日本の15歳はなぜ学力が高いのか__帯付

【大反響】教師を旅へと駆り立てたのは、救えなかった少女の記憶。ルーシー・クレハン『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』第1章を特別公開〈前編〉

第1章 出発! 最高の教育システムを探す旅へ

校門の脇に座っている守衛の方へと歩きながら、気がつくと、私は頬の内側を噛んでいた。ムッとするほど暑い上海の夏のせいで、せっかくのおしゃれな靴も、中がベタベタして気持ちが悪かった。私は頭の中で、わずかに覚えてきた標準中国語を繰り返した。「我是老师【ウォシーラオシ】(私は教師です)」「我是英国人【ウォシーイングオレン】(私はイギリス人です)」「我看学校吗【ウォカンシュエジャオマ】(学校を見ていいですか)?」

授業時間帯に行って面倒をかけるようなことはしたくなかったので、私は朝早く、子どもたちが色とりどりのジャージ姿で登校する前に来たのだが、やはり守衛は思ったとおり、困った顔をして肩をすくめるだけだった。そして待った。私も待った。いかにも立ち去ってほしそうだったが、私は動かなかった。それからにっこり笑った。彼は受話器を取った。私の中国語力では、電話で何を話しているのかはわからなかったが、「見知らぬイギリス人女性が門の外に立って、学校を見たいと言っています。誰か英語の話せる人をよこしてくれませんか?」というようなことだろう。彼は受話器を置いた。私が「谢谢【シェシェ】(ありがとう)」と言うと、軽くうなずいた。

数分後、花柄のワンピースを着た小柄な女性が校庭を急ぎ足で横切って来た。その顔には好奇心と緊張がうかがえた。

「こんにちは! お騒がせしてごめんなさい。お忙しいのはわかっているのですが」

女性は笑顔になると、丁寧にうなずいてから、「どんな御用でしょう」と言った。

私は、自分がイギリスから来た教師であり、上海の子どもたちは国際テストですばらしい成績を収めているので、どんな教育をしているのか、とても興味を持っていると話した。「もしご迷惑でなければ、学校を見学させていただいて、どんなことをやっているのか学びたいのです。日を改めて、うかがってもいいでしょうか」

いきなり門前に現れるのは、その地域で学校訪問をする機会が得られなかった場合の最後の手段だった。私はすでに、上海の極貧地区の学校で一週間教え、富裕層が暮らす地域の実験校でやはり一週間、授業とインタビューと見学をしていた。そこで是非とも、自分が滞在している教師宅に近い、上海郊外の住宅密集地にある、ごく普通の地域の学校に行ってみたくなったのだ。私の計画は、教師たちと生活を共にし、生徒たちとおしゃべりをし、「ビッグデータ」では掬えない文化の機微に耳を傾けて、この中国の巨大都市の、学校システムを理解することだった。ここに来たのは、上海の一五歳児たちが、読解と数学と科学のテストで、他のどの国や地域の同年代の子どもたちよりも優れた成績を収めているからだ。私はその手法を知りたかった。

私は教師である。ロンドンの貧しい地区の総合制中等学校で、三年間教えた。そこは貧困家庭の子どもたちのための学校だった。そういう事情のせいもあって、試験の成績も軒並み低調だった。仕事はきつかった。お昼を食べる暇もない日が何日もあり、トイレに行けないときすらあった。というのも、提出されていない宿題を回収しようと生徒たちを探し回ったり、前夜の一一時半までかかって作った教材のプリントをコピーしたりしていたからだ。私は家族に愚痴をこぼしたが、本当は、そんなことは少しも気にしていなかった。当時は、教師の仕事とはそういうものだと思っていたからだ。

本当にこたえたのは、これほどがんばって仕事をしても、私が教えている子どもたちに、たいした変化をもたらせないことだった。長々とした授業計画の作成、膨大な量の採点、こまめなデータ入力など、仕事の大部分は、上から与えられた目標を達成して、いちかばちかで学校視察に合格しようとする学校側の要請によるものだった。あとに残った時間とエネルギーだけでは、生徒の多くが直面している制度上の不利を乗り越えさせることは、とてもできなかった。そんな生徒の一人、ダナは、第一〇学年科学第四グレードだった。つまりダナは当時一五歳で、八つある科学のクラスの第四クラスに属していて、二年前にこのクラスに振り分けられて以来、「職業資格」取得を目指して勉強してきた。このコースはカリキュラムをこなすことだけを主眼にしていて、その内容は、受験資格を取るためのもう一つのコースより難易度が低かった。そのため彼女は上のレベルの科学の授業を受けられなかった(だから当然、大学で科学を学ぶこともできない)。

