
人間が同類から人間として扱われない……「不平等」の何が問題か?トマ・ピケティ、マイケル・サンデル『平等について、いま話したいこと』解説(吉田徹)
トマ・ピケティ、マイケル・サンデル『平等について、いま話したいこと』(岡本麻左子 訳)が1月17日に発売。資本主義の果て、大いなる格差に覆われる現代。教育やヘルスケアを「脱商品化」するには? 左派はなぜ世界的に弱体化したのか? 大学入試や議会選挙にくじ引きを導入すべき? 当代きっての経済学者と政治哲学者が、「平等」という問いをめぐって徹底的に議論した一冊です。
本記事では『アフター・リベラル』『くじ引き民主主義』などの著作がある同志社大学教授・政治学者の吉田徹氏による解説を公開します。
解説
トマ・ピケティとマイケル・サンデルの対話と聞いて、胸を躍らす読者は少なくないだろう。言うまでもなく、前者は『21世紀の資本』で(アメリカ経由にて)世界的に名が知られるようになった社会経済史家であり、後者は『リベラリズムと正義の限界』、近年では『これからの「正義」の話をしよう』、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』など、日本で話題になった一連の著作を持つ世界的な哲学者だ。日本でもお馴染みの、欧米を代表する知識人でもある両者が、世界で改めて問題と化している「不平等」(「格差」ではない!)について議論するとなれば*、関心をそそられない方がおかしい。通読すれば、対照的な歴史と哲学、活動と観想、動と静からなる、スリリングな討論を味わえることだろう。それだけでなく、不平等が実際には何であって、何を意味するのかという、その実体についての認識を改めるものでもあることが解るはずだ。
* 本筋ではないが、筆者は「不平等」ではなく「格差」という言葉を用いることに批判的である。この言葉は1988年の『国民生活白書』に由来するとされるが、これは様々なものの「違い」や「優劣」を本来的に意味するもので、英語では「disparity」に近いニュアンスを持つからだ。「不平等」は飽くまでも「inequality」、つまり本来的には平等であるべきものが、不均等な状態にあることを意味している。ゆえに、本書が「格差」ではなく「不平等」と訳出していることを素直に喜びたい。
本書の読みどころのひとつは、両者の学問と(おそらく)性格から来る、不平等についてのアプローチの違いが垣間みえることだ。歴史の事例を参照して長々と演説めいた説明をするピケティに対して、サンデルは彼が有名にした「トロッコのジレンマ」と同じように、概念設定や思考実験を通じて不平等の何が問題かを明らかにしようとする。例えば、冒頭で平等の進展とその阻害要因が議論される中で、サンデルは財の偏在、財の利用機会、政治的平等、そしてこれらと「人間の尊厳」がどのように組み合わさっているのかについて整理した上で、真の意味での平等とは何であるのかをピケティに問うている。ソクラテスを彷彿とさせるこうした問いかけの流儀は、日本でも放送されたNHK『ハーバード白熱教室』でもお馴染みのスタイルだ。 これに対してピケティは彼の問いに正面から答えず、世界は不平等縮小にあるという傾向と、教育改革という処方箋を積極的に提示していく。つまり、サンデルの関心は多かれ少なかれ「(現象や言葉が)人にとって何を意味するのか」という点に向けられているのに対し、ピケティは「現実社会がどのような趨勢にあるのか」ということに関心を寄せるのだ。
こうした関心の違いは、第五章「能力主義」をめぐる認識の違いにも見て取れる。サンデルによる、アメリカのアイビーリーグ入学者をくじ引きで選ぶべきとする主張に対して、ピケティはそれが社会の大学に対する支配権を取り戻すことになるゆえに歓迎するという。しかしサンデルにとっては、こうした措置は飽くまでも「能力」が何に拠っているのかということを示すためのものとして重要なのだ。
こうした志向=思考の違いは、両者の来歴やキャリアからすれば当然のことともいえる。サンデルは、アメリカ哲学の分野において「コミュニタリアン」の代表的論者として知られる人物だ(本人は必ずしもそうではないと断っているが)。ここでいう「コミュニタリアン」や「コミュニタリアニズム」とは、──あえて大胆にまとめれば──個人が存立するためには共同体がなければならず、共同体を維持するためには個人の公徳心が欠かせないことを強調する立場のことだ。サンデルは、個人の権利尊重こそが正義を意味するとした現代リベラリズム(アメリカの文脈では「リバータリアン」)に対して、「善」という観念は何らかの共同体を予期しなければ想定され得ない、と反論したことで有名になった。さらに彼が論敵とした、現代リベラルの巨頭であるジョン・ロールズ、さらにその主著『正義論』(1971年)への批判は、その名を更に広めた(彼のこうしたロールズ批判の要点は本書103頁で確認できる)。ロールズが後に『政治的リベラリズム』(1993年)を出版し、正義と公共善の両立可能性を探るようになったことは、サンデルの評価を一層高めることになっただろう。本書での主題である「平等」がそもそも何を意味するのか、どのようにして成り立ち得るのかを問うていくサンデルは、徹頭徹尾「観念」の人である。
