製造人間POP

新作『製造人間は頭が固い』刊行記念  ~上遠野浩平インタビュー~

2017年6月刊行『製造人間は頭が固い』にあわせて、来年デビュー20年を迎える上遠野浩平さんにインタビューにお答えいただきました。(初出:SFマガジン2017年8月号、聞き手・構成:編集部)

■製造人間ウトセラ・ムビョウ

人間を生物兵器・合成人間に造り変える力を持つ「製造人間」ウトセラ・ムビョウ。彼を説得してその能力を発動させようとした人々を、ウトセラは独自のロジックで翻弄していく――「無能人間」の少年コノハ・ヒノオに始まる双極人間/最強人間/交換人間との邂逅、そして奇妙な論理で導かれる結末とは……〈ブギーポップ〉シリーズの裏側を明かす、異能力者たちによる新対話集。書き下ろし「奇蹟人間は気が滅入る」を収録

――本日は『製造人間は頭が固い』について伺います。本作は人間を生物兵器・合成人間に造りかえる能力を持つ製造人間ウトセラ・ムビョウを中心とした対話集です。このコンセプトは、いつ頃からお考えだったのでしょうか?

上遠野 ウトセラのキャラクター設定が先にあったので、どういう面白い話でキャラを紹介しようかと考えました。

――本作が犯人の小説にあたるということですね。事件篇に興味を持ったら、《ブギーポップ》シリーズを読めばいいでしょうか?

上遠野 作品としては全部バラバラの気持ちなので、どちらでもいいです。作家としてはもちろん読んでほしいんですが、読まなくてもいいように努力をしている、という矛盾した答えですね(笑)。

――ウトセラの設定は、以前から頭の中にあったのでしょうか?

上遠野 そうですね、この小説を書くために細部を固めました。私の持論として、そもそも世の中のことがよくわからないので、小説を書く場合にあたっても、登場人物がわからないことはわからないというスタンスでいます。合成人間の来歴についても、あえてわからないふりをしていたわけです。同時に、どういうものがベストかを無意識のうちに考えていて、そのタイミングがちょうど合ったみたいですね。

 第一話のタイトルとあとがきのBGMにもなっているDIOの「Institutional Man」という曲があって、これはなんだろう? というところから考えを固めていきました。「Institutional」は日本語にしにくい言葉なんですよね。製造人間という言葉は、合成人間とか人造人間といったところから考えて、キャッチーで使えるなと思いました。

 かつ、意味を聞くとなるほどとしか言いようがない。最終的なスタイルは、自分の眷属を増やす吸血鬼モノのバリエーションになっています。『ポーの一族』のように悲哀とか哀愁が漂う作品があって、それとは違う形はなんだろう? という疑問から出てきました。名作と正面から勝負しない、姑息な手ではあるわけですが(笑)。吸血鬼モノは人間の苦悩を描く文学ですが、吸血鬼のようなバケモノには、違うメンタリティがあったほうがいいんじゃないかとも思います。製造人間に限らず、私の小説にはどうみても宇宙人としか思えないような連中がたくさん出てきますが、彼らは基本的に人間とは違う考え方で書いています。知性的でありながら、人間のように考えない。昔のSFだとスタンダードな発想です。

 強力な能力があっても、世界を支配したいとか、自分の王国を作りたいかというと、そうではないのかもしれない。

 たとえば、〈ブギ―ポップ〉などに出てくる、最強人間のフォルテッシモがウトセラを殺そうと思えばもちろん殺せます。ただフォルテッシモは誰でも殺せるので、いちいち全部殺さない。ウトセラのことを、自分より強いやつを造ってくれるかもしれない存在と思っているわけです。

 ウトセラは危険だから殺したいという考え方のやつもいますけど、生かして利用したいという考えのほうが多いわけですね。

イラストはサマミヤアカザ氏

■ウトセラは問う

上遠野 ウトセラに関しては、基本的に彼から何かを主張しないのは一貫しています。そのかわり、彼が訊く。

――訊く?

