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『万博聖戦』牧野修インタビュウ

ハヤカワ文庫JAより11月5日に刊行されました『万博聖戦』は、日本SF大賞特別賞を受賞した『月世界小説』以来の、牧野修さんのSF長篇大作です。SFマガジン10月号に、第一章にあたる「アドレセンスと嘔吐/1969」、同誌12月号に第二章「トルエンの雨/1969」が掲載されています。牧野さんに、執筆にまつわるお話をうかがいました。
なお、本インタビュウは、SFマガジン12月号に掲載された、同名の記事と同じ内容です。
構成・インタビュウ:編集部

──久々のSF長篇ですが、どういった内容なのかお聞かせください。
牧野 数千年の昔からコドモとオトナは戦い続けてきた。その決着がとうとう大阪万博でつけられる、という話です。ンなバカな、という話ですが、読めば納得していただけると思います。どう納得するのかわかりませんが。


──七百枚を超えるボリュームですが、執筆から完成に至る経緯をお聞かせください。
牧野 いくつかの妄想の核のようなものがありまして、それが頭の中で少しずつ結びついていきました。核の一つはアニメーションが二千年以上前インドで猿の手によって作られていたというもの。もう一つの核は、大阪万博で太陽の塔に一週間余り立てこもった事件は、実は世界の命運をかけた戦いの一部だったという妄想。それから大人と子供は両生類の幼体と成体のようにある意味別種の生き物なんじゃないのかという疑問。そんなものがぐるぐると回って一つの話にまとまっていったのが四年ほど前のことです。その試案のようなものを早川書房の阿部さんに見ていただき、少しずつ小説へと変えていきました。こんなでたらめな断片がよく小説としてまとまったものだと我ながら感心しております。


──『万博聖戦』とは、壮大でありユーモラスにも感じられるタイトルですが、どうして万博と聖戦が結びついたのでしょうか。
牧野 大阪万博を中心とした大人と子供の戦争、というのは当初からのテーマだったので。


──奇しくも今年は一九七〇年の大阪万博から半世紀という節目の年ですが、大阪万博を題材に取ったのはどういう理由からでしょうか。
牧野 先ほども言いましたように、太陽の塔に籠城した通称〈目玉男〉が気になって仕方なかったことと、東京オリンピックから大阪万博という流れを、五十年後に再びなぞるのは、おそらくその後の好景気を呼び込むための呪的な意味合いがあるに違いないと思ったこと。それが呪術(フイクシヨン)であるなら虚構(フイクシヨン)の中でその流れを変えてみてはどうなるかと思ったからですね。


──牧野さんは主人公の少年たちと同世代だと思いますが、実際に、当時の万博には行かれましたか。
牧野 当時親戚が大勢大阪にやってきて、私はその案内を務め、複数回会場を訪れました。お使いを任されるような感覚でした。それよりはパビリオンが紹介された目録のような本に興奮していました。だから本は何度も読んでよく覚えているんですが、本物の会場はあまり覚えていないんですよ。案内を任された割には、アメリカ館やソビエト館といった長時間並ぶところを避けて、地味なパビリオンばかりを見て歩いたからかもしれません。


──その頃の大阪の雰囲気はどうでしたか。やはり万博に浮かれているような感じだったのでしょうか。
牧野 当時の私にとっては大阪が世界(それが言いすぎなら大阪=日本)だったので、特別大阪がどうだったかはわからないのですが、少なくとも小学生だった私の周りでは「今しか体験できない新しい遊園地」程度の騒ぎぶりだったような気がします。騒動の中心に住んでいたので位置的に近すぎて、台風の目のようにかえって静まっていたのかも。


──二〇二五年開催予定の大阪万博についてはどうお考えですか。
牧野 それどころではないだろうと思っています。


──それはどういう意味で?
牧野 コロナ禍に激しくなる台風と水害。頻発する地震。低迷する景気。社会に万博を楽しむ余裕があるのかどうかわからない、というか己の未来に暗澹(あん たん)たる思いしかないから。


──本篇には七〇年代の文物が多く登場して、特定の年代の人間はノスタルジーをかきたてられるのではと思いますが、牧野さんもあの頃の時代に思い入れがあるのでしょうか。
牧野 個人的には八〇年代の方が思い入れがあります。そして六〇年代は円谷をはじめとした特撮ものによって意識下に多大な影響を受けました。この二つに挟まれた七〇年代はどれもこれもぼんやりして曖昧で、病気の時の夢のようです。ちょうどこの時間私自身が幼虫から成虫にいたるまでの蛹(さなぎ)の期間だったからかもしれません。


