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空、海、山が織り成す「青の都市」、ケープタウン 『グッド・フライト、グッド・シティ——パイロットと巡る魅惑の都市』試し読み

ケープタウン、ロンドン、東京、ピッツフィールド…… ボーイング747・ドリームライナーの現役パイロットが、世界各地の都市との逢瀬の記録をつづる至高のエッセイ、『グッド・フライト、グッド・シティ——パイロットと巡る魅惑の都市』(マーク・ヴァンホーナッカー著、関根光宏、三浦生紗子訳)が本日発売しました。

天空の魅力を描いた世界的ベストセラー『グッド・フライト、グッド・ナイト』著者の新作となる本書の舞台は、地上。今回の記事では、本書のカバー写真を飾ったケープタウンの魅力について語られた章、「青の都市」の一部を特別公開いたします。

航空機のパイロットとして日常的に青空を目にし、「ここまで私の心を動かす色は、青しかない」とまで言わしめる著者の心をとらえたケープタウンの「青」にそなわる、無二の魅力が余すところなく語られます。

『グッド・フライト、グッド・シティ——パイロットと巡る魅惑の都市』の書影。

著:マーク・ヴァンホーナッカー

訳:関根 光宏、三浦 生紗子

出版社:早川書房

発売日:2024年7月18日

本体価格:2500円(税抜)

ケープタウン


南半球の夏

 ケープタウンへの着陸まで、およそ一時間。コックピットの簡易ベッドでチャイムが鳴る。超音速に近い空気をボーイング747の機首が切り裂くシューッという音で心が落ち着く。簡易ベッド内には一切の光がない。窓がなく、扉がしっかりと閉めきられているため、これまでに眠ったなかで最も完璧な闇がつくられるのだ。そのため、自分がどこにいるのか思い出すのに少し時間がかかる。立ち上がり、着替え、ネクタイを締め、簡易ベッドから出てコックピットに座る。

 通常、ロンドンからケープタウンへのフライトは、次の二つのルートのどちらかになる。一つは東側のルートで、アルジェリア上空で北アフリカの海岸線を横断したあと、およそ11時間、大陸の上空を飛びつづけてケープタウンの空にいたる。世界第2位の大きさの大陸を実質的に南北制覇するルートだ。もう一つは西側のルートで、総じて嵐や乱気流が少ない。こちらもサハラ砂漠を横断するが、その後、アクラ(ガーナ)やラゴス(ナイジェリア)といった大都市のいずれかの付近で西アフリカの海岸を離れる(ちなみにこの二つの都市は、別の夜のフライトで私の目的地になる場所だ)。さらに、ギニア湾と南大西洋の開水域の上空を飛行し、アフリカ大陸の上空に戻ってくるのは、だいたい着陸のわずか数分前になる。

 今夜は西側のルートだ。操縦席に戻り、マグに入ったコーヒーがカップホルダーのなかで湯気を立てるなか、進捗状況や燃料、飛行時間、残りの距離を確認する。ヘッドセットを装着するが、短距離無線からは静寂だけが聞こえる。前方、下方、それから右方向をのぞき込む。昨夜見下ろしたときにはとても小さいながらはっきりと宝石のように輝いていたボルドー、バルセロナ、アルジェの光が、同じくこの世界の一部を形づくっているとは信じられない。いまでは村や大都市の光は見えず、航空機や船の光もない。海は漆黒の球面で、全方位を囲む水平線の上に星々の天蓋がかかっているだけだ。

 西側のルートでは通常、この季節になると、ナミビアの荒涼としたスケルトン・コーストの西にいるときに夜明けが訪れる。深紅色のスケルトン・コーストは、霧に包まれることが多い不毛の海岸だ。とくに、晴れた朝に真上を飛行すると、私には火星探査機が撮影した風景と区別がつかない。その不吉な名前は、アシカや座礁したクジラの骨がよく見つかることに由来するが、そのほかにも、何より新鮮な飲み水や食料がないという、この海岸が船乗りに与える困難も名前の理由だといわれている。いまでもこの海岸には、沿岸で終わりを迎えた船の骨組みが散らばっていて、風や海流、大嵐によって移動した砂が、徐々に一隻の難破船の残骸を隠すこともあれば、別の残骸を掘り起こすこともある。

