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ハヤカワ演劇文庫の新刊『松田正隆Ⅰ』宇野邦一氏による解説を特別公開

2022年11月3日 ~11月20日に世田谷パブリックシアターで上演される『夏の砂の上』(演出=栗山民也/出演=田中圭ほか)に合わせて、ハヤカワ演劇文庫より松田正隆氏の傑作三選を刊行いたします。日常の裂け目から、生と死、都市の記憶が滲みだす、「日本の現代演劇の精髄」と言える作品群です。
ベケットやアルトーの翻訳・研究でも知られる宇野邦一氏は、松田氏の戯曲を「この声、言葉、このリズム、息遣い、間合いにはなにか奇跡的なものがある」と評します。この度、文庫に収録した解説を特別公開いたします!

ハヤカワ演劇文庫『松田正隆Ⅰ』(書影をクリックするとAmazonページにジャンプします。)


別の言葉ーー松田正隆の戯曲
宇野邦一(フランス文学者)


「夏の砂の上」の最初のト書きには、「この時刻、陽光で眩む故、部屋の中はやけにうす暗い。きっと太陽は真上にあるのだ」と記されている。「坂の上の家」でもはじめに「朝の陽光が部屋に射し込んで来る時刻」とあって、すぐあとの「ナレーション」にも「そこには、まだ、光を孕む前の街が、青白くたたずんでいた」とある。ところどころに記された光の描写が妙に印象的なのだ。(港のドックが)「赤う見ゆるとは、西陽のせいてばかり思うとったとよ」。「窓の外を眺める。顔に西陽があたる」。「やがて、太陽が山からのぞく。光が直子を照らす」。「ばってん、どっから、光の入って来よるとやろか」。戯曲の進行上で、「光」がそれほど重要な意味をもっているわけではないし、舞台でそのとおりの光が演出されるかどうかもわからない。そもそも光ほどありふれたものはない。生命も、生活も、光の中にあり、光の変化とともにある。しかし処女作にあたるらしい「蝶のやうな私の郷愁」は、半分が台風で停電中の暗い部屋で進行するので、舞台にも光の変化は欠かせないだろう。
 その光について何かうがったことが言えるとは思わないが、戯曲を読み始めて、まずそれが印象に刻まれた。演じられた舞台だけを見ていたら気づかなかったことだろう。
 二つの戯曲は長崎弁の会話でできている。書き手が生まれ育った土地の言葉なのだが、もちろん標準語の会話とはちがう表情がそこに醸し出される。しかし何がちがってくるのか。地方の生活の素朴さ、ゆるやかさ、大げさに言えばそこの歴史や風土までが言葉にからみついてくる。書き手が方言に郷愁を覚えたり、あるいはすたれかけている方言の生存権を主張していることもあるだろう。それはたしかに貴い文化財でもある。しかし光への注意と同じことで、方言の使用にもそれほど大きな意味はなく、外国語ではないが、とにかく書き手は〈別の言葉〉で書こうとした。標準語とのわずかなずれが、じつは陰影も生気ももたらしている。ト書きに記された光の感触や変化と、その〈ずれ〉は響きあっているようだ。わざわざ方言を使う理由は、表現者によっていろいろだろうけれど、松田正隆の戯曲の場合かなり特別な感じがしている。その言葉は、長崎弁を通じて発見された〈別の言葉〉なのだ。
 ときどき淀むような時間をはさみながらも、短いせりふのやりとりで淡々と場面は推移し、「夏の砂の上」の治は、料理人の仕事についてまもなく指を三本切って失っても淡々としている(鈍感なのか、達観しているのか)。ときにそのような進行が、人物の見る夢や、幻想や回想で、わずかに中断することがある。それは日常からの一瞬の逃走、脱落のようなものだが、劇を牽引するほどのことではない。中学時代の友だちだった素敵な「デブ」の姿が間近に浮かんでくる。あるいは、竜巻がきて天まで突きぬけ、その中で家がぐるぐる回っている。こんな夢もある。「鉄板の、海のごと広がって、ローラーの上ば、どんどん、どんどん、どんどん、どんどん、おいばめがけて、近づいて来る、夢ば見たとよ」。これはタクシー会社に就職してすぐ事故で死んでしまう友人の見る夢なのだが、事故を予知する夢を見たというわけではない。淡々と繰り返す日常の網の目からすべり出た夢想であることに意味があったようだ。