保護者面談のとき、私はダナと母親に、この職業コースで、彼女はCグレード(訳注/中等学校修了時の統一試験〔GCSE〕でA~Cグレードを取ると、大学進学コースに進める)に匹敵するぐらいの成績を取っていると言った。母親が目を輝かせた。「すごいわ! ダナが科学が得意なのは知っていました。この子は科学の先生になりたがっているんです」ダナも微笑んで言った。「ええ、私、経験を積めるようにと思って、おばさんの学校にしばらく行かせてもらうことにしたんです」しかしイギリスの教育システムでは、この時点までに一つ上のレベルの科学の授業を受けないと、ダナが目標を達成するのは(あるいは、それに向けて勉強することさえ)、もう無理だった。しかし、こんなことにならずに済んだはずだ。もし彼女がもっと良い学校に行っていれば、もっと良い教師についていれば、もっと財産があって、もっとましな援助を受けられていれば。言い換えると、もっと良いシステムで教育を受けていれば、少なくとも目標を目指すことはできた。

私は、どうすれば教育システムがもっとうまく機能するようになるかを知りたくなった。教師がへとへとになるまで働かなくても、生徒がもっと成果をあげ、もっと良い機会を得られるようにするために、教育システムはどのようなサポートができるだろう。そこで私はその答えを海外に求めた。しかし、どの国が「うまく」やっているのか、どうすればわかるだろう。さまざまな国の教育の成果を比較する客観的な尺度があるだろうか? その教育成果は、本当に価値のあるものだろうか?

PISAをめぐる政治
 「ヨーロッパは子どもたちをダメにしている」
 「世界調査で判明、アメリカの生徒は世界に追いついていない」
 「PISAテスト──イギリスは伸び悩み、上海はトップクラス」
 「PISAの報告によれば、オーストラリアの十代の教育水準は一〇年前より低下」
 「ノルウェーは負け犬」
 「OECDの調査──フィンランドの十代は読解力一位」
 「カナダは科学テストでトップの栄冠」

三年ごとに、新聞各紙にこのような見出しが躍る。PISA(Programme for International Student Assessment)と呼ばれる国際テストの結果に言及しているのだ。このテストは読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの三分野について行なわれる。参加する国々は、一五歳児の代表サンプルとして選ばれた子どもたちにテストを受けさせる。このプログラムが始まった二〇〇〇年には、四三カ国が参加した。それから一五年、テストの知名度が上がるにつれ、参加国はどんどん増えた。二〇一五年のPISAには七一カ国が参加したが、これらの国々で世界経済の約九割を占めている。教育テストを受ける子どもの数の表現として、経済を引き合いに出すのはおかしいと思う人もいるかもしれない。しかしそれには立派な理由がある。このテストを行なっているのが経済組織、つまりOECD(経済協力開発機構)なのだ。

なぜこれほど多くの国が、このテストへの参加を決めたのだろう。この疑問には、二つの答えがある。一つはきわめて単純で、もう一つは少し皮肉だ。まず、OECDは、「義務教育の修了期にある生徒たちが、身につけた知識を実生活のさまざまな状況においてどの程度活用でき、社会の一員となるためにどの程度備えができているか」を、このテストで測定できるとしている。各国政府は、このテストで、もう一つの国際テストである国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果を補完する情報を得ることができる。TIMSSは第八学年(日本では中学二年)の生徒が、それぞれの国で学ぶ数学と理科のカリキュラムをどれだけ習得したかを測定するものであり、どの程度活用できるのかを測定するものではない。

両方の調査の結果は、科目、問題のタイプ、生徒たちの家庭事情等によって分析される。テストに参加した各国政府はそこから自国の教育システムの長所と短所がどこにあるかを見極めて、あるべき姿に向けた教育改革、能力開発、財政支援の追加などのターゲットにする。さらに、PISAは知識をたんに記憶、再生する能力ではなく、応用力を測定する目的で入念に作成されているので、PISAに参加すれば、自国の教育システムがどの程度までこれに成功しているかを確認することができる。このため、中国は二〇〇九年に上海の生徒たちを参加させることにし、二〇一二年と二〇一五年には他の数都市からも参加させた。