──八〇年代への思い入れというのは、どのあたりでしょうか。
牧野 いわゆるサブカル全盛の時代で、恥ずかしながらそのあたりにずぶずぶと沈み込んでいました。まずは雑誌。やたら元気でしたよね。〈STARLOG〉に〈宇宙船〉、〈遊〉に〈エピステーメー〉。忘れちゃいけない〈ビックリハウス〉をはじめとしたパルコ出版の雑誌類。パロル舎の〈月光〉、〈夜想〉に〈幻想文学〉。自販機本〈jam〉〈HEAVEN〉。漫画雑誌なら〈漫金超〉いわゆる三流劇画誌〈劇画アリス〉〈漫画大快楽〉。そこから生まれた羽中ルイ、あがた有為、ダーティ・松本、平口広美、宮西計三。一番音楽を聴いていた時期でもあります。パンクからテクノ、ニューウェーブというファッションやデザインワークを含むムーブメントには大いに影響を受けました。戸川純にはまったのもこの頃。ピナコテカレコードでデビューしたバンドの子と遊んでいたのもあって、ひきこもりのくせにマントヒヒなどという大阪のライブハウスにもよく行きました。


──物語は、前半の一九七〇年大阪万博を舞台とする過去篇と、後半の二〇二五年ではなく二〇三七年に大阪万博が開催されるという未来篇に分かれていて、前半と後半ではかなり時代が空いてしまっています。このような構成とした意図はなんでしょうか。
牧野 さっきも言いましたが大阪万博というものが東京オリンピックと対になって繰り返されることの奇妙さが、大人と子供の戦争という物語の舞台にふさわしいと思って、この二つの万博の物語を書こうと思いました。それなら現実そのまま二〇二五年でいいじゃないか、と思われるかもしれません。どうして十二年ずらしたかというと、なんとなく二〇二五年ごろには一度日本が滅びているのでは、と漠然と思っていたことと、それ故にその後はよくある「核戦争後の世界」と同様の荒廃した、ゆえに何でもありの世界になっているだろうと考えていたからです。たった十年の差で、あまりにも生々しい近未来世界から一線を画したもう一つの未来に移行出来たんじゃないかと思っています。
 実はその間の歴史ももう少し詳しく描こうと予定していたのですが、あまりにも長くなるので止めました。


──その間の空白の七十年については、別にお書きになる予定とかは?
牧野 書くのなら『万博聖戦』で書いてしまわないと意味がないような気がします。


──本誌に先行掲載された二章分は物語の前半にあたるわけですが、すでにコドモ軍とオトナ人間の戦い、という不穏なキーワードとともに、虐げられる子供と支配する大人という社会の構造が見えてきています。子供の頃、主人公たちと同じような大人の支配を意識したりしていましたか。
牧野 蟻はおそらく人類の存在を理解できていないと思うのですが、それと同じで子供のころには大人の存在をほとんど意識していませんでした。当然支配されているという意識もなかったです。
 子供を意識するようになったのは、自分が大人へと足を突っ込み始めてからです。ひたすら弱く、大人の協力なしでは生きていくことが出来ない生き物が、歴史の中でどのように扱われてきたのかということを知りました。その多くが悲惨なものです。過去だけでなく、現代でも。だから本作では、子供たちだけのユートピアを小説の中だけでもつくってあげたいという気持ちはありました。それが大人にとっては地獄であったとしても。
 大人と子供の関係を、幼体と成体と言いましたが、『万博聖戦』を書くにあたって子供というものをいろいろと考えていてそれはちょっと違うかなと。子供と大人はセミの幼虫と冬虫夏草のような関係というのが正しいのではないかと。大人は子供を養分として育つ寄生体と考えると様々なことに一人得心がいったのです。だから子供が解放されるには大人を消滅させるしかないと。


──誰も知らないうちに侵略が始まっていた、というのはかなりぞくぞくするイメージですが、そういった想像をたくましくしたほうですか。
牧野 『ねらわれた学園』や『緑魔の町』、それからやはり『盗まれた街』やTV番組『インベーダー』など、そんな話が大好きでした。小学生の頃には頭の中の妄想の相棒(正体は精神寄生体)と一緒に宇宙からの侵略を食い止める計画を立てていました。密かに進行する侵略ものは、怖いけれど魅力的な物語です。静かな侵略とは少し違いますが、小室孝太郎の『ワースト』も大好きでした。


