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「これほど訳しつつわくわくさせられる本もなかなかなかったのも事実だ」『スケール:生命、都市、経済をめぐる普遍的法則』山形浩生氏、訳者解説

 ヒトとほぼ同じ要素でできているのに、なぜネズミは3年しか生きられないのか。企業は死を免れることができないのに、なぜ都市は成長を続けることができるのか――。
  理論物理学者であるジョフリー・ウェストはこれらの問題について、物理学の方法論を応用することで、『スケール:生命、都市、経済をめぐる普遍的法則』で解き明かしました。
 この記事では、本書の訳者のひとりである山形浩生氏の解説を全文公開し、著者ウェストの思考に迫ります!

スケール_上_帯

『スケール』解説

 本書はGeoffrey West, Scale: The Universal Laws of Life and Death in Organisms, Cities and Companies(Weidenfeld & Nicolson, 2017) の全訳となる。翻訳にあたっては原著出版社からの最終稿pdf ファイルを元にしている。

1.本書の概要

 本書の魅力は、随所に見られる「べき乗則」の原理をテコに、あらゆるものをなで斬りにしまくった大胆さにある。人はなぜ老いるのか、生物はなぜ死ぬのか、なぜ身体のでかい動物は長生きするのか、といった問題から都市という奇妙な有機体の謎、そして企業や経済活動まで、本書はすべてべき
乗則で解明しようとする。
 個別の部分についてなら、似たような本はある。生物に関しては本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学』(中公新書)などがその典型だし、都市や企業、株式市場などがべき乗則に従う話もすでにたくさんある。人の時間の使い方に関する話は、矢野和男『データの見えざる手』(草思社文庫) などが興味深い分析をしている。各種スケールから見た怪獣などの分析は、柳田理科雄の(いささか野暮にも思える)諸作などがある。
 だが本書はそれを統合し、まったく同じ原理が上から下まで貫いている様子を実に楽しげに描き出す。それも、いろんなものがべき乗則に従う、というだけにとどまらない。なぜそうなるのだろうか? それは生命体や都市、企業の中にある、血管や神経系などのネットワークが持つフラクタル的な分岐構造と、そこにリソースを送り出すためのエネルギー収支のせいだ。そしてそれが、人を含む多くの生命体の老化や寿命を決定づけるし、都市の発展もその物流やインフラ、さらに人的ネットワークの構造で説明がつく。企業が潰れてばかりいるのに、都市がなかなか死に絶えないのも、同じ原理で説明される。
 まったく別物に見えるこれほど様々な現象が、ここまで統一的に説明できてしまうとは!  生物、機械構造、脳、インフラ、人間の時間利用、都市と物流、エネルギー収支に企業の発展と停滞、人間の情報ネットワークから果ては地球文明の未来……これほど野放図な話のすべてに読者が本当についてこられるのだろうか、と余計な心配をしたくなるほどだが、そのすべてが実に楽しいエピソードと小話で彩られ、読者をひきつけて放さない。そしてベルイマン映画の話や、ネタにマジレス的なゴジラの分析など、あまりに脱線しすぎでは、とすら思える各種の小ネタが、いつのまにかべき乗則とネットワーク構造(さらにはその研究の急先鋒たるサンタフェ研究所の業績)の話に回収される様子には、唖然とするしかない。

2.著者について

 著者ジョフリー・ウェストは1940年生まれのイギリスの理論物理学者である。もともと素粒子物理学の研究者だったが、2003年に複雑系研究で名高いサンタフェ研究所にやってきてから、本書の主題となるネットワーク構造とべき乗則に基づく生命体などの研究に注力するようになり、2005年から2009年まで、同研究所の所長を務めている。
 本書は著者の研究成果の解説であるとともに、その小話の相当部分は著者自身の伝記的エピソードとなっていて、わが研究人生一代記的な側面も持っている。彼がなぜそもそもこうした分野に深入りしたのか、それがサンタフェ研の発展とどう関係しあっているのか――そうした話もまた、本書のお
もしろさになっている。

