見出し画像

5月24日発売『夜の少年』(ローラン・プティマンジャン/松本百合子訳)の「訳者あとがき」特別公開!

 早川書房では、5月24日(火)に、フランスの高校生が選ぶフェミナ賞を受賞した『夜の少年』(ローラン・プティマンジャン/松本百合子訳)を刊行いたします。
 この作品は、作者のローラン・プティマンジャンが仕事をしながら書き上げ、50代で発表した1作目の小説です。当初は地味なデビュー作として注目を集めていなかったものの、比較的短めの小説でありながらも読後に押し寄せる感動に、フランスの書店員や司書の口コミで徐々に評判が広がり、結果的に「高校生が選ぶフェミナ賞」や「パリ市図書館賞」など、数々の文学賞を受賞した作品です。
 このnote記事では、訳者の松本百合子さんによる「訳者あとがき」を特別に公開します。2022年4月にもフランス大統領選が終わったばかりですが、本作『夜の少年』内でも、2017年のフランス大統領選への言及があります。日本ではあまり聞くことのない、各政党の特徴や、フランス社会での受け止め方など、『夜の少年』を読む前に「訳者あとがき」を一読していただければ、さらに作品への理解が深まること間違いなしです。

あらすじ
フランス北東部メス。鉄道員のわたしは、妻を病気で亡くした後、二人の息子と暮らしていた。
男手ひとつで必死に息子を育ててきたが、長男のフスが高校に入ったころから歯車が狂い出した。フスは地元の極右の仲間らとつるみ始め、親子の間で交わされる言葉も少なくなっていった。
ある日、フスが全身血まみれで倒れているのを見つけた。対立するグループの青年を殺してしまったらしい――。

訳者あとがき

 フランスでは「文学の新学期」と呼ばれる九月が近くなると、書店には国内外の著者による新刊書がずらりと並び、ネット上でも情報があふれかえる。二〇二〇年も五百冊を超える小説が刊行された。
 パリの住まいの近くにある小さな書店に、人気作家の新刊に混じって、ハートマークの横にCoup de Coeur(心に突き刺さる)と書かれたポップが付いて人目を引いている本があった。著者の名前はローラン・プティマンジャン。出版社も当時はまだあまり知られていなかったラ・マニュファクチュール・ドゥ・リーヴル。Ce qu’il faut de nuit(どれほどの夜が必要か)という、すぐには落ちつきの良い日本語が浮かばない、詩的なタイトル。私が何よりも惹かれたのは表紙だった。

(原書書影)

 モノクロームの写真にはこちらに向かって駆けてくる二人の少年の姿。背丈の違いから推測すると兄弟のようだ。沈みゆく太陽の光を背中に浴びている二人の表情はよく見えないものの、何かから逃げ惑っているわけではないことは確かだ。「待ってよー」という弟の甲高い声に、「のろいなあ」などと言いながらすこし年上の兄が屈託なく笑う声まで聞こえてきそうだった。この二人に何が起こったのだろう。それが知りたくて手が伸びた。まさにジャケ買い。近くの公園のベンチに腰をおろして、一気に読んだ。

