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【1章4節】第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』発売直前、本文先行公開!【発売日まで毎日更新】

第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作、竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』の本文を、11/19発売に先駆けてnoteで先行公開中! 発売日前日まで毎日更新(日曜除く)で、1章「最後の現金強盗 Going in Style」(作品全体の約25%相当)を全文公開です。

※前回までの更新はこちらからお読み頂けます

SECTION 4

 現金輸送車強盗計画実行から、約二十分。端的に言って、僕は著しい後悔に見舞われていた。それはもちろん、強盗に加担してしまったことへの後悔であるわけだが、もう少し近視眼的には、エチケット袋を持たなかったことへの後悔だった。
 井の頭公園の競技場を《ホエール》の巨体が駆け抜ける。それを追うは、パトカー二台とCBMSの武装ドローン四機。強風に煽られる樹のざわめきも、葉を叩く雨音も、まとめてサイレンの合唱が掻き消している。《ホエール》の乗り手を無視したシートは、フェラーリ三台分の価格がするとは思えないほど座り心地が悪い。カーブするたび胃の奥に重いシェイクが入り、ボディばかり狙われたボクサーの気分になる。
「いいかい三ノ瀬ちゃん。ハリウッド向け犯罪者の鉄則は、カリスマ性と愛嬌だ」
 反対に、五嶋は上機嫌で語りに浸っていた。このキャラ作りも映画狙いなのだろうか。彼の手には使い込まれたちゃちなゲームパッドが握られている。そのコードはアタッシュケース内のGPU付きUNIXマシンにつながっていた。そして、UNIXマシンは電波妨害対象外のClass1 Bluetoothを通じて、車体上を飛行する四機のドローンへ信号を送っている。
 五嶋がテンポよくパッドを触ると、ドローンから投影された笛吹き男が踊り、《ホエール》は彼に惹き寄せられるように走っていく。よく観察すれば解ることだが、笛吹き男の映像には、僅かな乱れがある。ご存知、Adversarial Exampleだ。《ホエール》はそのノイズによって、笛吹き男の導く先こそ正しき道だと誤認しているのだ。断っておくが、ハーメルンの笛吹き男をネタにしたのは五嶋のセンスだ。
「カリスマ性はこの賢さで十分として、問題は愛嬌だな。三ノ瀬ちゃんは乗り物酔いキャラで売るとして……。俺はどうするかな」
 ジブリ美術館横を抜け、吉祥寺通りに出ると、四台のパトカーが信号前に横付けして道を塞いでいた。しかし、《ホエール》の前では小石も同然だ。
「そこの現金輸送車! 止まれ! 止まっ……!」
「じゃ、俺の愛嬌を見せてやろう」
 五嶋がパッドのR1ボタンを押し込む。すると、道路にボウリングのレーンが投影された。《ホエール》にはボウリングの球が、パトカーの位置にはピンが立っている。意味を察した警官が、慌てて持ち場から逃げ出す。《ホエール》が加速する。哀れな白黒のピンが迫る。衝撃。そして、パトカーがピンボールのように吹き飛ぶ。
「ストラーイク!」
 ピン四本の時点で一度は仕損じているはずだが、胃液が出そうで指摘出来なかった。パトカーが進路を塞がんとするたび、五嶋が巧みにパッドでハンドルを切り、胃の内容物が乱反射する。実機テスト環境がないという制約、CBMSからの逃走という特殊な条件から、運転はAIより人に任せるべきだと提案したのは僕なのだが。
「もっと安全運転にはならないんですか!?」
「言っとくけどな、三ノ瀬ちゃん」
