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【無料公開!】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』冒頭第1章

衝撃の人生どんでん返し異世界ファンタジー、かみはら著『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』(イラスト:しろ46)の刊行を記念して、本書の第1章を無料公開いたします!
すでに連載版を読まれている方も、未読で気になっている方も、ご参考にしてください!

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1 生まれ変わったけどなにすればいいの?


 巷(ちまた)では異世界転生物語が流行っていた。
 かくいう私もそんな主人公達があの手この手で活躍する物語を好んで読んでいた。
 でも本題はここから。
 私は望んでない形ではあるけど生まれ変わった。過労死、事故、誰かを庇(かば)って……そんなものではなく、不摂生の結果である。残された人のことを思うと正直頭を掻(か)き毟(むし)りたいけれど、とにかく転生を果たした。おぎゃぁ、と泣いていたときには記憶があったのである。
 で、だ。
 ……生まれ変わったけど、なにをすればいいの?
 えっと、生まれ変わる前にお告げとか、使命とかそんなのは……?
 初めの記憶は、ここはどこだろう、だった。身体は自由に動かないし、視界なんてあってないようなもの。それでも見知らぬところにいるのだけは何故か理解できた。
 とまどう意識とは裏腹に、幸福に包まれた夫婦が赤ん坊の誕生に大いに喜び、夫は妻を労(ねぎら)った。妻は意識を朦朧(もうろう)とさせながらも歓喜に打ち震え、可愛い娘の誕生に涙を浮かべたのである。
 この光景には「ああ、よかったね」と他人事ながらじんわりと胸を温めていた。赤ん坊ゆえか視界や耳が効きにくくとも、何故か彼らの喜ぶ姿が伝わってくるからだ。
 母親が顔を寄せ、制御がきかずなきわめく私に話しかける。
「XXXX、XXXXXXXXXXXXXXXXXXXX」
 おや、と思ったのはこの瞬間からだった。
 どうしてこの人達の言葉がわからないのだろう。そういえば、さっきから声は届いているし雰囲気は伝わるのだけれど、彼らが何を喋(しゃべ)っているかさっぱりわからない。
『転生』を明確に意識しだしたのはこのあたりからだった。
 そもそも私は独身の三十路である。生まれも育ちも日本で海外に知り合いなどいないし、そんな知り合いがいたら、もうちょっと人生エンジョイしていたはずだ。
 しばらく考えて、寝た。母の乳を飲んで、また寝て、結論が出たのは数日後である。あ、私、完全に異世界に生まれ変わっちゃったのだと思い至ったのである。
 それから私は頑張った。ものすごく頑張った。
 本来ならごく普通に過ごしていれば良かったのだと思う。
 私は掴(つか)まり立ちも早かったし、好き嫌いもしなかった。父母祖父母は私の成長を喜んだが、彼らが喜ぶほど私の不安は加速する。心配したのは、彼らの言葉が特殊だったせいだ。日本語でも英語でもない不思議な発音。父、母、兄、姉。そんな単語はなんとなくわかったが、いざ喋るとなれば、これがなかなか難しい。生まれたころから耳にするのだし、中身は大人だ。勉強すればある程度はわかるだろうって思うじゃない?