各国が国際テストに参加するのには、もう一つ別の、皮肉な理由がある。じつは、PISA自体が、その皮肉な理由に端を発している。PISAの構想と実施は、アメリカの共和党とフランスの社会党が手を結ぶという、めったにない事態が引き金となって始まった。当時の米大統領ロナルド・レーガンは、一九八三年の『危機に立つ国家』という、アメリカの教育に関する報告書(名前がまさにその結論を表している)の唖然とするような内容にショックを受け、国家レベルの改革を実行しようとした。しかし、教育はもっぱら自分たちの権限内の問題だと考える各州政府の抵抗に遭った。そこで彼は、教育政策を大統領の権限下に置くため、これを国際的な問題にできる方法を探した。

大西洋の向こうでは、フランスの国民教育相ジャン゠ピエール・シュヴェーヌマンが、自分の主張する教育改革の正しさを証明するために、彼がエリート主義的とみなしているフランス教育システムの欠陥を実証したいと考えていた。二人が必要としていたのは、さまざまな国の教育成果を比較できるような国際教育調査だった。彼らはその実現をOECDに持ちかけた。文化の異なる多くの国や地域を対象に、三つの分野における問題解決能力を正確に評価しようという試みは、非常に壮大な事業であり、開発には時間がかかったが、二〇〇一年、最初のPISAのテスト結果が発表された。そして世界各国の政府によって、教育改革の口実に使われた。ノルウェーでは、当時の大臣がさっそく、ノルウェーのひどい成績を教育改革遂行のためのスタートダッシュの材料として活かすと表明した。アメリカでは、PISAの結果が、連邦の「学校アカウンタビリティ(成績責任)プログラム」(別名「トップへの競争」)の正当性を示す重要な根拠として使われた。ニュージーランドでは、物議を醸していた改革を擁護するためにOECDのデータが使われたことから、これを「OECD酔い」と呼ぶ教育者もいた。

PISAの結果を改革の推進力として使うこと自体は悪いことではない。ドイツの人々は二〇〇一年に、自国の教育システムは世界一だと思っていたのに、じつは読解でも数学でも科学でも平均以下で、しかもOECD各国の中でも最も公平性を欠いた国の一つであると知った。いわゆる「PISAショック」だ。そこで教育に関する議論が巻き起こり、自己分析が行なわれ、テレビシリーズが制作された。多くの州で、科学的根拠に基づいたさまざまな改革が行なわれた結果、教育システムは改善され、PISAの成績もそれ以後一〇年以上にわたって上昇してきている。

もちろん、PISAのテストの一番のセールスポイントは、教育の特定の分野における成果が確認でき、もっと大きな成果をあげているように見える他国の教育システムから学ぶことができる点だ。政治家たちは、それこそが自分たちのやっていることだと言っている。しかし悲しいことに、それを鵜呑みにはできない。政治家でなくても誰しもそういうところはあるが、彼らはとくに、自分に都合の良い証拠だけを選びたがる。最高の成果をあげているシステムの中から、自分の腹案を援護するようなデータや特徴だけを取り上げて言及し、自分たちが提案する改革案に疑問を投げかけるような証拠は無視する。だからこそ、成果をあげている教育システムはどんなことをしているのか、データに基づいて行なわれた分析は何を提言しているのか、そういうことを、もっと多くの人たちがもっとたくさん知ることがとても重要になる。そうすれば、費用ばかりかかって効果がないかもしれない改革に政治家たちが着手する前に、待ったをかけることができる。

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後編はこちら

■著者紹介
ルーシー・クレハン(Lucy Crehan)
イギリスの教育研究者。オックスフォード大学で心理学と哲学を学ぶ。自閉症児の教育に1年間携わったのち、ロンドン・サウスウェストの中等学校で3年間教鞭を執る。ケンブリッジ大学で教育学の修士号を取得。その後、2年間にわたって世界を旅してまわり、各国の教育を実地調査した。帰国後、クラウドファンディングで資金を募り、調査の記録を本書(2016)にまとめたほか、世界各国の教師の昇進コースに関する報告書をユネスコに提出した。現在はイギリスのNPO団体「エデュケーション・ディベロップメント・トラスト」に所属し、各国政府が実施する教育改革への提言を行なう。

■著者本人による紹介動画

■日本の教育に対する著者の見解はこちら(東洋経済オンライン記事)

■苅谷剛彦氏(オックスフォード大学教授)による解説はこちら(HONZ)

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