──牧野さん独特の、認知が歪む感覚が味わえる表現がちりばめられていますが、そのわりに、グロテスクな描写はやや控えたような印象がありますが、いかがですか。
牧野 控えた覚えはないです。ですがスプラッター的表現や、厭なかたちの狂気をあえて強調はしていません。しかし〈子供心を忘れない大人〉や〈子供たちだけのユートピア〉というもののグロテスクさはかなり意識しました。


──主人公の少年二人の、愛憎が絡んだ友情が、大きな芯として物語を支えているように思います。かなり切ない感情を揺さぶられるところですね。
牧野 取り返しのつかないなにかの物語は常に切ないです。自分自身はそんな経験とはまったく縁のない少年時代だったのですが。


──後半に入ると未来の大阪は、VR技術の発達で絢爛豪華なことになっているのですが、最先端なのになぜか荒廃した雰囲気があふれていますね。
牧野 イメージ的には「ええじゃないか」ですね。あれは世直しですが、こちらはこの世の終わりの祝祭です。あっ、そうだ。イメージとしてはメキシコの死者の日も参考にしています。この日は祖先が帰ってくる、つまりはお盆のような日なのですが、何しろド派手。写真集をいくつか持っているのですが、死者がこの世にやってきて骸骨だらけのパーティーを開くっていうイメージですね。メキシコではもともと祖先の骸骨を飾る習慣があったらしいです。この日祖先のお墓を聖人の絵や故人の好きだった果物やお菓子などで飾ってオフレンダという祭壇を作るわけなんですが、すべてが極彩色。頭蓋骨も派手に装飾されています。この派手さと、死者と生きた人間が一緒になってはしゃいでいるこの楽しさが未来の大阪のイメージの源泉のひとつです。


──こうして見ると、『万博聖戦』は、『MOUSE』の子供たち、『傀儡后(くぐつこう)』の大阪、『月世界小説』の知られざる戦い、といった、これまでの代表作のエッセンスを取ってきているように思えたのですが、これは意識されてのことでしょうか。
牧野 意識はしていません。ですが、これは何度か言っていることですが、私は直線的にどんどん先へと向かい変化していくタイプの作家ではなく、同じところをぐるぐると螺旋を描いて少しずつ上へと昇っていくような創作態度なのです。なのでどの作品もどこか重なりあって同じ旋律を繰り返しているような気がします。その結果が『万博聖戦』で、集大成というよりは、中央にある私の伝えたい核にだいぶ近づいているような気はします。


──その中央にある牧野さんの伝えたい核の内容を知りたければ、これからも牧野さんの作品から目を離すなということですね。
牧野 騙されたと思って最後までついてきてください。まあ、そんなことをいう人間は大体詐欺師ですけどね。


──今後の執筆予定を教えてください。
牧野 一番近くでは井上雅彦さん監修の新しい『異形コレクション』シリーズに短篇を提供しています。タイトルは「馬鹿な奴から死んでいく」。十一月初旬には発売されるはずです。
 それから年内には警察ものの長篇を仕上げたいのですが、どうなるでしょうか、って聞かれても困ると思いますが。


──最後に読者へメッセージをお願いします。
牧野 小説の中の子供たちの楽園は、たいてい『蠅の王』の様なディストピアです。ピーターパンのネバーランドにしたって毎日のように戦闘が行われ人が死んでいます。もしかしたら大人の描く子供の夢というものは、どうやっても悪夢にしかならないのかもしれません。大人は結局「良い子は死んだ子供だけ」と思っているのかもしれませんね。
 何となく思うのですが、死後の世界というものがあったとしたら、それは低予算の古くさいアニメのように、毒々しい色彩で描かれる、ひどく解像度の低い世界なんじゃないかって。そして大人の想像する子供の楽園って、限りなくその死後の世界に近いのではないかと。理屈も何もあったもんじゃありませんが、『万博聖戦』を書き終えてそんなことを思っています。
(二〇二〇年十月二日/メール・インタビュウ)

牧野 修
1958年大阪生まれ。大阪芸術大学芸術学部卒。高校時代に筒井康隆主宰の同人誌〈ネオ・ヌル〉で活躍後、1979年に〈奇想天外新人賞〉を別名義で受賞。数年の沈黙ののち、1992年に〈ハィ! ノヴェル大賞〉を長篇『王の眠る丘』で受賞、同書にて“牧野修”としてデビュー。1996年、特異な言語感覚に満ちたドラッグ小説『MOUSE』で高い評価を得る。1999年『スイート・リトル・ベイビー』で第6回日本ホラー大賞長編賞佳作を受賞。2002年『傀儡后』で第23回日本SF大賞を受賞。2015年『月世界小説』で第36回日本SF大賞特別賞を受賞。