 高高度の日の出は、いつも変わらずすばらしい。でも今朝も、いつものように私は、水平線に集まりはじめた赤色や黄色ではなく、機体の上空を徐々に満たしていく青色のスペクトルに目を奪われている。ジョージ・ガーシュウィンの有名な曲「ラプソディ・イン・ブルー」(長年、航空会社のCMに使われていた点も悪くない)。トム・ウェイツの曲では、夜明けに明るくなっていく部屋で色がどのように積み重なっていくかが歌われている(「すべてがいま、青くなっている」)。私のノートパソコンには、“青(Blue)”と題名をつけたフォルダにお気に入りの写真が入っている。ここまで私の心を動かす色は、青しかない。

 私がいちばん好きなエクササイズは、走ることではなく、泳ぐことだ。走るほうが多いのは、たんに実行する場所が見つけやすいからだ。時差ぼけのせいで、社会活動に向かない時間に起きたときにはとくに。泳ぐときには、何よりもどっぷりと青に浸ることができる。それが、好きな理由に大きく関係しているのではないかと思う。パートナーのマーク(色覚障害があるが青は認識できる)と一緒に街を歩いていて、私が、ビルや、おもしろい落書き、車など、ほぼ何に対しても感心していると、マークは私のほうを向いてまじめくさった顔で尋ねる。「それのどこが気に入ったの?」。その質問によって、私が挙げたものはどれも、ほとんどの部分、または全体が青色だということに気づく。私がめずらしく青色ではない服を着ていると、友人に「マークと何かあったの?」と聞かれることがある(事実上、青以外のアイテムをすべて排除することで、買い物がもっと楽しくなるだけでなく、シンプルにもなるというのが私の考えだ)。

 まさか私は、自分の人生を青で塗りつくす欲望に駆り立てられてキャリアを選択したわけではないと思う。でも、もしそうだとしても、道を誤ってはいない。パイロットは日常的に、ありとあらゆる青にさらされている。晴れた日はずっと、コックピットの外に見えるのは海と空がつくりだす鏡の国だけだ。しかも、その二つは区別がつかないことも多い。その光景から、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』のお気に入りの一節を思い出す。「ときどき風があちらこちらで吹くものの、よく晴れた朝で、海と空が一つの織物のように見えた。まるで、帆船が空高く貼り付けられ、雲は海のなかへと落ちたかのように」

 2015年の調査によると、青は、中国、インドネシア、タイ、イギリス、アメリカ、その他の5カ国で最も人気がある色だという。だが、これらの国のなかで最も青に情熱を傾けるイギリスでも、回答者の3分の2は別の色が好きだと答えている。それとは対照的に、好きな色が青ではないパイロットに私はまだ出会ったことがない。パイロットは自分の名前の前に“青い空(blue skies)”と書いてメールを結ぶことが多く、それを知って私は驚いた。パイロットがこの世を去るときの祈りを込めた別れの言葉で、同じものを目にしたこともある。

 パイロットの仕事場から見える景色がどれほど青一色かはさておき、青の人気の理由としては、この色が飛行機と同じく、人間の本質の科学的な側面とロマンチックな側面の両方を魅了するコツを心得ているからだ。たとえば、スイスの科学者、オラス゠ベネディクト・ド・ソシュールは、異なる時刻や場所でも空の色を記録できるようにシアン計を開発した。それは、白からほぼ黒までのあいだに約50の青の色調が表された輪だ。ソシュールがこれほど精密なものをつくったのは、「壮大さと目がくらむほどの純粋さ」をもつと形容した青色への愛情ゆえだった。

 事実、ロマン主義と青色との結びつきはかなり強い。たとえば、ロマン主義の青い花は、切望してもつねに遠ざかっていくかのような「真実と美」を象徴するモチーフだ。ゲーテは、色に関する詳細で準科学的な調査を行ない、青色が「興奮と落ち着きというある種の矛盾」をもたらし、「飛んで逃げていく好ましい対象を躊躇なく追いかけるように、我々は青を眺めることを好む。青が我々に向かってくるからではなく、先を行って我々を引き寄せるからだ」と書いた。私が最も惹かれる青には静けさが宿っている。また、その青には、空や海がもつ深さや広がりとほぼ同じものを感じる。だから、間違いなく青色は、私が遠い昔に旅に対して抱いた希望を象徴しているか、その希望を高めるものなのだ。

