大宇宙を継ぐ者

〈ローダンNEO〉第1巻『スターダスト』刊行記念!〈宇宙英雄ローダン・シリーズ〉第1巻『大宇宙を継ぐ者』より「スターダスト計画」冒頭試し読みvol.1

 7月20日に〈ローダンNEO〉第1巻『スターダスト』が発売となります。
〈ローダンNEO〉は、7月6日発売の『《バジス》の帰郷』にて548巻となる〈宇宙英雄ローダン〉シリーズ正篇のリブート企画。
ところで、皆さま1971年7月に刊行された〈宇宙英雄ローダン〉シリーズ正篇の第1巻『大宇宙を継ぐ者』はお読みになったことはありますか?
この度、〈ローダンNEO〉シリーズ刊行を記念して特別に『大宇宙を継ぐ者』冒頭を公開!
ぜひ新シリーズと読み比べてみてください!

〈ローダンNEO〉第1巻『スターダスト』冒頭試し読みVol.1→
〈宇宙英雄ローダン〉シリーズ正篇、第1巻『大宇宙を継ぐ者』電子書籍→

 ネヴァダ基地の中央主地下壕は同宇宙空港の電子《神経システム》で、いまは、はためにはなんのことやらわからない打ちあげ準備に忙殺されていた。あらゆる手の動き、声、計算は、とっくにきまっている最終結果をもう一度コントロールするという目的に集中している。
 船内電子装置を担当するエンジニア・チームは、ありうべきコース変更のみを使命とするアストロ電子頭脳《A》内部の無数の接続をテストする。
 スタート、段の分離、コントロール、遠隔誘導用の特殊電子頭脳《B》も点検中であった。
 電子頭脳《C》はレーダーのエコーを分析すると同時に赤外線探知による遠隔操作特殊カメラに命令を出すものだが、調子は最高だった。最終コントロール計算は小数点以下十位までぴったりだった。
 この三つの主電子頭脳は《スタートおよび誘導装置》と総称されているが、主任エンジニアのOKを得た。
 これまでの千回にもおよぶ打ちあげの際にも狂いなくおこなわれてきたことは、すべてすんだ。ただあたりの緊張がいささかニュアンスを異にしていることから、慣れた人間ならこれがふつうのロケット打ちあげではないと気がついたであろう。
 主中央地下壕北口をかためる重武装の兵たちが気のぬけた敬礼をした。三つ星を階級章につけたL・パウンダー将軍、宇宙開発コマンド司令官は、こういうときには形式にこだわらない。部下たちがしっかり部署についていることを知るだけで充分なのだ。
 予定どおりきっかり十五時に、パウンダーは地下壕の管制ステーションにはいった。参謀長モーリス大佐と計画の科学面の指導者F・レーマン教授が従っている。レーマンは一九六八年以来《カリフォルニア宇宙飛行アカデミー》の校長として知られている。
 司令部の気も遠くなるようないそがしさは、上司たちがはいってきても中断などされない。将軍が来たな、でおわりなのだ。
 姿も性格も角ばり、みずからの要求を強引に押しとおすことで部下には嘆賞され、ワシントンの国会では悪名の高いレスリー・パウンダーは、大きなコントロール・スクリーンの前に立った。
 報道関係地下壕ではまだはっきりとはわからないことが、ここのブラウン管には大きくうつっていた。
 パウンダーは回転椅子の肘かけをにぎりしめ、しばらく身動きもしなかった。レーマン教授はいらいらと縁なし眼鏡に手をやる。かれの心は燃えていた。かれの意見では、全能の長官につきそってとっくにコントロールずみの些事をもう一度点検するよりも別にしなくてはならないことがあるのだ。参謀長に目でたのんでみる。
 モーリスはめだたぬように肩をすくめた。まてということだ。パウンダーはチームの科学者よりも情報に通じているくらいだが、いくつか質問したいことがあるらしい。
「美しい。じつに美しく、力強い」パウンダーはひくくいった。大スクリーンを凝視したままで。
「われわれがやりすぎているのかどうか、どうも気にかかってしょうがないわ。当局の専門家たちはいまでも地上からの打ちあげを狂気の沙汰とみなしておる。空気抵抗を克服せねばならんだけではない。宇宙ステーションから発進すれば自然にあたえられるはずの速度にまず達しなくてはならん。秒速七・〇八キロもしくは時速二五四〇〇キロにな」
「有人宇宙ステーションの軌道速度ですが、サー」とレーマン教授はいそいでいった。
「われわれの場合、決定的とはいえません。もう一度強調したいのは、あらかじめ造っておいた部品を無重力空間で組み立てる際の困難さですな。地表上一七三〇キロでより地上の工場で宇宙船を造るほうが、ずっと簡単ですよ。その結果、一台あたり三億五千万ドル以上のコストがうきます」
