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【1/24刊行】圧倒的な完成度で描かれる、人類未踏の仮想文学史SF! 第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作、小川楽喜『標本作家』第一章「終古の人籃」特別公開!

(2023年1月19日 9:35 2023年1月18日 17:00に公開した内容に、実際の小説とは異なる表記がありましたので、修正いたしました。ウェブ掲載版は、『標本作家』の本文と一致する内容を目指しております。お詫びして訂正いたします。)
(2023年1月20日 16:50 改行の位置や、字下げの有無などでミスがありましたので、再度修正いたしました。修正前の文章は、書籍版『標本作家』本来のものではありません。修正前の文章をお読みになった読者の皆様には、謹んでお詫び申し上げます。)

小川楽喜『標本作家』(四六判・上製)
刊行日:2023年1月24日(電子版同時配信)
 定価:2,530円(10%税込)
装幀:坂野公一(welle design)
ISBN:9784152102065

第一章 終古しゅうこ人籃じんらん

 人類がこの地上に生まれ落ちてから滅び去るまでのあいだに、いったい、どれだけの物語が作りだされ、認知されることもなく消えていったのでしょう。それを正確に数えることはできないけれど、私はその最期を看取る役を任されました。
「───………」
 切り乱された髪の毛が、揺れて。
 左右で焦点の合っていない眼球が、裏返って。
 否応もなく、私はそちらへと意識を奪われます。
 目の前にいるそれは、ものわぬ存在でありながら、私に使命を課したモノでした。
 髪の毛も、眼球も、それ単体で評価すればガラクタ同然の代物なのに、組み合わさることで調和がとれ、退廃的な美を醸し出しています。外見上は、きらびやかなドレスに身を包んだ球体関節人形。しかし、それは生きているのです。人類のあとに誕生し、繁栄した、新たな知的種族。言語を用いずとも他者との意思疎通が可能な、超常の生命体。
「………───」
 私はそれと同席していました。ソファに座り、向かい合って、千を超える原稿用紙の束を、彼女に提出しています。彼女? ──この生命体に性別があるかどうかはわかりません。けれども、その女性的な容貌に惑わされ、自然とそう認識するようになりました。
「コンスタンス」
 彼女の名を呼ぶと、それはわずかに反応しました。原稿用紙に落としていた視線をこちらに向け、次の言葉を待っています。その挙動は非人間的で、無機質で、たしかに私たちとは別種の生き物なのだと実感させられます。私は彼女に問いかけました。
「どう? ……今回の、小説は」
 祈るような思いで、それだけを口にしました。
 コンスタンスからの答えは、直接、私の精神へと訴えかけてくるものでした。それは言語化される前の、思想の源泉、情緒の兆しといったもので、直感的に理解することができます。いま、私のなかに伝わってきたそれを、あえて言葉に置き換えるのなら。次のような単語の羅列になるでしょう。
 退屈。凡庸。落第。拙劣。幻滅。陳腐。不快。屑。論外。愚にもつかない──……
 半ば予想していた返答に、それでも私は落胆し、彼女から目をそむけました。ここにある原稿は私が書いたものではありません。はるか過去から現在にいたるまで、歴史に名を残した作家たちによる共著きょうちょなのです。ある者は十九世紀に。ある者は二十八世紀に。それぞれの時代にそれぞれが名を馳せ、世界的に重要な小説を発表したあと、死に、いまふたたび甦ってきました。そうして、標本として管理されるようになったのです。自由はありません。各時代の天才たちは人類を淘汰した新種族によって再生され、ちっぽけな館に押し込められて、そこで延々と小説を執筆することを強いられています。
 この事業が発足してから、およそ数万年の時が経過したといわれています。標本化した作家たちは保存処置──不死固定化処置と呼ばれる施術を受けており、管理者が廃棄しないかぎりは永遠に生きつづけます。すなわち、いつまでも死ぬことなく、老いることなく、小説を書きつづけなければならない身の上になったということです。
 私もまた保存処置を受けました。といっても、私自身は作家ではなく、作家の書き上げたものをまとめる、巡稿者じゅんこうしゃという立場にすぎません。また、その肩書きに見合うほどの立派な仕事ができているわけでもありません。ただもうかつての偉人たちの要望に対して、うまく応えられずにいるなか、奉仕する日々を送っています。彼らから受けとった原稿は文学史において最高の作品であるはずです。これ以上、望むべくもない物語であるはずです。が、それをもってしても、いま目の前にいる彼女の心を動かすのは不可能なようでした。
「───………」
 今回、コンスタンスは、以前にも増して不満げな様子でした。氷像のそれよりも冷たい瞳で私のことを見返しています。
 彼女のような知性体は、玲伎種れいきしゅと呼ばれています。全大陸にわたって支配圏を確保し、高度な文明を築くほど栄えているのに対し、私たち人類はもうずいぶんと前に滅亡してしまいました。ごく少数の、保存処置を受けた者だけが玲伎種の庇護下におかれ、標本として暮らしているだけです。
 現在は、八千二十七世紀。西暦にして八十万二千七百年。そろそろ世界は朽ち果てます。すでに滅びた人類にできることは何もありません。いまのところはコンスタンスの属する玲伎種がこの地球を治めていますが、それも永くはつづかないのかもしれません。
「次の巡稿じゅんこうには同行しますか。久々に、あなたがあつめてきた書き手たちの顔を見てあげてください」
 私は提案しました。巡稿とは、この館に居住する作家たち──別の云い方をするなら、この館に閉じ込められて創作を余儀なくされた囚人たち──を、ひとりひとり訪問し、その様子をうかがい、必要なら彼らの要望に応え、相談にのり、打ち合わせをして、できあがったぶんの原稿を拝領する、対人業務のことです。私の巡稿者としての仕事は、ほぼこれに費やされます。以前はそれぞれの作家による単著たんちょ、すなわち個々に執筆された小説の拝領が主流でしたが、現在はそうではありません。複数の作家が協力して執筆する小説、これを共著といいますが、その達成を援助するための業務と、彼らから受けとった膨大な量の原稿をひとつの物語として、、、、、、、、、まとめる編纂作業が、私の、重大にして主要な使命となりました。
 いずれにせよ、作家たちを支援するため、館のなかを巡ることに変わりはありません。その同行を求めたのです。目の前の、この退廃的な美の人形に。 
「……──……、──、───」
 コンスタンスからの回答は拒絶でした。やはり言葉ではなく、互いの精神をつなぎ合わせた状態で語りかけてきます。彼女はここに作家たちを住まわせたあと、それにほぼ無関心であるかのようにふるまっています。億劫おっくう倦怠けんたい。放任。──そういった思念が私のなかへと流れ込んできて、それっきり、何かを協議しようという意思すらなくなりました。
「いいのですか。次を逃がすと、いよいよ誰とも逢えなくなるかもしれませんよ。あなたの知らないうちに、あの方たちは──……、あの方たちは、皆、衰えて……──。……この先、ますます……」
 途切れ途切れになっていく言葉。コンスタンスから送られてくる思念の内容には、なんらの変化も生じません。わかっているのです。彼女にとっては提出された原稿の中身だけが重要で、それを手がけた人間の営みや苦しみになど、一切の関心を寄せないことを。それは、これまでの態度から読みとれます。
 彼女からしてみれば、私たちは仕事上研究することになった実験動物のようなもので、最低限の義務さえ果たせばそれ以上関わり合いたくはないのでしょう。
 これまでの数万年、提出するたびに作品の質は落ちていっています。いかな不世出の作家たちでも永劫えいごうにその文才を維持するのは不可能なのではないでしょうか。もはや限界なのです。この館にいる誰も彼もが壊れていっています。それを食い止めるため、あるいは打開策を見つけるため、コンスタンスの協力を取りつけようとしましたが、それも叶いませんでした。
 ヒトの創造力の衰微。文芸の枯死。人間の精神文化の黄昏。そんな安っぽい云いまわしが冗談に聞こえない、しなびた時代に私たちは生きています。
 いま、彼女に巡稿の同行を断られたことで、私はようやくひとつの決意を固めることができました。それは巡稿者としての領分を越えた、この館の秩序を乱すおこないになるに違いありません。けれど、もう、こうするより他に道が残されていないように思えるのです。そしてこのおこないの裏には私の個人的な願望もひそんでいることを認めます。あきらめよう、あきらめようと思って、ついぞあきらめきれなかった想いが、今後、私を衝き動かすことになるでしょう。それはきっと許されざることで、この館に破滅を呼び込むことになるかもしれません。けれど、私は──……

 ……長い長い歴史の果てに、人々の創作活動は終焉を迎えました。もはや語られたことのない物語は存在せず、新しい書き手も現われず、種全体の感性は衰えて、あとはもう自然死するのを待つばかりの状態です。
 私たちのしていることも、結局のところは「あがき」にすぎないのだと思います。最高の人材に最高の環境を与えれば、きっとこれまでにない物語を生み出してくれるだろうという、はかない幻想。すでに出尽くしたという事実を受け入れられず、まだ何か出てくるはずだと悲しい努力をくりかえす、不死者としての日々。第三者からみれば不毛といわざるをえない行為かもしれませんが、それでも私は、この悲しい努力をつづける作家たちに寄りそいたいと思っています。──そう。巡稿者である私にとっての、もっとも大切な使命は、彼らの行く末を見届けること。彼らが織りなす一連の物語群の──つまりは人類の創作活動をしめくくる物語の──その最期を、看取ること。
 そのために私は永遠の命を得たのだと思います。十九世紀に生まれた下級貴族の娘でしかない私が、いま、こうして過分な役目を負っていることに、戦慄するほどの想いをいだいています。私はこの館にいる作家たちがひとり残らず筆をおくまで、その執筆作業につきあうことになるでしょう。……筆をおくということが、すなわちこの世を去ることと同義になるかどうかは、わかりません。しかし少なくとも、これまでに筆をおいてしまった作家たちは皆、廃棄され、永遠の時間から去りゆく、破滅の道をすすむことになりました。……

