう。そして、次の文章が、ピュエットの結論である。

 人生の脈絡や複雑さを凌駕(りょうが)する倫理的、道徳的な枠組みはない。あるのはわずらわしい現実世界だけで、わたしたちはそのなかで努力して自己を磨く以外ない。ありきたりの〈かのように〉の礼こそ、新しい現実を想像し、長い年月をかけて新しい世界を構築する手段だ。人生は日常にはじまり、日常にとどまる。その日常のなかでのみ、真にすばらしい世界を築きはじめることができる。(同、七八頁)

4 礼を語る倫理的文脈
 こうした主張の背景に、さきほど言及した哲学的文脈のほかに、倫理的文脈があることも指摘しておきたい。ピュエットが挑んでいるのは、プロテスタンティズムの倫理とりわけイマヌエル・カントの定言命法という強い規範である。その際念頭に置かれているのは、「人間愛からなら嘘をついてもよいという誤った権利に関して」(一七九七年)のカントである。このなかでカントは、人殺しが友人を追いかけてきて、その友人を匿った人が嘘をついてもよいかという状況でも、「あらゆる陳述において誠実(正直)であるということは、神聖で、無条件的に命令する理性命令であって、この命令は、どのような都合があろうとも、それによって制約されるものではない(『カント全集』第十六巻、理想社、一九六六年、二二〇頁)と断言していた。
 それに対して、ピュエットは孔子を持ち出して、「おそらく孔子なら、困っている友人を助けるためにできることは一つしかないと思い出させてくれる。こまやかな感覚を働かせて、友人がなにに本当に困っているのかを理解することだ」(同、七二頁)と批判する。状況に応じた倫理的判断こそが、定言的で無条件的な倫理的判断よりもずっとよいというのだ。それは、かつての神という強力な超越者に担保された倫理でもなければ、理性的な人間という神の似像に基礎づけられた倫理でもない。そうではなく、断片化された世界をなんとかつなぎ合わせようとする、弱い人間が辛うじて頼ることのできるような、弱い規範としての倫理なのだ。
 ピュエットは、礼について、それが感情を様式化する規範だということを繰り返し語っている。つまり、倫理とは神でもなく、理性でもなく、不安定な感情そして身体に基づくほかはないと述べているのだ。
 これにはすぐさま、倫理にとって不可欠な普遍性に欠けているのではないか、という批判が可能であろう。しかし、ピュエットが問うている倫理が、上からの垂直的な普遍性として与えられる大文字の倫理ではなく、下からの水平的な普遍性として育んでいく小文字の倫理だとすればどうだろうか。それは、現代での徳倫理の議論や役割倫理の議論とも重なるもので、強力な主体としての人間から始めるのではなく、他者とともにあり、他者とともに変化をしていく人間から始めるというものなのだ。ひょっとすると、それはhumanco-becoming の倫理といってもよいものかもしれない。
 このことは、ピュエットがもともと人類学を専攻していたことと深く関わっている。他者に向かう人類学は、他者の側からその視線の権力性を批判され返すようになった。クリフォード・ギアツが言う「文化戦争」が生じていたのである。ピュエットもまた、そのことには極めて敏感であった(詳細は、拙論「マイケル・ピュエット──中国哲学の現在地」、『中国──社会と文化』第三十二号、二〇一七年を参照)。ここでピュエットが選択したのは、西洋的な概念をただ当てはめることではなく、中国的な概念を洗練し、それを現代の学問的文脈でも通用するように鍛え上げる道であった。それは、インドの人類学を専門とするヴィーナ・ダスの言う「在来の理論indigenous theories」の尊重である。それは、西洋的な概念で切ってみせるのではなく、土地に根差した概念をあらたに開いていくべきだという主張である。礼という弱い規範は、このような背景から鍛え直されて登場したのである。
 その上で、ピュエットはその教育を通じて、礼を学問の現場で実践してみせる。ゼミでの沈黙は、「文化戦争」に至るような垂直的な人間関係(人類学者とその対象、教師と学生)を変容させて、「在来の理論」を尊重する新しい現実を作り上げようとするものであったのだ。
 そうであるならば、ピュエットが問いかけるものは、日本の読者にとっても極めて重要な意味を持つことがわかるだろう。「在来の理論」の可能性を丁寧に追求することが、今日の学問の最前線で問われている以上、日本がこれまで積み重ねてきた、中国哲学の諸概念の洗練もまた新たな光を当てられるからである。礼を通じて、人間が人間的になってゆく。日本の読者は、さて、どのように応答するのだろうか。


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