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ADHDや社交不安症はなぜ増え続けるのか。熊代亨『人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造』より「はじめに」全文公開

あなたは文明社会の進展にあわせて模範的に、家畜的になりたいと願いますか? 注目の精神科医が、進化生物学の注目仮説「自己家畜化」をキーワードに現代の人間疎外を論じる新刊が『人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造』(熊代亨、ハヤカワ新書)。2/21発売の本書より、「はじめに」を公開します。

『人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造』(熊代亨、ハヤカワ新書、早川書房)
『人間はどこまで家畜か』
早川書房

『人間はどこまで家畜か』はじめに

「人間が家畜化していく、家畜のように飼い馴らされていく」と聞いて、皆さんはどんなイメージを持ちますか?

宇宙人が地球を侵略し、ブロイラーのように人間をおいしく食べやすい生き物に改良し、ケージのなかで効率的に飼育する……そんなのはまっぴらだと思った方もいらっしゃるでしょう。あるいは映画『マトリックス』で描かれたような、コンピュータの養分として飼われながら夢を見ている人間のイメージにもポジティブな印象を持てません。

ですが、人間の家畜化が宇宙人やコンピュータによらず、人間自身がつくりあげた文明、ひいては安全で便利な暮らしを実現させた制度や技術や思想をとおして促されるとしたらどうでしょう?

最近の進化生物学のトピックスに「自己家畜化」というものがあります。これは、生物が進化の過程でより群れやすく・より協力しやすく・より人懐こくなるような性質に変わっていくことを指します。たとえば人間の居住地の近くで暮らしていたオオカミやヤマネコのうち、人間を怖れず一緒に暮らし、そうして生き残った子孫がイヌやネコへと進化したのは自己家畜化のわかりやすい例です。人為的に家畜にするのでなくみずから家畜的に変わったので「自己家畜化」、というわけです。

そして進化生物学は、私たち人間自身に起こった自己家畜化も論じています。考古学、生物学、心理学などから多角的に検討すると、この自己家畜化が私たちの先祖にも起こってきたというのです。

進化生物学の研究者たちが述べるように、自己家畜化は人間が文明社会を築くうえで非常に重要だったはずです。というのも、高密度な集団をつくっていられること・そのなかで共通のルールを守って暮らせること・攻撃性や不安を抑えていられることは動物として凄い性質で、この性質がなければ交易や都市文明などは成立しようがなかっただろうからです。

では、こうした人間の自己家畜化がもっと進み、文明社会も進歩していけば万事OKでしょうか? 第一に懸念されるのは人間の自由です。より安全で能率的な暮らしが実現するとしても、その結果、文明社会に人間が飼い馴らされるばかりになって構わないのか、警戒されてしかるべきでしょう。第二に――精神科医としての私は特にこちらを懸念するのですが――その文明社会が人間にもっと多くのルールを守らせ、もっと攻撃性や不安を抑えさせ、いわば「より家畜人たれ」と求め続けると、その求めについていけずに不適応を起こす人が増えるのではないでしょうか。

たとえばアメリカ精神医学会の診断基準(DSM-5)の手引きによれば、大勢の人がいる場面で不安や恐怖を感じる社会不安症の人はアメリカでは12 か月有病率が約7%とされています。パニック症なども含め、不安や恐怖が主な症状で脳内セロトニンを増やす抗うつ薬が有効な患者さんの割合は相当な数にのぼります。セロトニンの増加は自己家畜化の特徴のひとつですが、すべての人が文明社会に十分なセロトニンを有しているわけではなさそうです。

自己家畜化がしっかり進んだ人間を自明視し、そのような人間に最適化された文明社会は他にもさまざまな特性を障害として浮かび上がらせます。座学やデスクワークに不向きな人、現代のコミュニケーションや人的流動性の高さについていけない人、読み書きなどの苦手な人が発達障害としてトピックスになったのは記憶に新しいところです。

ゲーム症やネット依存が予感させるように、これからはIT技術をうまく扱えない人が障害として一層浮かび上がるかもしれません。文明社会がますます進み、あれもこれも障害特性とみなされ、“人間の標準規格”の基準が厳しくなった未来にはもっと多くの人が治療や支援を必要とするでしょう。そうした果てに、誰もが能力向上のための服薬を求めるようになり、子どもが不適応を起こさないよう遺伝子操作が行われるのが当然の未来が到来したとして……それは肯定して構わないものでしょうか。

「一生 壁の中から出られなくても……メシ食って寝てりゃ生きていけるよ…でも…それじゃ…まるで家畜じゃないか…」――『進撃の巨人』の主人公、エレン・イェーガーの台詞です。

実際のところ、人間はどこまで家畜なのでしょう? あなたは文明社会の進展にあわせてもっと模範的に、家畜的にありたいと願いますか。文明社会の進展についていけない人々に生きづらさを強いることは悪でしょうか、それともそうした人々を文明社会の内側に回収することが悪でしょうか。結局、私たちはどのような未来に向かうべきでしょうか。

本書は「自己家畜化」というキーワードから出発して、これまでの文明を振り返り、これからの文明を見据えるものです。と同時に、進化生物学・精神医学・人文社会科学の視点から人間と社会について再考するきっかけを提供するものでもあります。お読みになったうえで、私たちの未来について考えていただけたらと筆者として願っています。


この続きは本書でご確認ください(電子書籍も同時発売です)。

本書目次

はじめに
序章 動物としての人間
第1章 自己家畜化とは何か ――進化生物学の最前線
第2章 私たちはいつまで野蛮で、いつから文明的なのか ――自己家畜化の歴史
第3章 内面化される家畜精神 ――人生はコスパか?
第4章 「家畜」になれない者たち
第5章 これからの生、これからの家畜人
あとがき ――人間の未来を思う、未来を取り戻す

著者略歴

熊代 亨(くましろ・とおる)
1975年生まれ。精神科医。信州大学医学部卒業。ブログ「シロクマの屑籠」にて現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信し続けている。著書に『ロスジェネ心理学』『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』『「若作り
うつ」社会』『認められたい』『「若者」をやめて、「大人」を始める』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』『何者かになりたい』『「推し」で心はみたされる?』など。

記事で紹介した書籍の概要

『人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造』
著者:熊代亨
出版社:早川書房(ハヤカワ新書)
発売日:2024年2月21日
本体価格:980円(税抜)


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