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「人間には2種類の美徳がある」―《ニューヨーク・タイムズ》の名コラムニストが「生きる意味」を問い直すベストセラー『あなたの人生の意味』冒頭試し読み①

いま、アメリカの新聞業界で、人気・知名度ともに最も高いといわれる《ニューヨーク・タイムズ》のコラムニスト、デイヴィッド・ブルックス。ビル・ゲイツが絶賛し、全米60万部に迫るその最新作『あなたの人生の意味』の文庫化を機に、冒頭を公開します。

はじめに アダムⅡ(ツー)

 私は最近よく考えることがある。人間の美徳には大きく分けて二つの種類があるのではないかということだ。一つは履歴書向きの美徳、もう一つは追悼文向きの美徳。前者は文字どおり、履歴書に列挙すると見栄えのするような美徳だ。就職戦線において自分を有利にしてくれ、他人から見てわかりやすい成功へと導いてくれるような能力。追悼文向きの美徳はもっと奥が深い。あなたの葬式の時、集まった人たちの思い出話の中で語られる美徳だ。それは、あなたという人間の核として存在しているものに違いない。親切、勇敢、正直、誠実……何と言われるだろうか。生前、人とどういう関係を築いていたかによっても変わってくるだろう。

 どちらが大事かと改めて問われれば、追悼文向けの美徳が、履歴書向けの美徳より大事だと答える人は多いはずだ。しかし、正直に言えば、私自身の短くない人生を振り返ると、履歴書向けの美徳について考えていた時間の方が長かったと思う。現在の教育制度も、間違いなくそちらを重要視したものになっている。種々のメディアに飛び交う言葉を見ていても、やはり同じだ。雑誌や、ノンフィクションのベストセラーなどで生き方について説かれることがあるが、追悼文向けの美徳について触れていることはまずない。大半の人は、明らかに、自分の根本的な人格を磨くことよりも、職業的な成功を目指す生き方を選んでいる。

 私が二種類の美徳について考える上で助けになったのは、ジョセフ・ソロヴェイチックというラビ〔ユダヤ教の指導者〕が一九六五年に書いた『孤独な信仰の人(Lonely Man of Faith)』という本だ。ソロヴェイチックによれば、創世記の天地創造の物語には二つの側面があり、それ故に、私たち人間の本性にも二つの対立する側面があるという。それぞれを彼は、「アダムI(ワン)」、「アダムⅡ(ツー)」と名づけた。

 ソロヴェイチックの分類をもう少し現代的にすれば、アダムIは、私たちの中のキャリア志向で、野心的な面ということになる。アダムIは外向きの、履歴書向きのアダムだ。アダムIは何かを創り、築き上げること、生み出すこと、新たな何かを発見することを望む。そして高い地位と勝利を求める。

 アダムⅡは内向きのアダムだ。アダムⅡは心の内に何らかの道徳的資質を持とうとする。内なる自分を晴れやかで曇りのないものにしたい、穏やかだが強固な善悪の観念を持ちたいと望む。善き行ないをするだけでなく、善き存在であることも求める。アダムⅡは他人に深い愛を注ぐこと、他人への奉仕のために自己を犠牲にすることを欲する。普遍的な真理に忠実に従って生きたいと望み、創造と自分自身の可能性を尊重する揺るぎない魂を内に持ちたいと望む。

 アダムIは世界を征服したがるが、アダムⅡは世界に奉仕する使命を果たそうとする。アダムIは創造力に富み、目に見える成果をあげる。そして、その成果を享受する。アダムⅡは時に、何らかの崇高な目的のために世俗的な成功や社会的な地位を放棄する。アダムIは物事の仕組みを知りたがるが、アダムⅡは物事の存在理由を知りたがる。そもそもなぜ、何のために私たちは存在するのかを知りたがるのだ。アダムIは常に前進しようとするが、アダムⅡは自分の原点へと帰りたがる。そして家族で食事をする時の温かさを求める。アダムIが人生でひたすらに成功を目指すのに対し、アダムⅡは人生を一つの道徳劇ととらえる。アダムⅡが大切にするのは、慈悲、愛、そして贖罪だ。

 ソロヴェイチックによれば、私たちは皆、互いに矛盾する二人のアダムの間で揺れ動きながら生きているという。外に向かう誇り高きアダムIと、内に向かう謙虚なアダムⅡだ。この二人は決して完全に並び立つことはない。私たちは永遠に二人の自分の対立から抜け出せないのだ。生まれながらに、二つのペルソナを演じるよう運命づけられており、両極端の性質がせめぎ合う中、何とか生き抜いていく術を身につけなくてはならない。