 冒頭から馴染みのない単語「フス」に戸惑うが、ルクセンブルクでフットボールを指す方言で、フレデリックという少年の愛称だとわかる。フスは地元のクラブに属する名プレイヤーのようだ。
 舞台はフランス北東部ロレーヌ地方のモーゼル県県庁所在地メスに近い町。メスといえば、サッカー好きならFCメスを、現代アートのファンなら建築家の坂茂氏も設計に参加したポンピドゥー・センターを思い浮かべるだろう。鉄鉱石や石炭を産出するこの地方はかつて工業地区として発展を続けていたが、七十年代から近代化の波が押し寄せ、製鉄所も閉鎖され、いまではすっかり影を潜めてしまった。寒さの厳しい冬が長く続く気候もあって、娯楽らしい娯楽もない。フスは、ふだんはあまり話題にのぼることのないこの地方の、質素に暮らす労働者階級の家族の長男だ。
 本書『夜の少年』の語り手である父親は、毎週土曜になるとフスのサッカーを観にいくのが最高の時間だという。クラブも衰退の一途だが、それでも、「ここが、わたしの居場所」と言い切るささやかな幸せが、グラウンドに降り注ぐ柔らかな光とともに伝わってくる。フスには弟がいて、彼がまだ十歳のときに最愛の母親をガンで失う。四十四歳だった。母親の三年間の闘病生活のあいだ、思春期の楽しみに満ちた時間を送るはずだったフスは、毎週末、父親に付き添って見舞いに行っていた。幼い弟を気遣い、母親代わりになって家の用事をこなすこともしばしばだった。面倒見の良い、やさしい兄だった。
 国鉄(SNCF)の仕事と社会党支部の活動に精をだし、家庭のこと、子育ては妻に任せきりだった父親は、妻を亡くしたあと茫然自失に陥っている間もなかった。自分に何かあれば子どもたちが路頭に迷ってしまうとそればかり心配して、危険な高架線で作業をする彼は無事に帰宅できるようにと終始気を張り詰め、自転車に乗ることさえ控えていた。不器用ながらも懸命に男手一つで子育てに奮闘する姿にはほろりとさせられる。
 やがてフスが家族より友だちと過ごす時間が増えてくると、父親は息子の口数が減り、以前のような明るさもなくなってきたと気づく。かすかな不安を胸の中でくすぶらせながらも口にだせずにいるうちに、ある日、フスが首に巻いて帰ってきた一枚のバンダナから、平穏に思えていた家族の日常にさざなみが立ち始める。ファシズムの象徴であるケルト十字の描かれたバンダナ。それを目にしたとき、朴訥で口数の少なかった父親は、初めて声を荒らげる。
 社会党支部についてきたり、ビラ配りも手伝ったりと、幼いころから父親の背中を見て育ってきた二人の息子が自分と同じ価値観を持っていること、それは自問するまでもない、父親にとっては極めて自然で当然のことだった。ところが、長男のフスは真逆の、敵意さえ抱いている政党のファシストたちとつるんでいたのだ。
 バンダナのモチーフ一つにここまで過剰に反応するかと違和感を覚えるかもしれない。しかし、戦後七十年以上経ってもホロコーストやヴィッシー政権の頃の昔ながらの考え方がからだに染み付いて離れない、ガチガチの左派の父親にとっては、アルコール依存症になるより盗みを働くより、正反対の価値観に突き動かされている息子を見るのは驚愕であり、絶望であり、恥なのだった。
 物語の最初、支部の様子に触れたあとに大統領選の日の話が出てくるが、父親は、極右政党「国民連合」のマリーヌ・ルペンのことを、単純にelle(彼女)としか書いていない。おそらく支部に集まるみんなも名前を口にするのさえ嫌なのだろう。
 この父親のような活動家ほどでなくても、一般的にフランス人の政治参加意識は日本人の比ではない。大統領選が直接投票制で行われることもあって、若者も政治を人ごととは考えておらず、それぞれがはっきりした価値観を持っている。
 私は二十数年前にパリで初めてのアパルトマンを探しているとき、知人のフランス人から、「きみは左、右、どっち? そこから考えるといいよ」とアドバイスされて驚いたのを覚えている。パリの街はセーヌ川を挟んで左岸、右岸と呼ばれているが、左岸は文化や教育の盛んな「知」を、右岸は政治と商業が発展する「お金」を象徴するイメージと言われていた。確かに、街の景色を眺めてみれば、当時それほどパリを知らなかったわたしの目にも、カフェに集う人々の雰囲気や格好だけでも「左右」の違いが歴然としていた。
 本書にも登場するフランス人の生活には欠かせないアペロの時間には、政治の話題が口に上ると、小一時間のはずが数時間に及び、しまいには殴り合いになるかと思うような白熱した議論に発展するのを何度となく見てきた。支持する政党が違うからといって同じテーブルにつけないわけではないが、傾倒する熱量によっては、一つ屋根の下に真逆の考えを持った者どうしが暮らすというのは、決して快適なことではないだろう。
 時の流れの中で街の景色が変わっていくように、人々の価値観、考え方も変化し、多様性の叫ばれるいまは、パリのような都会では、左と右の差は視覚的には薄まってきているようにも思えるが、人々の頭の中を占める価値観は、親子だからといってそのまま引き継がれる時代は終わっているのかもしれない。
 しかし、ロレーヌのような土地柄と父親の一徹な性格を考えれば、バンダナ一枚とはいえ許しがたいことだったのだろう。
 口に出さずとも心は通じ合っていると信じて疑っていなかった。息子──とくに長男は自分の分身のように感じていたというのに、ある日突然、見知らぬ他人のようになっていた。なぜ、どこで、どんなきっかけでファシストと出会い、どんな思いがあって共感していったのか。父親はこうしたことを、息子と膝と膝を突き合わせ、じっくりと問いただせるタイプではない。自分の受けたショックも口ではうまく説明できない。読んでいて歯がゆくなるほどなんとも不器用なのだ。
 そのうち次男のジルーは、皮肉なことにフスの一番の仲良しだった幼馴染のジェレミーの手引きもあって、猛勉強をしてパリの高等教育機関に進む。ジェレミーは社会党の活動に参加し、パリ本部の青年部からも信頼を置かれている、父親にとっては輝ける星のような存在だ。フスは父親にも理解されず、弟にもあっという間に追い越されてしまったと感じていたかもしれない。それでもフスは変わらず、弟思いのやさしい兄だった。ジルーの引越しの日、荷物を詰め込んだ車で自宅から出発する弟と父親の横でおどけてみせるフスの姿には胸が詰まる思いだった。
 その後、フスは日を追うごとにますます仲間たちと過ごすようになり、父親はその様子を慣れないフェイスブックで追いながらも、フスとは話し合いの場を持とうとせず、理解不能なこの状況の中、沈黙は親子関係の溝を深めていく。そして悲劇は起こる。
 暖炉の前かどこかで、旧知の友に向かって飾り気のない言葉でありのままを伝えようとしているような父親のとつとつとしたモノローグ。父親の視点でしか知り得なかったこの物語だが、最後の最後に初めて、フスの「肉声」が聞こえてくる。不意を突かれ、その衝撃に胸を締めつけられ、しばし呆然としながら、わたしは公園を散歩する老若男女の目もかまわず涙を流していた。表紙の幼い頃の二人の兄弟、私自身の家族、親しい親子、友だち、大切な人の顔が次々と浮かんだ。

