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SFM特集:コロナ禍のいま⑦ 長谷敏司「生物相の片隅で焦土戦に参加する、あなたへ」

新型コロナウイルスが感染を拡大している情勢を鑑み、史上初めて、刊行を延期したSFマガジン6月号。同号に掲載予定だった、SF作家によるエッセイ特集「コロナ禍のいま」をnoteにて先行公開いたします。本日は長谷敏司さん、林譲治さんのエッセイを公開します。

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 今年の桜は、意外なほど長く花を留めました。春らしく芽吹く緑も、昨年と変わりはありません。
 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、現生人類に大きな被害をもたらすウイルス(SARS-CoV-2)による感染症であり、パンデミックは現生人類を除いた自然には顕著な影響を及ぼしていません。このまま人類が絶滅したら、現在提案されているところの人新世(アントロポセン)、人類というひとつの種によって支配された特殊な地質年代がその衰退によって終わったという、地球の大絶滅の歴史に一ページを加えるものになるでしょう。現時点では、まだウイルスに人類を滅ぼし切るほどの毒性はなく、対処法も知られているので、さいわいそこまではいかなそうですが。
 ただ、今回のコロナ禍が、この時代について考えさせる、大きな契機になったことは間違いありません。「なるほど。こんなふうに人類は絶滅する可能性があるのか」と、暗い実感を抱かせるニュースがあふれています。
 今回のパンデミックは、交通手段の発達と長距離移動する動機の一般化で、全体に対する局所性を失ったことで、蔓延の歯止めを失ったと言っていいと思います。だから、都市の外出禁止(ロックアウト)や、隔離、国境の封鎖が行われています。悪い例を、正確でないことをおわびしたうえでわかりやすさを求めてあえて使うと、われわれはひとつの畜舎に閉じ込められていて、そこで感染症が発生した状態です。高病原性鳥インフルエンザなどでは、防疫のために殺処分して畜舎や車両および器具を消毒しますが、地球における人間の扱いは畜獣と違っているので、環境ごと消毒する選択肢はありません。限りある地理的リソースの中で、壁を作ったり、密集しないよう無理やり距離をあけたりすることで、局所をつくってウイルスが伝播する自由度を奪って戦っています。局所を隔てる手段として、ウイルスの伝播可能な距離にある補給点(つまり人)を取り払う焦土作戦が有効なため、人類は、せまい避難所に閉じ込められて、ストレスの中で生きることになります。こうして、限られた医療リソースが崩壊しないよう日々増加するウイルス罹患者とのバランスをとりながら、集団免疫を獲得するか有効なワクチンや治療薬ができるかまで時間を稼いで、ウイルス禍が過ぎ去るのを待っています。
 この出口がまだ見えないコロナ禍ですが、ウイルスによる被害は、おそらく人新世の大絶滅の危機の第一段階です。パンデミックを食い止めるために局所を短期間で発生させる措置は、緊急事態を乗り切るために必要ですが次なる危機の火種となります。つまり、強引に突貫工事した局所の後始末という第二段階が存在します。
 それは、たとえば、あらわになった差別感情や隔意を、どう連帯へと再び向けるのかということです。医療資源をはじめとする必要物資の輸出規制のような、物流の局所管理のトラブルも、火種のひとつです。焦土作戦であるため、焦土化していない隔離された局所ごとの備蓄量によっては、飢餓が発生します。人対人で感染するウイルスですので、その蔓延の起点となった地域に責任を求めてしまうだろう、応報の壁もひとつです。ウイルスに対する焦土作戦は人間の自由度を管理・監視したほうが成功しやすいため、管理・監視を強められる体制のほうが封じ込めに成功しており、一時的にそうした社会の価値が高く見えます。コロナウイルス収束後の世界で、さまざまな深刻な対立軸が露わになっている可能性があります。失われたものへの思いや正義感を天秤にのせるほど、それが深刻な摩擦の発生点になって、どんどんこじれてゆくでしょう。これほど被害が拡大すると、もはや今の人類が持つリソースで可能なことの限界に突き当たります。被害者であると感じる人々にとって、正義が果たされたと思えるような補償は十分に出てきません。補償や応報への飢えから、「正義」という言葉が燃え上がりやすい時代がやってくるのではないでしょうか。世界がウイルスという同じ惨禍に苦しめられる中では、民衆の空気を政治に取り入れるのが早いポピュリズムが伸長する土壌が整います。隔意と欠乏とポピュリズムは、合わさると2020年代を決定づけるかもしれない危険要因です。
 コロナ以前のかたちに、世界は戻りません。回帰を願うかたが多いので、表層では取り繕われるでしょうが、その下の層の変化は止まりません。あまりにも被害が大きすぎて、二度と同じことをくりかえせないためです。そして、回復できないダメージは深く刻まれます。