3.本書の主要な議論

 本書の中身はなにせ多岐にわたるので、その骨子をあらためて簡単に整理しておこう。
 基本的な話は、スケールに基づく様々なものの次元に応じた増え方の差だ。立方体の辺の長さを倍にしたら、その断面積は4倍になり、体積 (ひいては重さ) は8倍になる。人間の25倍の身長を持つウルトラマンは、人間と同じ身体組成なら体重は1万6000倍近い1250トンになるはずだ。脚が支えられる重さはその断面積に比例するから、本当なら脚の太さも1万6000倍必要になるが、人間の体型のままならば600倍にしかならない。とうていこの体重は支えきれない、という話だ。
 ちなみにウィキペディアによると、設定上はウルトラマンの体重は3万5000トンなので、ずいぶん鈍重な身体組成らしい。人間の体重の44万倍もあるので、人間並の脚の太さで支えきれないどころではない。単純なスケールすら突破した設定なのかもしれない。
 このように、様々なモノは大きさのバランスがある。この原理が、各種動物のサイズに伴う身体構造を決めることになる。人間よりもはるかに大きなゾウやカバの太い脚は、体長の3乗で増える体重を支えるために必須だし、一方小さな昆虫は針金のような脚でもまったく問題ない。同じ人間ですら、
赤ん坊から大人になるにつれて体型がかなり変わるのはこの大きさのスケール変化への対応だ。そして人間が身長3メートルになれないのも、こうした構造的な制約のせいとなる。
 そして脚だけでなく、昆虫は固い殻などの外骨格で十分に身体を支えきれるけれど、ある程度大きな動物になったら、中心に骨を入れて内骨格にしないと、全身がひしゃげてしまう。
 この原理は、二階建ての住宅建築なら、レンガやブロックを積んだ壁で重さを支えられるけれど、高層ビルだと鉄骨を入れて内骨格式にしないと建たないのと同じだ。それ以外の船や列車などあらゆる物理的な人工物はこの制約の下にある。
 そして、その物理的制約は重さを支えるだけにとどまらない。生物の身体組織は、すべて栄養を供給して老廃物を運び去る代謝系を必要とする。でもそこで使われる物質は変わらないので、末端で必要な血管などの太さは変わらない。細かい毛細血管を全身に行き渡らせるためには、そのパイプをど
んどん枝分かれさせる必要が生じる。血管という細い線=一次元を、全身=三次元に行き渡らせるための効率的な分岐方法が、フラクタル構造となる。そうした管路などのネットワーク構造が持つフラクタル次元のスケールと、体の大きさのスケールとのバランスもまた、可能な身体のサイズを決める
ことになる。
 体重が増えると、必要な血管などの長さも増える。血液の量も、細いパイプにそれを押し込むために必要な力も増えるから、循環させるために必要なポンプ=心臓もでかくなる。でもその増え方は、身体が大きくなるとむしろ相対的に小さくなる。その分だけ脈拍も下がり、血圧も低くなり、ネット
ワークがあまりがんばらなくていいので故障も減る。だから身体が大きい動物はそれだけ寿命も延びる。この管路ネットワークのフラクタル次元と身体の大きさのスケールバランスが、生物の寿命を決めるわけだ。人間が老いるのも死ぬのも、まさにこのスケールのバランスの賜物となる。
 そして人間の作る各種の組織は、各個人を最小のエネルギーや情報輸送の単位とする有機体として理解できる。そしてそのなかの物質輸送や情報流通は、各種のインフラ・ネットワークが担う。まったく同じ制約が、家族や部族、都市や企業についても当てはまる。そして実際、都市の交通流や上下
水道はまさにフラクタル構造となっているし、それが都市の規模を制約する。企業が存在するのは、ある程度以下の規模だと市場に任せるよりもトップダウンで話を決めたほうが効率がよいから、とされる。つまり企業の規模は、そのなかの情報流通に制約される。物流や情報技術の発達とともに、確
かに企業は大規模化した。
 つまり企業や都市も、さらには人間の経済活動全般も、スケールの拡大に合わせて様々な構成要素がどのように増えるか、という観点から理解できるし、そこで使うべき分析ツールや指標は、そのなかにある代謝ネットワークのフラクタル次元構造と規模のバランスとなる。こうして、極小の生命体
から、都市や企業や経済全体にまで至るあらゆる活動が、各種構成要素の次元構造に伴うスケール拡大のバランス、という視点で捉えられるようになる!
 だが、と著者は指摘する。産業革命以来急成長を遂げてきた人間の各種活動は、今やまさにスケール拡大の制約にぶち当たっているのではないか?  資源や環境の制約は常についてまわるのだ。これ以上のスケール拡大を実現するためには、生命体が昆虫の外骨格から内骨格式に変わったりしたような、素材や基本構造レベルでの変化を人類とその活動も余儀なくされるのではないか……。