 そんな簡単にできたら苦労していない。
 三十路だ三十路、お年を召した方々からすれば充分若い範囲とはいえ、十代と違い、頭は若干固くなっている。日本語しか喋ってこなかった身としては、言葉を覚えるのも一苦労なのだ。
 そんな私の第一声は「お母さん」のつもりが母の実名である。喜ぶと思って発音を真似したつもりがまさかの名前呼び。後から判明したのだが、これは父が母を呼ぶときの呼称だったようだ。日本人だった頃の親が「父さん」「母さん」呼びなので、その基準で考えていたのは申し訳なかった。
 こういった失敗を繰り返しながら、なるべく子供らしい振る舞いを心がけて新しい生(せい)を謳歌(おうか)していたのだけれど……。
 月日が一気に飛んで十四の頃、私は母親に忘れられた。
 いやあこれがなかなか酷い。なにが酷いって、笑っちゃうくらいなにもかもが唐突だった。この日、私は数少ない友達の家から帰宅した。中流といえどお貴族様なので住み込みの使用人さんもいて、彼らのお出迎えを受けながら教えてもらったのだ。
「お嬢様、叔父上様と叔母上様がいらっしゃっていますよ」
「叔父上達が? そんな話、聞いてないけど」
「お祖父様が突然いらしたようで、急遽(きゅうきょ)お集まりになられたようです。皆様もうお揃いです」
「顔を見せなきゃ怒られちゃう。いますぐ行きまーす」
 よい子なので手洗いをきちんと済ませ、身だしなみを整えて扉を叩いた。面倒くさいったらありゃしないけれど、将来好きなことをするため、心証は良くしておくべきである。
 ま、それもこれも、自分で掃除洗濯家事諸々しなくていいっていう余裕があるからなのだけれど。ともあれ、私は子供スマイルで入室したのだ。
 そうしたら母親がこちらを見つめ、キョトンとした顔で「どちらのお嬢さんかしら?」と尋ねた。はじめは冗談かと皆が笑ったが、それが本気だとわかると皆が慌てふためきだし、母の容体を心配しだした。けれど一向に良くならない。兄と姉、そして弟が私を抱きしめ、こう言うのだ。
「お母様はなにを言ってるの。この子は私たちの妹、カレンでしょう」
「娘? ……女の子は貴女(あなた)一人ですよ、ゲルダ」
「お父様、お母様がおかしくなった!」
「母に向かってなんてことを言うのです」
 まるで喜劇である。母は医者に運ばれ、私は兄姉や親戚から代わる代わる抱擁を受けた。皆、口を揃えて「大丈夫だからね」と慰める中、私は自分の中身が大人でよかったと安堵していたのである。
 だって、まともな子供なら目の前で母親に忘れられるなんてトラウマ必至だろう。私だからこそ
「まるでドラマみたい」と呑気(のんき)に構えていられたのだ。ショックじゃなかったとは言わないけど、それもこれも、どこにいるかもわからないが、日本の母親という存在が心にいてくれたおかげである。
 さらにさらに、私の人生はまだまだ変わる。
 なんと私、父の子じゃなかった。
 結論から述べてしまったけれど、順を追って話していこう。
 とりあえず母親は記憶を無くした。なにがどうしてそうなったかは知らないけど、私に関する事項のみ綺麗さっぱり消え失せたのだ。カレンという娘は存在しなかったことになり、兄姉に弟がいた事実だけが残った。家族は可哀想なくらいに狼狽(ろうばい)し、母の記憶を取り戻そうと必死になり、記憶のカケラを求めて思い出の品を探し回った。ある日、クローゼットの奥に隠されていた手紙を発見し、それに父が目を通せば、中身は男に宛てた手紙である。なんと母の浮気の証拠品であり、父から相談を受けた叔父が激昂。余計なことに叔父が浮気相手を問い詰めたところ、相手も母との一時の恋を認めてくれやがったといった経緯である。当然母への聴取も行われたが、彼女はぼんやり浮気を認めたものの、やはり私のことはわからなかった。
 ただ、調べれば調べるほど目を背けたい真実が明らかになっていった。結局、時期的に父の子ではなさそうであり、なにより私が相手の身体的特徴を引き継いでいたので、私は父の娘ではないと結論付けられた。
 ……終わりとお思いだろうか。
 混乱はまだまだ続くよいい加減にしろ馬鹿野郎。
 この真実は父と叔父だけで完結するはずだった。ところが口さがない使用人から家族に話が漏れてしまい、姉が反発。私は兄や弟とも微妙な空気になり、家は恐慌状態へ陥った。結果として父は私を浮気相手に押しつけた、というより渡すしかなかった。父親は、たとえ血が繋がっていなかったとしても長年育てた子に情があったが、周りがそれを許さなかったのである。
 うちは貴族であり、とある名家の親戚筋だった。父方母方共に潔癖な方々がいたし、この頃は知らない爺(じじ)婆(ばば)が我が家にひっきりなしに出入りしていたのだ。母は相変わらず記憶を取り戻さないし、私がいると和が乱れるばかりだ。父も心労が祟(たた)っていた。
 そこで発動、臭い物は余所(よそ)にやれ作戦。ドロー! 私の不幸はまだ続く……!!
