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【『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ/冒険・スパイ小説の時代】宴の後に来た男(古山裕樹 )

冒険アクション大作『レッド・メタル作戦発動』(マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世、伏見威蕃訳)刊行を記念し、1970~80年代の冒険・スパイ小説ブームについて作家・書評家・翻訳家が語る連続エッセイ企画を行います。
第7回は書評家・古山裕樹さんです

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 1973年生まれで、70年代末はまだ字が読めるようになったばかり。そんなわけで、1970年代末から80年代にかけて冒険小説ブームがあった……と言われても、実感はない。ジャック・ヒギンズやアリステア・マクリーンといった名前を知ったのも90年代に入ってからのことだ。

 ブームという「宴」を知らなかった者が、当時どんな本を読んでいたのか、思い出を少し並べておこう。
 児童書を読んでいた小学生が中学生になって、背伸びをして大人が読むものにも手を出すようになったのが80年代の半ば。そのころ「冒険」という言葉から思い浮かぶものといえば、剣と魔法の世界での怪物との戦いだった。当時、東京創元社や社会思想社から刊行されていたゲームブックが大好きで、書店に行っては新刊をチェックしていた。
 ゲームブックが並ぶ棚の周りには、他の創元推理文庫やハヤカワ文庫も並んでいた。火吹山の魔法使いを倒す冒険だけでなく、この世界での冒険に目を向けるようになったのも、周りの棚の本を手にしたのがきっかけだ。
 自分が暮らす世界の情勢に関心を持つようになった80年代の半ば。後から見れば冷戦が終結に向かっていた時期ではあるが、まだアメリカとソ連が核兵器を抱えて睨み合っていた時代だ。そのせいか、冒険小説といえば、おのずと冷戦構造と縁の深い作品が目についた。
 初めて手にしたハヤカワ文庫NVは、テレビで放送された映画のノベライズだった。デイヴィッド・マレル『ランボー/怒りの脱出』。言葉の力による冒険アクションの激しさに心を奪われ、「前作」にあたる『一人だけの軍隊』へとさかのぼって、さらに心惹かれた。
 その次に手にしたのは、クレイグ・トーマスの『ファイアフォックス』。これも映画のテレビ放送がきっかけだった。
 私にとっての冒険小説の入り口は、冷戦とその爪痕を描く物語だった。冷戦と冒険小説というジャンルが、私の中では分かちがたく結びついていた。
 だが、冷戦を土台に据えた物語を楽しんでいるうちに、世界は動いていた。
 元号が昭和から平成に変わったころ。天安門事件。ベルリンの壁の崩壊。湾岸戦争。ソビエト連邦の消滅。
 世界の激動に比べればささやかなことかもしれないが、そのころ「冒険小説やスパイ小説はもうすたれる」という言説を読んで、そうなったら寂しいな、と思っていた。デイヴィッド・マレルも『ファイアフォックス』も、読み返して十分に面白かったからだ。
 その後、大学に入って、先輩から勧められたのがジョン・ル・カレ。初めて読んだ『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、ただ読みづらいという印象しかなかった。後に何度も読み返すようになるのだが、当時の私に「この本は後にお前の愛読書になるのだ」と伝えても決して真に受けることはなかっただろう。
 だが、「冒険小説やスパイ小説はもうすたれる」という懸念を振り払ってくれたのもル・カレだった。
影の巡礼者』は、ル・カレの過去の作品の緊密さに比べれば、だいぶゆるい作品だ。冷戦が終わって書かれた、いわば宴の後のようなささやかな一作。だが、私にとっては忘れがたい一作である。
 作中、ル・カレが生んだ老スパイ、ジョージ・スマイリーは、「冷戦が終結したいまやスパイは滅びゆく職業である」という意見に、こんな言葉で応じる。

「氷が割れてあたらしい国が生まれ出るたび、あたらしい枠組みができるたび、古いアイデンティティーと情熱が再発見されるたび、古いステイタス・クオが腐食するたびに、いぜんスパイは四六時中働きつづけるだろう」(村上博基訳)

 スマイリーはスパイのことを話しているのだが、私は小説のこととして受け止めた。その後のル・カレも、スマイリーの言葉のように、冷戦時代とはスタイルを変えながら執筆を続けている。
 私にとっての冷戦が、誰かにとっては9.11以降のテロとの戦いかもしれない。あるいはまた別の何かかもしれない。時代の風景に応じて、今もさまざまな冒険小説やスパイ小説が書かれている。私にとっては、作品がそれぞれの時代と分かちがたく結びついている。
 時とともに忘れられるものもあれば、残るものもある。どちらも私にとっては楽しめるものだ。
 かくして今も、その時代を映した冒険小説やスパイ小説を楽しんでいる。宴の後に来たけれど、別れを告げることもなく。
(古山裕樹)

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2020年、早川書房では、セシル・スコット・フォレスター『駆逐艦キーリング〔新訳版〕』、夏に巨匠ジョン・ル・カレの最新作『Agent Running in the Field(原題)』、潜水艦の乗組員の闘いを描く人気作『ハンターキラー』の前日譚『Final Bearing(原題)』、冬には『暗殺者グレイマン』シリーズ新作など、優れた冒険小説・スパイ小説の刊行を予定しています。どうぞお楽しみに。

レッド・メタル作戦発動(上下)』
マーク・グリーニー&H・リプリー・ローリングス四世
伏見威蕃訳
ハヤカワ文庫NVより4月16日発売
本体価格各980円

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『レッド・メタル作戦発動』刊行記念・連続エッセイ 一覧

【第1回】「あのころは愉しかった・80年代回顧」(北上次郎)

【第2回】「回顧と展望、そして我が情熱」(荒山徹)

【第3回】「冒険小説ブームとわたし」(香山二三郎)

【第4回】「冒険・スパイ小説とともに50年」(伏見威蕃)

【第5回】「冒険小説、この不滅のエクスペリエンス」(霜月蒼)

【第6回】「燃える男の時代」(月村了衛)

【第7回】「宴の後に来た男」(古山裕樹)

【第8回】「冒険小説は人生の指南書です」(福田和代)

【第9回】「蜜月の果て、次へ」(川出正樹)

【第10回】「人生最良の1990年」(塩澤快浩)

【第11回】「気品あふれるロマンティシズム」(池上冬樹)


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