「それで教授、ワシントンで多大の感銘をあたえられたものでしたな」将軍はからかった。「ま、けっこう、もはや変更はできん。これまでのテストのかがやしき結果が本日の壮挙を正当化するものと望みましょう、教授。──この宇宙船には私の最良の部下四人が乗る。もしなにかまずいことがあったら、そのときには申しあげたいことがある」
 氷の視線をうけレーマンは色をうしなった。
 賢明なる戦術家モーリス大佐は、科学的要請と軍事的利害の両戦線面を往復しっぱなしであったが、器用に割ってはいった。
「サー、記者会見の時間であります。報道界のエリートたちはいらいらしはじめているでしょうな。まだくわしい情報は流しておりませんから」
「どうしても必要なのか、モーリス?」パウンダーはしぶい顔だった。「いまはそれどころでないが」
「やはり、なさったほうが、サー」と大佐はうまくかわした。
 咳をしたのは宇宙医学のフリープス博士である。宇宙医学の問題といわゆる《本番パイロット》たちの完璧な健康状態に責任を負っている。
 パウンダーはいきなりにやりとした。
「よろしい、やろう。だがテレビでだ」
 モーリスはびっくりした。周囲のエンジニアはくすくす笑っている。これもまた将軍らしいやり方ではある。
「サー、それはまずいでしょう。連中は閣下じきじきのおいでをまっています。わたくしが約束しまして」
「それは撤回すればよろしい」パウンダーは気にもしていない。
「サー、われわれは社説で肉挽機にかけられます」参謀長はうろたえた。「閣下もごぞんじでしょうが」
「それなら、連中の頭が冷えるまでここにとめておくさ。ま、やってみよう。スイッチを入れたまえ」
 殺風景な観測地下壕でスピーカーが鳴りはじめ、スクリーン上にパウンダーの顔があらわれた。かれとしては最高の微笑をたたえて、おはようの挨拶をする。現地時間で零時をすぎたところなのだ。次の瞬間、将軍は職務どおりの顔にもどった。記者たちの苦虫をかみつぶしたような表情は気にもとめない。
 シュークリームのつくり方を説明するみたいに、事務的なしゃべり方だ。
「ジェントルメン、数分前からみなさんの地下壕のスクリーンにうつっているのが、例のロケットであります。三段にすぎないが、各部にわたって改良がくわえられている。打ちあげは約三時間後。もっか最後の準備中。四人の本番パイロットは神経をしずめるため、まだ深層睡眠中です。打ちあげ前二時間になったらおこされます」
 いまのところ記者たちはあまり関心をしめしていなかった。有人宇宙船はもはやめずらしいものではない。パウンダーの目は細くなった。自分の持ち札をたのしんでいたのだ。そしていきなりそれを出した。
「宇宙開発コマンドは、これまでの経験にかんがみ、衛星軌道上での宇宙船組み立てを断念しました。その困難と過去の失敗は周知の事実であります。つまり、最初の月着陸ロケットは直接ここからスタートします。船名はスターダスト。第一次月着陸計画の指揮官はペリー・ローダン少佐。宇宙軍の本番パイロット、三十五歳。宇宙航空士にして核物理学者。原子力ジェット機関をも専攻。ペリー・ローダンの名はごぞんじでしょう。宇宙軍で最初に月をまわったパイロットですから」
 ここでまたパウンダーは口をつぐんだ。興奮のざわめきに満足している。
 だれかが制止して、殺風景な部屋にしずけさがもどった。
「ありがとう」将軍は咳ばらいをした。「少々さわがしかったですな。いや、質問はおことわりします。打ちあげ直後にわたしの弘報将校におたずねください。わたしは示唆をさせていただくだけです。時間がありません。スターダストは選りぬきの四人を乗せてスタートします。ローダン少佐のほかに参加者はレジナルド・ブル大尉、クラーク・G・フリッパー大尉、エリック・マノリ少尉。軍事・科学両面の特別チームです。どのパイロットも最低二つの研究領域において学位を修得しております。その名はどれも知られているはずで、西側世界でも屈指のスペシャリストですな。専門的にも心理的にも補いあい、宇宙はかれらの第二の故里となっています。パイロットたちの写真その他のデータも弘報将校からおうけとりください」
 実際パウンダー将軍は、固唾をのむ視聴者をながい話でよろこばせるつもりはないらしく、もう時計をのぞいていた。