 ……──けれど私は、それがこの館に破滅を呼び込むことになろうとも、臆することなく実行することに決めました。私はこの館にいる作家たちに筆をおかせます、、、、、、、。いつかの、巡稿者として正しくあらんとした自分とは、志が真逆になってしまいました。人は死にます。物語は語り尽くされます。この世から去るべきものは去っていくべきで、ただそれだけのことを理解するのに、私はいったい、どれだけの時間を無為に過ごしてきたのでしょうか。

 はてしない雪暮れの空と、無限に増えゆく廃墟の世界。その片隅に、この館は建っていました。
終古しゅうこ人籃じんらん〉と名づけられたここは、世界じゅうの偉大な小説家を集めて活動させる、収容施設になるはずでした。
 釣りの道具に魚籃びくというものがありますが、それの人間版といったところでしょうか。河川から釣り上げた魚ではなく、悠久の時の流れからすくい上げた人間をしまい込むためのかごが、この館なのです。
 外観は私の生きた時代に隆盛をきわめた英国式のカントリーハウスに似ています。建築様式はネオ・ゴシックのそれにならいつつ、ところどころで他の様式や新しいデザインを取り込んで、矛盾性と唯一性を等しくあわせもつ建造物に仕上がっていました。
 全体としては重厚な三階建ての城館で、私の知るかぎり、同規模でこれ以上に壮麗、かつ、幻夢的なものは他に見たことがありません。しかし、より特徴的なのは、この館に設けられた庭園のほうです。
 降り積もる雪に犯され、彩られて、怖気おぞけのするほど美しい景観を生み出しています。
〈終古の人籃〉には大小あわせていくつもの庭園が散在していますが、そのいずれにも雪が積もり、もともとの庭園の美意識とかさなって、人智を超える幽玄さを具象していました。この地に雪の降らない日はありません。見上げれば、玲伎種の住まう都市が浮遊しており、そこから雪が降ってきています。この雪が自然のものなのか、玲伎種の製造した人工的なものにすぎないのかは定かでありません。どちらにせよ、私たちの暮らす地上では寒冷化がすすみ、一年じゅう真冬のような生活を余儀なくされています。
 館や庭園のみならず、その外側にも雪は積もっていました。そこには無数の廃墟が存在し、美と荒廃の両方をもたらしています。
 八千二十七世紀において、人類の物質文明はすべて灰燼かいじんに帰していました。いま形を残しているのは、玲伎種によって作りだされた超常的文明だけです。
 人類の手による建造物は、廃墟はおろか瓦礫がれきのひとかけらさえ残らないほどの長大な時間がすぎているのですが、しかし、〈終古の人籃〉の周辺にはそれらしき廃墟が広がっていました。なぜか。雪がそれへと変化するからです。降り積もった雪が、徐々に、その体積ぶんの廃墟へと変化していきます。これは比喩ではなく、文字どおり、自然とそのように、、、、、うつろいでいくのです。ただの雪のかたまりだったものが、時間の経過とともに雪の建物へと形を変え、そこに色彩がともない、質感がゆらぎ、ついには本物の廃墟へ転じるという現象。人間には到底理解がおよばなくとも、玲伎種がなんらかの形でこれに関与しているなら、充分に起こりうることでした。
 結果、館に住む私たちは、千変万化する廃墟の景色をいつまでも眺めることができます。永遠の命、不死固定化処置を受けた人間にとっての、ささやかな慰めです。
 廃墟は、崩壊と再生をくりかえしています。ひとつの廃墟が完全に崩れ去っても、そこに新たな雪が積もると、ふたたび別の廃墟が生成されます。はるか昔の、ありとあらゆる建物がその候補になりえますが、頻出するのはウェストミンスター宮殿、バッキンガム宮殿、セント・ポール大聖堂、大英博物館、タワー・ブリッジ、クリスタル・パレス──……すなわち、イギリスはロンドンに存在していた建造物です。
 これには理由があります。まず第一に、〈終古の人籃〉が北緯五十一度、西経〇度に位置していること。ロンドンと同じ場所に作られたことが関係しているのではないかと考えられています。
 第二に、〈終古の人籃〉に収容された作家には、イギリス出身の人間が多かったこと。この館に住む人間の精神性や、その者があらわした物語の内容が、館外の廃墟のありように影響をおよぼすと信じられています。つまり、作家の内面が反映されるのです。ロンドンに心を寄せる人間が多ければ、それだけ、生成される廃墟もロンドンに由来するものが多くなります。
 おもにこの二点によって、ロンドンの建造物がよく生成される理由付けがなされていますが、ではなぜ、〈終古の人籃〉にはイギリス出身の作家が多いのでしょう。私はコンスタンスにそれを訊ねたことがあります。彼女から明確な答えは返ってきませんでしたが、断片的に伝わってきた思念や情報を要約すると、おおむね次のような話になります。
 玲伎種の社会にも政治というものがあるらしく、それによる込み入った事情から、計画が二転三転したのだそうです。当初はその予定どおりに世界じゅうの作家をここに集めるはずでしたが、それに反対する一派が介入し、施設の一極集中化に異議がとなえられました。
 そこから生じた雑多な協議、かけひき、妥協の末に、作家たちは世界各地に分散して管理されることになりました。ヨーロッパ、アジア、アメリカ、オセアニアなど、大まかに分けられたエリアごとに複数の施設が用意され、作家は、その出身地に近いところへと優先的に収容されます。
 そうなると、ロンドンの跡地に作られた〈人籃〉に彼ら、、が集まるのは自明の理でした。私自身、ロンドンで生まれ育った人間です。歳月が経つにつれてイギリス以外の国の作家もこの館に増えてきましたが、それでも割合としてはいまだに優勢を保っています。
 コンスタンスとの交流から導きだしたこの話が、どこまで事実と合致しているのか、確証はもてません。彼女は常に、思念の切れ端を私に渡してくるだけです。本当は私からも声をだして話しかける必要はないのですが、少しでも会話らしい形を維持するため、あえて、そうしていました。彼女のほうでも私がそうしたいのを察しているのか、私が話しかける前に私の心を読むような真似はしなくなりました。
 私はいま、館を出て、ある庭園のそばまで来ています。これから巡稿をはじめるにあたって、どうしても見ておきたい風景がそこにあるのです。雪はしずかに降りつづけ、私のさした傘を白く染めていきます。〈終古の人籃〉にはいくつもの庭園がありますが、これから向かう先が、私は、一番好きでした。

 何かを好きになるという気持ち。それを言葉にして書きあらわすという行為。それを人々は、現実のなかで、虚構のなかで、幾度、くりかえしてきたのでしょう。
 玲伎種は、ほぼすべての面で人類を超越していますが、ひとつだけ、かならずしも上回っているとはいえないものがありました。感性です。芸術の分野では人類の創造性に見るべきものを感じたらしく、それに秀でた人間をわざわざ過去にさかのぼってまで復元し、標本化するようになりました。現在でも玲伎種による人類の研究とデータの蓄積がすすめられています。この館でおこなわれていることも、そうした事業の一環なのです。
 しかし、もうそれも終局を迎えつつあります。世界各地に建てられた作家の収容施設は、この数百年のうちにことごとく閉鎖されました。いまも運営されているのは、ここと、あとは極東の島国──日本に存在するという施設だけです。
 人間の感性や創造力について、玲伎種は興味を失くしていっているようでした。今後は研究する価値のないものとして、片づけられていくのかもしれません。
 目的の庭園にたどりつきました。ここには鏡のように水面が澄んだ池と、それを取りかこむ桜の木々がありました。この気候なら枯れていてしかるべきなのに、舞い落ちる雪と溶けあうことで、薄桃色の花を咲かせています。
 廃墟が作られていくのと同じ原理でしょうか。桜の木の枝に、ある程度の雪が積もると、それは混ざりあって甦ります。雪は、桜の花びらへと変貌します。白かったそれが薄桃色に彩られ、つぼみがふくらみ、咲き乱れるのです。
 そうして生まれた花々は、しかし、あっという間に散っていきます。咲いては散り、散ったあとに積もった雪から、ふたたび咲きゆく──。この庭園では、そんなことが何百年、何千年とつづけられてきました。
 いまも降っている雪は、もうじき散り終わる桜と、ひとときの共演を催していました。銀色の桜吹雪。雪白の桜嵐はなあらし。白と淡紅あわべにの色彩が入り乱れて、私の心をふるわせていきます。
 ……私の、この庭園を好きだという気持ちも、この景色をみて感動した心も、いつか玲伎種によって研究し尽くされ、類型化されて、その意味を薄められてしまうのでしょうか。いいえ、私だけでなく、この館にいるすべての作家の創作物も──
 かつて、この館の作家たちは、それぞれが表現せんとする世界や物語に、その心をささげていました。しかし、ある時期を境に、共著という執筆形態が広まっていき、それに淘汰されるようにして単著──個人的な創作活動──は、すたれました。ひとりで書きつづけることに限界を感じていたのもあるでしょうし、また、共著をするのにうってつけのシステムが導入されたという背景もあります。
 結果、各作家の個性や魅力といったものは中和されました。……私は、どうしても思わずにいられないのです。ずっとずっと昔から、玲伎種からの批評はとても辛辣しんらつなものでしたが、共著という形式にかたよったことで、ますます彼らの不興を買ったのではないか、と。どちらにせよ酷評されるのなら、最後まで、おのおのの表現せんとした世界や物語に殉じてほしかった、と。
 先日のコンスタンスとのやりとりを文書化したレポートが届いたので、昨夜は、それを読んでいました。そこには提出した作品の判定結果が記載されています。Sを最優秀として、A、B、C、D、E、Fというランク分けがなされるのですが、昨今の判定結果は、目をおおいたくなるものばかりでした──
 永遠に朽ちることのない大樹の意思が、いくつかの宝石に宿って、それぞれが歴史上の権力者の手から手へとわたっていく物語。何百人もの生きざまが宝石を介して大樹へと伝わり、それによって神秘的な成長を遂げていく。玲伎種からの判定、Fランク。
 人類最後の大戦争の推移に応じて、仮想空間上の大都市が自動的に発展し、崩壊し、再生する、そうしたサイクルのなか、現実でも仮想空間でも交流を深めていく六人の男女を描いた物語。玲伎種からの判定、Fランク。
 二十世紀から三十世紀にかけて繁栄した一族と、その一族に反旗をひるがえした人々の末裔が、やがて、どことも知れぬ異国の地で再会し、世代を越えて和解する物語──これが先日、提出した小説の内容ですが──玲伎種からの判定、ランク外。すなわち論外。
 いずれも共著によって織りなされた作品です。私はそれらの報告レポートに目をとおすたびに傷心し、絶望し、狂いそうになりました。人類の必死の創造も、それにともなう感受性も、もう、尊重されえない時代になっているような気がして、やるせなさを感じずにはいられません。
 私は、しみじみとこの庭園の様子を眺めやりました。本当に、白くかがやく雪化粧のほどこされた桜の散りぎわは、気が触れそうになるほど美しく、それがかえって、この館の内部でおこなわれていることの悲しさを引き立てています。
 せめて私たちも、その散りぎわにはこれくらい美しくあれたら──と、そう願いつつ、私はここから立ち去りました。館へと戻るあいだ、はるか遠くに群立している廃墟の風景にも目を向けながら。