4.ビジネス・経済への応用

 すでに述べたように、本書の醍醐味はこれまでバラバラに論じられていた各種の分野でのべき乗やネットワーク則の議論を、すべてまとめあげて、一貫した視点のなかにおさめてしまったところにある。本書の議論では、ヒトはある意味ででかいネズミであり、ゾウやクジラもでかい人間となる。都
市や企業や経済システムを、生態系と呼んだりDNAを持ち出したりお金は経済の血液だと言ってみたりするのは、すべて喩え話でしかない。だが本書の議論では、まさに都市や企業は生物の拡大版だ。物流や情報やお金はまさに、都市や企業や経済の血液であり神経系だ。
 そしてそこから本書は、それが都市や企業の健康や寿命について持つ意味まできちんと描き出す。企業も生物と同じように、死は避けられないらしい。あらゆる企業は半世紀ほどで死ぬ(潰れる)。そして、その原因も本書は描き出す。生物においては内部のネットワーク構造の発達が機能不全と死
の原因となるように、企業内部の細かい規定やしがらみの発達、効率性のための特化が企業の硬直性を招いて死につながるらしい。数百年も続く不死の老舗企業は、生物と同じく小さなニッチで慎ましくまわし、変化を極力避けることで長寿を達成したようだ。
 これを元に、本格的なビジネス応用もできる……かもしれない。新しい技術や管理手法、組織構造の採用などで、この運命から逃れることができるだろうか? 分社化や外国展開、組織改革などで、こうした企業の硬直化から脱出できるのでは? それとも、そういう悪あがきはやめて、企業の入れ替わりをどんどん奨励し、でかいところでも遠慮なく潰すべきなのか? 本書の知見をもとに、またまた怪しげな企業延命手法を標榜するコンサルやビジネス書もいろいろ暗躍できそうだ。その一方で、こうした企業研究を進めれば、そうしたインチキにだまされない、もっと確固たる企業存続の処方箋も得られる可能性もある。きわめて原理的で巨視的な(大ざっぱな)話から、こうしたビジネスや都市経済運営の実務にまで直結する意味合いが出てきてしまうのも、本書の大きな魅力だ。

5.本書の多少の勇み足について

 本書の魅力は、野放図なまで様々な分野について、曲がりなりにも統一的な観点から切り込んだ大胆さにあるというのは、すでに述べた通り。が、その大胆さがときには、いささか乱暴で強引な書きぶりにつながってしまっている点は否定できない。
 例えば第5章では、産業革命以前の人間のエネルギー利用は開放系だったけれど、産業革命で化石燃料を使うようになったら地球のエネルギー循環は閉鎖系になった、と述べる。だが閉鎖系というのはそういう意味ではない。今だって地球は、太陽からほとんどあらゆるエネルギーを得て、その大半
を宇宙に放出する開放系で、人間の化石燃料によるエネルギー利用はその総エネルギー収支の1%にも満たない。地球温暖化を何とか俎上に載せようとして、エントロピー概念を持ち出したいのはわかるが、いささか乱暴すぎる。
 また同じく第5章で指数関数的な増加についての通俗的な解説のため、著者は有名なチェス盤に米粒を置く話を持ち出す。そして指数関数的な増加においては、過去の総和より現在の数のほうが常に大きくなるのが特徴だと述べる。
 でもそんなことにはならない。例えば10%成長の指数関数的増大をやってみよう。1、1.1、1.21、1.331… すると、1+1.1>1.21 だし、1+1.1+1.21>1.331 という具合に、過去の総和が常に現在の数字を上回る。実は上の命題が一般的に成立するのは、指数関数的な増加のなかでも増加率100%以上、倍々ゲーム以上での増加の場合に限られる。指数関数一般の性質として適切とは言えない。また第10章では、地球の人口やGDPが超指数関数的に増加しているから有限時間で無限に達してしまう、だからイノベーションもますます加速が必要で、追いつけるかわからない、という主張をし
ている。
 が、明らかな事実として、そもそも地球人口は超指数関数的になんか増加していない。超指数関数なら、どんどん成長率が上がっていかねばならない。でも1960年代をピークに、地球人口増加率は激減している。国連の公式予測では2050年以降の人口はせいぜい微増、それすら高めのようで、地球人口は2050年あたりにピークを迎えて減り始めるという予測も説得力を持ち始めている。
 GDPも同じだ。ここ数十年ほど、世界の経済成長率は、どんどん上がるどころか年率2%のショボい成長が維持できれば御の字、それどころかコロナで、今後数年はマイナス成長が続きそうだ。ちなみにその論拠とされている論文は、この事実について「すでに有限時間シンギュラリティが起こっ
たしるしであり、現在はすでにその後の新たなレジームに移行しつつある証拠だ」と弁明しているが、かなり苦しいのではないか。
 したがって、本書第10章の議論の前提となる人口や経済の超指数関数的な成長はそもそも起きていると言えるのだろうか。ならばそこから出てくる、イノベーションも無限に加速せねば、という議論も別に必然的なものではないかもしれない。そもそもイノベーションとは独立に経済成長だけ無限に
発散し、それを支えるためにイノベーションが後追いで必要という問題設定の仕方は変なのでは? 経済成長はイノベーションの波及効果でしかないのだから。