「ではジェントルメン、質問はご無用です」と大きな身ぶりで制し、「わたしからは明らかな事実を申しあげるだけ。これがすべてです。スターダストは月面に四週間滞在する装備をもっています。探検プログラムも確定していまして、無人探索機の誘導に成功している現在、危険はありません。われわれがミスをしていなかったことを神に祈るだけです。もちろんみなさんもごぞんじのことだが、地表からの打ちあげには多大のエネルギーがいる。まして最終段階が自力で月面に着陸し、また離陸しなくてはならないのですから。これまでの動力では不可能だったでしょう。すくなくともこの比較的小型の三段しかない宇宙船では」
「技術データは?」だれかがうわずった声で連絡マイクにどなった。
「それもさしあげます」将軍もどなりかえした。「船の全長九一・六メートル。第一段は三六・五メートル、第二段二四・七メートル、事実上の宇宙船となる第三段は三〇・四メートル。実用荷重をふくめ満タンの離陸重量は六八五〇トン。月着陸船の実用荷重六四・二トン。それでも月ロケットはふつうの補給船ぐらいにしか見えない。それは、第一段にしか化学液体動力がついていないからです。第二、第三段は初のこころみとして核化学動力で作動します」
 これはパウンダーの二発めの爆弾であった。思いもかけぬ瞬間に発射し、そのまま淡々とつづけた。
「第一段は最良の化学燃料で作動します。硼化水素をベースとしたNトリエチルボラザンですな。酸素は従来の硝酸により、一対四・九の混合比で反応をおこします。推力は、自然的化学量条件下の古いヒドラジンのそれにくらべ、八〇パーセント強力です。
 第一段の切り放しは、高度八八キロで時速一〇一一五キロの終局速度に達したとき、そこで落ちる。第二段は新型核化学動力をもち、高密度分子合金を使用することにより、三九二〇度の高温で作動します。新しいマイクロ反応炉の取りつけは大成功でした。プルトニウム炉です。その純粋熱エネルギーは媒体を通して熱交換室もしくは拡張室に送られる。最終的に加熱されノズルから噴出される媒体としては、ほとんど純粋な異性液体水素をもちいました。蒸発損失を避けられたので、液体水素は噴射媒体として最適なわけです。水素の極度にひくい融点をはじめ、いろいろ困難な問題を解決しなくてはなりませんでした。液体水素は摂氏マイナス二五二・七八度ですでに沸騰をはじめます。核化学ロケットエンジンは噴射速度毎秒一〇一〇二メートルですが、これは化学反応では絶対に不可能であります。くわしいデータはのちほど。わたしは本質的なことを申しあげただけ。
 ジェントルメン、スターダストは三時にスタートします。月の南極の近く、ニューコム・クレーターに着陸するはずです」

    *

 正一時にフリープス博士は眠れる四人の前に立った。鎮静剤でもう十四時間熟睡している。
 フリープスは数秒ためらってから、なにか同情を感じつつ覚醒剤を打った。それとともに思考が帰り、精神がめざめ、苦心惨憺してかれらから遠ざけておいたものが、すべて四人に襲いかかることになる。
 眠りがたりずにいらだち、精神的、肉体的につかれたパイロットは、魂のない計算機と注文の多いエンジンにとり良きパートナーではない。人間の精神は明晰でなくてはならない。最後の決定はそれにしかくだせないのだから。
 フリープス博士はまった。医学チームの人びとが周囲に待機している。むろんほかのテスト・チームも来ている。一時間はかれらに必要だろう。最後の一時間は装備エンジニアたちのもの。スタートの十分前になって、四人はスターダストにはいる。この司令センターでかれらのなすことといえば、できるだけそっと、あらゆる精神的緊張をゆるめてベッドにねているだけだ。
 スタートとともに緊張はもどる。うっかりしてはいられない。肉体と悟性は酷使される。MV鋼とプラスティックからなる怪物のせまい胎内で苦しみがはじまるのだ。
 有泡マットを敷いた四つのベッドは、やわらかな照明をあてられていた。まもなく超人的な仕事をしいられる四人にとり、最後のサービスであった。
 合衆国宇宙軍のチーフパイロット、ペリー・ローダン少佐は目をあけた。眠りはいきなり反射能力にみちた覚醒状態に移った。
「わたしが最初ですか、さめたのは?」質問というよりは確認であった。フリープス博士は指揮官の明確な反応に一〇〇パーセント満足した。これこそローダンだ!