 Ce qu’il faut de nuit というタイトルは、フランス系ウルグアイ人の詩人、ジュール・シュペルヴィエル(一八八四年- 一九六〇年)の 「生き続ける」と題された詩の一節で、人生の彩りを再び見いだすためにどれほどの〝夜〟が必要か、という思いが込められている。これは父親自身、そしてすべての登場人物に向けられた言葉なのだろう。とはいえやはりその筆頭はフスだ。母親を亡くした寂しさや辛さ、胸の痛みも素直に表せないまま、弟の面倒を見て自分を犠牲にしても弟の勉学を応援してきたフス。進学の際にも父親と弟のことを気遣って地元の技術短期大学を選んだ家族想いのフス。もし弟のように家を離れていたら、その後の人生は〝夜〟にとどまらず、トンネルを抜けて明るい人生を歩めたかもしれない。
 父親が語りの中で繰り返す、「人生はささいなこと、つまらないことの繰り返しでできている」という言葉通りだとすれば、どの時点で、どんな言葉が、あるいはどんな行為が、フスを〝夜〟から引っ張りだすために必要だったのだろう。父親はおそらく一生この問いかけをしながら生きていくことになるのかもしれない。
 確かなことがあるとすれば、愛情という目に見えない生き物の持つ力だ。愛は揺れ動き、揺れ惑い、優柔不断で及び腰、成り行きまかせのところさえある。それでも、取り返しのつかないような重大なことが起きたとしても、失望とか絶望という名の分厚いバリアも簡単に打ち崩してくれる強固なもの。そんな素朴な事実に、短くて強烈なこの物語は気づかせてくれた。

 著者のローラン・プティマンジャンは、この小説の舞台になっているロレーヌ地方で、一九六五年、鉄道員の家庭に生まれた。メスの町で育ち、リヨンで教育を受けたあと、エール・フランスに勤務。大の読書家であった彼は読むことだけでは飽き足らず十数年前から書き始め、五十七歳にして本書でデビューを飾った。刊行されるやスタニスラス賞(北フランスの本屋大賞)を受賞、その後、高校生が選ぶフェミナ賞、パリ市図書館賞、ジョルジュ・ブラッサンス賞など数々の賞に輝く。今年に入り、Ainsi Berlin(ベルリンのように)を上梓。舞台を第二次世界大戦後のベルリンに移し、本作の父親同様、人間の抱える矛盾を描く。

二〇二二年五月

■書誌情報
著訳者:ローラン・プティマンジャン/松本百合子(訳)
発売日:2022年5月24日火曜日
判型:四六判上製
本体価格:2,200円(+税)
ISBN:978-4-15-210134-1


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!