 私の実父は庭師の息子。この頃には妻子を持つ身であり、お金と共に押しつけられた私はどう考えてもお邪魔虫。こちらが呆(あき)れるくらいに実父は恐縮し、彼の妻や子は怒り心頭である。私もこの時ばかりは嘆いた、せめて貴族と浮気してくれたのなら、やりようがあったかもしれないのに、と。
「まあいいわ、落ちるところまで落ちてるから、あとは浮かぶしかないでしょ」
 ……流石(さすが)に身売りするまで大変にはならないはずである。
 ありがとう三十路、ありがとう生活へのバイタリティ。私は実父に部屋を借りてもらった。そこは集合住宅、日本で言えばアパルトメント的な借家だが、住まうのはほとんどが女性である。
 この国に生まれて良かったと感じるのは、ファンタジーな世界といえど、女性が自立して働ける体制が整っていること、また女性を尊重する男性も多く存在する点だろう。
 逆に悪いと感じるのは、これはもうしょうがないのだけれど、日本に比べると治安が悪い。どんな具合に悪いかと言えば、国の外を女の子だけで歩けば、身ぐるみ剥(は)がされ陵辱の末に売り払われるのが想像に容易(たやす)いくらいである。このため、よほど安全な道を行かない限りは殺されても文句は言えない。護衛をつけなかった故(ゆえ)に納得、といった感じである。
 都内は安全だけど、危ない人が多いのも事実。だから自衛に越したことはないのだった。
 最初こそ生まれ変わった意味なんて模索していたけれど、一人になるとそれどころではなくなった。やはり心の余裕は生活の余裕から生まれるのであり、あれよあれよと環境が変わっては、他に手を掛ける時間はないのである。
 そして、そう。物語はここからはじまるのだ。
 一人暮らしになっておよそ二年近く経った十六の春、さあどうしたものかとペンを握って唸(うな)っていた。場所は学校の教室。友人のエルネスタ嬢が私の手元を覗き込む。
「カレン、可愛い顔を台無しにして一体なにをお悩みかしら」
「聞いてちょうだいなエル、就職先が決まらないの」
「おやまあ、カレンの成績なら……余程いいところじゃない限りはどこでも狙えるじゃない。わたしのように研究職でもないんだし、好きに行けばいいのに」
「忌憚(きたん)のない意見をありがとう成績一位」
「いいえぇ、カレンだって百位くらいは常時キープだもの。悪くない悪くない」
「嫌味かこの秀才」
 この国は何代かにわたり良い王に恵まれているためか圧政に苦しまず、そのおかげで国民の生活と教養水準が高い。市民相手でも学校の門戸は開かれており、学費さえ納められるのであれば、十一歳以上の若者は入学を許される。二、三年後の卒業まで在籍すれば就職先を見込めるから、無理をしてでも子を入学させる親は多いのだ。
 このエルネスタ嬢もその一人で、親の努力あって学校に通い続けている。くりっとした瞳に茶褐色のおさげが可愛らしい女の子だ。エルネスタ、愛称エルは私の向かいに座ると、指折りしつつ就職先を挙げていった。
「カレンなら礼儀作法も形になっているし、いっそ院にいってもいいんじゃないの。研究職は無理でも、受付とかいけるでしょ」
「んー……あそこはほら、偉い人が多いでしょ」
 院、とは魔法院、騎士院を指している。こう、騎士とか魔法とか実際口にするのは恥ずかしいのだけど……。前者後者共に国の治安維持のメインを張る人々の集う活動拠点である。そこまではよかったが、ここは貴族出身の人々が多く勤めている。
「大金持ち捕まえて玉の輿にでも乗っちゃえば? 顔きれーだからいけるって」
 なんてことをいいやがりますかこの友人。
 だがエルは嫌味で言っているのではない。彼女は私の経歴をすべて知っているのだけれど、すべてを知った上で腹を立てているから暗にこう言っているのだ。「実家を見返してやれ」と。
 故に、私の返答もこうなるわけである。
「まぁ、捕まえたくなるくらいのいい男がいたら考えるわ」
 私は一人暮らしになった折、即座に学校へ入学した。上流階級の子供達が通う学校は、家を追い出された時に退学となっている。
「エルは? そう言うからには院に行くんでしょ」
「まあね。せっかく魔法が使えるんだし。こうなる前はなーんにもできずに終わっちゃったもの。今度は自分のやりたいように生きて、親孝行して人生終わるわよ」