 瞬間、破裂音と共に窓ガラスが震え、僕は身を縮こまらせた。投石をされたわけでもない。ヒビも入っていないが、実弾を撃ち込まれたようだ。窓の外には、黒いドローンが飛行していた。CBMSの武装ドローンだ。市街地お構いなしに、続けざまに銃弾が降り注いでくる。
「これが俺たちの安全第一だろ」
 五嶋がゲームパッドの○ボタンを押し込む。すると、《ホエール》上を飛ぶドローンの一機が反転し、ノイズ混じりの光がCBMSの武装ドローンを照らした。瞬間、《ホエール》が遠吠えじみたサイレンを鳴らした。CBMSドローンを敵対者として認識したのだ。車体左右と上部の装甲が展開し、黒光りする物々しい機関銃が現れる。
 間近で発砲音を耳にするのは、初めての経験だ。雷のようなマズルフラッシュが十数回閃いて、武装ドローンは微塵になった。人的被害がでないよう、射角を制限しているとはいえ、五嶋はどの口で非暴力などとうそぶいていたのだろう。いや、システムを実装したのは僕なのだが。
「無敵スターとった気分だなぁ、三ノ瀬ちゃん!」
 五嶋が笑っていられるのが信じられない。僕は今の振動で吐きかけた。
「ドローン強盗対策にしたって、なんで現金輸送車に機関砲なんか載せちゃうんです!?」
「そりゃ、元々軍事用に開発されてるからだろ。こういう車、バカで大好き」
 僕はバカで大嫌いだ。
「このまま関東抜けるまで、パトカーでおはじきして終わりなんじゃないの?」
「だといいですけどね」
 僕はノートPCを確認した。液晶画面には、半透明のポリゴンを重ねた三次元地図が表示されていた。Google mapとカーナビ情報をベースとし、六条の組の下っ端を顎で使って最新情報に更新させたものだ。現在、三鷹市役所の付近を半透明の青い点が走っており、ぼやけた赤い雲がそれを囲んでいる。青い点が《ホエール》の現在座標で、赤い雲がCBMS車両の存在確率密度を表現している。青い点からは進行ルートを示す矢印が幾本も伸びて、CBMSの勢力圏外(埼玉、千葉、東京、神奈川の外)を目指している。矢印それぞれには推定成功確率が紐付いている。主要なルートは逃走成功率七十%を超えているが、どうも見落としがないか気がかりだ。
 先程からの警察やCBMSの抵抗は、明らかにこちらの推定を下回っていた。単に相手を過大評価していたのなら良いのだが。情報が欲しい。ネットを漁りたい。しかし残念ながら、電波妨害中だ。
「テレビ回線なら通るぜ。右ポケットにチューナーが入ってる」
 言われて、僕はノートPCにUSB接続のTVチューナーを繋いだ。すると、こんな文字が目に飛び込んできた。
《現金輸送車 "誘拐犯" ! 笛吹きジャック現る》
 どうやら、僕らの犯行はワイドショーの格好の餌だったようだ。各局はこぞってCBMS施行以来の大事件をスクープしている。報道内容は、犯人が《ホエール》をハッキングしたこと、犯人が放った電波妨害装置搭載ドローンにより、関東全域に無線通信障害が発生していること、警察が捜索に当たっていること、CBMSが警察の要請を受けて早速制圧に当たっていること等々、大同小異だ。しかし、視聴率トップは間違いなくTテレだろう。何せ、あのCBMSの生みの親が偶然ゲスト出演していたのだから。
『彼らの蛮勇を一言で申し上げるのなら、孫悟空でしょうな』
 一川は口ひげをなでながら、些かの緊迫感もなくこう言った。
『CBMSの五指から逃れるつもりでいるのですから』
「TV消していいですか」
 僕は発作的にノートPC上のTV中継ウィンドウを消そうとした。ただでさえ気分が悪いのだ。トラウマの胸焼けが重なれば、朝食カムバックもやむなしである。
「落ち着けよ三ノ瀬ちゃん。チャンネル変えるのもなしだ。一川センセの生実況が聞けるから、この時間に決行したってのに」
「どうして、そんな」
「ポロリとヒントがこぼれるかも知れないじゃないか」
 確かに、一川は自己顕示欲の塊だ。興に乗って捜査情報を漏らす可能性は大いにある。
『もっとも、彼らは頭に金剛圏をつけるより、腕に手錠の方がお似合いでしょうが』
