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【『ミレニアム7』発売記念】〈ミレニアム〉既刊六部作全作レヴュー 樹下堅二郎(ライター)

 世界のミステリを変えてしまったシリーズがある。二〇〇五年のスウェーデンでの刊行を経て、二〇〇八年に英訳された〈ミレニアム〉三部作は、各国で大ベストセラーとなった。国際的な書店ツアーや大々的なタイアップがあったわけではない。なにしろスウェーデンでジャーナリストとしても活動していた著者のスティーグ・ラーソンは、三部作の刊行直前に急逝し、自著が書店に並ぶ様を見ることすら叶わなかったのだから、それがどれだけ特異なことかが窺える。

 

 今やシリーズ累計一億部を超える記録的なヒットとなった〈ミレニアム〉は、スウェーデンやその周辺諸国の有力な作家たちをも巻き込み(同時期の北欧発のミステリドラマの隆盛も後押しして)巨大なムーブメントを形成した。いわゆる「Nordic Noir」「Scandinavian Noir」あるいは「北欧ミステリ」と呼ばれるジャンルを確固たるものとしたのだ。こうしたカテゴリは、地域的にも文化的にもかなり大雑把な括り方ではあるし、他の代表的な作家たち──ヘニング・マンケル、アンデシュ・ルースルンド、アーナルデュル・インドリダソン、ジョー・ネスボなど──の個性も実際には十人十色ではあるが、先進的で高度な福祉国家と見なされていた北欧社会の暗部をシリアスに描き、弱者への差別、暴力の問題、緻密でスケールの大きい物語といった独自のトーンは、世界のミステリ読者を瞠目させ、各国に多大な影響を与えたのは紛れもない事実である。

〈ミレニアム〉は、伝統的なスウェーデン・ミステリとも一線を画し、あらゆる意味で型破りであった。主人公たちは法執行機関の人間でもなければ、ときにイリーガルなハッキングも辞さず、不正義を糺すべく奔走する。著者の経験が生かされたジャーナリスティックな観点と、複雑な事件の渦中で躍動するキャラクターたちは個性的で斬新であり、わずか三作の中には謎解きもの・警察小説・法廷小説といったあらゆるミステリの面白さが詰め込まれ、まさに現代ミステリの新たなる古典といえる。本記事ではそうした〈ミレニアム〉シリーズの見どころを紹介していく。

 

〈ミレニアム〉1〜3

スティーグ・ラーソン/ヘレンハルメ美穂・他訳

『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』

 記者のミカエル・ブルムクヴィストは、経営する《ミレニアム》誌の報道を巡って有罪判決を受け、引退を考えていた。そんな彼のもとに、実業家のヴァンゲルから奇妙な依頼が舞い込む。三十六年前にヴァンゲル家が住む島から親縁の少女ハリエットが突然失踪した事件の真相を究明してほしいというのだ。「ハリエットの身に何かが起こり、容疑者は島にいた人間に限定される。密室ミステリの孤島版といったところですね?」──有罪判決を覆す情報提供を報酬として示されたミカエルは、再起を果たすべく申し出を引き受ける。そして天才的な調査能力を持つ女性、リスベット・サランデルと邂逅を果たす。

 富豪一族の因縁と孤島から消えた少女──第一部はまるでクラシックな本格ものを思わせる設定で幕を開ける。実際に本作は、アリバイ検証やデータに基づいた推理、そして意外な真相といった謎解きミステリの興趣をしっかりと押さえている。そのうえで、姿を現す禍々しい〝悪〟に怒りと正義感を持って挑むリスベットとミカエルの描写によって、現代的な視座と独自性をも打ち出していくのだ。とりわけ非合法な手段を用いてでも強い信念から行動するリスベットは強烈で印象的であり、三部作で一貫して描かれる「女性へ向けられる憎悪に対する怒り」というテーマを第一作にして見事に体現している。

『ミレニアム2 火と戯れる女』

 リスベットを恨む弁護士のビュルマンは復讐を計画し、謎めいた〝金髪の巨人〟に誘拐を依頼する。からくも拉致から逃れたリスベットは、襲撃の背後にある人物の影を見出し、ただ独りその闇を追う。その頃《ミレニアム》誌は人身売買と強制売春を告発する特集号の準備を進めていたが、協力者のジャーナリストたちが何者かに惨殺されてしまう。警察の捜査線上に浮かんだ容疑者はなんとリスベットだった──彼女の無実を信じるミカエルは調査に乗り出す。事件は連続殺人へと発展し、混迷と錯綜を深めていく渦中で、リスベットは自身の凄絶な過去に相対する。

