マルドゥック_アノニマス4_帯

スリラーからノワール、そしてハードボイルドへ――マルドゥック・アノニマス書評(霜月蒼・著)

『マルドゥック・アノニマス』4巻の刊行に合わせ、「SFマガジン」2018年6月号に掲載された霜月蒼氏による『マルドゥック・アノニマス』書評(3巻刊行時)を公開します。

 冲方丁の〈マルドゥック・シリーズ〉第三作、『マルドゥック・アノニマス』が、三月に刊行された第三巻でひとつの区切りを迎えた。主人公はネズミ型の〈万能道具存在(ユニヴァーサル・アイテム)〉ウフコック。本シリ
ーズのファンにはおなじみの、愛すべき小さなヒーローである。
 だが、再会を喜ぶひまは与えられない。第一巻の開幕早々、ウフコックは動物を処分するガス室にいるからだ。なぜこんな境遇に置かれているのか。彼は悔恨を噛み締めながら、ここに至った事件を回想しはじめる。
 こうして『アノニマス』はウフコックの回想として語られはじめる。フィルム・ノワールの古典『深夜の告白』を連想させる枠組みである。文体も『スクランブル』の華麗なサイバーパンク文体とも『ヴェロシティ』の過激なクランチ文体とも異なる古典的でドライなハードボイルドの文体。そして本篇は、「事務所への依頼人の到来」というハードボイルドの古典的な開幕場面ではじまる。
『スクランブル』の事件から二年。ウフコックが勤務するイースターズ・オフィスにケネス・C・Oという若い男の証人保護の依頼が入る。彼は〈クインテット〉なる異能の殺人集団に狙われていた。ウフコックらは彼の保護に急行するが、敵の反撃によりウフコックの相棒が殺されてしまう。
 異能の殺し屋集団〈クインテット〉。彼らに禁じられた科学による強化能力(エンハンスメント)を与えて配下とする謎の男ハンター。彼らは何者かと手を組んで市の暗黒街の再編を狙っているらしかった。さまざまなモノに姿を変える能力を持つウフコックは、彼らを告発するために潜入捜査を開始する……。
 第一巻の序盤から激烈な異能バトルが連続する。あらゆるものに錆を発生させて腐食させる者、身体を水分で膨張させて衝撃を無化する者など、アイデアを惜しみなく投じて実現される異能力と、それを駆使したバトルは『ヴェロシティ』をしのぐ壮絶さだ。しかし第二巻以降の焦点は、敵を告発するためにじっと残虐行為を見つめ続けなくてはならないウフコックの苦悩にある。どんな非道が行なわれても、何もせずに感情を押さえこまなくてはならない。悪徳の傍観者/観察者でありつつ、ありうべき正義を模索する。そのウフコックの苦悩は、ハードボイルドの探偵たちの苦悩そのものだ。
 人間の尊厳と暴力の痛みを描き続けてきた本シリーズには、「茹で卵」のモチーフがちりばめられてきた。それは「ハードボイルド」という物語へのめくばせに違いあるまい。サイバーパンクな犯罪スリラーたる『スクランブル』から、絶望と渇仰のノワールたる『ヴェロシティ』を経て、個人の内部で軋みをあげる正義を問うハードボイルドたる『アノニマス』へ──。
 第三巻終盤で、ウフコックの境遇の真相がついに明かされ、文字通り「殻」をつくることで苦痛に耐えてきたウフコックの絶望が頂点に達したとき、新たな展開を予告する終幕が訪れる。この先にどんな物語が待ち受けているのかはわからない。しかしこの結末は、『ヴェロシティ』の苦痛の物語をくぐり抜け、『スクランブル』の正義の物語を経験したウフコックと仲間たちの物語が、ひとつの大河となって奔り出すことを暗示する。
『スクランブル/ヴェロシティ』は、二十一世紀に日本語で書かれた名作ミステリ(クライム・フィクション)だと私は思っている。そして『アノニマス』もそれに連なるものになると、私はすでに確信している。

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『マルドゥック・アノニマス 4』冲方丁

オフィスとクインテットの死闘の末、両陣営は多数負傷者を出し、ウフコックはハンターに拉致されてしまう。何も知らずに友人たちとの卒業旅行から帰ったバロットは、イースターからこれまでの経緯を聞き、ウフコックの奪還を決意する。善なる協力者たち、大学での新たな学び、そして楽園――考えうるすべての方法を使って。あの日、ネズミの良心に救われた少女はいつしか二十歳に近づいていた。二人の物語が再び動き出す。

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