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クルーグマン 、ゾンビに噛みつく!『ゾンビとの論争 経済学、政治、よりよい未来のための戦い』山形浩生氏解説

 2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンの最新著作、『ゾンビとの論争 経済学、政治、よりよい未来のための戦い』が発売となりました! 本書はニューヨーク・タイムズ紙で連載中の人気コラムの書籍化で、氏のコラムはマーケットを動かすほどの影響力をもつと言われています。タイトルにある「ゾンビ」はジョージ・A・ロメロ的なものでは決してなく、クルーグマンが本書で論争の相手としているのは、高所得者への減税による経済成長、または気候変動否定論などの主張を繰り返す米保守派のこと。クルーグマンはこれらの主張をすでに亡びた「ゾンビ思想」として過激に批判しながら、アメリカやEUなどの先進国における経済情勢と社会保障制度の問題点について理論とデータを交えながら徹底解説します。
 本稿では、本書の訳者である山形浩生氏の解説を全文公開します。この文章からクルーグマンの知性と情熱を感じていただければ、最新著作『ゾンビとの論争』を手に取ってみたくなるはず!

ゾンビとの論争

      『ゾンビとの論争』解説

 本書はPaul Krugman, Arguing with Zombies: Economics, Politics, and the Fight for a Better Future (2020, W. W. Norton) の全訳となる。翻訳にあたっては、出版社からの最終ゲラPDFを利用した。

1.本書の概要:共和党批判の『ニューヨーク・タイムズ』コラム集成

 本書は基本的に彼の『ニューヨーク・タイムズ』連載コラムと、その関連ブログの記事をまとめたものとなる。彼がその連載を始めてからずいぶん経つ。当時ブッシュジュニアだったアメリカ大統領は、その後バラク・オバマを経て、いまやドナルド・トランプ。その間の様々な政治課題にあわせた
各種のコラムを集めているけれど、そのほとんどについての共通テーマは、共和党下げ、ということになる。
 『ニューヨーク・タイムズ』のクルーグマンコラムは、この点で昔から揶揄する声が絶えなかった。アメリカの定番ジョークに「切れた電球を換えるのにXXXは何人必要か」、というのがある。もともとは人種ネタジョークだが、XXXをクルーグマンにして、「1人。ただし交換前に2時間にわたり共和党への罵倒を聞かされる」といったオチがときどき出回ったほどだ。
 そしてこの話は、ブッシュジュニア就任直後に特に顕著だった。9・11テロ以降の変な減税や景気対策、イラク侵略問題、アメリカ国内電力の自由化問題等々で、クルーグマンコラムはブッシュ政権の悪口を書きまくり、その当時はかなり嘲笑され、党派性が強すぎると批判を浴びた。この頃の話
は、『嘘つき大統領のデタラメ経済』『嘘つき大統領のアブない最終目標』(いずれも早川書房)に収録されている。
 が、ふたを開けてみると、実はクルーグマンの主張の相当部分がその通りだった。景気や減税の話も、へんな自由化や規制緩和の影響も、イラク戦争の話も。そしてその強みは、何やら政治界隈の事情通だの情報リークだのに頼らない、公開資料にもとづいた分析にあった。本書も、その路線上にあ
る本だ。

2.本書の醍醐味:理論とデータに基づく骨太な議論

  本書でも、各種のデータに基づいた話や、経済関係の理論にきちんと根差した部分はきわめて勉強になる。各種減税の影響や、リーマンショック/世界金融危機後の景気回復対策、さらにアメリカだけでなくヨーロッパにも広がる、財政緊縮至上主義の誤りなどの指摘においては、理論的な分析も、また定量的な分析においても、おおむねクルーグマンの述べた通りではあった。本書のそうした部分は、クルーグマンの面目躍如だし、日本でいまだに顔を出す、隙あらば増税しよう、歳出カットで財政収支均衡といった勢力に対する批判として十分に役立つ。
 クルーグマンの専門である貿易ネタもまた、非常に勉強になる。トランプがどうして勝手に独断で関税をかけたりできるのか、本書を読むまではこの訳者もあまりよくわかっていなかったけれど、議会での利権工作を避けるために大統領の独断が認められている、ということなんですねー。なるほど。
 また量的にかなり少ないのが残念ではあるけれど、MMTに対する批判や、ビットコインに対する疑義、さらに特にロボットやAIが仕事を奪う/奪っているという俗説に対する反論などは技術至上主義に走りがちなハイテクおたくとしては耳が痛いところではある。