 年代記的に謎を追う第一部とは打って変わり、現代を舞台に緻密かつスピーディーな展開で本作は進行する。命を狙われ、さらに殺人犯として指名手配されたリスベット。彼女を追う者たちをスリリングに描く本作は、クライム・ノヴェルと警察小説が融合したエンターテインメント性に満ち、ラーソンの筆力が遺憾無く発揮されている。そして明かされるリスベットの過去は読者に衝撃を与えるだけでなく、シリーズに奥行きを与え、予測不能の展開へ至るのだ。読者は巻を措く能わず第三部を手に取ること必至である。

 

『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』

 瀕死の重傷を負って入院するリスベット。彼女にはあらゆる罪状と疑惑が掛けられていた。そして一連の事件に業を煮やした「組織」は、関係者の口封じを画策する。国家をも揺るがす陰謀を前に、ミカエルは警察内の協力者や、リスベットを信じる関係者たち、そして《ミレニアム》誌の面々と手を組んで「狂卓の騎士」グループを結成する。様々な妨害や隠蔽工作に立ち向かう「騎士」たち。そしてすべての事件の決着はリスベットの裁判へと委ねられた──不利な形勢にも関わらず、ミカエルらは法廷で果敢に闘いに臨むが……果たしてリスベットは、そしてミカエルは、あまりに巨大な闇に打ち勝ち、真実を白日の下に曝すことが出来るのか?

 エスピオナージュ小説ばりの攻防からリーガル・サスペンスへと発展する、シリーズ全体のピークと言える最長・最大の傑作だ。警察の組織内においても様々な思惑が交錯する中、ミカエルらは《ミレニアム》誌が報道メディアだからこそ出来る戦い方を模索していく。キャラクターたちが再登場してチームを作り、敵組織との知略に満ちた熾烈な情報戦が全篇で展開され、読む者を圧倒する。あらゆるファクターがクライマックスの法廷劇へと収束していく様は、まさにラーソンの魔術的プロット捌きが炸裂するシリーズの白眉だ。そして万感の決着まで、三部作の掉尾に飾るに相応しい作品であると断言できる。

 

〈ミレニアム〉4〜6

ダヴィド・ラーゲルクランツ/ヘレンハルメ美穂・他訳

 

 二〇一五年から別の作家が〈ミレニアム〉を書き継ぎ、続篇を三部作で刊行する──二〇一四年にラーソンの遺族と出版社から発表されたこのニュースは、世界中のファンの胸中に期待と不安を巻き起こした。あれほどの傑作を書き継げる作家がいるのだろうか? 選出された新たな著者は、ジャーナリストにして作家のダヴィド・ラーゲルクランツ。だが、ラーソンは生前にシリーズ全体の詳細な構想を遺しておらず(第四部の草稿の一部は存在するが、関係者間の権利問題もあって未発表)、他人が新たな物語で前三部作の水準を保つのは相当な難事だと思われた。

 そこでラーゲルクランツは新三部作執筆にあたって大胆な戦略を取る。ラーソンの作品を深く研究した彼は、シリーズの根幹を成すリスベットのキャラクターに焦点を当て、その背景を深く掘り下げていく。さらに前三部作の初期から存在が仄めかされていた〝ある人物〟を、全作を通して最も重要な敵対者として組み込んだのだ。

 こうして開幕した〈ミレニアム〉新三部作は、シリーズの愛読者たち──とりわけリスベットの強烈な個性に魅せられたファン──からも「リスベットと因縁深い敵対者の過去とは?」「彼らはどんな決着を迎えるのか?」と興味を強く惹き付けた。さらに前三部作にちりばめられていた布石を生かしつつ、巨大なサーガとして再構築。いずれもベストセラーとなり、ラーゲンクランツは独自の個性を発揮しつつ、従来のファンの期待に応えるという離れ業を見事に成し遂げたのである。

 

『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』

 前作から数年が経ち、ミカエルの《ミレニアム》誌は海外企業に買収されかける危機に陥っていた。そんな折、世界的な人工知能研究者のバルデル教授にスクープがあるという情報を掴んだミカエルは、どうやら事態にリスベットが絡んでいることに気づく。自閉症ながらも天才的な数学能力を持つ息子アウグストを引き取って暮らすバルデルだったが、産業スパイの犯罪組織に襲撃されてしまう。組織を追っていたリスベットはふたたびミカエルと共闘し、アウグストを守ろうとする。だが事件の背後には驚くべき人物の存在があった……。