6.本書の希望

 そうした妙に危機感をあおろうとする議論の一方で、本書は希望に満ちている。しばしば言われることだが、様々な分野が次第に高度化するにつれて、タコツボ化して分断が進んでいるという主張が方々でなされている。一方で、もはやビッグデータと人工知能がすべてを解明し、これまでの学問分野や研究分析手法は意味を失う、といった話もある。
 だが本書はこうした通説を見事に蹴り飛ばしてくれる。きわめてざっくりした話とはいえ、複雑系やフラクタル構造などの知見は、様々なレベルにわたる、まったくちがうと思われていた分野に、ある種の統一的な視点をもたらしてくれている。それが本書の醍醐味となっているし、そしてそれは各種学問分野をつなぎ合わせるものとして、人類の総合的な知的営みの一体性、統一性を多少なりとも取り戻させてくれるものだ。ビッグデータも人工知能も、そうした人類の総合的な知的営為をくつがえすものにはなり得ない。本書はそれを力強く宣言してくれる。
 そしてまた、本書は科学や学問が、人間の抱える本質的な悩みにもまだまだ切り込める余地があることを、改めて教えてくれる。人はなぜ老いるのか、人はなぜ死ぬのか──かつてお釈迦様をも悩ませた問題に、本書は正面から取り組んでくれるし、そして何と、それに曲がりなりにも答えを出してしまう。さらにはそれが単なる人類の定めというだけでなく、その他様々なものの盛衰とまったく同じ原理に基づくものであることを示唆する。不老不死は無理っぽい、とほぼ実証されてしまうのは、
残念といえば残念。でも、その老いと死においてすら、ぼくたちがこの宇宙の一部として同じ力に支配されていることを、本書は見事に示してくれるのだ。
 そしてそれが生物個体としての人間だけでなく、企業、都市といった集合的な活動にも当てはまる原理だと示すことで、本書は複雑系やフラクタル構造の考え方が、いずれ他の学問分野ともつながりそうな予感を示す。人間社会のもっと多くの現象、政治や市場、紛争なども、おそらくはこの原理を
適用することで何かしら知見が得られるはずだ。すでに、アリの巣などが成長と老いと死を示すことは知られており、他のアリの巣に対する攻撃性もそれとともに変化するという。案外、ここから人間社会についても、アシモフの『銀河帝国』シリーズに登場する総合学問、歴史心理学のようなものを
構築できるかもしれない!

7.グチと謝辞

 とはいえ、こうした実に野心的で多岐にわたる本書の翻訳には、守備範囲がかなり広いつもりでいるこの訳者ですら、ずいぶん苦労させられたと言わざるを得ない。
 苦労させられたのは、扱われている分野が多様だからというだけにとどまらない。著者の英語はいささか癖があり、文章は全体に異様に長く、関係代名詞と修飾節でどんどん引き伸ばす書き方になっているし、その関係節の中で直前の文章で言われていたことを改めて繰り返す場合が実に多かった。
翻訳にあたっては、そのまま訳してはあまりに読みにくいため、かなりブツブツに切らざるを得なかったが、そうすると同じような文が何度も繰り返されることになりがちで、これまた変なことになってしまう。勝手にリライトするわけにもいかず、原文への忠実さと読みやすさを両立させるために、
かなり悩むことにはなった。おかげで、通常よりも翻訳に時間がかかってしまったのは申し訳ない。
 その一方で、これほど訳しつつわくわくさせられる本もなかなかなかったのも事実だ。翻訳の話を持ってきてくれた、早川書房(当時)の伊藤浩氏と、編集を担当してくれた山本純也氏には感謝する。ありがとうございました。
 読者のみなさんも、訳者のように本書から大いに刺激を受けてくれることを期待したい。何か訳文についてお気づきの点があれば、訳者までご一報いただければ幸いだ。明らかになったまちがいや改訂については、以下のサポートページで随時公開する。      
                     https://cruel.org/books/scale/

                2020年8月 コロナ戒厳令下の東京にて
              訳者代表 山形浩生 hiyori13@alum.mit.edu






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