 南大西洋の上空でコーヒーを味わうころ、星々が消えはじめる。ここで初めて、短距離無線で南アフリカの管制官とコンタクトする。航空交通管制センターは、出発地や目的地から離れてはるか遠くを飛ぶ飛行機を扱う。それは、映画で描かれるようなものとはまったくちがう。風雨にさらされるガラス張りの箱が、空港の管制塔の上にそびえ立っているのではない。通常は低層の建物で、窓がなく、照明は控えめだ。そんなセンターのなかから、南アフリカ訛りの女性が呼びかけてくる。機体はちょうど、彼女の国の西海岸の青くなりかけてきた空を横切ったところだ。管轄するレーダーの範囲内に入ると、専用の通信コードを教えてくれる。「あなたは特定されました(You are identified)」とその管制官が言う。その声は明瞭で、私たちの長い海上の旅が終わりに近づいているという最もわかりやすいサインだ。「あなたはレーダー管制下にあります(You are under radar control)」

 前方の輝きを増す空に、ひびが現れる。最初は、水泳プールの遠くの壁にある暗いひび割れぐらいのものだったが、それは徐々に大きくなる。その前後にほかの線も現れ、『白鯨』の一節を思い起こさせる。「山々の重なり合う支脈が、その山腹の青に浸っている」。ここでメルヴィルは、そのような超越的な風景ですら水の本質的な魅力にはかなわないと主張している。丘や海の青、そしていまでは空の青も、機体の風防の一面に広がっている。山脈が近付いてきた。この山脈が支配する景観のなかに、〝母なる都市〟として知られる海洋都市がある。コックピットでは、アプローチブリーフィングを行なったあと、地上の天気予報を私が乗客にアナウンスする。「一部、朝霧が発生していますが、おおむね晴れています。気温は摂氏18度です」

 気象学者のハンス・ノイバーガーは、かつて、イギリスと南ヨーロッパの風景画の流派で濃い青空が描かれる頻度を比較した。その結果、後者でかなり頻繁に描かれることが明らかになった。晴れた空でも、湿度によって色が少し薄くなる。地中海沿岸地方の空気は、休暇に訪れた多くの人が実感して感謝するとおり、だいたい北ヨーロッパより乾燥している。さらに、最も青い空は通常、太陽から90度の位置で見られる。この角度が実現しやすいのは、低緯度の地平線上だ(イメージとしては、両手で皿を持ち上げて太陽光がまっすぐ当たるようにし、心の目で空に弧を描くまで皿の縁を拡大する。空のいちばん深い青はその弧に沿って現れる。私の経験ではたいていそうだ)。

 ケープタウンは雲がないことが多い。北半球に置き換えると、まさに地中海的といえる緯度に位置している。また、ほかの大都市の空と比べて汚染物質が少ない。一つには、乾燥し、浄化作用をもつ「ケープドクター」と呼ばれる風のおかげだ。科学を手掛かりに、都市化する世界で最も壮大な青を探しているなら、最初に訪れるべき場所はここだろう。

 だが、私はたびたび心配に思うことがあった。青に対しての理性を失うほどの深い愛情が、私の目に映るケープタウンの青を際立たせているだけで、その街で暮らす人たちにはそれほどには見えていないか、心を動かされてはいないのではないかと思ったのだ。そのため、わりと最近、ケープタウンに住んでいるか、またはそこで育った親類、友人、パイロット、文通相手などにその件を書き送ってみた。