対するピケティは、当初アメリカで研究キャリアを歩み始めたものの、その後フランスに拠点を移して、同国のそもそもの強みである歴史への関心を一層強めるようになった人物だ。「経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できて」いないとは、彼の言葉だ(『21世紀の資本』、34頁)。本書でも、彼は「自分のことを経済学者だとは思っていません」(36頁)と発言している。フランスの教育課程を反映してか、『21世紀の資本』では多くの文学作品も引用されているが、彼が経済学に持ち込んだのは現代らしく「データ」であり、18世紀以降の主要国に加え40か国近くの租税情報を網羅して、1980年代以降、不平等が拡大するトレンドにあることを実証してみせた。こうした歴史への関心は、その後も彼の『資本とイデオロギー』でも再現されている。同書では所有権と社会階級、そこから派生する奴隷制と植民地主義の結びつきが強調され、後半では現代における学歴と不平等、その政治的帰結の関連が、やはり膨大なデータに基づく有権者動向から分析されている。
ピケティの政治への関心は現在でも続いており、彼が編者となった『政治的亀裂と社会的不平等(Clivages politiques et inégalités sociales)』(未邦訳)では日本を含む50か国の政党制の展開や、共著者となった『政治的紛争の歴史(Une histoire du conflit politique)』(未邦訳)では、フランスの革命時代からの投票動向が分析されている。これらでは、労働者=社民政党支持、富裕層=保守政党支持という対立構図が高学歴者エリートvs. 経済エリートへと変容し、現在の政党間対立が庶民層をむしろ置き去りにすることで不平等を帰結させていることが批判されている。こうした政治への関心は、彼を現実政治へと接近させることにもなり、フランス社会党のシンパとなった後、現在では極左と称されることもある「屈しないフランス」のブレーンも務めている(ゆえに彼は本書で左派ポピュリストという言葉は使うべきではないとも主張している)。ピケティは多様な意味で「活動する人」である。
もちろん、思考なき政治は無力であり、政治なき思考も無益だ。
両者の人となりを超えて、内容についていえば、本書で真に課題とされているのは、不平等ではなく、それを生み出している資本主義の在り方についてである、ということにも留意する必要がある。では、資本主義がもたらす多種多様な不平等をどのように是正すべきか──本書の後半は、その施策について討議が集中していく。ここでサンデルは、当人らしく、アメリカの様々なコミュニティでの実践に期待をかけるのに対し、ピケティは大文字の政治による措置に期待する。また、ピケティが累進課税強化による不平等解消を唱えるのに対し、サンデルはそもそも尊厳や相互尊重のない社会においては不平等を失くそうという感覚を調達し得ないことを強調する。こうした彼の診断は、多文化社会で福祉国家が成り立ちにくいこと、あるいは日本のような高度不信社会では痛税感が高いという学術的知見とも重なり合うだろう。
二人のディシプリンの違いから来る差異は指摘した通りだが、他方でそのディシプリンを導く歴史や環境も異なる。アメリカは連邦国家であり、連邦政府が果たす役割は極めて小さく、規制も脆弱だから、個々のコミュニティで個人がどのように振る舞うのかが決定的な意味を持つ。他方、フランスは長い中央集権国家の歴史を持つゆえに、集団的に国家権力をいかに操舵するのかが課題となる。かくして、資本主義がもたらす副作用である不平等をいかに是正するのかについても、両人の認識と処方箋は異なってくるのである。しかし両者による異なる相互応答があるからこそ、日本の読者の世界認識は一層深まることになるだろう。どのみち、現代日本において知的羅針盤となるのはアメリカと西欧諸国以外にないのだから。
欧米の来し方の違いを残しつつも、それでも両者が合意をみるのは、保健衛生や医療、教育に対するより多くの支出、累進課税の強化、政治の世界における富裕層の影響力を縮減することだ。世界の不平等の拡大は2015年ごろにピークを迎え、現在、横ばいで推移していると試算されている(だからピケティは不平等縮小を歴史的な趨勢だと断言するに至っている)。ただし、それでも不平等が消えてなくなることはない。もし不平等を忌み嫌うのならば──不平等がいかに個人を卑屈にし、経済を非効率にし、社会を荒廃させるのかは本書を読めばわかるだろう──、これと戦うための最大の武器は社会を通じて個人に尊厳と承認を保障することだということに、両者ともに意見の一致をみていることが重要だ。二人が終始強調しているのは、不平等とは、単なる経済的機会や資本の多寡のみならず、人間が同類である人間から、人間として扱われない問題を意味しているということだ。
彼らの主張は、私たち読者に大きな責任を付するものだと言える。なぜなら、ピケティとサンデルとで交わされた会話の輪に、私たち1人1人も参加することができるということでもあるのだから。
2024年12月

『平等について、いま話したいこと』
訳:岡本麻左子
解説:吉田徹
装幀:奥定泰之
書誌情報
『平等について、いま話したいこと』
著者:トマ・ピケティ、マイケル・サンデル
訳者:岡本麻左子
解説:吉田徹
出版社:早川書房
発売日:2025年1月17日
定価:2,200円(税込み)
頁数:168頁