「計画どおりにね」博士はそっとこたえた。
 深呼吸とともにゆっくりパイロットは起きあがった。だれかが高通気性のうすい毛布をのけてやる。ローダンのつけたパジャマはゆったりと裁断され、からだをしめつけるようなことはない。
 ローダンはそのパジャマのことで悪態をつき、人びとの唇に微笑がうかんだ。この異常な情況ではまことに適切な効果であった。
「博士、あなたのふくらはぎみたいに立派なのがあったら、これでも結構ですがね」ローダン一流のドライなユーモアである。かれの目には明るいきらめきがあった。だが、やせた細い顔はほとんど無表情だ。
 ごぼごぼという音にローダンはこうべをめぐらした。自分と同じくすでに月をめぐった経験をもつ腹心の《覚醒処置》を興味ぶかげにながめる。だがペリー・ローダンにとりあいかわらずの謎であったのは、どうやって赤ん坊のやわらかい肌といじめられた掃除女の手をもつこの巨漢が、せまいカプセルのなかに押しこめられたかということであった。
 天文学、数学を主専攻、物理学を副専攻とするクラーク・G・フリッパー大尉も、マンモスのように騒々しく目をさました。
「息子はもう生まれたかな?」フリッピー(フリッパーの愛称)の声がとどろく。目前にせまった打ちあげも二の次といったところらしかった。
「どうなんです、ドク? 女房を診てくれましたか?」
 フリープス博士はためいきをもらした。
「きみ、きみが奥さんを解剖学上の傑作とみなしていても、わたしの責任じゃない。とにかくあと三カ月あるんだ。それまでにまたわたしにたずねるようなことがあったら……」
「可能性はあったんでしょう?」ひげのない巨漢が口をはさんだ。「人体という数学的に不安定な構造物内部での不確定因子は数百万におよぶ。すると、まだまたなくちゃいかんのですか?」
 三人めのパイロットが、感じのいい笑い声でさめたことを知らせた。
 医師で地質学者のエリック・マノリ少尉はチーム中でもっともめだたず、ひかえめだが、おそらくもっとも沈着な人物であった。
 だまって挨拶する。かれの目もちらりと時計へ走った。もちろんのことマノリ博士は本番パイロットたちの不文律を守っている。それは簡単明瞭なものであった。
「ぎりぎり必要になるまで打ちあげのことを口にするな。お前が眠ったのは、精神と肉体をやすませるため。ただちに真剣勝負をはじめねばならんなどと考えることによって、せっかくの効果をだいなしにするな」
 ごく単純なきまりで、それまで役に立ってきたものである。
「異常ないか、エリック?」とローダン。「見たところ、そのすごいひげづら、まだ眠り薬に反応をしめしておらんようだが」
「祖先がイタリア人でしてね」マノリはうんざりした顔でうなずいた。「ブリーはどうしました? モルモットみたいに眠ってますよ」
 フリッパー大尉がねがえりを打った。その右手がどすんとあたったのは、あきらかにふとる傾向をみせている小柄の男の肩である。むっちりした肩であった。
 レジナルド・ブル大尉を知る者なら、あきれるほど弾力的なゴムボールと形容したであろう。みたところ脂肪のかたまりのようだが、それはうっかり者をあざむくみごとなカムフラージュなのだ。とにかくこの《ブリー》は、小柄で筋肉質のマノリよりも、大遠心力室での規定の一八Gによく耐えたのである。
「畜生」有泡マットの奥から声があった。そばかすだらけのたいらで大きな顔が、毛布の下からのぞきだす。ほとんど無色にちかい青の目がフリッパーをにらんだ。
「一時間前からさめてるぜ」ブリーはのそのそいった。「おれのような男には、あの眠り薬もよわすぎるさ」
「そりゃそうだな」ローダンがまじめにうなずく。ローダンに見すえられてブリーはすこし小さくなった。「きみの忍耐は賞讃にあたいする。われわれのじゃまをすまいと、エジプトのミイラみたいに息をしていたわけか」
「勲章をもらえるぞ」とフリッパーは、重いからだをベッドからずりおとした。
「なやめる者となりかけの父親がまっさきにありつくのさ」と強調して、「しかし、われわれにこれ以上なにを調べることがあるのかね?」
 そこでフリッパーはいきなり口をつぐんだ。しまったと指揮官をぬすみ見る。もうすこしで不文律に抵触するところだった。ローダンは聞きのがし、あくびをしながら必要以上に無関心な調子ではじめた。
「ドク、ベビーからどうぞ。われわれの循環器は正常と思いますが。中和注射はしばらくまって」
 ペリー・ローダンは内なる心に耳をかたむけた。意識下の奥のどこかで剌すような不安を感じていた。男たちの他愛もないおしゃべりは、みずからを落ちつかせるための心理トリック以外のものではないのだ。