 自分の都市で最も印象的な色を聞かれて驚く人はいなかった(それに、その色が青ではない別の色だと思う人もいなかった)。一人のケープトニアン(ケープタウンの住民)は、街の近くの空と海への愛情について語り、さらに南アフリカ原産の花“ムラサキクンシラン(Agapanthusafricanus)”の「目を見張るような青」も挙げた(私たちがやりとりしたのは2月で、彼女は自宅近くの花が終わりかけていることを嘆いていた)。別のケープトニアンは、「信じられないほどの青の配列」への愛情を教えてくれた。「大西洋の深いインディゴから浅瀬の最も明るいターコイズまで。……目が届くかぎりの青い水。テーブルマウンテンの青い靄が、はるかな地平線をなぞっている」。また、彼の言葉を読むまで私は知らなかったが、「雲とにわか雨のなかの青の配列」についても触れられていた。それは、南半球の「吠える40度」と呼ばれる暴風圏から直接やってきたような冬の激しい寒冷前線が、ケープ地域にもたらすものだ。

 南アフリカを出て暮らしている何人かが、故郷について最も懐かしいのは青色だと教えてくれた。ケープタウン生まれで、現在はヘルシンキに住む男性は、自分にとってもっとも大切な青からあらゆる意味で遠く離れていて、一年に一度帰ることができればラッキーだと考えている。最も懐かしい色との再会が始まるのは「ナミビアの国境を越えるころ。それは、ケープタウンに着陸する1時間前ぐらい。……まるで空中回廊があるみたいに海岸の真上を通ると、海の深い青が右手にある。……このときやっと故郷に戻ったと感じる」と語った。また、「テーブルマウンテンの岩とホッテントッツホランド山脈は、灰色というより青色に見えることが多い。かなり暑くて晴れた日には、最も荒涼として見える。空、海、山がすべて互いに反射しあって、ある種の自己強化的な青さを見せるからだ」とも書いてくれた。

 エンジンの出力を絞り、機首を下げる。すると747は降下を開始する。

 私は747を操縦する年月のあいだに、20回あまりのフライトでこの都市を訪れることになる。もちろん、各フライトの乗客の多くにとっては、そのときが唯一の訪問になるだろう。右側に座っている人たちには、テーブルマウンテンが青い世界の半分に石の階段のようにそびえる姿を見てほしい。海上で長く過ごした時間が終わり、機体はブルーベルグ近くの海岸を越える(ブルーベルグは「青い山」を意味する。考古学者のジェイソン・オートンによると、古代遺跡や、先住民のサン族とコイ族の石器時代の墓所が高密度に存在する地だ。また、植民地の支配者がオランダからイギリスに移る契機となった1806年の戦闘の舞台でもある)。この海岸では、今日もこれから何百人ものカイトサーファーが、自分たちの街で最も期待できるビッグウェーブをいくつも越えるはずだ。

 空港の管制官から機首方位を指示される。その方位で無線信号を受信すると、ケープタウン唯一の長い滑走路へと誘導される。だが、こんなに晴れた朝なら、電子機器による支援はほとんど必要ない。街の中心部に沿うテーブル湾がいま右手に見える。空港の南に位置するフォールス湾はまっすぐ前方に広がっている。ナビゲーション・スクリーンに表示される都市はすべて、技術マニュアルでシアンとされる色の円でマークされているが、私が見てきたいくつかの都市の実物はもっと青い。747は、ロンドンで何層にも重なった灰色のいちばん上の層を突き抜けて飛び、この朝を迎えた。車輪を出し、着陸前のチェックリストを完了し、私が知るなかで最も青い都市にタッチダウンする。


この続きは本書でお楽しみください!


◆書籍概要

◆目次

記憶の都市: ピッツフィールド、アブダビ
始まりの都市: 京都、ソルトレイクシティ、ミルトン・キーンズ、カイロ、ローマ
夢の都市: リヴァプール、ブラジリア
標識の都市: ロサンゼルス、ニューオーリンズ、ボストン、キーラー
眺望の都市: シェナンドア、チューリッヒ、香港、ピッツバーグ
門の都市: ロンドン、サンフランシスコ、ジッダ
詩の都市: ファーゴ、ヴェネツィア、ロンドン、デリー
川の都市: マラッカ、ロンドン、ソウル、カルガリー
空の都市: コペンハーゲン、ナイロビ、ペトロポリス、クウェート
青の都市: ケープタウン
雪の都市: ロンドン、イスタンブール、ウプサラ、ニューヨーク、札幌
円の都市: ロンドン、ローリー、アルビール、東京、ピッツフィールド