 戯曲の主題は、家族、カップルだろうか。背景には、原爆で破壊された町の記憶が浮かぶが、前面に出てくることはない。失業中だったり別居中だったりして離散する人びとの小さな群れがある。事故あるいは災害で死んだ肉親や友人の記憶もある。しかし深い悲しみや苦しみ、大恋愛などはない。淡々とした日常の淡々とした会話があるだけで、原爆の痕跡をのぞけば、日本じゅうにありふれた地方都市の毎日があるだけだ。松田のこれらの戯曲に風変わりな、強烈な人物は登場しないし、物語を成立させるドラマチックな出来事もほとんどない。激しい感情表現をともなう行動や、いさかいの場面もない。松田の演劇はこういう傾向自体をつきつめて、物語はもちろん舞台装置もゼロ、表現的なせりふもほとんど排除した短篇からなるオムニバス形式を近年は続けてきた。
 日本の現代演劇が最近までどういう道を歩んできたか私に展望はないが、かなり徹底して演劇を〈非物語化〉し、〈迫真の〉演技や、時事に敏感な問題劇や、刺激的演出等々を排除して「目立たない演劇」を実践することにおいて、松田正隆と〈マレビトの会〉はかなり例外的な実験を続けてきたと思う。
 そのような創作法は、もちろん松田正隆だけの独創ではない。現代の芸術には、その点で多くの先駆者がいる。松田と私のふだんの会話では、演劇よりも映画の話が多く、小津安二郎がよく話題になる。小津こそ、ほとんど無意味な会話のやりとりを芯にして、映画の〈ドラマチックな〉面をことごとく拒み、静かな日常の反復にまぎれこんだドラマだけを拾い出して、広く感動を与えることに成功した映画作家にちがいない。演劇では、何を待つでもなく待ちぼうける人物たちの空しい時間だけからなる『ゴドーを待ちながら』を書いたサミュエル・ベケットがいる。物語も、心理表現も、アクションも、演技さえもなくしてしまう方向で、おそろしく徹底した実験を続けたベケットのほかにも、さまざまなジャンルにおいて、目立たない最小要素の反復からなる作品があらわれた。もちろんそれぞれの創作は、ただ空や無をめざしたわけではなく、そのことによって何かを表現しようとした。表現することさえも拒否するという芸術も出現したが、それらの動機も、めざした方向も、当然同じではない。物語もドラマも拒否してきたかのような松田の表現には、それでも演劇、言葉(そして光)への強い愛着がかえって濃厚
に感じられる。
 いろんな要素をはぎとって、必要なものだけを残し、密度の高い表現をめざすことは、例外であるどころかむしろ芸術の常道であるとも言えるだろう。ベケットの作品には、かえって緊張に息がつけないような、すきのない作品が多い。どうやら松田がめざしているのはそういう方向ではない。波乱万丈の物語や、観客をゆさぶる激しい表現をいらないと思うのは、むしろそういうものが日常に遠く、じつは紋切型の抽象や幻影で覆われ、ちっとも生き生きしていると感じられないからである。
 ベケットの『ゴドー』では、何もおきないかわりに、舞台の出来事が細部にいたるまで生き生きと現前している。そういう感想を松田から聞いたことがある。何もないこと、要素を最小にすることは、無をめざすのではなく、むしろ物ごとの配置に間隙をもうけて配置を組み換え、そこに居すわってきた観念や価値観を振り落とすことにつながる。

直子 陽子さん。
陽子 何?
直子 あとで、うちの部屋に来てください。
陽子 よかよ。
幸一 ……何や。
直子 うん?
幸一 何ばすっとや。
直子 よかと……。
慎司 あ、そうやった。……直子、ちょっと。
直子 何?
慎司 よかけん。
直子 何ね。
(「坂の上の家」)
 
 これは毎日どこにでもある凡庸な会話にちがいない。しかしこの声、言葉、このリズム、息遣い、気遣い、間合いにはなにか奇跡的なものがある。凡庸な会話が、凡庸なだけ奇妙である。そこにはすでに演劇が濃縮されてある。これらの言葉のかけらのやりとりに、視線、光、感情、意味、関係がからみあって震えている。これだけで、もうまぎれもなく演劇なのだ、と私は信じたくなっている。


***(ハヤカワ演劇文庫『松田正隆Ⅰ』より)***


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