 館内に帰ってきた私は、粛々と仕事の準備にとりかかりました。
 巡稿。──それは、自身のすべてをもって作家たちと向きあう、悲壮な仕事です。甦った作家たちの生活を支え、彼らが創作に没頭できるような環境をととのえて、少しでも質の高い作品ができるように奉仕します。時には彼らの作品に意見を述べることもありますし、創作の刺激になりえる娯楽や情報を提供することもあります。その末に、彼らの書き上げたものを取りまとめ、管理者──この施設でいえばコンスタンス──へと渡すのです。
 提出した原稿がその後、どこへ行くのかは知りません。おそらくは人間よりも高い知性と文明をもった玲伎種たちに、データとして利用されるのでしょう。私たちは標本にすぎないのですから。
 終わることなく執筆する作家たちと、管理統制をしている玲伎種の社会。その橋渡しをするのが私の役目でした。
 自室で必要なものを整理したあと、衣裳部屋へと向かいます。途中、廊下にて掃除をしている数人のディシオンと出会いました。
 ディシオンとは、玲伎種が使役している幻影の従者です。放送終了後のテレビの砂嵐のような映像が人型となって、服を着ています。明確な自我はないらしく、この館で永遠にメイドやフットマンとして働いています。
 彼らに個別の名前はありませんが、それぞれに番号が割りふられ、それごとに若干の個性があるようでした。外見的にも、モノクロの砂嵐もあれば、色合いに満ちた砂嵐のディシオンもいます。
 生命体なのか、機械なのか。物理的に干渉できる幻影なのか。私たち人間には、判断がつきません。
 彼らがどういった存在であれ、私はなるべく敬意をはらって、人間と同じように接していたいと考えていました。これまでも、これからも、そうしていくでしょう。
「すみません。着替えるので、どなたか……」
 私がそこまでいうと、その場にいたディシオンのうち、ひとりがすすみでてくれました。砂嵐だけの顔には眼も口も存在せず、その髪型と、メイド服を着ているところから、どうやら女性の幻影であることがうかがえます。
 彼女は一礼し、私とともに衣裳部屋へと向かってくれました。

 巡稿におもむくのにわざわざ着替えるという手順をふむのは、私自身の意識の切り替えと、これから逢う人々の求めに応じたいという理由からでした。
 衣裳部屋まで同行してくれたディシオンは、引きつづき私の着替えを手伝ってくれています。〈終古の人籃〉の日常業務をこなしているのは彼らです。コンスタンス同様、まったく喋りませんが、こちらがお願いしたことには完璧に対応してくれるので、作家たちも助かっているようでした。
 衣食住はもちろんのこと、敷地内のすべての庭園の保守も任されています。とはいえ、館や庭園の機能はほぼ自動制御されており、彼らはそれに関する設備が正常に動いているかどうかを点検するだけだそうです。
 ディシオンそれ自体に造園の技術はなく、またそれを修得する感性もない──と、いつだったか、コンスタンスの思念を受けとったことがあります。
 見方を変えれば、彼らもまた〈終古の人籃〉を維持するための、人型の設備にすぎないのかもしれませんが、私にはどうしても、そういうふうには割り切れませんでした。
「ありがとうございます。それにします」
 衣装をもってきてくれたディシオンに礼をいい、私は着替えをはじめました。
 古めかしい、私の生きていた時代──ヴィクトリア王朝末期の情調をただよわせる、風雅なティー・ガウンです。
 巡稿者として甦った私の、その出自を知った作家の幾人かが、私にそうした服をまとうことを求めるのでした。いいえ、正確には私に──というよりも、ヴィクトリア王朝の貴族としての私に、、、、、、、、、、、、、、、、、、でしょうか。あの時代の、あの貴族に、ある種の幻想をいだいているらしく、その幻想を壊さない程度には着飾っていてほしい……と求められたのです。
 以前、私は機能性重視の、なんの洒落しゃれっ気もないビジネススーツで巡稿をしたことがあります。ほとんどの作家は気にしたそぶりを見せませんでしたが、あるひとりの作家から、先述のような貴族への憧憬を吐露されました。その上で、もし着飾ってくれるなら、これまで以上に創作にはげむことができるだろう、とも告白されました。
 当時の私は悩みました。そうはいわれても、あまりに華美なドレスで訪れるのは場違いです。一方、作家の要求も無碍むげにできません。いろいろと考えた末に、ティー・ガウンというものを採用することにしました。
 これは午後の茶会に出席するための衣装で、普段着より豪奢ですが、本格的なドレスよりは装飾が控えめです。無論、昔のものが残っているはずもなく、それに近いものを新たに用意してもらいました。
 結果、厭味いやみにならない優美さと上品さをかねそなえた装いとなりました。くだんの作家からは感謝されました。また、ほかの数名からも褒められて、今後はそうした出で立ちで訪問してほしい、と望まれるようにもなりました。正直、私のような器量の女を、かくも評価してくださるのには複雑な心境がともなうのですが、少しでもそれで創作の一助になるのならと、ありし時代の夢のような衣装に身をつつむことにしています。
 いま、私の手元にあるのは、薄い青を基調としたティー・ガウンです。それに袖をとおしながら、先ほどまで眺めていた桜の庭園と、廃墟の情景について思い出します。
 雪原に消えゆく瓦礫のなか、朽ち果てたシャード・ロンドン・ブリッジが倒壊するのを目にしました。私の生きていたころには存在しなかったビルディングです。ひと言に廃墟といっても、十九世紀か、二十三世紀か、二十八世紀か──いつの時代のロンドンを再現しているかで、朽ちゆく建物も変わっていきます。そのすべてを再現できる雪とは、いったい何なのでしょう。なぜ雪が降り積もることで廃墟が生じるのか。桜の庭園で銀色の桜吹雪が舞い散るのか。それらの答えを、私はまだ持ちあわせていません。
 きっと玲伎種なら知っているのでしょう。そして、教えてはくれないのでしょう。私たち人間は標本なのですから。標本に、必要以上の情報を与えたところで、何の意味もないのですから。
 しかし、それでもかまわないのです。何かを知ったとして、その事実を私たちはくつがえせるでしょうか。くつがえせないのなら、せめて事実の外でだけは、、、、、、、、私たちにとって意義のある物語をつむいでもいいのではないでしょうか。創作という、事実とは異なる解釈をすることこそが、私たちに残された最後の抵抗なのかもしれません。
 着替えが終わりました。私は衣裳部屋から出て、この館を巡ってゆくことにしました。