 新三部作の一作目は、先進技術にまつわる諜報戦に巻き込まれた少年アウグストを主軸に、アメリカの国家安全保障局や犯罪組織などの様々な思惑が絡み合う物語が展開される。読者は、ラーゲルクランツがラーソン流の膨大なサブプロットの並走と回収を巧みに継承していることに驚かされるはずだ。また、重要なキーバーソンであり、悲惨な過去を経て心を閉ざすアウグストはとりわけ印象深く、彼と重なる境遇を持つリスベットとの交感は胸を打つ。そして終盤で明確になる新三部作の方向性は、強い〝ヒキ〟となって読者は次巻に手を伸ばさざるを得ないだろう。

 

『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女』

 ある事情から刑務所に収容されたリスベットは、恩人パルムグレンと面会した際に〝レジストリー〟なる機関が自分の過去に関係していることに思い至る。刑務所内での情報収集で浮かびあがった「マンヘイメル」なる人物とは? ミカエルにリサーチを託しつつ、リスベットは獄中で移民のファリアを虐げるギャングのベニートとの対決を決意する。一方、ミカエルは陰謀の犠牲となったあまりに痛ましい死に直面し……。

 リスベットにクロースアップすることで出発した新三部作の中核を成す本作は、彼女のルーツを真正面から描く重要作だ。今回描かれる複数の事件──刑務所内で振るわれる差別と横暴、ムスリム移民の家庭内で抑圧される女性の悲劇、非人道的な虐待──はいずれも理不尽な権力勾配から生じた強者から弱者への暴力であり、その構造に敢然と立ち向かい、怒りを持って犯人と対決するリスベットの姿は、極めてヒロイックで痛快である。作中最も印象的な、リスベットの背中のドラゴン・タトゥーのエピソードも彼女の信念の在り方を一層際立たせており、前三部作から通底するシリーズのメッセージ性を改めて強く打ち出した快作だ。

 

『ミレニアム6 死すべき女』

 公園で死んでいた身元不明の男の衣服から、なぜかミカエルの電話番号が記されたメモが発見された。男は死ぬ前にスウェーデン国防大臣を罵倒する騒ぎを起こしていたという。他殺の可能性も浮上し、不可解な事態に巻き込まれたミカエルは調査を始める。一方リスベットは、宿敵との戦いに決着をつけるべく、モスクワへと攻め込んだ。ロシアマフィアを後ろ盾に反撃を講じる相手は、リスベットの弱点──すなわちミカエルに標的を定める。二つの物語はかつて〝ある場所〟に秘められた昏い惨劇によって結節し、長きにわたる因縁の終局へと奔流のように突き進んでいく。

 思えばラーソンは〝犯罪に立ち向かう《ミレニアム》誌〟という構図を繰り返し用いることで、メディア視点でジャーナリスティックに社会の闇に切り込むアプローチを取っていた。一方でラーゲルクランツはスウェーデンに留まらない国家や思惑が絡み合う、より大きな視野を持った国際的なミステリのスタイルを選択した。この方針転換こそが新三部作の独自性であり、作中の世界観の拡大は「ひとりの死体からここまで大風呂敷が広がるのか!」という驚きに満ちた本作の展開において、実に劇的に作用する。全六作を包括する結末に至ったラーゲルクランツの剛腕は見事という他ない。そして何よりもリスベットの物語が迎える感慨深い決着は、愛読者の胸を大いに打つだろう。まさにシリーズの集大成である。

 

映像化された〈ミレニアム〉

〈ミレニアム〉には複数の映像化作品が存在する。最初の映画化となったスウェーデン版『ミレニアム』(09)は一年の間に三作が公開され、同国の映画としては記録的なヒットとなり、英国アカデミー賞を受賞した。当初リスベット役のノオミ・ラパスの起用を巡ってファンから不満の声が上がったものの、いざ上映されると一転してその演技力が絶賛され、その後の彼女の国際的活躍の足掛かりとなった。ダニエル・クレイグとルーニー・マーラの二大スターを配した『ドラゴン・タトゥーの女』(11)は、デヴィッド・フィンチャー監督によるスタイリッシュな映像美が全篇に横溢する作品だ。米アカデミー賞にノミネートされ、高い評価を得たものの、残念ながら様々な事情で第二部は製作されなかった。なおレッド・ツェッペリン『移民の歌』を劇伴としたオープニングや予告篇のインパクトは凄まじいものがあり、必見である。気鋭のフェデ・アルバレス監督による『蜘蛛の巣を払う女』(18)はラーゲルクランツ版を原作としており、エンタメに振り切った演出と、派手なアクションが見どころだ。さらに二〇二三年にAmazonスタジオは〈ミレニアム〉のドラマシリーズの製作を発表。現時点ではまだ詳細は明らかではないが、原作全巻の映像化に期待がかかる。

※すべて、ハヤカワ・ミステリ文庫より刊行中

樹下堅二郎(ライター)


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