「TV消していいですか」
「待て待て。映画化に必要なのは小粋さと愛嬌、そして折りたい鼻柱だ。金持ち、政治家、エトセトラ。何となく気に食わない奴が痛い目みるだけで、ぐっと親しみやすさが増すもんだ。そういう意味で、一川センセは大事なメインキャラクターなんだよ」
 一理ある、と僕は頷いた。頷いた上で中継ウィンドウを消そうとしたが、五嶋に手を叩かれた。
『そうですね。それでは、第二の笛吹きジャックを目指す皆さんに……居ないことを願いますが……。彼らがいかに愚かな真似をしでかしたか、簡単にご説明いたしましょう』
 僕らが醜いチャンネル争いを繰り広げている間に、スタジオでは一川がタブレットを片手に独演会を始めていた。
『確かに、《ホエール》は軍製品を転用した強力な兵器です。警察には、単独であれに通用する装備はありません。薄く網羅的な検問を張ったところで、力ずくで突破されて終いでしょう』
 一川がタブレットをスワイプすると、モニターに監視カメラ動画が映し出された。《ホエール》がパトカーを跳ね飛ばしたシーンが映し出されて、スタジオは息を呑んだ。
『彼らを止めるのならば、装甲バン三台、武装ドローン三十六機は最低限必要とみるべきでしょう。では、いかにしてそれら戦力を《ホエール》の行く手に配置するか。……誤解を恐れず言えば、そのためのCBMSなのです』
 一川は自然とゲスト席を立って、アナウンサーを押しのけてスタジオ中央を我が物顔で歩き始めた。
『問題を可視化しましょう。首都圏交通網をゲームボードとし、彼らは《ホエール》、こちらは装甲バンと武装ドローン、その他無人機を手駒に持つ。であれば、解くべきは各駒の動的経路選択だ。こちらはいかにして損耗を最小限に笛吹きジャックを捕らえるか。あちらはいかにしてCBMSの手から逃れるかを考える。互いの利益は完全に相反しています。即ち、不完全情報ゼロサムゲームですね』
 ゲームボード。手駒。これだけキーワードが揃えば、聞くものが聞けば同じ技術を想像するだろう。
『強化学習、という技術はご存知でしょうか』
「やっぱり来たか」
 五嶋は呟いた。強化学習とは、教師あり学習、教師なし学習に並ぶ機械学習の一分野だ。その最大の特色は《エージェント》が《環境》上を自律的に行動して、最大の《報酬》を得られる戦略を学習することだ。ある意味、人々が夢想するAIを最も体現する技術だろう。
 古くから機械制御やゲームAIで細々と研究されてきた分野だが、二〇一〇年代中頃から深層学習を取り込んで飛躍的な成長を遂げた。特にセンセーショナルだったのは、Google傘下Deep MindのAlpha Goだろう。十の三百六十乗のゲーム木サイズを持ち、完全情報ボードゲーム最難関と言われた囲碁において、二〇一六年、Alpha Goは当時最高の棋士イ・セドルを四対一で下した。知的遊戯人類最後の牙城が崩れた瞬間だった。
『そして、その強化学習こそCBMSの謳う自己進化の根幹なのです。実のところ、強化学習はその華々しさと正反対に、実適用が困難な分野として知られています。その最大の要因は《環境》依存性です。問題が大規模になればなるほど、それを解くために必要なシミュレータが調達不能になるということですね』
 一川がタブレットをシェイクすると、スタジオ中央のモニターに渋谷スクランブル交差点が映し出された。一見何の変哲もない風景だが、目を凝らせば、それがCG映像であることが解る。
『ご覧ください。これこそCBMSの誇る仮想首都圏です。監視カメラ、巡回ドローン、パトカー、その他映像情報を集約し、DeepSLAMによって生み出した三次元地図です。AI技術と物理演算によってデジタルに書き起こされた、現実のコピーと言えるでしょう。CBMSはこの仮想首都圏を環境とし、犯罪ビッグデータから数多の犯罪パターンを模倣し、無数の試行錯誤により、最適な犯罪対策モデルを学習し続けています。かの三億円事件もCBMSならば十五分以内に解決に導けますよ。保証してもいい』
