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台湾で最も注目される若手作家陳思宏による台湾文学賞金典年度大賞&金鼎賞文学図書賞ダブル受賞の『亡霊の地』(三須祐介訳)「訳者あとがき」公開

早川書房から、『亡霊の地』(陳思宏/三須祐介訳)を5月23日に刊行いたします。著者の陳思宏自身が生まれ育った台湾の故郷永靖(えいせい)を舞台に、著者自身の家族と近い設定の大家族の物語が、それぞれの声で語られます。2020年には台湾文学賞金典年度大賞と金鼎賞文学図書賞をダブル受賞し、2022年には、ニューヨーク・タイムズから「最も読みたい本」に選出された最注目の台湾の若手作家陳思宏による長篇の初の邦訳です。本note記事では、本書の翻訳を担当された立命館大学教授の三須祐介氏による「訳者あとがき」を公開いたします。

装幀:大島依提亜
(書影をクリックするとAmazonにとびます)

あらすじ

 同性愛者として生きることへの抑圧から逃れるため、台湾の故郷の村、永靖を離れ、ベルリンで暮らしていた作家の陳天宏(チェンティエンホン)は恋人を殺してしまう。
 刑期を終え、よるべのないドイツから、生まれ育った永靖に十数年ぶりに戻って来た。
 折しも中元節を迎えていた故郷では、死者の魂を迎える準備が進んでいた。
 天宏のいなくなった両親と結婚した姉たち、狂った姉、そして兄。
生者と死者の語りで、家族が引き裂かれた理由と天宏が恋人を殺した理由、土地の秘密、過ぎ去りし時代の恐怖と無情が徐々に明らかになっていく。

訳者あとがき

 二〇二二年八月十五日、それは夏の盛りの酷暑の日だった。まさに亡霊(鬼)がこの世に帰ってくるという鬼月(旧暦七月)に、ちょうど二カ月余りの台湾滞在の機会を得ていた私は、台北駅から南下する台湾高速鉄道(新幹線)に乗り、彰化駅に降り立った。作家で国立政治大学副教授の紀大偉と映画評論家の但唐謨、そして紀氏の指導院生である周寅彰の三人が、永靖への日帰り旅行を計画してくれたのである。
 彰化駅から四人でタクシーに乗ると、三十分もしないうちに永靖郷に到着した。幹線道路のすぐ脇から一本の小さな通りが伸びていて、それがこの永靖のメインストリートなのだという。永靖生まれで、著者の陳思宏と同じ小中高を卒業した寅彰が、先導して案内してくれた。台湾のどこにでもあるような、そして静かな田舎町だった。決して賑やかとは言えない商店街には、「今日書局」という小さな書店があった。商店街沿いの永安宮という廟をお参りしてから境内の裏に抜けさらに路地を歩くと、やや広い空間が現れる。入口には「獣魂碑」が建ちかつてここに食肉処理場があったことをうかがわせた。その空間こそ、城脚媽の境内だった。城脚媽は拍子抜けするほど小さな「ほこら」であった。「ほこら」というのがじつにしっくりとくる素朴で簡素な廟なのだ。その小ささと好対照をなすように背後に聳え立つアカギの見事さはまさに神木の名にふさわしい。このささやかな街の一隅には、物語を胚胎しているかのような神秘的な雰囲気が漂い、「亡霊の地」の中心にたどりついたのだという感慨を抱かせる。よくみると境内には、子どもが描いたような稚拙だが温かなタッチの城脚媽にまつわる壁画が並んでいる。そこには野外の芝居小屋や映画上映のようすも含まれていた。
 この寂れた片田舎の風情とはどうしても結びつかないのが、幹線道路沿いにある大きな白いビルであった。その存在は明らかに周囲から浮いていた。それは台湾の食品・流通最大手である企業グループ頂新国際集団の本拠地であり、ビルの裏手の敷地内には巨大な庭園が広がっていた。これが小説に出てくるホワイトハウスのモデルであることは容易に想像がついた。頂新を創業した魏家は永靖の出身であり、中国への進出で大きく成長した。しかし、傘下の食用油メーカーによる不正食用油事件(二〇一四年)を引き起こし創業家でグループの董事長だった魏応充が有罪判決を受けて収監されるなど黒いイメージも付きまとう。
 夕闇が迫るころ、タクシーで在来線の永靖駅を経由して、今は廃墟となってしまったプールにたどりついた。がらんどうのようになってしまったプールは、タイルも朽ち果てつつあり、滅びゆく片田舎を象徴しているようだった。しかし、ここでかつて泳ぎ遊んだ子どもたちのさんざめく歓声が、天宏と小船の息遣いが、小説を通して聴こえてもくる。小説はそんなふうに片田舎に息を吹き込み、人間の匂いを蘇らせてくれる。しかし、だからこそ、このがらんどうのプールに立つと、いたたまれないような切なさに胸をしめつけられた。
 彰化県の中心部へ向かうタクシーのなかでだいじなことをひとつ、運転手に尋ねてみた。この近くにスターフルーツの果樹園はあるでしょうか。運転手はよくわからないようだった。少なくともいまは、それらしい場所はないということだった。小説を読んで構築されていたイメージは、現実の「場所」を訪れたことによってさらに肉付けされ彩りが鮮やかになっていくようであったが、それがまたあっという間に風に乗って消失してしまうようだった。そして私はまた、眼前に広がるのどかで寂しげな現実の永靖から、神秘的なフィクションの場である「存在しない永靖」へと自分の想像を向かわせたのである。