「もう人生見据えてるの早くない?」
「なに言ってるんだか。人間なんて二十、三十過ぎたらあとはあっという間なのよ」
「……それは、わかるけど。でも私たち、いまはこうして若いのだし」
 記しておくとエルも転生者である。ただ彼女は海外の人であり、私とは環境も転生前の経緯もまるで共通しない。彼女は若くして子供を生み育て、生活費を稼ぎ、そして亡くなったのだ。本人が口にするのを嫌がるので詳しくは聞けないが、間違っても恵まれた境遇ではない。エルが勉学に励むにはこういった背景もあるのだろう。
 こんな私たちが友人になったのは、お互い気が合ったからに他ならない。
「これも主の思し召し、悩むのも今のうちってね。新しい人生は楽しんでいこうじゃないの」
 エルは外国出身のためか、宗教に対して一途(いちず)である。いまとなっては考え方も多少変わったようだが……それでも、神を信じる気持ちはあるようだ。
 私は日本の宗教観そのままなので、見たことも会ったこともない神は都合の良いときだけしか信じていない。チート? 知らないよそんなの。私には過分な知識も、魔法も、頼めばなんだってやってくれる不思議な生物もなにもない。そんなものより、目下大事なのは目の前の用紙である。
「どこに就職したいか、ねえ」
 学校は学費を払い続けた生徒に対し、就職先を斡旋(あっせん)してくれる。私も例に漏れずその斡旋にあやかろうとしているのだけど……。
 それが問題なのだ、それが。
 ぶっちゃけ、私が就職できるところは限られる。何故って私は追放されたとはいえ、中流貴族の娘だ。前の家はキルステン家というが、勢力争いや噂諸々の関係で、キルステンを初めとした貴族と密接な関係のある所には行きたくないのだ。過去を掘り返され口さがなく言われたくない。
 中流貴族とはいえ、私の存在はキルステンにとって汚点だ。
 そりゃあ、悪いのは実母で、私と浮気は関係ないと友人は言ってくれる。正直私もそう思う。けれどこれで済まされないのが貴族社会なのだ。面子(メンツ)に命を掛ける親族等、特に母方の祖父母は実父を恨み、そりゃあもう怒り心頭と聞いているが、一人暮らし以降会っていないから詳細は知らない。
 私が平穏に暮らせるのは、あの人達なりの情なのだろうか。今の生活はお金がカツカツな以外は平和だけど、学校を卒業して社会に出るとなれば、さてどう変わっていくのだろう。
「……希望は出すだけやってみましょ」
 一つ目の希望は、とある商会の会計係。
 二つ目の希望は、院の記録係。
 どちらも給与が良いところだ。院はあまり行きたくないが、取捨選択の上でという感じ。どちらにせよしばらく働いて、お金を貯めるのが目標である。
「先立つものがないと、なんにもならないしねぇ」
 私は二十歳を過ぎたら国を出ようと思っている。もう少し外の世界を見てみたいのだ。けれど国外となるとあてがないから、働いてきたという下地を得ておきたい。いっそお偉い神様がお告げでもしてくれたり、わかりやすくレベルアップ方式でステータス画面でも見ることができるのなら目標が定まるかもしれないけど、なんとも世知辛(せちがら)い転生である。しかしこんな転生でもご飯を食べていかなきゃならないのが人生で、そのために私はあくせく働くのだ。ま、この国、日本ほどブラック企業に溢(あふ)れてないけどね。
 希望を提出した三日後、私は先生に呼び出された。先生は目元を真っ赤に腫らしながら、泣き出す一歩手前で、振り絞った声でこう言った。
「すまないカレン。希望を叶えてやりたかったのに、私にはなにもできなかった」
 この一言で「あー手を回されたんだな」と内心呟(つぶや)いた。先生は生徒に熱心だったから、方々掛け合ってくれたんだろう。その涙だけで充分だと礼を言って、そのまま授業をサボったのである。
 街並みは所々緑が溢れている。この日は風が強くて、街路樹はざあざあと音を立てて揺れていた。学校を囲むように花壇があるのだが、赤や黄色といった花弁が揺れ、併設されたベンチにぽつんと腰掛ける。この国の学校は私服で通うものだし、生徒とわかりはしないだろう。
「……参ったな」