 五嶋は時計を見て口笛を吹いた。どうやら、僕らは三億円超えを果たしたようだ。
『しかし、一川先生』
 画面外のコメンテーターが存在感を取り戻すべく発言する。
『笛吹きジャックも、その強化学習を使っていたとしたらどうされますか?』
 正解だ。僕らの経路探索モデルは秒間三万回のモンテカルロシミュレーションによって、成功率最大の経路を動的に探索し続けている。
 だが、その餌を待っていたとばかりに一川はにやついた。
『良い質問です。ホエールをハッキングするような不届き者ですから、多少の猿知恵はあって然るべきと言えるでしょう』
 孫悟空だけに、と付け加えなかった点だけは評価したいと僕は思った。一川は昔から同じジョークを繰り返すタチだった。
『ですが、ご安心を。まず彼らと我々とでは、持ちうる《環境》の質が違う。得られる情報の量が違う。そして何より、強化学習はリアルタイムな計算力こそ物を言うのです。CBMSの計算リソースは、クラウドGPUマシン七千台です。秒間シミュレーション回数は約五十万回に及びます』
「少年漫画かよ」
 五嶋がぼやく。僕は胃が痛くなるのを感じた。試算の七倍だ。よほど儲かっているらしい。シミュレーション回数だけで、こちらとは十八倍以上の差がある。加えて言えば、《環境》の差によって、シミュレーションの質も違う。
『ジャミングのかかった通信の孤島で、彼らが一体何分CBMSに対抗出来るのか。しかと拝見させてもらいましょう』
 パトカーの追跡を避け、交差点の角を曲がった瞬間に、状況は変化した。ゴム風船が弾けたような音がして、笛吹きドローン二号機のハートビートが途絶えた。《ホエール》の機関砲が唸り、左手後方で何かが砕けた。街路樹の陰から武装ドローンによる奇襲を受けたようだ。
 伏兵はそれに留まらなかった。歩道橋の上から黒い円盤が四つほど転がり落ちてきた。無人機だ。三機は機関砲が迎撃したものの、残る一機を見失う。助手席のドアに硬く重いものがぶつかる音がした。続いて、金切音が耳をつんざく。座り心地最低の座席が、微細な振動で益々不快感を増す。ドリルだ。工作用のCBMS無人機に取り付かれた。ドアの隙間をこじ開けようとしている。この角度では機関銃も使えない。工場さながらの騒音が神経をかきむしり、恐怖心を煽ってくる。
 トンネルに入るや否や、五嶋が左キーを押し込んだ。《ホエール》が車体を揺らし、コンクリの壁面に装甲をこすりつける。数千倍の質量に押しつぶされ、工作無人機は哀れ粉々に砕け散ったが、左の機関砲がおじゃんになった。僕は頭を抱えた。無人機一機には不釣り合いな代償だ。
「焦るなよ、三ノ瀬ちゃん。ピンチはあればあるほどいい。クライムアクションたるもの、ライアン・ゴズリングの顔をしわくちゃにする勢いで主役指数を稼がないと」
 彼は普段からしかめっ面だろ、と僕は言い返そうとしたが、出来なかった。トンネルを出ると同時に眩い光がそれを遮ったからだ。《ホエール》を笛吹き男ごと上から照らす光。これは……。
「ほら、主役指数が上がったから、スポットライトも当たるのさ」
「サーチライトですよ!」
 僕は思わず、運転席の天井を見上げてしまった。嵐の音に混じって、ばたついた羽音が聞こえる。ヘリコプターだ。肝が冷える。ヘリそのものはそれほど大きな脅威ではない。情報収集能力は高いが、台風の影響で無茶な動きは出来ないし、積載重量の関係から強力な兵器は積んでいない。航続時間も短く、最悪、威嚇射撃で追い払える。問題はヘリが現れた事実そのものだ。CBMSヘリポートの位置に天候とビル風を重ねて考えれば、事件発生からほとんど一直線でここ三鷹へ向かってきたことになる。つまり、CBMSは《ホエール》の経路をとうに読み切っていたのだ。