 だから、収束後の世界をよくすることに想像をめぐらすことを提案します。今、コロナ禍の第二段階に備えるため、自分たちの命を守りながら、心を守れるペースで世界を変えてゆく必要があります。これを考えておかないと、コロナ以後に否応なく訪れる変化が、イコール貧困になってしまいます。これから世界は、順当に進むと以前より悪くなります。つまり、蔓延の危機でつらい思いをし、第二の危機で長期的にも苦しむという二重苦を抱えます。なのに、焦土戦の最中であるため、打てる手は限られます。
 そんな中で、考えることとコミュニケーションを続けることは、誰にとってもできることです。今、いやおうなく、多くの人がとてもたくさんの時間を持て余しています。今回のコロナ禍では、多くの人々にとって、日常われわれがアイデンティティを確立するために用いている「自分たちにできる仕事で貢献する」という社会参加ができません。「ただ部屋にいて他人と接触しないこと」を求められることは多くの現代人にはとてもつらいため、セルフコントロールが難しくなります。このつらさは、社会の中の人間として正しいのです。だからこそ、時間をつらいことよりできることに向けましょう。コロナ収束後の世界の設計に関わる人間は多いほうがよく、基礎情報は集められているほどよいでしょう。着手も可能な限り早いほうが、案を練る時間が増えるので精度が上がり、掬える範囲も広がるはずです。国家のような大きなデザインである必要はありません。自分の身の回りの範囲でも、職場や親しいコミュニティの範囲でも、社会や歴史、人類、地球環境といった大きな範囲でも、すきなスケールを選びましょう。入ってくる情報から、今見えている世界のきしみに目を向け、歪みによって生命が危うくなっている弱い立場の人々のことを考える時期でもあります。非常時であるにしても酷い話が、ウイルス禍でも休めない人々から、自分で自分を守れない老人や病人から聞こえています。わたしの身で言うのは夜郎自大かもしれませんが、未来をデザインし、社会をよりよいかたちに向ける努力はどう考えても必要です。でなければ、ウイルス禍で過酷にさらされた弱い立場の人々を、収束後により強固な格差で打ちのめすことになります。危機に反応してわれわれを揺さぶる善意と正義を棚卸しして、それが歪んでいないか検品する機会でもあります。第二の危機が訪れたとき、われわれは今ある蔓延中の言行を引きずり、それを延長して物事を考えることになります。そのとき、世界を狭くして過去にとらわれ続けないために、今から始めるにこしたことはないのです。
 第二の危機の主因は、われわれ自身という局所がアンコントローラブルになり、それを社会全体に波及させることです。こちらの危機では、隔離ではなく、我々自身が局所の制御を取り戻すことが立て直しの鍵になるのです。
 我々は幸運にも、接触してもコロナに感染しない、コンピューターネットワークによる繋がりをすでに手に入れています。世界中の全員がネットの恩恵を得ているわけではありませんが、このパンデミックがあと10年早く発生していたら、もっと絶望的だったことでしょう。悪い状況ですが、最悪ではありません。われわれは、誰もが、車輪を前に進めるちからを持っています。訪れて欲しい未来とそこに至る過程を考え、私が、あなたが、突然消えてしまう前に、それをコミュニケーションして残しておくべきです。今回のコロナウイルスは、いくらお金を積んでも治療法は手探りで、今のところ対症療法が中心です。つまり、富めるも貧しきも、あらゆる人間が死ぬということです。私もあなたも、実はコロナを生き残れるかはわかりません。
 だから、第二の危機以後の計画があるかたほど、蔓延中は部屋にいてください。未来について想像する人にも、これから未来を生きてゆくすべての人にも、価値があります。皆さんは価値があるから、今は部屋という、頼りない局所にそれでも留まり、ウイルスから守られなければなりません。
 日本は、中止にならなければ東京オリンピックをコロナウイルス収束後に行い、おそらく大阪万博をまた近い時期に開催します。ちなみに次の大阪万博の標語は「いのち輝く未来社会のデザイン」です。素晴らしくもおそろしい課題が、目の前にあるものですね。

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長谷敏司(はせ・さとし)
1974年大阪府生まれ。関西大学卒。2001年、第6回スニーカー大賞金賞を受賞した『戦略拠点32098 楽園』で作家デビュー。2005年に開幕した『円環少女』シリーズで、その人気を不動のものとする。2009年、初の本格SF長篇『あなたのための物語』(ハヤカワ文庫JA)で「ベストSF2009」国内篇第2位、第30回日本SF大賞候補にもなった。2015年、『My Humanity』で第35回日本SF大賞を受賞。主な作品に『BEATLESS』『メタルギア ソリッド スネークイーター』など。


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