 巡稿で一番はじめに出逢う作家は、この扉の向こうにいます。
 彼が生きていたのは十九世紀の英国。私と同じ、ヴィクトリア王朝期の人間です。流行作家でした。作品数はさほど多くありませんが、そのどれもが傑作として認められ、時代の寵児ともてはやされました。そして破滅しました。三十四歳という短い生涯の幕を閉じ、この〈終古の人籃〉へ収容されることになったのです。
 セルモス・ワイルド。唯美主義の享楽家。生涯を通じて、美と苦悩について探求した作家。
「メアリです。入ります」
 私はノックし、入室しました。セルモスは奥の机で頬杖をつき、沈思黙考しているようでした。私が入ってきても一瞥しただけで、特にこれといった応対はせず、関心なさげにしていました。
 私は来客用のソファに腰かけ、そのまま待ちました。
 三時間ほど経過したでしょうか。セルモスは一貫して私を無視したわけでなく、たまに見つめ、観察し、かと思えば別の方向をむいて物思いにふけったり、本を読んだり、書き物をしたりと、好きに動きました。まるで、私という存在をインテリアの一部とみなしているように。
 いつものことなので、私も動揺しません。待てばいいのです。
 さらに十五分ほどが経過して──
 ようやく机から離れ、私と対面のソファに座りました。
「どんどん醜くなっていくな、お前は」
 それが彼の第一声でした。しかし声の響きは、とても優しいものでした。
「まったく、見るも無惨なものだよ。我欲のかたまりみたいな顔をしてるじゃないか。私もお前も、不死固定化処置を受けている。だから、肉体的には昔といっさい変わりはないはずなんだ。いまのお前の醜さは、お前自身の内面からきている」
 罵倒するような冷たい口調ではなくて、慈愛に満ちた、医師が重篤の患者に語りかけるかのような声音こわねでした。本気で、いたわってくれているように感じます。
 セルモスは物静かでありながら、その容姿に似つかわしくない激情と欲望を内に秘めた人間でした。
 外見的には細身の、顔立ちのととのった青年です。髪は放埓ほうらつで、肩まで伸びているため、女性に間違われることもあったといいます。知的な、そしてはかなげな瞳が揺れて、繊弱せんじゃくな印象を受けますが、その言動は苛烈ともいえるほど型破りなものでした。
 美への狂熱。退廃趣味。残忍で狡猾。怠惰。高慢。陰鬱な感性。気まぐれな嗜好。淫蕩。冷酷。不誠実。……およそ人の持ちうる悪徳の大半をそなえる一方で、才能だけは燦然ときらめき、それによって社会的成功をおさめたといえるでしょう。
 しかし、そうした栄光の日々も七年たらずのことでした。
 セルモスと私は十九世紀のころから面識があったのですが、当時、私の兄と男色にふけっていたことが発覚して、文壇からも社交界からも追放されることになったのです。
 投獄され、出所してからも零落の一途をたどりました。当時の私にはどうすることもできず、以降、私たちは関わりあうこともないまま互いの人生を終了しました。
 はるかな時を越えて〈終古の人籃〉で再会したときには、さまざまな想いが胸に去来したものです。そして、その想いの残り火は、いまも私のなかでくすぶっています。
「あなたも、お変わりになりました。私の美醜を気にかけるほど、私に関心をもってくださるなんて」
「ずっと前から気にかけてはいたさ」
 優しい医師から一転、今度こそあざけるような声となって、私の言葉を突き返しました。煙草に火をつけ、紫煙をただよわせます。
「それで? コンスタンスはなんだって?」
 先日の提出のことを聞いているのでしょう。自分たちの書いた原稿がどう評価されたのかを知りたがっているのです。
 私は正直に答えました。
「過去最悪の出来と──」
「ふん」
 憤慨した様子もなく、セルモスは煙の味を愉しんでいました。この結果は、とっくに予見していたとでもいうように。
「今度、ひたすら欠伸あくびをしているだけの小説でも送りつけてやろうか。どこかの映画館で、つまらない映画が上映されていて、観客の誰かが欠伸をするたび、それを描写する。ただそれだけ。話の展開も結末もない。人間の──いや、玲伎種のほうがいいか。あいつらが欠伸をするかなんて知らないが──口が開いて、空気を吸いこむ様子を、意味もなく詳細に記述しつづける。ちょっとした趣向だと思わないか」
「どうでしょう。欠伸をする人間の背景まで掘り下げる作品にすれば、あるいは……」
「冗談でいったんだ。誰がそんなものを書くか」
 真正の馬鹿者をみるような目で、セルモスは私のことをさげすみました。
 その提案は、玲伎種への厭味、嫌がらせのつもりでいったのでしょう。それはわかっていたのですが、巡稿者としての立場上、その作品の可能性を模索しないわけにはいきませんでした。
 巡稿における私とセルモスの会話は、おおむねこのような調子でした。彼の言葉を額面どおりに受けとる私と、それを揶揄やゆする彼。そんなやりとりがくりかえされた果てに、いまのこの状況があるのでした。
「次の作品の構想は定まっている。これまでにも打ち合わせしてきた、あれを書きはじめる」
 灰皿に煙草の灰を落としながら、セルモスは何気ないことのように伝えてきました。
「玲伎種の文明社会の勃興と衰滅。奴らがどこから来て、どこへ行くのか──そんなことは知ったことではないが、せいぜい虚構のなかでは壮麗に舞ってもらうよ」
「また、共著になりますか」
「無論だ」
 ……それは、ここ二百年ほどのあいだに私やほかの作家もまじえて練ってきた、一大構想でした。
 歴史に名を残して死んでいった作家たちが、西暦八十万二千七百年という途方もない遠未来に甦ったからこそ書けるもの。人類が滅びたあとの、この時代だからこそ書けるもの。
 その最たるは、やはり玲伎種でした。私たちにとっては興味の尽きぬ新しいテーマです。これまでにも個々の作家がそれについての小説を発表したことはありますが、セルモスが指揮をとって、共著という形で取りくむのは、今回が初になるでしょう。
 おそらくは、この館にいる作家全員が参加することになるはずです。このまま、誰かが止めなければ。
「共著という形式ですが──」
 その誰かに、私はなろうとしていました。あのとき。コンスタンスに巡稿の同行を断られたときに決意したことを、いま、実行に移そうとしています。
 巡稿者としての領分を踏み越えようとしています。
「──やめませんか? あなたひとりで書いたほうが、良いものができると思います」
 私はそう訴えました。
 会話が途切れました。セルモスは理解しがたいものに出逢ったような目で、私のことを見つめていました。

 十九世紀にセルモス・ワイルドが書いた小説に〈痛苦の質量〉というものがあります。
 苦悩という、本来は定量化できないものを、あえて定量化し、それを他者と分かち合う……という内容の話です。
 簡単にまとめるとそれだけですが、セルモスはこれを彼独特の美意識と巧みな筆力によって表現し、幻夢的で痛ましい、退廃の美に彩られた物語に仕上げました。
 舞台はロンドン。ある上流階級の男が、濃霧の街角で幻影のごとき女に惑わされます。そこから生じる異変を追っていき、苦悩や美といったものに狂わされていく人々の惨状を描くのが、この物語の主題となっています。