上遠野 彼の訊いていることは、基本的に私がもやもやしていることです。作者なんだからそりゃそうだろうって感じですが(笑)。でも、疑問に思って聞きたいことではないんです。私的にも、それはどっちだと答えたい気持ちのある問いもいっぱいありますからね。

――第一話は「なぜ、死にかけている子供を救わなければいけないのか?」という大きな問いから始まり、他の話も大なり小なり問いかけがあります。ウトセラ先生のロジックは、どう構築されたんでしょうか。

上遠野 逆ですね。構築しないことです。ウトセラ先生に問いかける人物のほうが構築したいだけで、ウトセラ先生はとにかく、力を使わないように生きていますね。あと、ウトセラは弱いという設定は最初からありました。肉体的には強くない。でも、自分に縋る弱い人だろうが、強い人だろうが、態度は変わらない。

――煙にまかれたような印象もあれば、妙に納得できるようなことを言ったり、ウトセラは不思議な存在です。

上遠野 私もそう思っているんです(笑)。私が彼を理解しているわけではないんですよね。先生の場合は、思考回路的なものを疑似的に頭の中に作って、それに問いかけると、よくわからない答えが返ってくる。私自身が作中のようなことを言われても、ウトセラ先生と同じ答えはできないです。そういう意味では、憧れの存在を書いているとも言えますね。何をいってもまったく動じずに反応する。正統性があるかどうかは別にして、そういう姿勢に憧れますね。

――以前〈SFマガジン〉掲載のインタビューで「敵を倒して万歳」で終わるのはつまらないという感覚があって、その上でどうするのか見えない状態が続いている、と仰っています。

上遠野 その時からびっくりするぐらい進歩がないので、我ながらあきれます(笑)。ずっと敵って何? ということを考え続けている感じはありますね。ウトセラ先生は、敵を見いだせたら楽だと思っている。

――敵だらけの状況が楽ですか?

上遠野 ウトセラの場合は、自分が生きていることに対して懐疑的です。敵に殺された時、それは敵に負けたことになるのかどうかも決めていない。もしかすると、現実もそんな空気になっている気もします。

 勝ち負けを決めているといいながら、何に勝てばいいのかよくわからない。文明が明らかに進歩して、夢のような世界を手に入れたのに、このモヤモヤした、むしろ昔にあこがれかねない空気はなんなんだろうな? と。昔の人間は貧乏と戦って勝ってきたはずなんだけど、気がついたら勝っていないような感覚。かつ、扇動者に踊らされるポピュリズムみたいなものが世界中で問題になる。ごちゃごちゃしたものに対して、ウトセラ先生のような無責任で現実など知ったこっちゃないという存在は、憧れの対象になりますよね。

――他にも、双極人間、交換人間など様々な合成人間がいますが、特に気に入っているキャラクターはいますか?

上遠野 そのとき書いているキャラクターが気に入っています。そう言って、次の小説には出てこなかったりするんだけど(笑)。贔屓にしているのはブギーポップですかね。ウトセラ先生とブギーポップが会ったらどうなるだろう? と考えることは当然あります。

――無能人間として少年コノハ・ヒノオが登場します。何にも興味を示さないウトセラ先生が、何もできないヒノオに関心をいだいているようにも読めるのは、なぜでしょうか?

上遠野 あるとするならば、ウトセラ先生は他人から何かを頼まれる人なんです。でもヒノオは何も頼む事がないので、違うふうにみえる。ヒノオはウトセラ先生に何も期待しないんです。

――ヒノオのキャラクターを語るうえで欠かせないのは、第二話で登場する犬でしょうか?

上遠野 そのへんは説明できないのですが、こういう話にも、どこかでヒーロー的なキャラをいれないと、と思うところがあって入れたんです。今回はヒーローが犬。犬なら照れずにカッコよく書ける(笑)。お前の他の小説をみていると、どこが照れているんだよ、と言われるかもしれませんが。

――ヒーローを書くときには気恥ずかしさがあるんでしょうか?

上遠野 気恥ずかしいと思うことを、どうやってごまかすかを考えていますね。

「無責任」という意味のファンタジー

――前出のインタビューで、「SFは現実をどれだけないがしろにできるかなんじゃないか」とお答えになっています。上遠野さんにとって今のSF観は、この作品でしょうか?