 驚くほど力のない声が出た。自分ではかなり無難な就職先を選んだと思うのに、こんなところで妨害されるとは予想外だった。こうなるとイジメ覚悟でかなりランクを上げてみるか、それとも相当下げるか、あるいはどこかに飛び入りして頭を下げるかだろう。でも最後のはあまり乗り気になれない。何故って十六の小娘を簡単に雇ってくれる先に、高額の働き口は期待できない。
 酒場の給仕や小さな店の店員……。こういった職が駄目だと言いたいわけではないが、将来祖国を捨てて他国に去ることを検討している身だ。こんな私に良い人が見つかるのは難しいだろうし、最悪独身で生涯を終える将来設計でいると、いざ体を壊したときが恐ろしい。安定した技能が欲しいし、そのために学校に通ったのだから、今までの努力が無意味となる。子供らしい生活を半ば放棄してやってきたのだから、採算を取りたいと思うのは必然だ。
 現実的すぎるって言わないでほしい。私だってお金を心配せずにいられるなら、せめて花の十代は遊び倒したかった。
 両手を組み、両目を閉じる。風の音とそれに紛(まぎ)れる人々の声は優しいけれど、今の私にはただの雑音だ。じっとしていると、離れたところで馬車が止まった音がした。バタンと戸を開ける音がしたまではよかったが、複数人の足音が段々と近付いてきて、ここで何かがおかしいと目を開く。
 足元に影を落としたのは懐かしい顔だ。
 切れ長の目元に、整った鼻梁(びりょう)。撫でつけた頭髪は紛れもなくキルステンの長子である。
「驚いた、兄さんがこんなところに来るなんて」
「久しいな、カレン」
 素(す)っ頓狂(とんきょう)な声を出す私と違い、元兄もとい異父兄アルノーは何とも言えない表情で妹を見下ろしている。口調が随分硬いけれど、いまとなっては別家庭だし、複雑なのだろう。
 補足しておくと兄に思うところはない。この人は私を可愛がっていたし、実父に追いやられると知ったときも最後まで反対してくれた。
「お久しぶりです。まともにお会いするのは二年ぶりでしたっけ。ぴりぴりしてらっしゃいますけど、ご飯ちゃんと食べてます?」
「毎日きちんと食べているよ。お前も元気そうでなによりだけど、ちゃんと食べているかい」
「生活費はもらってますから、ご心配なく。ちゃんと自炊しながらお肉と野菜を食べてますよ」
 どうもお金の話は失敗だったらしい。眉を寄せ、そうか、と短いだけの返答である。
 そんな兄の背後に控えているのは、彼の乳兄弟だ。帯刀しており、いかにも護衛ですって装い。彼にも可愛がってもらったし、ひらひらと片手を振ってみたが、笑みの返答だけで終わってしまった。
「兄さんは、今日はどうしたんです。まさか偶然通りかかって見つけたから声をかけたとか?」
「いや、お前に用があってきた」
「でしょうね。……あ、いや、責めてません。責めてませんから」
 異父妹と接触禁止を言い渡された兄が用もなしに会いに来るはずがない。本家の若様の右腕となるべく教育された長子なのだ。妹が気がかりであろうとも、家を背負う身とあっては軽々と動けない。そして私が接触禁止の件を知っている理由は、姉の使用人がすべて教えてくれたからである。追い出された最初の頃、その人伝いに言伝(ことづて)をもらっていたので、思うところがないというわけだった。
 兄は無言で私に手を差し出す。来て欲しい、という意味だろう。
 どこに? なんて間抜けはいわない。わざわざ兄が出向いたとなれば、連れて行く場所なんて一目瞭然だ。だから私はこの手を突っぱねるのも可能なのだが……。
「……うーん、行かないってなると兄さんが可哀想ですからね」
 授業の途中だけど、市民学校はこのあたりの感覚が結構緩い。家のお手伝いのために途中で帰る子もざらだし、要は学校に迷惑をかけず、成績を落とさなきゃいいのである。
「今日はサボりますって、学校へのお知らせはお願いしますね」
「ああ、こちらから伝えておくよ」
 久しぶりに乗る馬車は、便利だなあの一言に尽きる。兄と向かい合いながら、小窓からのぞく外の景色に、追い出される前は当たり前のように乗ってたんだなと感慨深くなった。
「カレン、生活費は足りているだろうか」
「うちを……あー……キルステンを出るときにたくさん頂きましたから、それで充分賄(まかな)えていますよ。お腹空かしてひもじい日々なんて送ってません」