 きらびやかな晩餐会。悪意と不条理に満ちた社交界──
 ギーメルという名の男は、貴族社会における重圧的なしがらみに耐えかねて、そこから抜け出す術はないかと苦悩していました。ある夜、濃霧のなか、自分に微笑みかける白いドレスの女性を見つけ、彼女に追いすがります。その女性は名をティファレトといい、どこからともなく取り出した一枚の絵をギーメルに手渡しました。それは、どこの誰とも知れない下層階級の女の肖像画でした。
 翌日から、ギーメルの精神状態は異常をきたします。これまでと同様に貴族社会のしがらみに翻弄されるのですが、それにともなう苦悩の度合いが、いままでとは比べものにならないほど深刻になっていくのです。
 同時に、肖像画に描かれた女の居場所が直感的にわかるようになり、そこへとおもむいて、その女と知り合いになります。女の名はケテル。彼女もまた白いドレスの女──ティファレトから肖像画を受けとっていました。そこに描かれていたのは、他ならぬギーメルでした。
 ギーメルは、ケテルから感謝されます。この肖像画を受けとってからというもの、日々感じていた「心の痛み」が軽減されたと。
 不可解に思うギーメルの前に、ティファレトがふたたび現われます。彼女は、ケテルの絵を回収し、そのかわりとして別人の肖像画をギーメルに与えます。──こうしたことがくりかえされ、所有する絵が変わるたびに、ギーメルの精神状態は変化します。あるときは苦悩から遠ざかり、そのおかげで安逸な暮らしが可能になったり、あるときは絶望的な苦悩のなか、自殺未遂におよんだり……、まるで世界の見え方、感じ方が、その根底から入れかわっていくような心の変動に次々とみまわれて、彼は、ひとつの結論に達します。
 自分が受けとってきた肖像画の数々は、そこに描かれた人物がどれだけこの世界で苦痛を感じているか、苦悩しているかを示す絵で、それを所有すると、その苦しみの濃さに感化されるのだ、と。
 ──ここまではギーメル個人に焦点をあてた物語展開なのですが、ここから先は徐々に規模が大きく、そして視点が多角的になっていきます。
 ロンドンにはギーメルと同じ体験をしたという者が続出します。その誰もがティファレトという女に出逢ったと訴え、いつしかそれは噂や都市伝説の域を超えた、神話のようなものとしてあつかわれていきます。
 肖像画を所有している者同士はなぜか互いの居場所を把握でき、それによるネットワークが形成されます。彼らは会員制の社交クラブを設立し、そこで自分たちの肖像画をいつでも好きなように交換できるようにします。どの肖像画がどれだけ苦しいのか、、、、、、、、、、、、、、、、比較・検証されていき、それをきっかけに多様な人間関係が生まれます。
 同程度の苦悩を味わっていることがわかって、奇妙な友情がめばえる者ら。
 一方で、自分はこんなにも苦しんでいるのに、なぜ他の者は自分ほどには苦しんでいないのか、と嘆く者ら。
 自分は充分に苦しんでいると思っていたのに、他の者がそれ以上に苦しんでいるのを初めて知って、その痛みのほどに戦慄する者ら。
 他の者と同じくらいの苦悩ができない自分に、後ろめたさや、申し訳なさを感じる者ら。
 ……それまでは観測されえなかった「苦悩」というものが、絵という媒介をもつことで観測(=鑑賞)され、そこに大きな個人差があることが赤裸々にされてしまったのです。
 これは、物質的な裕福さや環境の良し悪しとは無関係です。貧しくても苦悩少なく生きている者もいますし、優雅な生活を送っていても深い苦悩につつまれている者もいます。この世界を生きていくうえで、どれだけ傷つきやすいのか、どれだけ悪意や不条理に敏感で、それに対して反撃するのではなく、自分自身を責めてしまうのか、という感受性の問題なのです。
 深い苦悩は、往々にして自己否定につながります。繊細な人間であればあるほどこの世は生き辛く、他者に気を遣いすぎて不幸になっていきます。しかし、そうした者ほど美しい──と小説内では語られています。この作品では、苦悩にあえぐ人物の肖像画は、そうではない人物の肖像画よりも、美しく描かれています。つまり、美と苦悩は比例する、というわけです。
 そのことに気がついた小説内の人々は、より美しい肖像画を見たいと願う一方、それを所有することによる「深い苦悩の共感」をおそれました。
 はじめのうちは皆、我慢していましたが、物語が進むにつれて邪悪な計画が企てられます。すなわち、社交クラブの誰かを犠牲にして、とことんまで不幸に追いやり、苦悩させることで、その人物の肖像画を極限まで美しくしよう、というものです。
 その犠牲者に選ばれたのがケテルでした。ギーメルが初めて受けとった肖像画のモデル。下層階級の女。いま、その女の絵は、社交クラブの共有財産になっています。
 この計画を耳にしたギーメルは、どうにかしてそれを阻止しようとしますが、かえって巻き込まれ、弱みを握られ、ケテルもろとも計画に利用されることになります。
 ケテルの肖像画の所有者はギーメルということにされ、彼は、他の社交クラブの会員たちのために、ケテルの肖像画を定期的に披露する「鑑賞会」を催さなければならなくなりました。罠にかけられ、貴族社会のしがらみから抜け出せないでいる彼は、逆らうことができません。
 これによって他の会員たちは「深い苦悩の共感」というリスクを避け、より美しい肖像画を鑑賞する権利を手に入れたのです。
 鑑賞会を開催するたび、みるみる美しくなっていくケテルの肖像画。それは同時に、現実のケテルがどんどん不幸になっていっている証左でもあります。その苦悩のほど、、は、ギーメルにも伝わってきて、生き地獄のような日々を送るはめになります。
 最後には、ギーメルは廃人同然となって、燦然とかがやくケテルの肖像画になんの関心も払わなくなっていました。
 阿呆のようにたたずむギーメルを無視し、この世でもっとも美しい肖像画をでながら酒宴に興じる会員たちの醜さ。贅のかぎりを尽くした食卓。飽食。笑い声。……その場にいる誰もが最初から邪悪だったわけではなく、すべては「美しいものを見たい」という欲求から端を発し、善悪の判断を見失うほどにケテルの肖像画に魅了された結果なのでした。
 ある日、鑑賞会の最中に肖像画が白紙に戻ります。そこに描かれていたケテルが消失したということは、このロンドンのどこかで──おそらくは薄汚いスラムの一画で──彼女が死亡した、という知らせでした。直後、肖像画には白いドレスの女──ティファレトの顔が浮かび上がり、ギーメルをふくめた社交クラブの会員たちに微笑みかけます。これで物語はほぼ終幕なのですが、──……ラストシーンには続きがあって、ティファレトの顔が消えたあと、廃人となったギーメルが、白紙のそれにふたたびケテルを描こうと筆をくわえるのです。しかし彼の絵画の技術はつたなく、描かれたそれは幼児の落書きよりも粗末な、酷いものでした。まともな判断力を失っているギーメルは、それでも自分の描いたケテルの顔をみて、満足げに笑う……──美の極致に至ったケテルの肖像画の、その成れの果てを描写して、物語は今度こそ本当に終わります。

 ……これが〈痛苦の質量〉のあらましです。この小説はまたたくまに話題となり、まだ名の売れていなかったセルモス・ワイルドという作家を、一躍、時の人としました。
 厳粛な道徳観念にしばられていた当時のロンドンは、背徳と退廃の薫香ただようこの作品に魅せられ、惑溺しました。一部の評論家や良識派から「堕落のきわみ」と非難されるも、セルモスという作家の特異な才能、反社会的で奔放な生きざまは脚光を浴び、社交界では幾人もの女性と浮き名をながす享楽家として知られるようになったのです。
〈痛苦の質量〉は、彼の唯美主義を象徴する一作です。美という、目にみえる形であらわれた苦悩は、他人のそれと取りかえることが可能で、そこから生まれる悲劇を、無情なまでに描き切りました。物語の中盤からはギーメル以外の人物にも焦点があてられます。上流階級のみならず、中産階級、労働者階級の人々が、肖像画を通じて接点をもち、入り乱れ、最終的にはケテルという無垢な女性を餌食にする展開は、物議を醸しました。
 階級を越えた人間ドラマと、その果てにある人々の末路。それらに、当時の読者は酔いしれました。他ならぬ私も、そのひとりでした。
 ──いま。
 私の目の前には、その作者がいて──
 私と、次の小説はどうするかという打ち合わせをしていて。
 それは、十九世紀に生きた、あのころの私からすれば、夢のような出来事で──
 いままでは、もうそれだけで充分だったけれど。
 これ以上、あのときとは違うあなたを見ていたくないから。変わっていくあなたを見たくはないから。
 ……衰えたあなたを、見ていられないから。
 正直に、訴えることにしたのです。