 打ちあげのことはしゃべるな! 絶対に! いずれたっぷり味わうことになる……ローダンにはその点につき確信があった。核化学ロケットのガス流にまたがって突っ走るのも、慣性については通常ロケットの出発とかわるはずがない。
 とはいっても、やはりぜんぜん別のものなのだ。真の重圧はほとんどコントロールのきかない精神の深みにあらわれた。こわいのだ! それもあたりまえである。そいつを克服したやつはいない。だがこの四人だけにはそれが出来た。重要なのはそのことだけだった。
 ローダンはそっとするどい視線を走らせた。みんなオーケイのようだ。クラーク・フリッパーはちょっといらだっているかもしれない。これから生まれる子供のことを考えすぎている。ペリー・ローダン流にいけば、今回はフリッパーをおいていったところだが、慎重にかためられたチームを裂くわけにはいかない。新入りのテストパイロットをそう簡単にチームに採用はできない。とけこめないのだ。
 そこでローダンもがまんした。その他の点ではマイナス評価はないのだから。



 円形シートは最高度に完成された油圧気密室であった。これ以上居心地をよくすることは考えられない。自動水準規正装置がどんな重力変化をもすぐならしてくれる。
 最初の有人宇宙船打ちあげの際、いちばん重点をおかれたのは、パイロットを重いあつかいにくい宇宙服ごとシートにつかせることだった。安全規定のため透明窓のついた気密ヘルメットをかぶらねばならぬこともあった。
 高い加速圧の結果、ちょっとした傷害がしばしばあったのはむろんである。有人宇宙飛行史最大の事故は、衛星建設のおりに生じた。ぴっちり合っていなかった気密ヘルメットが原因で、一一・三Gのスタート加速が頸の骨を折ってしまったのである。
 ペリー・ローダンは宇宙服をつけたままスタートしたことがない。これは特別な特権で、かれはそれをチーム全員に適用させた。エンジニアたちはひやひやしていた。船の外被にわずかな亀裂があっても、爆発的な減圧がおこる。いっぺんで圧力がなくなってしまうのである。人間の血液がどれほど容易に沸騰するものか、よくわかっているのだ。
 だがローダンは充分に経験を集めていた。かれの船室は隕石に衝突されたこともなく、スタート時のメカニズムで裂けたこともなかった。
 そういうわけで四人の男は、淡褐色のぴっちりしたコンビネーションの制服のまま、円形シートに横になっていた。宇宙服はいつでもつかめるよう特殊ケースにおさまっている。こうすることによってローダンは部下たちにつらい目を免除してやったのだ。が、不可避的圧力はどうしようもなかった。
 コントロールはすみ、かれらの眼下八五メートルあたりでは、最後のエンジニアたちが待避しつつあった。第一段のひれ状支架をもう一度点検していたのである。
 核ロケット機関を主専攻、電子工学を副専攻とするブル大尉は、自分の計器の点検に時間をかけた。スタートと誘導装置をうけもつローダンはそれほどでもない。
 特殊時計の指針がつぎの数字にとびうつる。三時一分前。正三時にスタートをおこなわなくてはならない。
 ローダンはこうべをめぐらした。有泡マットのサーボ装置にくるまれているので、動きがいささかぎごちない。
「そっちはオーケイか?」とたずねる。フリッパーとマノリ博士は主シート二つの背後でやすんでいた。さしあたり仕事がないのだ。キャビンはもちろん小さく、無数のケーブル、弾力性パイプ、注意ぶかくはめこまれたケース類でせまくなっている。ここでたいていの作業はすます。この下にもうひとつせまい部屋があって、簡単な台所と医療設備がある。これ以上を四人の本番パイロットのためにさくことはむりだったのだ。二つの部屋ともとがったロケットの鼻のすぐ下にあたる。
 さらにさがると異常なまでに神経をつかって実用荷重をつめこんだ部屋になる。そこにはできるなら足を踏みいれてはならないのだ。液体水素の絶縁タンクの背後がポンプ室と予備発電機。厚い放射能防護壁が事実上《健康地区》のおわりである。そこから先には高速回転のプルトニウム原子炉、電流をつくるための転換器、そして最後に高圧コード、熱伝導パイプ、冷却装置をそなえた怪物じみた拡散室がつづく。あらかじめ蒸気化した水素がそこでむりやりに拡散されるのだ。
 スターダストに主ノズルはひとつしかない。あと四つの角度をかえられる小型ノズルは操舵用。最大出力は毎秒一〇一〇二メートルの噴射速度で一一二〇トン。
 ローダンの質問に答えたのは微笑であった。一同、秒読みのかんだかい声に耳をかたむける。前々からその単調なお経のような読み方をからかってきたものだった。これまでにいくども聞いてきて、さして興奮したことなどもなかった。
 だが、いまはちがった。核ロケットのことを考えると悪夢じみた気分におそわれた。
「……一八──一七──一六──一五……」