3.本当に共和党だけのせいなのか?

 ただ、それ以外の部分については……読者のみなさんの関心次第ではある。正直言って、本書のコラムはアメリカのローカルな話題が相当部分を占める。アメリカの各種制度改革をめぐる政治的な立ち回りの細かい中身は、日本人としてはいま一つ興味が持ちにくい部分ではある。
 そして、あくまで外国の野次馬としての感想ながら、共和党は本当にクルーグマンが主張するように、アメリカを単なる白人金持ちだけの利権免税差別大国にしようと思っているのだろうか? トランプ当選は、本当に貧乏白人労働者がだまされ、白人優位のKKKもどきが動員されたせいだけなの
だろうか? アメリカって、ホントにそんなすごい差別屋のスクツなんですか?
 さらに民主党側の話は一切考えなくていいんだろうか。ヒラリー・クリントン敗退直後には、民主党側にかなり反省の機運はあった。本書でも格差の部分で名前が挙がる、あの『21世紀の資本』のトマ・ピケティは、最近のリベラル派(つまりはアメリカの民主党側)の低迷は、リベラル派がエリート主義になって、安易なポリコレ標語だけの自己満に陥り、本当に一般労働者を代弁しなくなったせいだと批判している。でも本書はまったくそういった話には触れない。民主党は、総得票数では上だった、だからすべては共和党の汚い工作のせいだと言わんばかり。そうなんだろうか? 二〇二〇年の大統領選挙でも、お手軽なトランプ叩きに終始するだけでいいのか……。
 とはいえ、これもブッシュ政権のときに見られたように(そして本書でも論難されているように)何やら中立を気取りたい人間の空疎な物言いにすぎないのかもしれない。数年たって、またもやクルーグマンの言うことが全部正しかった、という結果になる可能性は十分にある。さらにクルーグマンが正しかろうとまちがっていようと、しょせん、アメリカの国内問題であり、部外者があれこれ言っても仕方ないところではある。

4.気候変動対応への懐疑はすべて陰謀なのか?

 が、国内問題を超える問題として、気候変動の話がある。本書のクルーグマンは、温暖化懐疑論や壮絶な対応策を疑問視する連中をみんな、共和党の子飼いの御用学者/評論家しかいないと断じ、すべて石油ロビーとその傀儡たる共和党の陰謀なのだとする。
 でも、非常にリベラルなスティーブン・ピンカーを始め、温暖化を認めつつも、極論に基づく恫喝大災厄議論は否定し、穏健な適応策を重視する有力な論者はたくさんいる。それがみんな、石油業界に鼻薬を嗅がされているとはとても信じられない。
 ちなみに彼は温暖化議論の良心にして権威として、「あのホッケースティックグラフを考案したマイケル・マン」を挙げる。これにはいささか驚いた。マンのホッケースティックグラフというのは、最近になって地球温度が急激に跳ね上がったことを示すとされる長期のグラフだ。
 でもこのグラフは、発表当初から大きな批判にさらされてきた。というのも、過去に明らかに存在した中世温暖期や小氷河期が、まったくなかったことになっているのだ。さらに使ったデータやモデルは一切公開されておらず、あげくに批判者を訴えた裁判でもデータの提出を命じられて拒否したため、マンは敗訴している。いまはIPCCの報告書にも使われていない。温暖化の議論に関心のある人々の間で、ホッケースティックグラフは、むしろ悪いニュアンスがつきまとうように思うのだが。