「あなたひとりで書いたほうが、良いものができると思います」

 真に美しき人は、弱く、はかなく、苦悩の深き者だ──というのは、〈痛苦の質量〉の序文で語られていた文言ですが、それに比べ、いまの私はどうでしょうか。
 この世の悪意や不条理に反旗をひるがえし、おのれの我を押し通そうとしています。他者への気遣いなどいっさいなく、自己否定へと陥る苦悩からも逃避して、ただひたすらに声をしぼり出しています。もし〈痛苦の質量〉で表現されているような、私の肖像画がここにあるのなら、さぞ醜く描かれていることでしょう。
「さぼりたいのか」
 途切れた会話を再開するため、セルモスはそう口にしました。
「共著の編纂には手間がかかる。その作業がわずらわしくなったのか、それとも、やり遂げる自信がなくなったのか……」
 ソファから立ち上がり、彼は私のそばへと近づきました。睥睨へいげいするかのような視線がこちらを見下ろしています。
「人間だと思っていたんだがな。別の動物だったか。いや機械か。その妄言はどこがどう壊れたら洩らすことができるんだ」
 座っている私と、立ったままの彼。不意に、私の両頬が彼につかまれ、上を向かされ、強引に彼と顔を合わせる格好にされました。
「メアリ・カヴァン。さっきの発言の意図を説明してくれないか。自分がまだ人間だと言い張るなら」
 私の顔は彼にしっかりと固定され、かすかにも動かすことができません。
 向きあったセルモスの顔からは何も読みとれませんでした。冷淡な、蔑む表情ではありますが、それすらも間にあわせの作り物に思えて、私だけが心のうちをさらしているような、そんないいようのない不安と一抹の羞恥心におそわれ、ふるえてしまいます。きっと、身をよじろうとも、逃れることはできません。なんておざなりなはずかしめ。
 私は彼に拘束されたまま、いいつのりました。
「……言葉のままの意味です。あなたがひとりで書いたほうが、ずっといい」
 視界がぶれました。直後、やわらかいクッションの感触。
 セルモスが私を解放したのですが、そのときの勢いが強すぎて、ソファへと倒れ込んでしまったのです。
 暴力とまではいかずとも、どうでもいいものをそのあたりに放り捨てるようなあつかいでした。私は横たわったまま、彼のほうを見上げもせずに話しました。
「共著の場合──……」
 そこで一呼吸おいて、
「……まずはあなたが、全体のプロットを作成し、それを他の皆さんに配布する。それぞれから修正案を受けとって、なるべく多数の意見を取り入れた、最終的なプロットを完成させる。そうですよね」
「ああ」
 互いに顔をあわせずに、会話していきます。
「その後、誰がどの箇所を執筆するかを決定。それぞれの得意分野を活かせるように、担当すべき事象や人物、エピソードを割りふって、それにもとづいて執筆を進めていく。書き上がったものは一度あなたのもとへ集められ、ひとつの物語となるように分解、および再構成される。……この作業には、私も加わります。巡稿者として」
「そうだったな」
 セルモスが移動するのが、気配でわかりました。
 自分がもともと座っていたところに、座りなおしたようです。
 私はそれを確認せず、ソファに顔をうずめ、話しつづけます。
「何十年、何百年とかけて、その作業をつづけていくのですよね。私たちは不死ですし、個々の作家の執筆スピードに差があっても、時間はいくらでもあるのですから。プロットは追加される。エピソードは増えつづける。果てしのないモザイクを完成させていくように、数多の作家の文章をちりばめていく。結果、生前には望むべくもなかった壮大な物語を──原稿用紙の枚数で換算するのが馬鹿らしくなる、途方もないスケールの長篇を──、つむぎだすことができる。……何百人もの権力者の人生を感知することで、樹木が神殿のように成長する物語。最終戦争と、その戦果に呼応する架空都市の興亡。一千年にもおよぶ一族の大叙事詩。これまでにもそうしたものを創作してきましたし、今回もそれに倣う、と──」
 煙草の匂いがただよってきました。
 私の話に耳をかたむけてはくれているようです。
「……共著は、個々の原稿を単純につなぎ合わせただけでは成り立たない。文体はもとより、世界観、人物像、話の一貫性、その背景にある思想、方向性、作風、雰囲気などを統一させて、ようやくひとつの形になる。完成度を高めるため、どうしてもそれら、、、を束ねる者が必要になる。それがセルモス、あなただった──」
「…………」
「あなたは共著の代表者となるため、変わらざるをえなかった。なぜですか。いずれ劣らぬ強烈な個性をもった作家たちの、その世界観や作風を統一するだなんて、ほんとうは無理な話なんです。それでも、あなたがそれをこなせているのは──」
「〈異才混淆いさいこんこう〉があるからだな」
 私が告げるよりも先に、セルモスがそれを口にしました。
〈異才混淆〉。館内に居住する人間の才能や作風を感じとって、それを自分のものとして認識できるようになる精神状態。それはセルモスが独自に修得した技術でも能力でもなく、玲伎種によって与えられた、仮初かりそめのもの。
 この館には超常的な仕掛けがほどこされていました。セルモスの滞在するこの部屋は一階にあり、彼以外の作家は皆、ここよりも上の階で暮らしています。いま、私とセルモスのいるこの場には、私たちのほかに誰もいません。でもそれは「物理的には」という意味で、上の階にいる人々の思想、感性、情熱、才能、作風、技能といったものは、とめどもなくこの部屋へと送りこまれているのです。「混淆の間」と呼ばれるこの部屋では、形のない心理的な存在が、たゆたっています。そして、この部屋の主であるセルモスは、日々、それを感じとっているのでした。
「……そうです。告白します。私はずっと心苦しかったんです。〈異才混淆〉が導入されてからというもの、あなたも、あなたに協力する皆さんも、それぞれの持ち味を活かせなくなりました。それを、どんなに惜しいと感じてきたか──、今後も〈異才混淆〉を継続なされるのであれば、私はその企画に賛成することはできません」
 私はソファから顔を上げて、セルモスのほうを見ました。彼は、ものめずらしい動物を観察するような目で、私のほうを見返していました。
「昔のお前は、ただ原稿を受けとって、この館を巡ればよかった。だがいまは、そうはいかん。お前にとっては昔のやり方のほうが、さぞ仕事がしやすいだろうよ」
「ちがいます」私は相手の言葉を否定しました。誰かに対して、ここまで抗弁したのは、初めてのことでした。「ここでの執筆方法が、単著から、共著へと移り変わって、巡稿者としての仕事が煩雑になったのは事実です。だけど私はその労をいといません。私が問題にしているのは、〈異才混淆〉による弊害のほうです」
「弊害ね」
 セルモスは軽く受けて、煙草を灰皿に押しつけたあと、立ち上がって奥の机へと戻っていきました。置き去りにされた私が見たのは、机もろとも鈍色にびいろに染まっていくセルモスの姿でした。
 くらく、にぶく、沈んでいく室内。それに溶けこんでいくセルモス。
 あれこそが〈異才混淆〉でした。鈍色の色彩は、この部屋へと流れこんだ他者の精神面を具象化・可視化したもの。セルモスがわかりやすく強調してくれたのでしょう。その色彩に彼はおのれの身をゆだねていました。室内にたゆたっているであろう、さまざまな作家の才能を感じとるために。
「ここまで露骨にやらなくても──」
 セルモスが物憂げに洩らしました。
「──私はもう、四六時中、彼ら、、のことを感じとっている。次に何を書きたいのか、どんな文章を綴りたいのか、どういった物語を求めているのか。創作にかかわることなら、ほんのわずかな心の揺れや、機微さえも、ここにいるだけで、、、、、、、、察知し、すくいとることができる。やろうと思えば、彼らにわざわざ書いてもらわずとも、私ひとりで代筆できるかもしれない」
 彼の宣言に嘘偽りはないのでしょう。単に、執筆する手が足りないから、分業制にしているだけ。
 私がいま見ているものは、人類がその長い歴史をついやしても到達できなかった領域。
 他者の意識を……いえ、主観というものを、我がことのように理解するシステム。
 自分以外の誰かが何をどのように感じ、どんな想いにとらわれて生きているのか、それを知ることは人類にはできませんでした。何世紀もかけて積み重ねてきた科学的な手法はまったく通用せず、研究はおろか観測するすべも見いだせないまま、滅亡してしまいました。
 しかし、人類のあとに台頭した玲伎種は、それをこともなげに成し遂げました。他者の主観の把握。それぞれの主観をもちよって、共有し、必要に応じて使い分ける理論。そして、実践するための技法。──この館は、それが人間にも応用できるかどうかの、実験装置もかねています。
 実験は一定の成果をあげました。セルモスが居住する「混淆の間」には、この館に住む人々の内面すべてではないにしろ、小説の創作に必要な精神的側面が集約され、〈異才混淆〉という現象を引き起こしました。すべては玲伎種による文明の産物です。その恩恵を受けているからこそ、私たちは大規模な長篇や、多人数が共著する物語を書き上げることができるのでした。
「あいつらの道楽に付き合わされて、私が変わったことを懸念しているのかもしれないが、いまさらだな。弊害とは何のことだ。もはや私は自室から離れていても〈異才混淆〉を感じられる。まあ、ここでこうしているのが、一番、効果は高いがな。ともかく、この部屋の主という事実が、すでに私とは分かちがたいものになっていて、〈異才混淆〉もまた私と不可分になっている……」
 セルモスのいう「あいつら」とは、玲伎種のことを指しているのでしょう。
 そして彼のいうとおり、本当に「いまさら」でした。何百年、何千年と、そのことに触れずにいて、はじめて異議を申し立てたのですから。
「〈異才混淆〉を害だというなら、私自身がその害だともいえるだろう。どこまでが私で、どこからが〈異才混淆〉によって得られた知見なのか。それは不明瞭だ。私は私でもあるし、この部屋に流れこんだ数多の感性の集合体でもある。不思議な感覚ではあるよ。彼ら、、の主観的な世界と混ざり合っていくというのは──」
「まさに、それなんです」
 私はソファから立ち上がって、鈍色のなかに呑まれていくセルモスへと向かっていきました。
「私がやめてほしいのは。あなたの精神はあなただけのものであるはずで、そこに、ほかの皆さんの世界が広がっているのは、おかしいんです」
 私自身もこの室内にたゆたう他者の精神に染まりそうな、そんな自滅的な錯覚に陥りながら、一歩一歩、彼のところへと近づいていきます。
 机の前にまで来た私は、その机に両手をつき、祈るようにして請願の声をあげました。
「お願いです。〈異才混淆〉を解除してください。それがあなたの一部になっているというなら、その一部を剥ぎ取ってでも。……それを聞き届けてもらうために、私は今日、ここに来たんです」

 参加する人数が増えれば増えるほど、完成させるのが難しくなる──それが共著というものでした。
 無理もありません。人それぞれに考えていること、見えているもの、感じているものは、異なっているのですから。とりわけ、作家と呼ばれる人たちは、その傾向が顕著でした。
 かつてセルモスが、私にこう語ったことがあります。
「……お前は才能という言葉を口にするが、それは、いいかえれば畸形きけいの感性のことだ。凡夫とは異なる感性を宿しているせいで外部の情報を通常とは異なる形で受信し、それに影響される。受けとった情報からして異質なのだから、それによって彫琢ちょうたくされる精神も異質なものになる。考え方が独特になる。世界観も特殊になる。そんな人間から発信される情報もまた特異なものになる。……凡夫は、それを社会的に有益かどうかだけで判断する。有益なら天才だといってもてはやし、有害なら狂人だといって疎外する。その線引きはじつに曖昧で、時代によっても移ろいやすい。この館にいる連中は、たまたま前者の側としてあつかわれただけのこと。広く世界を見渡せば、ここの連中以上に受信と発信の機能が壊れていた者もいただろう」
 それを聞いていた当時の私は、次のように返しました。
「まるで、人のことを機械のように形容するんですね。ここにいる皆さんよりも……となると──、そういった人たちは、どうなってしまうのです」
「さあな。まあ、幸せからは遠いだろうよ」
 セルモスの回答は、素っ気ないものでした。
「生きているうちに理解されるかどうかだ。そいつが死んで、後世になってから、ようやく評価されたというケースはある。しかし、それにどれだけの救いがある? 特殊な感性を宿していても、自分自身でその使い方がわからず──つまり、ここの連中のように『創作』という逃げ道を歩むことすらできずに──、もてあましたまま、苦しんだ者もいただろう。使い方を知っていても、自分のなかにある世界があまりに独特すぎて、それを表現しきれずに絶望した者もいただろう。自殺。孤独死。不遇の人生。ありふれた末路だ。ここの連中は、幸運にも他者から理解される程度に壊れていたから、そして受信と発信の機能をそれなりに利用できたから、多少はましな人生を送れたんだ」
「……そう、なのでしょうか……」
 私は弱々しく、反論しました。
「私にはわかりません。たとえ他者から……、いいえ、社会から評価された作家でも、その人が何をどのように感じ、どんな想いにとらわれて、その作品をつくったのか。〈終古の人籃〉に来て、そんな人たちと実際にめぐり会って、それで理解できるようになるかと思いましたが、……ますます、わからなくなりました。けれど、相手のことがわからないからこそ、惹かれるということも、ありませんか。もしもこの館にいる皆さんよりも不可解な人がいたとしても、理解ができないという理由で、ただそれだけで、不遇の人生を歩まなければならない……となるのは、悲しすぎると思います」
 私は、途中からやや感情的になって、赦しを乞うような気持ちで、そう訴えていました。
 セルモスはそんな私のことを冷静に見つめていました。
「コウモリであるとは、どのようなことか」
 唐突に、彼はそんな言葉を口にしました。
「え──」
「いや、なんでもない」
 もうこの話は終わらせたいのか、彼は立ち去る気配をみせました。
「さっきまでのは一般論だ。私でなくても、似たようなことをいっていた者は、過去にいくらでもいる。そして、その理屈の外側で生きる者もいるだろう」
 最後に、私を一瞥し、
「……お前は、そうなのだろうな」
 と洩らしました。
 よくわからないうちに一般論の範疇はんちゅうから外されて、私は当惑しつつ、彼が去っていくのを見送りました。後日、調べたところ、「コウモリであるとはどのようなことか」なる言葉の由来は、西暦一九七四年に発表された、意識の主観性に関する、ごく短い論文のタイトルなのだと判明しました。……