 ローダンはマイクを口の前に近よせ、視線を各指針にはしらせる。指針はすぐ目の前である。
「スターダストよりセンターへ」かれの声がスピーカーからひびく。それはいたる所で聞こえた。ネヴァダ基地の報道関係地下壕でも。
「船内異常なし。第一段切りはなしまで交信を中止します。以上!」
「……三──二──一──ゼロ──ファイア!」
 いつもと同じだった。宇宙船の船体がいくら防音をほどこしても一級の共鳴体であることははっきりしている。数段にわかれていたとて、どうということはない。
 はるか下方、第一段のなかでターボ・ポンプの轟音が聞こえた。やがて準備点火の断続的なうなり。それにすぐ反応物質のすさまじい爆発音がつづく。
 燃料としてのNトリエチルボラザンは酸素供給役の硝酸とまざり、第一段の四十二の大燃焼室では地獄のような化学変化がはじまった。
 白熱の焔の舌が闇を駆逐し、圧力波がひろい野づらを吹きぬけたあげく、大エンジンの轟音に吸収されてしまった。
 スターダストは半秒のくるいもなく上昇を開始した。堂々たる上昇ぶりに一瞬衝撃がはしり、上の三分の一がかたむいてひやりとさせた。巨大な宇宙船のスタートでいちばん危険な瞬間である。まだ飛んでいるとはいえぬ船体の平衡をとるべく、自動装置と動力が数秒間たたかった。
 角度をかえられる操舵燃焼室がその危機を克服したことは、誘導電子頭脳の一瞬のダイアグラムからしか見てとれなかった。
 記者たちのさけびは轟音にかきけされた。世のおわりのようだった。この音をうわまわるものは核爆発のほかにあるまい。
 地下壕中でさえ人の声は聞きわけられない。防音ヘッドフォンをつけていなければ、まったく駄目。唇が動き、手ぶりがされる。すべてが最高度の緊張をしめしていた。
 ついでスターダストはほんとうに飛びはじめた。浮きあがった直後に瞬時ためらいはしたが、巨人は急に跳躍した。突然にみずからの所属すべき元素への欲望をかりたてられたがごとくであった。
 いよいよ轟音をたかめながら、血の色にてらしだされた夜空にスターダストは吸いこまれていった。大燃焼室の紅蓮の炎はもはや排気筒では吸収できず、分子は打ちあげ台の物質に激突し、コンクリートを切りさくと空にはねかえっていった。
 二、三秒後にカメラがとらえたのは、巨船の白熱球だけであった。垂直に、いまや完全に安定をとりもどして上昇し、やがてガスの柱は弱い光点となった。それもよく晴れた星空に消えてしまう。
 スピーカーがざわめき、大スクリーンにパウンダーの顔があらわれた。
「スターダストは計画どおり三時二分にスタートしました」落ちついた声である。「異常なし。すべて順調であります。パイロットたちの通信をそちらにも流しましょう。まもなく第一段の切りはなしです。最大加速は九・三G。おしらせしておきましょう。あと三分あまりでスターダストは宇宙ステーションのレーダー圏にはいりますから、鮮明な画像でごらんになれます。第二段の切りはなしをも。もう一度確認させていただくが、ネヴァダ基地を出ていただくのは、スターダストがぶじ月面に着陸してからになります。ひとつみなさんを驚かすことがありますから。これだけです。以上!」
 微笑でしめくくった。
「第一段切りはなしまで五秒」一エンジニアの声が管制室のスピーカーから流れる。「異常なし。針路正常……二──一──コンタクト!」
 電子装置はうんざりするほどの正確さで作動した。手を動かし、指をまげる者もいない。目をこらし神経をとがらすだけ。それも、ストイックな落ちつきでまちつづける男たちとは対照的であった。
 遠隔用スピーカーから切りはなし完了のシグナルがはいった。
 レーダーのスクリーン上にいきなり二つの物体がうつしだされる。第一段回収用の副次管制ステーションが不用になったロケット部の誘導をひきうけた。
 スターダストの乗員には、《中休み》に八秒あった。その間に電子頭脳が第二段の点火準備をすすめる。
 ペリー・ローダンの声は平常どおりだった。若干ニュアンスがちがうと感じられるだけである。
「こちらローダン、針路異常なし。指針正常。震動許容限界内。乗員は第二段点火を待機。以上」
 いうことはこれだけだ。地上ステーションの科学者、技術者にはこれでたりる。
 慣性飛行でスターダストは宇宙空間へ押しはいった。ローダンが周囲にもう一度目をくばる。レジナルド・ブルはなんともないようだ。フリッパーとマノリも九・三Gをみごとに耐えた。
 さ、第二段の核ロケットの番だ。ローダンは手のひらが汗ばむのを感じたが、異常なもの音はしない。数瞬間、あたりはしずまりかえった。
 そこへいきなり衝撃があった。物質の各分子をゆさぶるようなうなりをともなって。今度も第二段ロケットが共鳴体になっているのだった。