 また、この対立が厄介なのは、アダムIとアダムⅡがまるで違う論理で生きているからだと私は思う。アダムIは、何かを創ろう、築き上げよう、新しい何かを発見しようというアダムだ。その論理は、ともかく実利を優先した、単純でわかりやすいものだ。経済の論理と言ってもいい。原因とその結果の関係はよく見える。努力をすると、その分だけ大きな成果が得られることが多い。訓練を重ねれば、その分だけ向上する。追求するのはあくまで自己の利益だ。自分の有用性を高めて、周囲からの評価を高め、それによって利益を得ようとする。

 アダムⅡの論理はアダムIの反対だ。それは道徳の論理であり、経済の論理ではない。何かを得ようとすれば、まず何かを与えなくてはいけない。内面の強さを手に入れるために、自分の外にある何かをあきらめなくてはならない。本当に欲しいと願うものを手にするため、自分の欲望に打ち克たねばならない。成功が大きな失敗につながり得る。この場合の「失敗」とは、「慢心」のことだ。反対に、失敗が大きな成功につながることもある。この場合の「成功」とは、謙虚になり、重要な何かを学ぶということだ。自分を満足させるためには、自分を忘れる必要がある。自分を見つけるためには、自分を見失う必要がある。

 アダムIの成功、つまり職業的な成功のためには、自分の強みを育てるのがよい。アダムⅡの成功、つまり道徳的な成功のためには、自分の弱みと対峙することが不可欠だ。

狡猾な動物

 私たちは今、アダムIつまり外側のアダムばかりが優先され、アダムⅡが忘れられがちな社会に生きている。現代社会では、職業的な成功について考えることは奨励されても、内面の充実を図ることは置き去りにされがちだ。ほとんどの人がそうだと思う。成功を収め、称賛を得るための競争はあまりに熾烈なため、私たちはそれで消耗し尽くされてしまう。消費者市場が、功利主義的な計算を基に生きるように私たちを仕向けている。目先の欲望を満たすことにのみ関心が向き、日々の行動を決するのに実は大きな役割を果たしている道徳に目が向けられることは少ない。人と人との会話も効率優先の浅いものばかりになり、その声が大きすぎるために、心の奥から発せられる小さな声は聞こえにくい。現代の社会では、自分の存在を他人に知らせる方法、他人に高く評価される方法、また成功のために必要な技術を身につける方法は教えてもらえる。だが、謙虚であれ、人を思いやれ、ごまかさずに自分と正面から向き合え、などと言われることは少ない。真の人格者になるために必要なことは奨励されないのだ。

 アダムIのみ、という人間がいたとしたら、間違いなく狡猾になるはずである。ずる賢く立ち回って、常に自分を守り、自分だけが得をしようとする。生きることをゲームにしてしまい、そのゲームがどのようなものになろうとも、うまく適応して勝とうとする。アダムIだけの場合、職業的な技能を磨くことには熱心に時間をかけて取り組むだろう。しかし、人生の意味、自分は何のために生きているか、ということはまともには考えないに違いない。だから、せっかく技能を磨いても、それを何に使うべきなのかがわからない。いわゆる「キャリア・パス」が何種類か選べても、どれが最高最良なのか、判断することはできないだろう。年齢が上がっても、自分自身の心の奥底をよく覗いたこともなく、自分の心を思いどおりに制御する術も知らない。おそらく、忙しいだろう。しかし、漠然とした不安を感じている。人生の究極の目的を果たしていないのではないか、このままでは人生に意味などないのではないか。自分でも意識してはいないが、退屈を感じながら生きている。真の愛情も知らず、道徳的な目標もない。それこそが、人生を意味あるものにするのに。このためになら揺らぐことなくすべてを捧げられるという判断ができない。判断に必要な基準が自分の中にないからだ。内側に確固たるもの、絶対的なものが育っておらず、人から非難され、攻撃された時に、耐えることが難しくなる。どこかで、自分は他人から認められること、褒められることばかりをしてきたのだと気づく。それが自分にとって正しいことかどうかを考えもせずに。愚かにも、他人を、その人の持つ価値ではなく、能力で見てしまっている。自分の人格をどのようにして高めていくかという計画もない。それがないと、内面の人生はもちろん、外から見た人生もいずれ、崩壊しかねない。

 この本は、アダムⅡに関する本である。自分の人格を磨き、実際に素晴らしい人格を持つにいたった人たちを実例として取りあげている。その中には何世紀も昔に生きた人もいる。皆、明らかに現代の私たちとは違う物の見方、考え方をしている。そして、現代の私たちとは違い、心の中に鉄のように硬い芯を作っていた。また、ただよく頭が働くというだけではない、真の賢明さを身につけていた。正直に言おう。私はこの本を、自分の心を救うために書いた。(以下、試し読み②に続く)

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        (画像はアマゾンにリンクしています)

『あなたの人生の意味(上・下)』(デイヴィッド・ブルックス、夏目大・訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、定価各886円)は、早川書房より好評発売中です。


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