 ……あのときは反論しましたが、たしかに、作家という人たちは──作家でなくとも、その素養をもった人たちは──程度の差はあれ独特の感性を有し、それがゆえに他者とのずれ、、に難儀しているところがあるようでした。そして、ときとして幸せから遠ざかり、不遇な人生を送らざるをえないほど追い込まれるのも、悲しいけれど、事実のようでした。
 そんな人たちが集まって、何かひとつの作品をつくりあげるというのは、それはもう大変に険しい道のりなのです。なぜなら、単独でも危うい感性のずれ、、、、、を、複数にわたって活用せねばならないのですから。それが良い結果をもたらすこともありますが、多くの場合、収拾がつかなくなり、破綻します。大きな才能がぶつかりあえば、それぞれの作風や世界観がせめぎあって、不協和音を発するのです。
〈終古の人籃〉において創作されている共著は、まさにその典型でした。
 それにかかわる才能が大きなものであればあるほど、作品内における影響力も大きくなり、整合性をとるのに呻吟しんぎんします。ましてや、それが多人数ともなると──

「〈異才混淆〉を解除しろ、か」
 いま。セルモスの机の前で、私は、彼の声を聞いていました。それは冷ややかでもあり、こちらの心身を気遣っているような、いたわっているような、そんな思いやりにあふれた声のようでもありました。顔までは確認できません。さっき、分をわきまえぬ願いをしたために、気力を使いはたして、私自身のこうべが垂れてしまっているから。
「いっそ興味深くも感じられてきたよ。いまのお前の狂態は」
 その辛辣な言葉遣いと嘲笑の様子が、いつかの彼、私のよく知っていたころの彼のままのように感じられて、全身がふるえました。
 そんな彼の姿が嘘ではないことをたしかめるため、ようやく顔を上げることができました。
 顎をつかまれました。引き寄せられ、否応もなく向き合わされます。
「これまでずっと、それを願っていたのか」
「はい」
「いまこのときまで、それを云い出せなかったと」
「はい」
「なぜだ」
「それは──」
 私はいいよどみました。
〈異才混淆〉は、救いをよそおった災禍なのです。
 険しい道のりとはいえ、歴史をふりかえれば共著にも成功例はあります。ごく限られた人数で、しかもその関係性は親密で、作風が似通っているか、異なってはいても個々の長所を知りぬいており、それらが作品内でうまく発揮されるように統合されたもの。
 言葉にすればそれだけですが、それらすべての条件をそろえるのは至難です。少なくとも〈終古の人籃〉においては、生まれた時代も、価値観も、まったくかけ離れた人々が集まっているため、そこまでの連携を期待するのは奇跡を待ち望むようなものでした。
〈異才混淆〉はそうした状況を一変させました。たったひとりの人間のなかで、多くの、異なった才能が混ざり合っていきます。作風の混合。世界観の統合。情緒の混濁。感性の混淆──。それぞれの精神は個別に存在しながらもセルモスと同調し、その揺れ動きはつねに相互に伝わっていきます。小説の執筆における微妙なニュアンスまでもが共有され、いちいち連絡をとりあわずとも創作をすすめられるのです。いったい、ものを書くにあたって、これ以上に親密な関係性があるでしょうか。これ以上に、個々の長所を知りぬくことができるでしょうか。どれだけ人数が増えようとも、セルモスが執筆の主体で、監修という立場にあるかぎり、彼らの作品が破綻することはなくなりました。
 そこまでは、良かったのです。
「──だって、それは……」
 私はセルモスに迫られ、か細い声で答えました。
「……あなたがどんなふうに変わっていこうとも、作品を完成させることのほうが、大切だから……」
 巡稿者としては。
 私個人の想いを、切り捨てたとするのなら。
 いいえ。切り捨てることができたと、するのなら。
 巡稿者としては、作家たちの創作活動を支援するのが、何より優先されることでした。
「それに、どちらがより良い結果につながるのかなんて、私にはわかりませんでした。私よりも見識のある皆さんがそう判断されたなら、きっと、私のほうが間違っているのでしょう。だからずっと、心のうちに秘めていました。そしてこの訴えも、間違っているのを承知でなお、申し上げていることなんです」
 ──と、私が話しているあいだに──
 私の顎から、彼の手が離れていきました。かすかに残った温もりに、切ないくらいの名残り惜しさがわきあがってきて。
 私はもう、ほんとうに、巡稿者失格なのだと思いました。
「なら、なぜ、いまになって?」
「……ここも、いつかは必ず、閉鎖されます」
 世界じゅうに散らばっていた「標本」の収容施設が、ここ数百年で次々と閉鎖されているのは、セルモスも知っているはずでした。
「いえ、それよりも先に、地球の環境が、私たちや玲伎種にも耐え切れないほど変動するおそれもあります」
 セルモスは二本目の煙草に火をつけて、吸いはじめました。
 しばらく煙と戯れたのち、どうでもよさげに、言葉を投げかけます。
「コンスタンスからか」
 情報の出処を問われ、私は首肯しました。
「はい。生きることはできても、創作はできないかもしれません」
 いくら不死固定化処置を受けていようと。永遠の命があろうと。住むべき地上が壊滅していれば、人間らしい生き方など望めません。
 極度の氷河期に移行して、氷漬けにされたとして、それでも生きつづける意味はあるのでしょうか。
 地表のほとんどが溶岩におおわれて、それに溶かされ、肉体も維持できないのに、なお自己を保っている必要はあるのでしょうか。
 地球がいよいよ太陽に呑み込まれたそのあとに、もし、それでもまだ私たちが生きていられるのなら。──どこで、何を、どうすればいいのでしょうか。
 私たちの受けた不死固定化処置は、どこまでの永続性を約束してくれるのでしょう。叶うなら、どこかの時点で意識は途絶えてほしいと、そう願います。でなければ、意識を保ったままで存在しつづけることの、その残酷さを噛みしめることになるでしょう。
 私たちは朽ち果てることなくとも、いつかは〈終古の人籃〉にいられなくなる、そんな日が、来るかもしれないのです。
「それで」
 セルモスは、ますますもって、どうでもよさげに、
「──そうなってしまう前に、自分のなかにあるものを吐き出してしまおうと、そう思ったわけか」
 私の胸中を、えぐり出しました。
 ああ。目の前にいるこの人は、こういうところだけは変わっていなくて。
 けれども、やっぱりあのころとは別人になっているのでした。
〈異才混淆〉は、それに参加した者すべての才能を相互に利用可能にしますが、その中心に立って「核」の役割をになう人物が必要なのです。セルモスがそれでした。核になった人物は、ほかの参加者よりも強く精神的な負荷を受けます。互いの想念を送受信する中継役をこなすので、たったひとりの人間のなかに無数の想念が流し込まれます。個々の才能が融和する一方で、それにともなう精神の変容や、ひずみなども発生し、それは、セルモスのもともとの精神をむしばむこととなりました。他者の複雑な精神活動を強引にまとめた結果、その受け皿となった彼の心に、深刻な影響をおよぼすのです。それが〈異才混淆〉を利用する代償でした。
 はじめのうちは、気がつきませんでした。
 彼が〈異才混淆〉とともにあるようになってからも、しばらくは無聊ぶりょうな日々がつづいているものと信じていました。
 だけど少しずつ、少しずつ、巨大な機械のどこかの部品が摩耗していくように、彼のふるまいには狂いが生じていきました。日常のなかの、ほんの思いすごしと感じられる、ささいな違和感。──それがつのっていき、いまでは明らかに、そのひととなり、、、、、に変化が見受けられるようになったのです。
 今日の、セルモスの発言にかぎっても、そう、たとえば──
「どんどん醜くなっていくな、お前は」
 それが彼の第一声でした。いきなり相手の容姿を罵倒するその大胆さはセルモスらしいともいえますが、そもそも彼は、私の美醜について論評する気さえもたぬほど、私のことを見下す高慢さを有しているはずでした。
「どこまでが私で、どこからが〈異才混淆〉によって得られた知見なのか。それは不明瞭だ。私は私でもあるし、この部屋に流れこんだ数多の感性の集合体でもある。不思議な感覚ではあるよ。彼ら、、の主観的な世界と混ざり合っていくというのは──」
 口数が多すぎます。私に何かを伝えようとする気持ちが強すぎて、別人のように思えてきます。
「いっそ興味深くも感じられてきたよ。いまのお前の狂態は」
 この発言と、
「──そうなってしまう前に、自分のなかにあるものを吐き出してしまおうと、そう思ったわけか」
 この発言の、ふたつだけでした。セルモスがセルモスらしい発言をしたと思えるのは。だからそれを聞いたとき、全身がふるえたのです。ありし日の彼のことを思い出して。
 もっと寡黙で、そうでありながらも何かを語る際にはこちらを突き放す、そんな冷たさのある人でした。それが崩壊していました。部分的にはまだそのような悪魔的な要素が残ってはいますが、明白にそうではない「らしくなさ」も混じって、そのちぐはぐな感じが、じわじわと私を苦しめていきました。
 人間に対して、そのような語をもちいることが許されるのなら──、彼は「劣化」したのでしょう。〈異才混淆〉による他者との融和とひきかえに、彼個人の、文学的才能は影をひそめ、独自の世界観というものは消え失せたかに思われるのです。──〈痛苦の質量〉。つと、そんな言葉が脳裏をよぎりました。十九世紀にセルモスが著した小説。もう、あのような、退廃と背徳の情調があやなす、悲しくも幻惑的な物語は、彼の筆から生み出されはしないのです。かわりに著されるのは、複数の作家たちによる、大河のように広壮な超巨篇。……どちらを、尊重すべきだったのでしょう。〈終古の人籃〉にとって、また、玲伎種に提出する資料として、どちらの原稿を執筆してもらうのが、より望ましかったのでしょう。セルモスにさっき答えたとおり、私にはわからない──わからなかったのです。
 希少性、スケール、厚み、完成度、などといった点を基準にするなら、後者のほうに価値がある……と、そう考えてきたから。──いえ、そう思えるように、心に整理をつけてきたから──、これまでは何も語らず、訴えず、粛々と私は、巡稿者としての使命を果たしてきました。けれど。
「私は、──……」
 ふるえるような声で。あのころとは別人になってしまった、この人を見据えて。
「……私はもう一度、読みたいのです。共著ではない、あなたの、あなただけの作品を。そこに正誤はありません。損得もありません。私の欲求です。願望にすぎないんです。ただ読みたくて。それを伝えるためだけに、なりふりかまわず、私は……──」
 それ以上は、声になりませんでした。言語化できない、何か、空気のようなものが喉につまって、感情だけが先走って。
 いつのまにか私は、机の前でくずおれ、何本かの指だけを、その机上にひっかけていました。胸の内側が焦げつくように熱くなって、いまはとても、言葉をつづけることができません。
 冷静でいようと思っていたのに。毅然としていようと思っていたのに。
 いちど吐き出してしまえば、こんなにも私はもろくて、醜くて。
 昏く、不健康な匂いのする、この人の作品が好きでした。この人自身も不健康で、不埒ふらちで、不可解ではあったけれど、〈異才混淆〉とつながるようになってからは、嗚呼ああ、ほかの作家たちから受けた影響のせいで、かえって健全で、実直で、明快な性格へと近づいてしまいました。
 私にはそれが、たまらなく、惜しいのです。
「メアリ」
「……はい」
「久々に見たよ。お前の苦しんでいるさまを」
「…………」
「もっと苦しむといい。撤回しよう。やはりお前は、美しい」
 彼の感性によれば、苦悩している者ほど美しいのですから、そう見えているのかもしれません。しかしその感性も、いつか〈異才混淆〉に呑まれ、かき消されてしまうのではないでしょうか。
「いいだろう」
 セルモスは、こともなげに、
「今後のお前の行動次第で、共著にするか、単著にするか、決めることにしよう。せいぜい足掻あがけ。苦しんでみせろ」
 思いがけず催されることになった余興を知って、それを存分に愉しもうとしているかのように、そう告げました。
「〈異才混淆〉を解除するかどうかは、私の一存では決められない。お前も知っているだろう」
「はい」
「二階から上にいる連中もそれに同意しないとな。どうする?」
「私が同意を呼びかけます。説得して回ります」
 ようやっと立ち上がることのできた私は、あらかじめ決意していたことを宣言しました。
〈異才混淆〉の解除。それを遂げるには、この館の作家たちの了承を得なければいけません。
 容易なことではないでしょう。なぜなら彼らは、〈異才混淆〉に協力する見返りとして、さまざまなものを受けとっているのですから。
〈異才混淆〉を解除するということは、同時に、それを手放すということ。彼らが〈終古の人籃〉にて幾星霜もおとなしく執筆しつづけているのは、〈終古の人籃〉でしか手に入らないものがあったからです。
 しかし、私は、それを無理やりにでも彼らから引き剥がそうと考えています。
 ほしいものを手に入れた彼らは──僭越な表現をしてしまうなら──、堕落した、という見方も、できるかもしれません。なかには、ほとんど筆をふるわなくなった者もいます。永遠の命におぼれ、その才知と創造力をどこまでも腐らせていく者もいます。
 そんな状態のまま、〈終古の人籃〉での人類最後の創作活動を、終わらせたくはないのです。不老不死でも、いつかは、書けなくなるときが来ます。施設の閉鎖。世界の終焉。それらを迎える前に、もう一度、彼らには彼らにしか書けないものを、書いてほしいのです。
「あなたひとりで書いたほうが、良いものができると思います」──セルモスにそう告げた、さっきの言葉に、偽りはありません。〈異才混淆〉によって破綻することなく完成した共著もすばらしいですが、それ以上に、それぞれの作家が単著を──たったひとりの人間によって執筆された作品を──手がけたほうが、おもしろいものが出来るのでないか、と、そう予感しています。
 私は、彼らの行く末を見届けたいのです。彼らが織りなす一連の物語群の──つまりは人類の創作活動をしめくくる物語の──その最期を看取って、それが本当に最期を飾るのにふさわしい作品であったと、そう心から彼らに感じてもらいながら、筆をおいてほしいと、願っています。
 巡稿者でしかなかった私の、差し出がましい真似にすぎないのかもしれません。余計なことなのかもしれません。だから、いままでは何もしてきませんでした。けれど、もう──
「ここに戻ってくるまでに、どれだけの作家がお前の提案に賛同するか、愉しみだよ。〈異才混淆〉の解除は、全員一斉でなく、ひとりずつでも可能だ。まあ、全員による完全な解除など、ありえないだろうからな」
 セルモスがそういいました。
 口ではその可能性を否定しましたが、私がどこまでそれに近づくことができるのか、期待している笑みを浮かべていました。いま、このときに〈異才混淆〉の主体たるセルモスからの了承はえたとみていいでしょう。あとは、それぞれの作家から解除の同意をもらえれば、それで機能は停止するはずです。
 これからめぐり会う作家たちには「遺作」の依頼をする予定です。永遠の時間があると思ってしまうから、人は落ちぶれていくのではないでしょうか。私も、彼らも、覚悟が足りなかったのです。いつか筆をおくときが来る──ではなく、おのれの意志で筆をおく──という覚悟をもって、次の一作に臨んでもらえるよう、交渉するつもりでいます。
〈異才混淆〉は、救いをよそおった災禍です。セルモスにとってだけでなく、ほかの作家たちにとっても。
「セルモス──」
 私は退室する間際、彼に声をかけました。
「──コウモリであるとは、どのようなことなのでしょうか」
 いつか、セルモスのほうから私にむけて送られた言葉を、私のほうから送り返してみました。その答えを聞いてみたくて。
「いまのあなたになら、それがわかりますか」
「──わからんね。私に人間としての意識が残っている限りは、永遠に」
 冷然とした声。虚無的な表情。ここにはそれしか存在しないことを確認し。
 私は「混淆の間」の扉を閉じました。