 加速はすぐ八Gにあがる。くるしい。これを排除する手段は、まだないのだ。
 ローダンは循環系安定剤の効果をおぼえた。肉体は耐えられる。呼吸がつらいだけ。目もかすみ、指も動かせないまま、顔のすぐ上にかかるコントロール・スクリーンを見つめていた。
 永遠がすぎて、殺人的な加圧が正確に七秒間だけ一Gの正常価にもどった。おそろしく高性能な動力を計算に入れて決めた短い中休みである。
 ローダンはマイクに「異常なし!」をつぶやいた。答えはわからない。さっとかすめる光のサインを目がとらえただけ。そして第二段の第二次加速がはじまった。燃料はまだ尽きていない。
 点火後三秒で地球引力圏を脱出。速度計の針は秒速一一・五キロに近づいた。
 秒速二〇キロで第二段の燃料が切れる。切りはなしは前ぶれなしで、急に生じた無重力状態はハンマーで思いきりなぐられたように感じられた。
 四人とも上方へぐいともちあげられ、円形シートの広いベルトにからだがくいこんだ。
 ローダンは瞬時意識をうしなった。目をひらいて、ちらちらする赤いものが消えると、自分たちがとうに自由空間にはいっていることがわかった。
 四十三度の転針はすでにすんでいる。はるか後方、スクリーン上にも見えないあたりで、第二段が地上ステーションから回収コースに誘導されていた。スターダストは宇宙ステーションの軌道をとびこした。速度をゆるめぬまま地表上三二五〇キロで自由落下状態にある。
 数分間休息ができる。理論的には船の最終速度は、地球重力をかなぐりすてるのに充分なのだ。理論的には動力なしで宇宙のどんな一点へも飛べるはずなのだ。
 だが理論と実際のあいだには深淵がある。地球重力は克服はされたものの、あいかわらず存在しているのだ──宇宙船の進行をじゃましつづけるのだ。
 とにかくたんに飛びつづけるというわけにいかない。データのまだはっきりしていない操作を無数におこなわなくてはならない。わずかのコース修正だってある。理論的な速度限界内部にもちょっとした差があって、修正しなくては目標到達にあらたな障害が生じかねない。
 ローダンのシートは二つの蝶つがいで折れまがり、すわりごこちのいい椅子になった。計器盤もそれにつれて動き、目の上ではなく前におさまった。ほっとする気分であった。
 レジナルド・ブルはあまり上品といえぬ言葉をつかうことで回復し、フリッパー大尉はかわいた咳をひびかせた。その口の端に血がかたまっていた。
「ひどかったな、いつもより」ローダンがぶっきらぼうにいった。「最後のあたりは一五・四Gまでいったぞ。それで物騒な放射能帯をつきぬけたわけだ。フリッピー──どうした?」
 クラーク・G・フリッパーの顔はあおかった。いつもの赤ん坊なみの健康色が消え、かわらないのは赤毛のかがやきだけだった。
 うんざりと唇をゆがめ、うめく。
「ばかなまねをしちまった。これ以上くりかえさないうちにおりたいものだ。七Gのとき舌が歯の間にあったんです。あきれたもんだ。そういうまねはしないように、まず学生にたたきこまれるっていうのに。それをこのわたしが!……」
 肩をすぼめる。痛そうだ。ローダンの視線がさぐった。きびしい表情のかげにしのび笑いがあった。
 ブリーの磁力靴が金属の床に鳴る。奇妙な格好で平均をとっていた。スターダストのエンジンがだまっているかぎり、無重力なのだ。口をきかず、一歩一歩靴底をうちつけて、マノリまでの数歩をあゆむ。
 マノリの脈をちょっととって、安心してうなずく。
「オーケイ、じきにさめますよ。脈は時計みたいに正確だ。フリッピー、舌を見せろ。さ、口をあいて」
 赤黒い血が流れでた。ローダンは目をそらした。それはマノリ博士の仕事だ。
 指揮官が無線送話器の音量つまみを右にまわし、雑音がやっと消えたころになって、マノリ博士が意識をとりもどした。
 ローダンの耳に油圧機の音がきこえ、マノリのシートも椅子になった。と思うとマノリはもうフリッパーの横に立っていた。
 だれもよけいな言葉はしゃべらない。自分の診断を指揮官がまっていることを、マノリはよく心得ていた。
「運がよかった」と医師の声がひびく。
「噛み切ったわけじゃない。十分、いや十二分で治療します。それでいいですか?」
「けっこう。はじめてくれ。ブリー、主計算機のデータをテープにとるんだ。コントロールの計算がほしい。十二分ずらす。かわりの計算をつっこんでくれ。四分間全推力をかければうめあわせがつくと思うが」
 すぐにかれの顔が地上ステーションの大スクリーンにあらわれた。いらいらとマイクを前にしていたパウンダーが、ほっと息をもらす。
「スターダストよりネヴァダ基地へ」しっかりした声が主管制室にひびきわたった。「フリッパー大尉が軽傷。舌を噛んだのです。マノリが出血をとめ、傷はプラスターとプラズマ軟膏ですぐなおります。遅延は十二分。以上」
