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【緊急刊行】ファイザーワクチンをわずか11カ月で開発! ドイツ・ビオンテック社の創業者夫妻に取材した迫真のドキュメント

 世界16カ国語で刊行決定の話題のノンフィクション、『mRNAワクチンの衝撃 ――コロナ制圧と医療の未来』が12月25日(土)に緊急刊行されます。
 ファイザー社と組み、11カ月という常識外のスピードで世界初の新型コロナワクチンの開発に成功したドイツ・ビオンテック社。「医療界のゲームチェンジャー」として一躍脚光を浴びているmRNA医薬の技術で世界の最先端を走るバイオ企業の創業者/研究者夫妻に密着取材した迫真のドキュメントです。本記事では「プロローグ」と「監修者のことば」を全文公開します。


プロローグ:コベントリーの奇跡


 それは、世界が見つめた注射だった。
 凍えるように寒い12月の朝。時計が6時半を告げて間もなく、イギリスのコベントリーにある病院の外来病棟で、90歳のマギーことマーガレット・キーナンはドット柄のグレーのカーディガンをずらし、「メリークリスマス」と書かれた青いTシャツの袖をまくった。そして、看護師が注射器の中身を彼女の左腕に注入している間、目を逸らしていた。いくつものテレビ用ライトが投げかけるまばゆい照明の下、ジュエリーショップの元店員だという彼女は、ブルーの使い捨てマスクの上で真珠のような瞳を輝かせている。当時すでに150万人の命を奪っていたウイルスに対する、完全にテストされ承認されたワクチン。彼女はその接種を受ける地球上で初めての人間になったのだ。人類はそれまで11カ月にわたって、新型コロナウイルス感染症(COVID - 19)に対してほぼなす術のない状態だった。1世紀以上前、いわゆるスペイン風邪によって何千万もの人が命を落としたときと同じだ。当時はコベントリーでも数千人の死者が出たという。しかしいま、科学は逆襲に転じた。病院の駐車場ではテレビのレポーターたちが耳につけたイヤホンを調節し、カメラのレンズを覗き込んで、世界中の疲弊しきった視聴者たちに向けて、そのニュースを報じた。助けが来るぞ、と。

 病院内では、マギーがお茶のカップを手に体を休めていた。翌週には91歳の誕生日を迎えるという彼女は、レポーターの取材に応じて、この接種は「少し早い最高の誕生日プレゼント」だと語った。何カ月も自主隔離をしてきたが、ようやく4人の孫たちをハグできるのが楽しみだという。マギーを乗せた車椅子が医者や看護師のつくる花道に見送られて病棟をあとにする間に、歴史的な接種に使われた薬びんと注射器はすばやく回収され、ロンドンのサイエンス・ミュージアムに運ばれていた。これらの品はエドワード・ジェンナーの医療用メスと並んで、同ミュージアムで永久に展示されることになるだろう。ジェンナーは1796年、使用人だった庭師の息子に天然痘の予防接種を行ない、近代ワクチン接種への道を開いた。マギーが命を守るワクチン接種を受けた場所から110キロメートルほどの、とあるイギリスの町でのことだ。人類の一世代における最も暗い時代に、みごとなタイミングで届けられた奇跡の医薬。それが新型コロナウイルスを打ち負かしたことを後世まで物語る展示になればと、同ミュージアムの学芸員は期待している。

 もっとも、この小さな空きびんからは伝わらないであろう事実もある。2020年末の時点でそれが存在することが、いかにあり得ないかということだ。確かに、ワクチン技術はジェンナーが実験をしていたころから大きく進歩した。しかし、新薬をつくり試験するプロセスは依然としてリスクだらけだ。ある研究によれば、新型コロナウイルス発見以前の20年間に行なわれた数千件に及ぶ治験を調べたところ、世界的な大手製薬会社が数十億ドル規模の資金を投じてもなお、全ワクチン開発プロジェクトのおよそ60パーセントは失敗に終わっているという。2020年2月の時点で、アメリカで最高峰の感染症専門家であるアンソニー・ファウチ博士は、製薬会社と規制当局は緊急事態に対応するべく新薬開発プロセスの加速に向けて努力しているものの、ワクチンは「うまくいっても」あと1年はかかるだろうと警告している。世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長も、実用可能なワクチンの開発には18カ月はかかるうえ、一般利用に向けた承認はさらに先になるという予測を示していた。