上遠野 この頃(二〇〇二年)はまだ元気があったよね。小説のジャンルについて語るのがまだ有効だった時代だよな、と。SFは元気がなくて、本格ミステリが盛りあがっていた時期だった。今は本格ミステリも元気がないので、SFはこうだ、と極端にいう必要もない感じです。
 自分の小説は基本ファンタジーだと思います。ただ、それが世間一般のファンタジー観と相容れないだけであって。僕の場合のファンタジーは「無責任」という意味です。現実の責任をとらないし、とられない立場に読者を置ければいいなと思って書いています。ウトセラが責任をいっさいとろうとしないのは、明らかにその反映です。

――科学的な理屈がないという意味でのファンタジーではなく?

上遠野 そうそう。以前は、SFは地に足がついていない小説と言ってましたね。俺が子供のころにSFを読んでいた理由は、そのへんが好きだったからなんです。かつ、現実をはるか上から見下ろせるみたいな。コンピュータに支配されるのは悪夢の世界みたいなことを言う人が多かったんですけど、SFを読むと、別にいいんじゃない? 何が悪いの? と書いてあって、そのあっけらかんぶりはけっこう救いになりました。

――『殺竜事件』にはじまる〈戦地調停士〉シリーズはミステリ?

上遠野 それもファンタジーですね。変な話、ファンタジーのほうがよっぽど、現実に起こっていることに対して挑戦するニュアンスが強いですよね。国がどうのだとか、対立しているものたちが、とか。かなり根深い。

――地に足をつけたくなかったり、かっこいいものをストレートに書くことを少し気もするのは、SFから影響ですか?

上遠野 何からの影響か、区別がつけられないですね。鬱屈した人生を送っていたからSFに惹かれたともいえるし、SFがあったから、そういう方向に深入りしていったのかも。結果論として、ディックやレム、ハインラインは、明らかに今言ったことを裏打ちするような作家ではあります。

■実はデビュー二十年

――来年でデビュー二十周年ですね。

上遠野 十周年も気がついたら過ぎ去っていた人間なんでね(笑)。受賞が九七年、『ブギ―ポップは笑わない』が出たのが九八年なんだよね。

――二十年経ち、文章や書きたい題材に変化はありましたか?

上遠野 こういうものを書きたいというモチーフとをいちいちつきあわせる感じで、たぶん毎回違うのだろうけど、自分で振り返ってみると、全然バリエーションがないので、わからない。書きたいこと、というのは、たぶん世間的な意味とは違うと思います。私が決めているわけじゃないんだ、というのはよく言ってますね。人によっては天から降りてくると言うんですけど、私の場合はそんなに素晴らしい天がある気もしない。

――もやっとした感覚があるということですか?

上遠野 これを書ける、みたいな手応えをつかまえる感じですね。できあがった小説とはあまり関係ないかもしれない。
そういえば、私の小説を全部読むと「無能人間ってもう一人いるよね?」ということになっています。これは〈ブギーポップ〉などを全部含めた話で、それに繋がるかはわからないんですけど。というようなことを、インタビューに書いておくと引きになっていいんじゃないですかね(笑)。

――読み返さなければ……。今後の予定はいかがでしょうか?

上遠野 この質問、毎回困るんだよね。ウトセラ先生の話なのかな。

――本作の続き、ぜひお願いします。最後に、SFマガジン読者に一言いただけますか?

上遠野 〈SFマガジン〉ではド新人ですので、上遠野浩平をどうぞよろしくお願いします(笑)。

■上遠野浩平(かどの・こうへい)
1968年生まれ。法政大学卒。1998年、第4回電撃ゲーム小説大賞を受賞した『ブギーポップは笑わない』でデビュー。同シリーズはライトノベルのスタイルを一新し、多くの作家に影響を与えた。他の著作に、『ぼくらは虚空に夜を視る』に始まる《ナイトウォッチ》三部作、『殺竜事件』に始まる《戦地調停士》シリーズなど多数。


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