 パウンダーは席を立った。レーマン教授をかえりみる目がすべてを語っている。科学者はうなずく。可能だ。こうした小事故をネヴァダ基地はいつも計算に入れてある。
 電子頭脳が仕事をはじめた。数秒で修正価が出る。それが自動的に指向性特殊アンテナでスターダストに送られた。
 レジナルド・ブルの目の前でダイアグラムがかがやいた。小型ながら高性能のスターダストの計算機が受信を確認。事実上この瞬間にかねて慎重に算出された結果が無効とされ、新しい数値が電波にのって宇宙空間へ送りこまれたのだ。ほんの数秒のあいだに大がかりな準備がひっくりかえされ、まったく新たな数値におきかえられたのである。
 ブリーの指がその基本データをキイにたたきこむ。ローダンは宇宙線、その測定結果、温度、船室気圧、乗員の健康状態につき定時の報告を送った。
 マノリは十一分しか必要としなかった。フリッパーはもとどおりになった。舌の深い傷は慎重に、ちょっと見ではわからないまでにはりあわされた。
 すまなそうな目つきでフリッパーはあたりを見る。
「今度くわえるのは親ゆびにするんだな、ベイビー」ローダンがいった。「そのほうが頑丈だ」
 椅子がまたベッドにかわる。すぐにあのエンジンがうなりだした。四人ともその機能をまだ期待にみちた尊敬と本能的恐怖と神経をかきむしる好奇心のまざった気もちで見まもっていたのである。
 第二段のと同じく文句のない働きぶりをみせた核化学ロケット機関であった。
 またもやすさまじい咆哮と強い衝撃。だが二・一Gまでしかいかない。ローダンにしろだれにしろこのくらいはなんでもない。
 超高温水素ガスの噴流にまたがって、宇宙船は空間を切りさいていった。
 スタート時の困難が克服されてから、いま有人宇宙飛行の実際の問題が生じるのである。
 ローダンは規則的になったロケットの轟音に耳をすました。球型船尾のすぐ後ろの空間に、青白いガスの炎がかかっている。原子加熱された拡散室で強引に膨張させられた液体水素だ。
 原子炉はたっぷり一年動きつづける。だが噴射媒体はむだづかいできない。ストックにかぎりがあるのだ。タンクがからになって噴出させるものがなくなれば、どんな高性能の原子炉でも宝のもちぐされだ。
 重い息づかいでシートに横たわり、一定間隔をおいて地上ステーションに報告をつづけるローダンは、かくも驚異的と同時にかくも原始的なこのエンジンのことをちらと考えた。
 いまのところ、推力を得るためには噴射媒体というまわり道をとらなくてはならない。いつの日にか純粋の核ロケットをつくりだせるだろうか。光速ちかくまでを出せるエンジンを?
 ローダンは苦労して唇をゆがめた。ユーモアぬきで笑いだしたい気もちだった。レジナルド・ブルも似たようなことを考えていたらしい。いきなりぜいぜいとしゃべりだした。
「いや、まったく、小説の主人公のほうがらくだぜ。加速圧であっぷあっぷもしなければ、ご自分の舌を噛むこともない。どうだ、フリッピー? だいじょぶか? あと二、三分つづくぞ。うち五秒間は八・四Gだ。オーケイ?」
「オーケイ」巨漢は通話器で答えてきた。ヘッドフォンにそのせわしない息づかいがはいる。
「万事オーケイ。壮途についたんだなァ! 四人で。いつかおれの息子に話してやる。目をまるくするだろうよ。みがきあげた大理石のたまみたいな目を」
 疲れてフリッパーはだまりこんだ。二G以上の状態ではっきりしゃべるには、訓練と強靱な肉体が必要なのだ。かれらにはそれができた。マノリ博士だけがおしゃべりはあきらめていたが、そのおだやかな微笑は心のうちを語っていた。
 そう、かれらは壮途についたのだ。スタートは事実上完了している。これから先は、悟性とすばやい反応がものをいう。避けられない残酷な加速圧の暴力は、ほとんどこれでおわりだ。地球を後にしたのだ。海と大陸、高峰、数十億の人間をのせた地球を。
 かれらが、地表にしばりつけられた存在にたいし優越感をおぼえても当然だった。事実おぼえていた。
 ただローダンの明晰な悟性だけが、この感情の混沌界にくわわらず、だれもその目の懐疑的なきらめきに気がつかなかった。
 まだ到達してもいないのだ! 着陸もまだ、帰還へのスタートもまだ。この計画は比較的無難な月周回飛行ではなく、問題にならぬほどむずかしい月面着陸に重点があるのだ。

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著/フランク・ボルシュ 
訳/柴田さとみ 
翻訳協力/静川龍宗(クロノクラフト)
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