 ところが、それから9カ月後、既存の承認薬では一度も用いられたことのないプラットフォームを基盤とした、きわめて有効性の高いワクチンが実用化されることとなる。それを可能にしたのは、それまでほぼ無名の存在だった二人の科学者の尽力だった。二人はドイツの都市マインツを拠点とする夫婦で、数十年にわたってチームを組み、ある研究に取り組んできた。製薬界の主流派からは無視されてきた、ごく小さな分子。その分子が免疫システムの持つパワーを引き出すことで、医薬に革命をもたらすことができると夫妻は信じていたのだ。

 自らの考えの正しさが、多くの死者を伴うパンデミックのおかげで証明されることになるとは、当時の二人は思ってもみなかった。

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監修者のことば

東京大学医科学研究所 感染・免疫部門 ワクチン科学分野 教授  
石井 健(いしい・けん)

 新型コロナウイルスによるパンデミックは、いまだかつてなかったワクチン開発の革命を二つ引き起こした。一つはワクチンの開発から供給までのプロセス、もう一つが核酸であるメッセンジャー(m)RNAでできたワクチンである。この二つの革命、すなわち歴史的な破壊的イノベーションの立役者がビオンテック社のウール・シャヒン氏とエズレム・テュレジ氏である。

 二人はワクチン開発研究の「カンブリア紀」ともいえる2020年に、最もその進化に成功したチームを率いた夫婦のリーダーとして名を残すだろう。この二人の進化の過程を克明に追った物語がただのサクセスストーリーでないことを読者は最後に知るだろう。すばらしい読後感である。

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【著者紹介】
◎ジョー・ミラー(Joe Miller)
《フィナンシャル・タイムズ》紙フランクフルト特派員。ドイツ・マインツに本社のあるビオンテック社で世界初の新型コロナワクチンが開発されるまでの過程を同時進行でつぶさに取材。同社のトップであるウール・シャヒン、エズレム・テュレジ夫妻に密着取材することのできた数少ないジャーナリストである。初めての著書となる本書は、リモート取材も駆使しながら、夫妻のほか、50人以上の科学者、政治家、公衆衛生当局、ビオンテック社員への取材に基づき執筆した。

◎エズレム・テュレジ & ウール・シャヒン(Özlem Türeci & Uğur Şahin)
ビオンテック社の共同創業者(夫のウールは最高経営責任者、妻のエズレムは最高医療責任者)であり、世界初の新型コロナワクチン開発者。トルコからドイツへの移民労働者の子である二人は、それぞれザールラント大学とケルン大学で医学を学び、分子生物学と免疫療法で博士号を取得。腫瘍免疫学の分野で数々の業績を挙げ、科学論文および特許取得の実績は数百件に上る。mRNA研究への貢献が認められ、2022年にパウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞を夫婦で受賞する。

【監修者紹介】
◎石井 健(いしい・けん)
東京大学医科学研究所 感染・免疫部門 ワクチン科学分野教授。1993年横浜市立大学医学部卒業。3年半の臨床経験を経て、米国FDAで7年間、ワクチンの基礎研究や臨床試験審査に従事。2003年に帰国後、大阪大学微生物病研究所准教授、日本医療研究開発機構(AMED)戦略推進部長、医薬基盤健康栄養研究所ワクチンアジュバント研究センター長などを経て2019年より現職。専門はワクチン科学、免疫学など。

【訳者略歴】
◎柴田 さとみ(しばた・さとみ)
英語・ドイツ語翻訳家。東京外国語大学卒業。訳書にウォルフ『炎と怒り』(共訳、早川書房刊)、バラク・オバマ『約束の地』(共訳)、ミシェル・オバマ『マイ・ストーリー』(共訳)など。

◎山田 文(やまだ・ふみ)
翻訳家。訳書にゲイツ『地球の未来のため僕が決断したこと』、ユヌス『3つのゼロの世界』(以上早川書房刊)、ヴァンス『ヒルビリー・エレジー』(共訳)など。

◎山田 美明(やまだ・よしあき)
英語・フランス語翻訳家。東京外国語大学中退。訳書にバーグマン『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』(共訳)、マーフィー『ゴッホの耳』、ピケティ『格差と再分配』(共訳、以上早川書房刊)など。


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