 コウモリであるとはどのようなことか。
 西暦一九七四年。意識の主観性に関する論文のタイトルです。
 ──人間は、どんなにコウモリの生態を調べても、解剖をしても、そのコウモリが超音波の反響を「どのように」感じているのか、けっして理解することはできません。
 見えるようにして感じているのか。聞こえるようにして感じているのか。それとも、人のそれとはまったくかけ離れた、異質な感じ方をしているのか。
 コウモリの主観的な世界は、コウモリにしか知りえないのです。
 同様のことが、同じ人間同士でもいえます。
 私は、私以外の人間が、何をどのように感じ、どんな想いにとらわれて生きているのか、わかりません。それは私にとって、耐えがたいほどの苦しみで──〈終古の人籃〉にやって来るずっと前から──、そのことについて考えてきました。
 しかし、セルモスなら。
〈異才混淆〉で他者の精神とつながることのできた彼ならば、何か、別の答えを見つけているかもしれなくて。問いかけてみましたが、すげなく返されました。
 ……誰もが皆、自分以外の主観的な世界については無知で、それを埋め合わせるために何かを創ったり、鑑賞したりして、生きてきました。論文で取りあげられたコウモリは、この問題をわかりやすく伝えるための例示にすぎません。
 暗愚な私ですらこの問題に気づき、それについて思い悩めるのですから、人一倍感性がするどく、天才か狂人かといわれてきた過去の偉人たちは、なおのこと、切実にそれを考えてきたのではないでしょうか。
 私がこれから逢いにいくのは、そういった人たちなのです。
 コウモリであるとはどのようなことか。
 セルモス・ワイルドであるとはどのようなことか。
〈異才混淆〉で失われたセルモス・ワイルドという自我は、ふたたび戻ってくるのでしょうか。
 彼は、なぜあのとき、私に向けて、この言葉を送ったのでしょうか。
 不死の作家に遺作を書かせようとしている私は非道そのもので、彼らの主観的な世界を知りもしないくせに、彼らにそれを表現させようとしています。
 次が彼らにとっての遺作になるなら、私にとってもそれを支援するのが最後の巡稿になる──という予感をいだきながら、私は二階へとつづく階段へ向かいました。

 (以下、第二章に続く)

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