「服は? 見たところ、あまりたくさん持っていないようだが」
「え? 服なんて見せたこ……あ、はい、わかりました。そういうことですね」
 きっと隣の乳兄弟であるアヒムにでも私の様子を聞いていたんだろう。細かい突っ込みはせず、そちらも問題ないと明るめに言い張った。
「普通の家庭になると、服を取っかえ引っかえなんてしません。暴れて汚すわけじゃないし、学校に通うくらいならあまり必要ありません」
 毎日服をとっかえひっかえも、平民の学校じゃ嫌味にしかならないしね。このあたりの感性は貴族と一般庶民の違いではないだろうか。
 他人の目がないおかげか、兄さんはこわばった笑みを崩して話しかけてくる。やはり嫌われていないようだと、こちらも気を緩めた。
「姉さんは元気ですか」
「元気すぎて困るくらいだ。うちじゃ家のことも仕切りだして、抑えるのが大変なくらいだよ」
「そこは姉さんらしいなあ」
 姉は美しい人だ。艶やかな黒髪に滑らかな白い肌を持ち、一見大人しそうな令嬢に見えるけれども、その実、瞳は生命力に溢れる快活な美人である。些(いささ)か気が強いのが玉に瑕(きず)だといわれていたが、その強さが周囲の女の子達には憧れの的だった。
「父上もな、お前のことを気にしていた」
「へー、そですか」
 返事をしてから、内心「しまった」と気付いた。そっけないどころか冷たい返事は兄の口を閉ざし、アヒムにも気難しい表情をさせる。外を眺めて誤魔化したが、以降、キルステン家に到着するまでの間に共有されたのは沈黙だ。
 懐かしの生家は典型的な、いかにもといった貴族の屋敷である。
 柵格子に囲まれた敷地、門を潜り広がるのは人工的に整えられた庭園。門から正面玄関にかけては石畳で整えられている。中流は中流でも、まあまあ上に分類される家筋だろうか。
 この風景、懐かしくも苦々しい気持ちになるのもまた事実。感傷とも言い難い感情を胸に玄関を潜れば、白髪の増えた執事が恭しく礼の形をとった。厳しいくらいに私を叱りつけた使用人長は、目尻にうっすら涙を浮かべていた始末だ。なんかごめんね……と居心地が悪くなる。この人達は、出ていくときにたくさんお菓子をくれたのだ。
 真っ直ぐに向かったのは、よく家族が集っていた居間である。そこには父親のみならず祖父母に親類といった面々が揃っており、圧迫面接かと首を傾げた程である。
「……お久しぶりでーす」
 ちょっとだけ、むっとしてしまったのは否めない。
 さっきまでは礼儀正しく挨拶でもしようと思ったけれど、親類の汚らしいものを見る視線が、はっきり言って腹が立った。子供かと言われるかもしれないが、いまは子供である。
 肝心の母親も同席していたが、彼女は相変わらず他人を見る顔で鎮座するばかりだ。形だけの礼をして、私のために用意された席に腰をおろした。
「久しいな」
「はい、本当に久しぶりです」
 父が周囲を制し私に話しかけた。本来はこんな無機質な喋り方はしない。もっと愛情深い人なのだが、兄の言葉を信じるのであれば親戚の手前もあるのだろう。
 私たちの間に無駄な会話は生じなかった。父は端的に要件を告げたのである。
「ゲルダの婚礼が決まった」
「おめでとうございます」
「相手は国王陛下であらせられる」
「そうですかおめでとうござ……んんんん?」
 それは大変おめでたいし、姉のあの美しさなら納得だが、ちょっと待って欲しい。国王陛下、いま五十手前ではなかっただろうか。なにより后妃がいる。
 時を止めた私に、父もわかっていると言わんばかりに頷いた。
「正確には第二妃だ。側室として召し抱えられる」
「あ、ああ。そういう……でもいったいどういう経緯で側室になんて」
「陛下に求婚されたからだ、それをあの子自身の意志で承諾した」
 求婚されたらしい。流石姉。さすあねである。
「だが条件付きだった。傷ついたお前の名誉を回復させねば、側室など断固ありえぬ、修道院に入るとはね除けた」
 待って。それ待って。姉の愛情は嬉しいけどちょっと待って。
 顔から感情が抜けていく私に、父は言った。
「陛下はゲルダにお前の名誉回復を約束したそうだ」
「ちょ……」
「本家から我が家に命が下った。本日をもって、カレン、お前をキルステンに戻す」
 姉! 姉ーー!!