5.クルーグマンのまちがいと情熱

 もちろんこれは、読者の視点でも感じ方は分かれるだろう。単にクルーグマンの言うことだからといって鵜呑みにする必要はないというだけの話だ。
 たとえば経済の話でも、トランプ政権当初、いきなり変な関税だの工場移転するなという口だしだのを始め、中国と全面対決姿勢を見せ始めたときには、みんな度肝を抜かれ、さあこれでアメリカの株も景気も急落だと騒いでいた。クルーグマンも、ちょっとでも景気下降の気配が見えると、ホラ見ろそろそろトランプもヤバいぞ、と書き続けてきた。
 が、トランプ景気はむしろ好調だった。最初は「いやこれはオバマ時代の施策の成果が遅れて効いただけだ」と弁解していたが、数年たってそこらへんはなんとなくうやむやにされているし、本書にもそうした拙速なコラムは収録されていない。
 また理論面でも、多少の変化は見られる。これは専門の貿易分野でも言える。クルーグマンはもともと、外国の安い労働力がアメリカの雇用をつぶすとか賃金水準を引き下げるといった議論がいかに素人丸出しのバカか、という解説をたくさん書いてきた。でも最近、中国の急伸とコンテナ輸送の激
増により、確かにアメリカの雇用や賃金水準に影響が出たことを認め、自分のこれまでの立場を訂正している。ただし、それは一回限りの話で、いまはもうそうした影響は止まっていると述べている(これは本書には入っていないが)。
 いずれの場合も、クルーグマンは一貫して、あまり政治的な計算なしに思ったこと、考えたことをスパッと書いてくれる。読む側としても、おかげでいちいち裏読みをする必要はない。その直情主義も含めた明解さはクルーグマンの大きな魅力だ。
 いまなお、『ニューヨーク・タイムズ』のコラムは続いている。当然ながらいまの大きな批判は、トランプ政権のコロナ対応となる。それが今後どう展開するのか、さらに二〇二〇年大統領選はどう捕らえるのか(クルーグマン一押しだったエリザベス・ウォーレンはすぐに撤退し、ジョー・バイデン候補をあまり積極的に推したい雰囲気でもなさそうなのだが、どうなのだろうか?)──次回作では、おそらくそのあたりが焦点の一つとなるだろう。そのときに、本書に収録されたコラムの評価がどうなるかも楽しみなところだ。

6.翻訳について

 本書では、クルーグマンの一人称が「ぼく」と「私」で混在している。ぼくは、クルーグマンの文体がこの長年の間に多少変わってきたように感じているので、その反映だ。おおむね、彼がノーベル賞を受賞した二〇〇七年あたりからなんとなく変えている。
 また、本書はアメリカのローカルな話題が多く、さらに執筆時点での各種話題が、説明なしにたくさん登場する。ナンシー・ペロシはだれか、AOCってどんな人か、といった具合だ。煩雑になるので、そのすべてに解説をつけることはしていない。知らないと話がまったくわからない場合と、今後
多少はニュースなどに登場しそうな人物やネタに関してのみ解説をしている。ニュート・ギングリッチが何者かというのは、多くの人にとってもはや考古学的な話でしかないだろうし、ロバート・ライアンやミッチ・マコネルがだれかといった話は、アメリカの現代政治に関心ある人は当然知っている
はずで、知ったからといって本書収録コラムの理解が深まるわけでもない。
 大きなまちがいはないものと思うが、もしお気づきの点があれば是非とも訳者までご一報を。訂正などは以下のサポートページで、随時公開する。
                  https://cruel.org/krugman/zombie/


              二〇二〇年六月 コロナ戒厳令下の東京にて
                   山形浩生 hiyori13@alum.mit.edu


ありがとうございます!今日のおすすめは『息吹』です。
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