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 本書『亡霊の地』は、陳思宏『鬼地方』(鏡文学、二〇一九年)の全訳である。台湾において影響力のある文学賞である台湾文学賞金典年度大賞や金鼎賞文学図書賞などを受賞して高く評価され、二〇二二年十二月の時点で九カ国語への翻訳が決まっており、英訳本の書評が『ニューヨーク・タイムズ』に掲載される快挙も遂げた。
 陳思宏は、一九七六年、九人きょうだいの末っ子として台湾中部の彰化県永靖郷の農家に生まれた。輔仁大学英文系を卒業後、台湾大学戯劇研究所で演劇学を学び、俳優の経験もある。二〇〇四年からベルリンに在住し、作家活動を続けている。短篇小説集には『爪に花咲く世代(指甲長花的世代)』(二〇〇二年)、『夜を駆ける列車の炎(營火鬼道)』(二〇〇三年)、『アレルギーを治す三つの方法(去過敏的三種方法)』(二〇一五年)などがあり、林栄三文学賞など受賞作品も少なくない。長篇小説には『態度』(二〇〇七年)、本書『亡霊の地(鬼地方)』(二〇一九年)の他、本書を含む「夏の三部作」である『フロリダ変身録(佛羅里達變形記)』(二〇二〇年)、『階上の善人(樓上的好人)』(二〇二二年)がある。またエッセイにも佳作が多く、『ベルリン叛逆(叛逆柏林)』(二〇一一年)、『九番目の身体(第九個身體)』(二〇一八)などがある。
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 英訳版のタイトルが「Ghost Town」であるように「鬼」には亡霊や幽霊、お化けといった意味がある一方で、劣悪な、どうしようもないという形容詞にもなる。本書の邦訳タイトルは『亡霊の地』であるが、読んでいただいて気づかれたように「クソったれの地」「どうしようもない場所」といった意味もそこには含まれている。昔ながらのある意味保守的な気風と濃密すぎる人間関係のなかで繰り広げられる悲喜劇の舞台、永靖の街を表すのにはうってつけのタイトルではないだろうか。英訳本の書評を書いたピーター・C・ベイカーは、永靖こそがもっとも成功したキャラクターと評していることも頷ける。
 中元節(旧暦七月十五日)という小説の現在は、台湾の歴史や文化をもじゅうぶんに味わわせてくれる。死んだ者、亡魂が帰還するのが中元節だが、作品では死者が帰ってくるだけでなく、生者も帰郷する。しかも、それぞれがその身に傷を負ってまるで亡魂のようになった人間として。陳思宏の巧みさは、幽霊よりも生きている人間の恐ろしさを、実に人間味あふれるタッチで描き出そうとした点にあるだろう。
 本書の著者あとがきの反同性愛の国民投票のくだりにもあるように、陳思宏はゲイであることを公にしており、セクシュアル・マイノリティを表象した「同志文学」の書き手としても認識されている。「同志」とは本来政治的な志を同じくする者を指すが、一九九〇年代以降、同性愛者ひいてはセクシュアル・マイノリティ全体を指し示す新義として台湾を始めとする中国語圏において広く流通している。同志文学が描くゲイやレズビアンの物語は、例えばカノンのひとつに数えられる邱妙津『ある鰐の手記(鰐魚手記)』(一九九四年、邦訳は垂水千恵、作品社、二〇〇八年)が台北の女子大学生を描いているように、往々にして大都会を舞台とした、高学歴の登場人物によって描かれることが多い。保守的で父権的な田舎のコミュニティに生まれ育ったセクシュアル・マイノリティには、そこから逃れることによってはじめて人生を始められる、宿命的な苦しみが刻印されてきたということである。本書の主人公であり作家の分身ともいえる天宏も、確かに「鬼地方(ろくでもない場所)」から台北へ、そしてベルリンへと逃亡したが、物語は主人公の帰郷という時点に集約されている。コミカルでもあり痛ましくもある故郷の記憶をなぞり、コラージュすることで、トラウマを乗り越え、「鬼地方」との和解を想像しようとする意図を感じさせる。
 文学研究者の陳国偉は、本書を台湾における新たな「郷土文学」と評している。戦後台湾の「郷土文学」は、黄春明ら優れた作家を生み、侯孝賢に代表される台湾ニューシネマの波を生み出した。台湾の等身大を映し出そうという「郷土」への注目は、その後の「台湾文学」の大きな礎になったといえる。本作品は、のどかで平和な田舎の風景の皮膜をはぎ取れば、そこには濃密なコミュニティ、近すぎる人間関係のなかで繰り返される暴力が蔓延りトラウマを生んでいることを暴露しつつ、ベルリンという変数を導入することで、「最もローカルでありながら最も世界性を有する」文学へと昇華したと陳国偉は言う。それはすなわち、セクシュアル・マイノリティのやむにやまれぬ「離郷」と和解のための「帰郷」が、郷土文学と世界文学を繋げる役割を果たしたということであろう。しかし、もちろん、「鬼地方」を善悪二元論の悪として単純に切り捨てはしない。飛躍する大都会に取り残され零落していく「鬼地方」は、弱者の姿のメタファーにもなっている。天宏はなんとか「離郷」を果たしたが、しかしベルリンで監禁され、一時そこを離れることができなくなる。姉たちは「在郷」を余儀なくされ、たとえ台北に出たとしても、そこには退屈な日常と暴力によって監禁状態になっている。だからこそ天宏の「離郷」は、「鬼地方」に閉じ込められた弱者の姿の輪郭をより浮き彫りにするようでもある。語り手は、彼ら、彼女らをときに戯画的にときに悲壮に描きながら、しかし愛着を手放そうとはしない。本作に描かれる弱者のメタファーとしての「鬼地方」は、ベルリンの監獄の地球儀から消された世界の孤児「台湾」そのものを象徴しているといえよう。
 これまでに邦訳されている唯一の短篇作品「ぺちゃんこな いびつな まっすぐな(平的 歪的 直的)」(二〇一二年、邦訳は『短篇小説集 プールサイド』所収)にも、弱者へのまなざしが色濃く描かれている。さまざまな理由で教室の中で孤立し周縁化された地方の中学生たちの物語だ。経済不況で衰退する地方、父親による性暴力、同性愛者や外国人へのいじめや差別など、さまざまなマイノリティの苦境を「台湾」の縮図のように描き出している。悲しみに彩られた作品ではあるが、しかしそこには微かな希望を見出すこともできる。世界が内向きになっている今こそ、マイノリティが連帯すること、その声を響かせることの意味が問われているのではないだろうか。
 陳思宏は、台湾文学賞金典年度大賞の受賞コメントで次のように述べている。