 三次元地図を見ると、敵のコマが予想外の位置に配置されていたことで、逃走経路探索AIは大いに混乱していた。いくつもの逃走経路が現れては消え、赤い雲に塗りつぶされていく。モデルの疑心暗鬼が手に取るように伝わってくる。
『はっきりと申し上げましょう。今から六分以内に、CBMSは笛吹きジャックを逮捕しました。もはや、その莫大な計算リソースは、いかに街への損害を減らすかに注がれています』
「六分以内に逮捕しました、だってよ。一川センセ、いい悪役だ」
「笑っている場合ですか。投了宣告ですよ」
 一川は演出家だが、無根拠な断定はしない人間だ。CBMSはこちらの思考を読み切っている。
「地力に差がありすぎる。この分じゃ、アレを使ったところで……」
「そう早まるなよ、三ノ瀬ちゃん。俺が一川センセをいい悪役だって言ったのはな、単に言い回しがヒネてるってだけじゃないんだ。言ったろ? いい悪役の鉄則はカリスマ性と愛嬌だって」
 確か、それはハリウッド向け犯罪者の鉄則だった気がするが。あと悪いのは一方的にこちらなのだが。
「奴さん、CBMSは六分以内に勝負をかけるって漏らしたんだ」
「六分、以内に……」
「ご愛嬌がポロリだろ?」
「……そうか!」
 気付くや否や、僕の右手はアタッシュケースの一つを開いていた。その中には、まるで石裏のダンゴムシのように、FPGAとバッテリーが所狭しとひしめいている。そこから伸びたコードをノートPCのグラフィックボードに接続する。
「この六分で、勝負をかけます。五嶋さん」
 コンソールを叩く。備え付けのファンが轟音を鳴らす。
 瞬間、ノートPC上で、経路探索モデルのシミュレーション回数が爆発した。秒間二万回前後だったシミュレーションカウンタが、十億回規模に跳ね上がる。青い矢印が見る間に増殖し、無数の赤い雲を想定、対処、踏破してゆく。僕は新たに組み上げられた逃走経路を読み上げた。
「多摩川を渡ります」
 五嶋は口笛を吹いた。川渡りは危険だ。橋が選択肢をせばめ、逃走経路を減らす。直感的には筋悪な選択肢だ。だが、素人の直感など統計の前では取るに足らない。
「オーケー。見せ場だぜ。顔歪ませろ、ライアン」
《ホエール》が唸り、加速する。木材店の角から、タイヤ型の工作ドローンが転がり出る。だが、僕が知らずとも、AIはそれを予知していた。逃走経路探索AIと連携する迎撃AIは、ドローンの存在を即座に認識、プロジェクターを照射し、機関砲で撃ち落とした。砕けたドローンの装甲が恨みがましくフロントガラスを叩く。
 ノートPCが警告する。十六秒後、正面右の三叉路からバンが現れる。
「アクセル。ドラッグストアの駐車場へ」
「よしきた!」
 五嶋がパッドのスティックを弾く。遠心力が全身を引っ張る。ヘリのサーチライトから外れ、《ホエール》がスピンしかかりながらもカーブし、駐車場に飛び込む。背後で目標を見失ったCBMSの装甲バンが工務店の看板に激突する。
 読めている。渡り合えている。七千台のGPUマシン相手に、この僕の技術が通用している。いつの間にか、僕は拳を握り込んでいた。
 莫大な計算力を持つCBMSへの、僕らが考案した対抗策。それはAIの "世界を狭める" ことだった。一川が極限まで現実を模倣した《環境》を作り上げ、CBMSの世界を広げたのとは正反対の手法だ。
 機械学習で扱うデータは(その本質を損なわない限り)次元が低い方が良質とされる。映画を見ながら料理をしていると、結局ストーリーが頭に入ってこないのと同様、過分な大きな情報はAIを愚鈍にする。学習を困難にし、計算量を肥大化させる。
 そこで、僕達はこの複雑怪奇な首都圏交通網を簡略化した。道路をエッジ、交差点や行き止まりをノードとして、道路網をグラフ構造に落とし込んだのだ。道幅や道路の角度、障害物の配置、車の台数等々の情報は削ぎ落とされてしまい、現実との乖離が大きくなるが、三次元地図を直接扱うよりも圧倒的に次元を削減出来る。さらに、そのグラフを主成分分析によって少数の主成分ベクトルの集合で表現し、重ねて次元削減を行う。