 うまく発音できない私の前に、二枚の肖像画が置かれる。
 これはなにと顔を上げると、なんだか父の面差しに苦悩の色が宿っている。
「ついては、だが。お前も年頃だ。良い相手を見つけたいと……本家が仰せ、でな」
 ここで父の兄弟が、そっと肩に手を置いた。顔色が悪い父親を心配するように「代わろうか」と囁(ささや)く声は、しっかり私の耳にも届いていたのである。
 ……つまりこれは父の本意ではないのだと、それがわかると少しだけ落ち着けた。
 私は二つの肖像画を取って見比べる。
「つまりどっちかと結婚させて名誉回復をはかると、なにも考えてない本家はおおせなんですね」
「カレン! 口が過ぎるぞ!」
 叔父は声を荒げるが、私も堂々とにらみ返した。わからないと思っているのか。
 片方は二十代半ば頃の男性らしい。実際はどうか知らないが、見た目だけで述べるなら金髪の長い髪が魅力的な人。唸っちゃうくらいに顔が良い。
 そしてもう一方、こちらどう見てもおじいちゃんである。人の良さそうな、愛嬌のある顔立ちをしている。
 これは……どう考えてもお年寄りを断って金髪に行けってことでしょ?
「……私から説明をしてもよろしいかしら、カレン」
 叔父の奥さんが夫のふとももを抓つねり、そっと口を挟んできた。居丈高な叔父が相手をしても怒らせるだけだと踏んだんだろう。
 叔母は落ち着いた声音で二人の経歴を説明してくれた。
 青年は名家の出身で、将来有望な騎士殿。
 もう片方は田舎で隠居生活をしている、奥方に先立たれた地方領主。
 他にも色々説明してくれたが、明らかに若い男性の方が説明が多い。
 そりゃあ、私は若い娘だものね。地方領主と違い、金髪の男性を選べばキルステンに残れるとも教えてくれたのである。
 ……それで、どちらを選ぶのかって?
 しばらく考えた後、真っ直ぐに父を見た。こころなしか居たたまれなさそうな雰囲気を感じるのは、周りを親類に囲まれているからだろうか。
「選んでいいんですね」
 尋ねると、父は少し悲しそうな顔で目をそらし「ああ」と呟く。
 その声を聞き届けると人差し指で肖像画を指さしたのだが、この一月後、仁王立ちの私が立っていたのは片田舎の館である。
「よろしくお願いしますねー」
 笑顔で挨拶する相手は六十オーバーのおじいちゃんだ。この人が夫、旦那様である。
 どうしてこの人を選んだのかは、別の機会に語りましょ。

~第2章へ続く~

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内容紹介
異世界の中流貴族令嬢に転生したカレン。
使命もチート能力もない平凡だが両親や兄姉弟と過ごす幸福な日々は、母親の浮気が原因で壊れ、14歳にして一人家を出て平民として暮らすことに。だが2年後、追い出されたはずの実家から突然呼び出しが。
超絶美形騎士と老伯爵、2人の花婿候補を紹介されて!?
平穏に生きたいカレンのどんでん返し人生の幕が開く!
★書籍特典として書き下ろしSS×2本収録。
「小説家になろう」サイトで845万PV突破!
本年度第8回勝手にロマンス大賞ネット部門第2位!
第2巻は2022年3月刊行予定!

書誌情報
転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁
かみはら(著) しろ46(イラスト)
四六版並製/本体予価:1650円/刊行予定:2021年12月2日

著者紹介
かみはら
作家。鹿児島県在住。
創作活動を経て第1回キネティックノベル大賞2次選考を通過。
本年度第8回勝手にロマンス大賞ネット部門第2位。
本作『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』で2021年デビュー。

イラストレーター紹介
しろ46
イラストレーター。
連載版『転生令嬢と数奇な人生を』でもイラストを担当。
ごろごろしながら本を読むのとふかふかのぬいぐるみが好き。
かみはら先生の世界に彩を添えられるように頑張ります。

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【「小説家になろう」サイトで700万PV突破】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』2021年12月2日刊行&イラストレーター決定!
【登場人物紹介イラスト公開!】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』
【歓喜・応援の声続々】12/2発売『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』【読者ツイート①】
連載版『転生令嬢と数奇な人生を』イラスト・ギャラリー①(おむ・ザ・ライスさん)
【カバーイラスト先行公開!】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』
連載版『転生令嬢と数奇な人生を』イラスト・ギャラリー②(オロロさん)
【特典情報解禁】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』
【表紙公開!】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』(12/2発売)
【挿絵サンプル先出し!】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』(12/2発売)
【見本出来&目次公開】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』(紹介漫画情報もありマス)
【サイン本情報!】『転生令嬢と数奇な人生を1 辺境の花嫁』
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