『亡霊の地』は帰郷を書いています。主人公は不自由であった島での記憶に舞い戻り、ひとしきり泣くのです。私は泣き虫の作家ですが、未来の自由な台湾人が、自由を勝ち取るために二度と傷つくことがないように、自らの性的指向や性別のために涙を流すことのないように願っています。

「存在しない永靖」、「地球儀から消された台湾」、そして残酷な現実と豊かな空想世界をときには至近距離で、ときには俯瞰しつつ描きながら、そこになお祈りのような希望を託す作家の態度が現れている。だからこそ台湾文学は世界文学であるといえるし、希望の文学といえるだろう。

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 翻訳作業にあたって、私の気まぐれな質問に真摯に答えてくれた著者にまずは感謝したい。そして、台湾語を含む原文のニュアンスについては、愛知県立大学の張文菁先生、文藻外語大学の謝惠貞先生にたいへんお世話になった。また、ドイツ語という私にとって未知の言語については立命館大学の長澤麻子先生に貴重なご教示をいただいた。冒頭にも書いたように、紀大偉氏、但唐謨氏、そして永靖生まれの青年・周寅彰氏のガイドによって「鬼地方」の現場を探訪することができた。
ここに記して、感謝を申し上げたい。
 最後に、遅れ気味の翻訳作業を励ましながら伴走してくださった早川書房の吉見世津さんにも感謝の意を表したい。

 二〇二三年四月

陳思宏 Kevin Chen
1976年、台湾の彰化権永靖郷の農家に、9人姉弟の末っ子として生まれる。輔仁大学英文系を卒業後、台湾大学戯劇研究所で演劇学を学び、俳優としても活躍する。2002年、短篇集『指甲長花的世代(未邦訳)』で作家デビュー。精力的に短篇、長篇、エッセイを上梓し、2019年に刊行された『亡霊の地』で、台湾文学賞金典年度大賞と金鼎賞文学図書賞を受賞した。2004年からベルリンに在住。

著者近影(🄫 Mirror Fiction)(禁転載)


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