 これをGCN(グラフコンボリューショナルネットワーク)モデルに入力し、強化学習を行ったのだ。目論見は成功し、五嶋制作のFPGA百二十機との組み合わせで、外付け逃走経路選択AIはベースラインから約二万四千倍の高速化を実現した。
 しかし、この程度ならばまだ、《環境》の質の差でCBMSが上手だろう。最後の決め手は一川の愛嬌だ。六分圏内の近傍に封鎖線があるという言葉から、AIの思考を狭め、探索範囲を絞り込み、さらにシミュレーションを高速にする。
 汗が頬を伝い、顎から基盤に垂れそうになるのを、慌てて拭う。消費電力と熱量の都合から長くは保たない。だが、十分までなら対抗出来る。CBMSが六分以内に勝負をかけてくるのなら、それだけ保てば充分だ。
 ドラッグストアの駐車場を抜けて、鶴川街道に出て十字路に差し掛かる。右手から調布警察署と思しきパトカー、左手からCBMS装甲バンが現れる。無論、逃走経路探索AIはそれも読んでいた。
 笛吹きドローンの一機が先行し、パトカー前をライトアップする。瞬間、パトカーが急ブレーキと急カーブをかけ、盛大にスピンする。Adversarial Exampleで道端に子供が飛び出したように見せかけ、N社製の自動ブレーキシステムを起動させたのだ。道を塞がれた装甲バンが、パトカーへの激突を避けて横転する。武装ドローンもしばらくは出てこられまい。団地の狭間を走り、公園横を抜ける。
「三ノ瀬ちゃん、こっちに車道付きの橋はないわけなんだが、もしかして……」
「鉄道橋を渡ります」
 五嶋は笑った。
「京王相模原線、私鉄か。賠償金が怖いね」
 賠償金額も強化学習の《報酬》に含めておくべきだったと、僕は思った。しかし、もう遅い。正面から装甲バンとタイヤ型の工作ドローン三機。時間がない。大きく尻をふって右折。小さな茶畑を突っ切って、柵を破って正面の線路に飛び込む。
 線路の石、バラストが巻き上がる。上下振動が脳を揺らす。逃走経路探索AIの予想では、あと一分の辛抱だ。あと一分でヘリを振り切れる。赤い雲を置き去りに出来る。
 京王多摩川駅のホームを突っ切る。濡れ傘を持った主婦集団が唖然としてこちらを見ている。そのまま鉄道橋にさしかかる。近頃は鉄道障害復旧も高速化されてきているが、この騒動で多摩方面サラリーマンの帰宅時間が一時間は遅れるだろう。微かに満員電車に揺られていた頃を思い出す。しかし、感傷に浸れたのも、ほんの十秒の間だった。
「三ノ瀬ちゃん、お次の注文は?」
「このまま橋を渡って、対岸に渡りきる前に左下です」
「オーケー、左下だな!」
「「…………下?」」
 声が揃った。もう一度三次元地図を見直す。推奨進行ルートでは、《ホエール》は確かに橋を渡りきる寸前に、河川敷に飛び込んでいた。
 分厚い窓に額をつければ、眼下で水量を増した多摩川が荒れに荒れていた。河童だろうが流してやる。そんなメッセージを感じさせる力強さだ。
「本物のクジラだって川は登らないぞ!」
 上手く着地出来れば、逃亡成功率八十五%を超える。逆に日和見で飛ばずに逃げようとすると、逃亡成功率は五%未満だ。僅か二百四十二回の探索で足切りされている。
「取りうる経路は一通り物理演算エンジンにかけてますから。《ホエール》の車体強度なら何の問題もありません」
「俺達の強度は!?」
 五嶋の質問に、僕は頬をかいた。
「愛嬌でどうでしょうか」
「それは、許せないタイプの、愛嬌だ。三ノ瀬ちゃん」
 橋の先がパトランプで光っている。パトカーが即席のバリケードを作り始めていた。もう一度ボウリングしてもいいが、その先にどれほどの罠が待っているか。
「四の五の言ってる暇はねぇか!」
 五嶋はゲームパッドの×を押し込んだ。《ホエール》は虚空の先に輝く未来を確信したまま、橋を飛び出した。

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